サイクル。
一
人が死ななくなったわけではない。
ただ、死んでも戻ってこられるようになっただけだった。
死者蘇生技術が確立されてから、世界は大きく変わった。
事故で死んだ子供も、病気で死んだ老人も、適切な手続きを踏めば再び目を覚ますことができる。
もっとも、それには一つだけ条件があった。
死者を一人蘇生させるためには、生きている人間が一人、命を差し出さなければならない。
命を生み出すことはできない。
ただ、誰かの命を、別の誰かに渡すことができるだけだった。
そのため、蘇生施設を利用する人間は決して多くなかった。
誰だって死ぬのは怖い。
誰だって生きていたい。
それでも、大切な誰かのためなら死んでも構わないと思う人間は、いつの時代にもいた。
二
娘が死んだのは、六歳の誕生日の翌日だった。
横断歩道を渡っていたところに、信号を無視した車が突っ込んだ。
病院に駆けつけたときには、もう手遅れだった。
妻は娘の身体に縋りついて泣いていた。
私はただ、その小さな手を握っていた。
昨日まで、あんなに元気だったのに。
誕生日のケーキを頬張りながら、来年はもっと大きなものがいいと笑っていたのに。
私は娘の手を離し、病院を出た。
向かった先は、蘇生施設だった。
「蘇生をご希望ですか」
受付の女性が尋ねた。
私は頷いた。
「ご存じかとは思いますが、蘇生には同意された方の命が必要になります」
「知っています」
「一度手続きを開始すると、取り消すことはできません」
「構いません」
女性は少しだけ目を伏せた。
「ご家族には相談されましたか」
私は答えなかった。
妻に相談すれば、きっと止められる。
あるいは、自分が代わりになると言い出すかもしれない。
それだけは嫌だった。
娘には、まだ未来がある。
妻には、娘を育てる未来がある。
ならば、私が死ぬのが一番いい。
私は書類に署名した。
最後に思い浮かべたのは、妻と娘の笑顔だった。
三
娘が目を覚ましたとき、妻は泣いて喜んだ。
何度も名前を呼び、何度も抱きしめた。
娘は不思議そうな顔をしていた。
「ママ、どうして泣いてるの?」
妻は答えなかった。
娘は少し考えてから、もう一度尋ねた。
「パパは?」
妻は答えられなかった。
蘇生された人間には、死んでいた間の記憶がない。
娘にとっては、昨日まで一緒にいた父親が、突然いなくなっただけだった。
妻は父親が仕事に行っていると説明した。
娘は素直に信じた。
しかし、三日が過ぎても父親は帰ってこなかった。
「パパ、まだお仕事?」
「そうよ」
「いつ帰ってくるの?」
「もう少ししたらね」
妻は笑って答えた。
その夜、娘が寝静まったあと、妻は一人で泣いた。
夫が死んだことは分かっていた。
夫が娘のために命を差し出したことも分かっていた。
けれど、蘇生できると知っていながら、夫のいない人生を受け入れることはできなかった。
翌朝、妻は蘇生施設を訪れた。
四
私が目を覚ましたとき、妻はいなかった。
代わりに、娘がいた。
「パパ!」
娘は私に飛びついた。
「おかえり!」
私は娘を抱きしめた。
そして、妻の姿を探した。
「ママは?」
娘は首を傾げた。
「お出かけ」
その言葉だけで、私はすべてを理解した。
*
私は再び蘇生施設を訪れた。
妻を生き返らせた。
そして、私が死んだ。
*
妻は私を生き返らせた。
そして、妻が死んだ。
*
私は妻を生き返らせた。
そして、私が死んだ。
*
母親が帰ってくると、父親がいなくなった。
父親が帰ってくると、母親がいなくなった。
娘は、そのたびに「おかえり」と言った。
そして、そのたびに「いってらっしゃい」を言えないまま、もう一人の親を失った。
娘が七歳になったときも。
八歳になったときも。
九歳になったときも。
家には、いつも親が一人しかいなかった。
誕生日のケーキを囲むのは、いつも二人だった。
学校の行事に来るのも、いつも一人だった。
娘はいつしか、帰ってきた親に、もう一人の親の居場所を尋ねなくなった。
聞かなくても分かるようになったからだ。
五
十一度目の蘇生を終えた私に、施設の職員が言った。
「これで、旦那様の蘇生は十一回目になります」
私は黙っていた。
「奥様は十回、蘇生されています」
「そうですか」
「失礼ですが、いつまで続けられるおつもりですか」
私は答えられなかった。
「奥様も、あなたと同じことをおっしゃるんです」
職員は困ったように笑った。
「自分がいなくなっても、あの人には生きていてほしい、と」
