神託ログ22『神様たち、子どもの嘘を見抜けない』
レンがその少年と再会したのは、大神殿の倉庫で最後の棚を修理していた時だった。
正確には、再会する前から気づいていた。
扉の向こうで、誰かがこちらの様子を窺っている。
廊下を歩く足音が近づいては止まり、しばらくすると遠ざかる。それが三度ほど繰り返されたところで、レンはとうとう工具を置いた。
「……なあ、ヴォルグ」
『何だ』
「この棚、ちょっと休憩してもいい?」
『あと一本、留め具を締めれば終わるぞ』
「それは分かってるんだけど」
『なら終わらせろ』
「いや、外に誰かいるんだよ」
『棚には関係ない』
「冷たっ!」
レンは苦笑した。
すると、ガルドが楽しそうに口を挟んだ。
『おっ、敵か!?』
「違うと思う!」
『油断するな! 敵は小さいほど厄介なこともある!』
「まだ姿も見てないのに!」
『なら確かめてこい!』
「それはそうなんだけどさ!」
レンは工具を置き、倉庫の入口へ向かった。
扉を開けると、小さな影が慌てて柱の後ろへ隠れた。
ただし、隠れきれていない。
茶色い髪が少しだけ見えている。
さらに、柱の横から靴の先まで飛び出していた。
「……見えてるよ?」
レンが声をかけると、影がぴくりと動いた。
しばらくして、少年がゆっくり顔を出した。
昨日、古い木箱を修理した少年だった。
「あ、昨日の!」
レンが笑うと、少年は小さく頭を下げた。
「……こんにちは」
「こんにちは。木箱、大丈夫だった?」
「……はい」
「そっか。よかった」
少年は両手を背中へ回したまま、落ち着かない様子で足元を見つめていた。
レンは少し屈み、目線を合わせた。
「どうしたの? 何か困ったこと?」
「……別に」
「そっか」
レンは頷いた。
だが、少年は帰ろうとしなかった。
何か言いたそうに口を開き、すぐに閉じる。
その様子を見て、レンは少し考えた。
「……あ、そうだ」
少年が顔を上げる。
「俺、まだ名前聞いてなかったよね」
「……はい」
「俺はレン。よろしく」
レンは笑った。
少年は少しだけ迷った後、小さな声で答えた。
「……ユウ」
レンの笑顔が、わずかに止まった。
「……ユウ?」
「はい」
その名前には、聞き覚えがあった。
ラウナ村。
あの事件の後、生き残った子ども。
自分の性質を隠していた少年。
レンは目の前の顔を改めて見つめた。
以前会った時より、髪が少し伸びている。表情も、どこか大人びて見えた。
「……ユウだったのか」
少年は不思議そうに首を傾げた。
「……覚えてたんですか?」
「もちろん」
レンは笑った。
「久しぶりだね」
ユウは少しだけ嬉しそうに笑った。
だが、その表情はすぐに曇った。
「……レンさん」
「ん?」
「……お願いがあるんです」
レンは静かに頷いた。
「うん。聞くよ」
ユウはしばらく黙っていた。
そして。
「……嘘のつき方を、教えてください」
レンは固まった。
頭の中でも、七柱の神々が一斉に黙った。
数秒後。
『……何だと!?』
ガルドが叫んだ。
「俺が聞きたい!!」
◇
ユウを倉庫の中へ案内すると、リナが驚いたように顔を上げた。
「あれ? 昨日の子?」
「うん。ユウっていうんだ」
「ユウ?」
リナは少し考え、それから思い出したように目を見開いた。
「……ラウナ村の?」
ユウは小さく頷いた。
「……はい」
リナの表情が柔らかくなった。
「そっか。元気にしてた?」
「……はい」
返事は短かった。
だが、昨日よりは少しだけ落ち着いているように見えた。
レンは椅子を一つ引き寄せた。
「とりあえず座って」
ユウが腰を下ろす。
レンも向かいに座った。
リナは少し離れた場所で作業を続けながら、二人の様子を見守っていた。
「……それで」
レンは慎重に尋ねた。
「嘘のつき方を教えてほしいって、どういうこと?」
ユウは膝の上で手を握りしめた。
「……管理院の人が」
レンは表情を引き締めた。
「うん」
「……明日、僕のところにも来るって」
ユウは小さく息を吸った。
「性質を調べるって」
レンは黙った。
町全体に出された、安全確認の命令。
登録されていない性質を持つ人間は、順番に確認を受けることになっている。
それは、ユウのような子どもも例外ではなかった。
「……そっか」
レンは静かに頷いた。
「それで、嘘をつきたいんだね」
ユウは頷いた。
「……はい」
「どうして?」
その質問に、ユウは少しだけ顔を上げた。
「……怖いから」
レンは何も言わなかった。
「ラウナ村で……僕のこと、変だって言う人がいて」
ユウの声が震えた。
「みんなと違うって」
レンは静かに聞いていた。
「だから、ずっと隠してたんです」
ユウは膝の上で手を強く握った。
「……でも、調べられたら分かっちゃう」
レンは小さく息を吐いた。
なるほど。
だから、嘘のつき方を教えてほしいと言ったのか。
自分の性質を隠すために。
誰かに知られないようにするために。
その時、ノアが口を開いた。
『……一つ確認が必要ですね』
「……何?」
『性質の確認方法によっては、言葉で嘘をついても意味がありません』
「……そうだね」
『登録情報と実際の性質を照合する場合、本人の申告だけでは隠せない可能性があります』
レンは頷いた。
確かに。
ただ嘘をつくだけでは、解決しないかもしれない。
すると、ガルドが豪快に言った。
『なら、堂々と断ればいいじゃねえか!』
「……ガルド」
『嫌なもんは嫌だって言えばいい!』
「それができたら苦労しないよ」
『何でだ?』
