神託ログ09 優しい神ほど、答えをくれない
翌朝。
目を覚ますと。
珍しく。
神託が静かだった。
「……来ないな」
いつもなら。
担当の神が。
起きてすぐ何か言ってくる。
ガルドなら走れ。
セレナなら魔力。
メルクなら金。
ヴォルグなら――。
「……あいつは『来い』か」
思い返すと。
ろくな朝がない。
今日は。
生命神フィリアの番。
七柱の中では。
今のところ一番穏やかで。
一番優しい。
つまり。
「今日は平和そうだな」
そう呟いた瞬間。
――ピコン。
【生命神フィリア】
『おはようございます、レンさん』
「おはよう」
やっぱり。
優しい。
『身体の調子はいかがですか?』
「大丈夫。筋肉痛も昨日よりマシ」
『痛む場所は?』
「ほとんどない」
『頭痛は?』
「ない」
『吐き気は?』
「ない」
『食欲は?』
「ある」
『睡眠は十分に取れましたか?』
「たぶん」
『たぶん?』
「……取りました」
圧がある。
優しいけど。
圧がある。
「それで、今日は何するの?」
『街を歩きましょう』
「……それだけ?」
『はい』
「治癒魔法とか教えてくれるんじゃないの?」
『まだです』
「使えない?」
『今のレンさんには』
即答。
「魔力3だから?」
『それもあります』
「それも?」
『治癒魔法は、魔力があれば使えるというものではありません』
「へえ」
『それに』
少しだけ。
間が空いた。
『今日は、魔法を教える日ではありません』
「じゃあ何を?」
『命を見る日です』
「…………」
急に。
難しそうになった。
◇ ◇ ◇
フィリアに言われるまま。
街を歩く。
朝の市場。
住宅街。
井戸。
小さな広場。
昨日までにも。
通った場所ばかり。
「何を見ればいい?」
『自由に』
「一番困るやつ」
『ふふ』
笑われた。
「命を見るって、人を見るってこと?」
『それも正解です』
「それも?」
『動物もいます。植物もあります』
周囲を見る。
荷車を引く馬。
道端に生えた草。
店先で野菜を並べる女性。
走り回る子どもたち。
当たり前の光景。
「……全部生きてる」
『はい』
「でも、これ見て何を学ぶの?」
『今すぐ答えを出さなくて大丈夫ですよ』
「神様たち、最近それ多くない?」
『答えを急ぎすぎるのも、良くありませんから』
フィリアらしい。
穏やかな言い方。
でも。
その時。
少し先から。
声が上がった。
「危ない!」
反射的に。
そちらを見る。
子どもが。
転んでいた。
六歳か。
七歳くらい。
走っていたらしい。
石畳へ。
派手に膝をぶつけた。
「うわああああん!」
泣き声。
膝から。
血が出ている。
俺は。
すぐに駆け寄った。
「大丈夫!?」
子どもが。
涙を流しながら。
俺を見る。
「いたい……!」
「見せて」
しゃがみ込む。
膝。
擦り傷。
血。
砂。
小さな石まで。
傷口についている。
「フィリア」
『はい』
「どうすればいい?」
返事がない。
「フィリア?」
『レンさんは、どうしますか?』
「俺?」
『はい』
「いや、生命神なんだから教えてよ」
『まず、レンさんが考えてください』
「…………」
また。
これだ。
七柱。
基本的に。
すぐ答えをくれない。
俺は。
子どもの膝を見る。
傷。
血。
まず。
綺麗にした方がいい。
たぶん。
「水……」
近くに。
共同水場がある。
「ちょっと待ってて」
立ち上がろうとした。
その瞬間。
小さな手が。
服の裾を掴んだ。
「……行かないで」
「え?」
子どもの顔を見る。
泣いている。
「お母さん……」
「…………」
そこで。
初めて。
気づいた。
俺は。
傷しか見ていなかった。
「お母さん、どこ?」
「わかんない……」
「一人だった?」
首を振る。
「お母さんと……来た……」
はぐれたのか。
転んだ痛み。
それだけで。
泣いているわけじゃない。
怖いんだ。
「……そっか」
俺は。
もう一度。
子どもの前へしゃがんだ。
「怖かったな」
子どもが。
唇を噛む。
それから。
小さく頷いた。
「大丈夫」
言いかけて。
少し考える。
本当に。
大丈夫か?
