産声と銃声。
一
僕の父は、戦争で死んだ。
母は、僕が生まれる三か月前に父が戦死したのだと言っていた。
だから僕は、父の顔を写真でしか知らない。
写真の中の父は、いつも笑っていた。
「お父さんはね、あなたが生まれるのを楽しみにしていたのよ」
母はよくそう言った。
僕が軍に入ると告げたとき、母は泣いた。
それでも、最後には送り出してくれた。
「お父さんみたいに、立派な人になってね」
僕は、その言葉を胸に戦場へ向かった。
敵国の人間を殺すことに、疑問を持ったことはなかった。
彼らが僕の父を殺したのだから。
彼らがいなければ、僕らは平和に暮らせるのだから。
そう信じていた。
二
世界には、二つの国があった。
東方連邦と西方共和国。
両国は百年以上にわたり戦争を続けていた。
戦争の原因は、歴史の教科書に詳しく書かれていた。
領土問題。
資源の争奪。
宗教的対立。
そして、百年前に起きた西方共和国による東方連邦への大規模侵攻。
僕らは幼い頃から、敵国の残虐性を教えられて育った。
敵は人間の姿をした獣である。
彼らは平和を望まない。
だから、僕らが戦わなければならない。
学校では毎朝、戦死者に黙祷を捧げた。
街には英雄たちの銅像が並び、広場では軍歌が流れていた。
戦争は僕らの日常だった。
そして、不思議なことに、僕らの国では毎年多くの子供が生まれていた。
政府はそれを、国民の愛国心の表れだと説明していた。
「次の世代に、平和な祖国を残すために」
誰もが、そう言って子供を育てた。
三
僕が二十三歳になった年、戦争は終わった。
終わらせたのは、僕らではなかった。
西方共和国の首都で、大規模な反戦運動が起きたのだ。
兵士たちは武器を捨て、市民は政府の建物を占拠した。
そして共和国政府は、東方連邦に無条件降伏を申し入れた。
僕らは勝った。
百年以上続いた戦争が、ようやく終わったのだ。
街には人が溢れた。
見知らぬ者同士が抱き合い、泣き、笑った。
僕も泣いた。
父の墓前に花を供え、報告した。
「父さん、終わったよ」
その日、僕は生まれて初めて、戦争のない世界を想像した。
もう誰も死ななくていい。
もう子供が父親を失わなくていい。
僕らの子供は、きっと戦争を知らずに育つ。
そう思うと、嬉しくて仕方がなかった。
四
終戦から五年後。
僕は政府の人口統計局で働いていた。
軍を退役したあと、知人の紹介で就職したのだ。
仕事は退屈だった。
各地域の出生数や死亡数を集計し、報告書を作る。
ただ、それだけだった。
ある日、僕は奇妙な数字に気がついた。
出生率が、急激に低下していた。
終戦の翌年から、毎年のように下がり続けている。
最初は偶然だと思った。
しかし、調べれば調べるほど、不可解な事実が浮かび上がった。
戦争中、僕らの国の出生率は常に高かった。
戦況が悪化し、戦死者が増えた年ほど、出生数も増えていた。
反対に、停戦協定が結ばれた年には出生率が下がっていた。
僕は上司に報告した。
上司はしばらく資料を眺め、静かに言った。
「この件は、もう調べなくていい」
「ですが」
「命令だ」
その翌日、僕は別の部署へ異動になった。
五
異動先は、政府の地下施設だった。
そこで僕は、世界の真実を知った。
世界には、二つの国など存在しなかった。
東方連邦も、西方共和国も、同じ政府によって統治されていた。
かつて人類は、すべての国家を統一した。
国境をなくし、軍隊を解体し、戦争を根絶した。
それは人類史上、最も偉大な出来事だった。
しかし、平和になった世界では、出生率が低下し始めた。
人々は長い人生を楽しむようになった。
結婚も、出産も、義務ではなくなった。
子供を持たない人生が当たり前になり、人口は減少を続けた。
政府はあらゆる政策を試みた。
出産奨励金。
育児支援。
人工子宮。
それでも、出生率は回復しなかった。
そして、ある研究者が一つの仮説を提唱した。
人類には、種の存続を脅かす外敵が必要なのではないか。
自分たちの暮らしがいつまでも続くと信じられる世界では、未来に命を残す必要性を感じにくくなる。
しかし、明日を失うかもしれない世界では、人は次の世代に希望を託そうとする。
政府は、その仮説を実証するために、一つの実験を行った。
世界を二つに分けたのだ。
異なる国名。
異なる歴史。
異なる教育。
異なる敵。
そして、戦争を始めた。
結果は、政府の予想を上回った。
出生率は急激に回復した。
人々は結婚し、子供を産み、家族を守るために働いた。
戦死者が出るたびに、国民は次の世代を残そうとした。
戦争は、人類を再び繁栄させた。
「君のお父さんも、その一人だ」
説明を終えた男が言った。
僕は彼を見た。
「父は、国を守るために死にました」
「そうだ」
「敵国の兵士に殺されたんです」
「そうだ」
「その敵国も、あなたたちが作ったんですか」
男は頷いた。
僕は吐いた。
六
僕は政府の機密資料を持ち出した。
そして、世界中に公開した。