私は俯いた。
妻がそう考えていることは知っていた。
私も同じだった。
「娘さんのことも、少し考えてあげてください」
その言葉に、私は顔を上げた。
「娘は、元気ですか」
職員は何も答えなかった。
六
娘は十三歳になっていた。
私が家に帰ると、娘はいつものように玄関まで迎えに来た。
「おかえり、パパ」
「ああ、ただいま」
娘は笑っていた。
けれど、以前よりずっと静かな子供になっていた。
夕食のときも、学校の話をあまりしなくなった。
私は久しぶりに、娘とゆっくり話をした。
「学校は楽しいか」
「うん」
「友達はできたか」
「うん」
「何か欲しいものはあるか」
娘は少し考えた。
「あるよ」
「何だ?」
「パパとママが、二人とも帰ってくること」
私は箸を止めた。
娘は俯いたまま続けた。
「私ね、もう『おかえり』って言いたくない」
「どうして?」
「だって、どっちかが帰ってくると、どっちかがいなくなるんだもん」
娘の目から涙が落ちた。
「私、二人とも大好きなのに」
私は何も言えなかった。
「もう、だれも生き返らなくていいよ」
娘は泣きながら言った。
「もう、だれも死なないでよ」
私は娘を抱きしめた。
そして約束した。
もう施設には行かないと。
これからは、二人で生きていこうと。
娘は何度も頷いた。
その夜、娘は久しぶりに笑った。
私も笑った。
妻には申し訳なかった。
けれど、これが正しいのだと思った。
七
翌朝、娘は死んでいた。
自分の部屋で、首を吊っていた。
机の上には、一通の手紙があった。
『パパ、ママへ』
『今までありがとう』
『二人とも、私のことを大切にしてくれてありがとう』
『でも、もう私のために死なないでください』
『私が最初に事故に遭わなかったら、こんなことにはならなかったんだよね』
『私がいるから、二人はずっと苦しいんだと思います』
『だから、もう大丈夫だよ』
『これからは二人で幸せになってね』
『大好きだよ』
私は何度も手紙を読み返した。
娘は、何も分かっていなかった。
私たちが命を差し出したのは、娘がいたからではない。
娘と一緒に生きたかったからだ。
それなのに。
私は、娘に何をしてしまったのだろう。
八
娘の葬儀は行わなかった。
まだ、死んだと認めたくなかった。
私は娘の身体を蘇生施設に預けた。
そして、受付で申請書を受け取った。
職員は私の顔を見ると、静かに頭を下げた。
「娘さんのこと、お悔やみ申し上げます」
私は何も答えなかった。
「蘇生をご希望ですね」
「はい」
職員は申請書を差し出した。
私はペンを握った。
何度も見慣れた書類だった。
名前を書き、署名をする。
それだけでよかった。
今までは。
私は蘇生対象者の欄にペンを走らせた。
最初の一文字を書いたところで、手が止まった。
しばらく、その文字を見つめていた。
やがて私は、職員に新しい申請書を求めた。
「書き損じですか」
「ええ」
職員は何も言わず、新しい紙を差し出した。
私はそれを受け取り、またペンを握った。
しかし、今度は一文字も書けなかった。
待合室の時計が、午後五時を告げた。
私はまだ、そこに座っていた。
膝の上には、白紙の申請書があった。
娘が生まれた日のことを思い出した。
妻は小さな身体を抱きながら、何度も私に礼を言った。
私は何もしていないのに。
それから、娘が初めて歩いた日。
初めて私をパパと呼んだ日。
三人で出かけた、最後の誕生日。
思い出すのは、いつも三人だった。
けれど、申請書には一人分の名前を書く欄しかなかった。
閉館時間が近づき、職員が声をかけてきた。
「本日は、いかがなさいますか」
私は顔を上げた。
「もう少しだけ、時間をいただけますか」
職員は頷いた。
私は再び申請書を見つめた。
そして、ゆっくりとペンを取った。
九
数時間後。
蘇生施設の一室で、一人の人間が目を覚ました。
職員はいつものように微笑んだ。
「おかえりなさい」
目を覚ましたその人は、周囲を見渡した。
そして、家族の名前を呼んだ。
返事はなかった。
もう一度、呼んだ。
やはり、返事はなかった。
十
蘇生施設の入口には、創設当時から変わらない標語が掲げられている。
『大切な人に、もう一度会える世界へ。』
その下を、今日も多くの人が通り過ぎていく。
誰かを迎えに来た人。
誰かに別れを告げに来た人。
そして、もう二度と帰らない人。
施設の中では、今日も誰かが目を覚ます。
「おかえりなさい」
その言葉と引き換えに。