母親がどこにいるか。
まだ分からない。
傷だって。
俺には。
正確な状態が分からない。
だから。
言い直した。
「お母さん、一緒に探そう」
「……ほんと?」
「うん。その前に、膝を綺麗にしよう」
子どもは。
少し迷って。
頷いた。
◇ ◇ ◇
近くの店の人に。
布を借りた。
水も。
分けてもらった。
傷についた砂を。
ゆっくり流す。
「痛い?」
「いたい……」
「だよな」
「……うん」
「ごめん。でも、もう少しだけ」
泣いている。
それでも。
さっきより。
落ち着いてきた。
「フィリア」
『はい』
「これで合ってる?」
『傷の処置としては、大きく間違っていません』
「良かった」
『でも』
「何?」
『今、何をしていますか?』
「傷を綺麗にしてる」
『それだけですか?』
「…………」
また。
その質問。
最近。
神様たちに。
何度もされている気がする。
俺は。
子どもを見る。
「……安心させようとしてる?」
『はい』
フィリアから。
柔らかな返事。
『それも、とても大切です』
「それも?」
『傷を治すことと、人を助けることは、同じではありません』
「…………」
『傷だけ治っても、怖いままの人はいます』
『身体に傷がなくても、助けを必要としている人もいます』
俺は。
子どもを見る。
まだ。
服を掴まれている。
「……そっか」
傷だけ見ていた。
膝。
血。
どう処置するか。
そればかり。
でも。
この子が一番困っていたのは。
もしかしたら。
傷じゃなかった。
「名前、聞いていい?」
「……ルカ」
「ルカか」
「お兄ちゃんは?」
「レン」
「レン……」
「そう」
少しだけ。
泣き止んだ。
「じゃあルカ。お母さん探そうか」
「うん」
立ち上がる。
今度は。
ルカの方から。
俺の手を握った。
◇ ◇ ◇
母親は。
思ったより早く見つかった。
「ルカ!」
市場の向こうから。
女性が。
走ってくる。
「お母さん!」
ルカが。
俺の手を離す。
母親へ。
駆けていく。
女性は。
その場にしゃがみ込み。
子どもを。
強く抱きしめた。
「どこ行ってたの!?」
「ごめんなさい……」
「探したのよ……!」
怒っている。
でも。
声が震えていた。
ルカも。
また泣いた。
今度は。
さっきとは。
違う涙に見えた。
母親が。
俺に気づく。
「この子を?」
「転んでたので」
「ありがとうございます」
深く。
頭を下げられる。
「いや、俺は……」
傷を洗っただけ。
一緒に。
母親を探しただけ。
それでも。
女性は。
何度も。
礼を言った。
二人が。
手を繋いで帰っていく。
その背中を。
俺は。
しばらく見ていた。
◇ ◇ ◇
『どうでしたか?』
フィリアが聞いた。
「どうって?」
『今日の授業です』
「……まだ午前中だけど」
『もう十分です』
「早くない?」
『時間の長さは重要ではありません』
俺は。
歩きながら。
さっきのことを思い返す。
「傷を治すことと、助けることは違う」
『はい』
「でも」
少し。
考える。
「傷を治すのも、助けることじゃないの?」
『もちろんです』
「じゃあ、どう違うの?」
フィリアは。
すぐには答えなかった。
『治すことは、助ける方法の一つです』
「方法の一つ」
『はい』
『でも、それだけではない』
俺は。
ルカが。
服を掴んだ時のことを思い出す。
もし。
あの時。
傷だけ処置して。
終わっていたら。
「……その人が何に困ってるかを見ないといけない?」
『そうですね』
「怪我してたら、怪我を見るんじゃなくて?」
『怪我も見ます』
フィリアが。
静かに続ける。
『でも、その前に』
少しだけ。
言葉が止まった。
『その人を見てください』
「…………」
人を見る。
簡単そうで。
難しい。
怪我をしていたら。
傷に目が行く。
泣いていたら。
泣き止ませようとする。
困っていたら。
何かしてあげようとする。
でも。
その人が。
本当は。