すべての戦争が仕組まれていたこと。
何千万人もの人間が、出生率を維持するために殺されていたこと。
敵国も味方も、同じ政府に操られていたこと。
世界は騒然となった。
政府の幹部たちは逮捕され、統治機構は解体された。
僕は英雄になった。
街には再び人が溢れた。
人々は喜び、泣き、抱き合った。
百年前と同じように。
ただ、今度こそ本当の平和が訪れたのだ。
僕はそう信じていた。
七
それから三十年が経った。
世界人口は、半分になった。
出生率は、終戦直後から再び低下していた。
政府が行っていた研究は、正しかったのかもしれない。
僕はその事実を認めたくなかった。
戦争などなくても、人類は生きていける。
そう信じていた。
しかし、街からは子供の声が消えていった。
学校が閉鎖され、病院が閉鎖され、老人ばかりが残った。
やがて、政府の人口予測が発表された。
このままでは、百年以内に人類は滅亡する。
世界中で議論が起きた。
人工子宮を再開するべきだ。
出産を義務化するべきだ。
移民を受け入れるべきだ。
だが、世界にはもう移民を受け入れる国などなかった。
すべてが、一つの国だったのだから。
八
僕が七十歳になった年、政府から一通の手紙が届いた。
差出人は、人口維持委員会。
かつて僕が告発した組織の後継機関だった。
指定された場所へ向かうと、そこには若い男が座っていた。
「お久しぶりです」
男は言った。
「あなたに、お見せしたいものがあります」
彼は一枚の資料を差し出した。
そこには、世界地図が描かれていた。
赤と青。
二つの色で、世界が分けられていた。
僕は息を呑んだ。
「まさか」
男は頷いた。
「来月から、新しい国家が誕生します」
「ふざけるな」
「今回は三つに分ける予定です」
「また戦争を始めるのか」
「はい」
僕は机を叩いた。
「何人殺すつもりだ!」
男は静かに答えた。
「必要な人数だけです」
「そんなことが許されると思っているのか!」
「許されません」
男は即答した。
「ですから、国民には知らせません」
僕は言葉を失った。
男は続けた。
「あなたが真実を公表したおかげで、前の戦争は終わりました」
「それがどうした」
「そして、人類は再び滅亡に向かっています」
「だから戦争をするのか」
「はい」
「狂っている」
「そうかもしれません」
男は少しだけ笑った。
「ですが、あなたに一つお聞きしたい」
彼は僕の目を見た。
「あなたは、人類を救ったのですか?」
僕は答えられなかった。
九
新しい戦争は、予定どおり始まった。
今度は、三つの国だった。
政府は過去の失敗から学んでいた。
歴史は書き換えられ、国境が設けられ、人々にはそれぞれ異なる教育が施された。
互いを憎む理由が与えられた。
最初の戦争は、小さな国境紛争だった。
次に資源をめぐる衝突が起きた。
そして、ある都市が爆撃された。
死者は三万人。
その翌月、世界の出生率は上昇に転じた。
僕はニュースを見ながら、泣いた。
政府の予測は、またしても正しかった。
人々は結婚し、子供を産み始めた。
戦争で父親を失った子供たちが生まれた。
僕と同じような子供たちが。
僕はもう一度、真実を公表しようとした。
だが、できなかった。
戦争を止めれば、再び出生率が下がる。
このままでは人類が滅亡する。
それでも、戦争を続ければ人が死ぬ。
僕には、どちらも選べなかった。
十
病室に一人の少年が訪ねてきた。
まだ十六歳だった。
彼は軍服を着ていた。
「あなたが、昔の戦争を終わらせた人ですか」
僕は頷いた。
少年は嬉しそうに笑った。
「僕も、戦争を終わらせたいんです」
「父さんが戦争で死んだんです」
少年は胸元から写真を取り出した。
そこには、若い男が写っていた。
「だから僕、軍に入ることにしました」
「敵を倒して、平和な世界を作りたいんです」
少年は真剣だった。
かつての僕と、同じ目をしていた。
「きっと、できますよね」
僕は長い間、彼を見つめていた。
そして、答えた。
「ああ」
少年は笑った。
「ありがとうございます」
彼は敬礼して、病室を出ていった。
僕は、その背中を見送った。
止めることはできた。
真実を教えることもできた。
だが、僕は何も言わなかった。
少年が戦場へ向かうことを、知っていながら。
窓の外では、子供たちが遊んでいた。
久しぶりに聞く、賑やかな声だった。
僕は目を閉じた。
父さん。
僕は、あなたのような人間にはならないと誓っていた。
戦争を終わらせるために生きてきた。
誰もが平和に暮らせる世界を作りたかった。
それなのに。
僕は最後に、あなたと同じことをした。
まだ生まれていない子供たちのために、目の前の子供を戦場へ送り出したのだ。
翌朝、僕は死んだ。
その日、世界では十二万人の子供が生まれた。
そして、三千人の兵士が死んだ。
政府は出生率の回復を発表した。
国民は喜んだ。
新聞の一面には、大きな見出しが躍っていた。
『未来を守るため、戦い続けよう』___