何を必要としているのか。
それは。
ちゃんと見なければ。
分からない。
「フィリアって」
『はい?』
「優しいな」
少し。
間があった。
『……ありがとうございます』
「何、その間」
『何でもありません』
「照れた?」
『違います』
「絶対照れた」
『違います』
否定が。
少しだけ。
早かった。
◇ ◇ ◇
午後。
フィリアに。
身体について。
簡単なことを教えてもらった。
傷。
熱。
呼吸。
脈。
どんな時に。
自分で対処して。
どんな時に。
専門家へ任せるべきなのか。
「治癒魔法があるなら、何でも治せるんじゃないの?」
『いいえ』
「そうなの?」
『治癒魔法にも限界があります』
「欠損とか?」
『術者によります。傷の種類にもよります』
「病気は?」
『病気によります』
「毒は?」
『毒によります』
「……全部、場合によるんだな」
『命ですから』
フィリアの返事は。
いつもより。
少しだけ重かった。
『簡単に、必ず治るとは言えません』
「生命神でも?」
『生命神でも』
迷いのない。
答えだった。
「……神様でも、治せないものはある?」
『あります』
「そっか」
『だから』
フィリアが言う。
『自分にできないことを、知ることも大切です』
「できないって認める?」
『はい』
『助けたいと思うことと、助けられることは違います』
「…………」
その言葉だけ。
妙に。
胸に残った。
俺は。
まだ。
この世界で。
何もできない。
でも。
だからこそ。
覚えておいた方がいいのかもしれない。
「全部自分でやろうとするなってこと?」
『それもあります』
「フィリア、意外と厳しいな」
『命の話ですから』
優しい声。
でも。
そこだけは。
譲らなかった。
◇ ◇ ◇
夕方。
今日の授業が終わった。
「明日はノアか」
【生命神フィリア】
『はい』
「知識神ね」
嫌な予感がする。
「一日中勉強とか?」
『ふふ』
「何、その笑い」
『頑張ってください』
「絶対何か知ってるだろ」
『私は何も』
「今の間は何?」
返事がない。
「神様って都合悪くなると黙るよな」
『…………』
「ほら!」
思わず。
笑った。
そして。
街へ戻ろうとした時。
フィリアから。
もう一つ。
神託が届いた。
『レンさん』
「ん?」
『今日のことを、忘れないでください』
「ルカ?」
『はい』
『傷を見つけた時』
『傷だけを見ないでください』
俺は。
少しだけ。
振り返った。
もう。
ルカの姿はない。
「……分かった」
それだけ答えて。
歩き出した。
◇ ◇ ◇
レンとの接続が切れた後。
生命神フィリアは。
今日の記録を開いていた。
【対象:レン・アルヴェイン】
【救護行動:確認】
【対象状態の観察:初期】
【対人対応:正常】
しばらく。
その文字を見つめる。
やがて。
別の記録を開く。
【生命領域適性】
【判定――】
表示が。
一瞬。
揺れた。
【判定不能】
『…………』
もう一度。
確認する。
【世界律接続:失敗】
【分類:不能】
フィリアは。
小さく息を吐いた。
その時。
創世神エリオスから。
神託が届く。
【創世神エリオス】
『どうだった』
フィリアは。
少し考えてから答えた。
『優しい子です』
『そうか』
『でも』
そこで。
指が止まる。
『少し、心配です』
『何がだ』
フィリアは。
今日のレンを思い出した。
泣いている子どもを見た瞬間。
迷わず。
駆け寄った。
自分に何ができるかも。
分からないまま。
『助けたいと思った時』
『自分にできることより先に、身体が動く人です』
返事は。
しばらく来なかった。
やがて。
エリオスから。
短い言葉。
『それは、悪いことか』
フィリアは。
すぐには答えられなかった。
『……分かりません』
そして。
誰にも見られない記録を閉じる前に。
小さく。
付け加えた。
『だからこそ』
『いつか、助けられないものに出会った時が』
『少し怖いです』