「相手は大人だし、管理院の人だよ。子どもが一人で断るのは怖いでしょ」
ガルドは少し黙った。
そして。
『……そうか』
珍しく、短い返事だった。
レンはユウへ向き直った。
「……ユウ」
「はい」
「嘘のつき方を教える前に、一つ聞いてもいい?」
ユウは小さく頷いた。
「……うん」
「本当は、どうしたい?」
ユウは目を丸くした。
「……え?」
「調べられたくないの?」
ユウは少し考えた。
そして、ゆっくり頷いた。
「……はい」
「それとも、性質を知られるのが怖い?」
ユウは黙った。
しばらくして、小さな声で答えた。
「……両方」
レンは頷いた。
「そっか」
それ以上、無理に聞こうとはしなかった。
ユウは何かを言いかけたが、結局、口を閉じた。
レンはその様子を見て、静かに言った。
「……分かった。じゃあ、まずは一緒に考えよう」
ユウが顔を上げた。
「……一緒に?」
「うん」
レンは笑った。
「嘘をつく以外にも、できることがあるかもしれないから」
◇
その後、レンはユウを連れてアリアのもとへ向かった。
大神殿の相談室には、すでに数人の住民が集まっていた。
管理院の確認を受けるべきか。
登録を拒否した場合、どうなるのか。
子どもの性質を調べられることに不安はないのか。
そんな相談が、毎日のように寄せられているらしい。
アリアはユウの話を聞くと、静かに頷いた。
「……分かりました」
ユウは不安そうに顔を上げた。
「……僕、調べられますか?」
アリアは少し考えた。
「今の命令では、確認の対象になっています」
ユウの表情が曇る。
だが、アリアは続けた。
「ただし、確認を受ける方法については、まだ相談できる余地があります」
「……方法?」
「はい。例えば、保護者や神殿の者が立ち会うこと。説明を受けてから判断すること。必要以上の情報を公開しないよう求めること」
ユウは少しだけ顔を上げた。
「……そんなこと、できるんですか?」
「必ず認められるとは限りません」
アリアは正直に答えた。
「でも、お願いすることはできます」
レンは静かに頷いた。
その時、エリオスが口を開いた。
『……重要なのは、拒否する権利だけではない』
「……え?」
『説明を求める権利もある』
レンは少し考えた。
『何を調べるのか。なぜ必要なのか。結果を誰が見るのか。それを知らないまま同意する必要はない』
「……なるほど」
レンはアリアへ尋ねた。
「管理院に、確認の内容を事前に説明してもらうことってできますか?」
アリアは頷いた。
「できます。少なくとも、そう求めることはできます」
レンはユウを見た。
「……どうする?」
ユウはしばらく考えた。
そして。
「……聞いてみたい」
小さな声で答えた。
レンは笑った。
「うん」
その時、リナが静かに言った。
「……私も一緒に行くよ」
レンは顔を上げた。
「……リナ?」
「ユウ一人じゃ不安でしょ?」
リナは笑った。
「それに、管理院の人と話すのは慣れてるし」
レンは少し驚いた。
だが、すぐに笑った。
「……ありがとう」
リナは肩をすくめた。
「別に。私がそうしたいだけ」
その言葉に、レンは小さく頷いた。
リナも、自分で選んでいる。
誰かに命令されたわけではない。
それが、少しだけ嬉しかった。
◇
翌日。
管理院の確認担当者が大神殿へやってきた。
黒い制服を着た二人の職員。
そのうち一人は若い男で、手には薄い銀色の板を持っていた。
もう一人は年配の女性だった。
彼女はアリアへ丁寧に頭を下げた。
「本日は、登録情報の確認に参りました」
アリアも頭を下げた。
「お待ちしていました」
ユウはリナの隣に立っていた。
緊張した様子で、何度も手を握り直している。
レンは少し離れた場所から見守っていた。
自分が前へ出すぎないように。
ユウが自分の言葉で話せるように。
そう決めていた。
「……確認を始めてもよろしいですか?」
女性職員が尋ねた。
ユウは小さく息を吸った。
そして。
「……その前に」
声が震えていた。
それでも、続けた。
「……何を調べるのか、教えてください」
女性職員は少し驚いたようだった。
だが、すぐに頷いた。
「もちろんです」
彼女は銀色の板を示した。
「こちらは、登録されている性質と現在の状態を照合するための道具です」
ユウは黙って聞いた。
「確認結果は、管理院の記録に残ります」
「……誰が見ますか?」
ユウが尋ねた。
女性職員は少し考えた。
「担当部署の職員です」
「……ほかの人は?」
「必要がある場合、上位の管理者が確認することもあります」
ユウの表情が曇った。
レンも、少しだけ眉を寄せた。
必要がある場合。
その言葉は、曖昧だった。
どこまでが必要なのか。
誰が決めるのか。
それが分からない。
リナが静かに口を開いた。
「……確認結果を、本人の許可なくほかの人へ伝えることはありますか?」
女性職員は少し困ったような表情を浮かべた。
「……場合によります」
「どんな場合ですか?」
リナは落ち着いて尋ねた。
職員は答えに詰まった。
その時、若い男が口を開いた。
「規定に従って処理されます」
レンはその言葉を聞いて、少しだけ胸がざわついた。
規定。
また、その言葉だ。
誰かの意思よりも先に、規定が出てくる。
だが、ここで感情的になってはいけない。
レンは静かに息を吐いた。
すると、ノアが言った。
『……説明として不十分ですね』
「……うん」
『規定に従うというだけでは、具体的な範囲が分かりません』
レンは頷いた。
そして、職員へ尋ねた。
「……その規定、本人が読むことはできますか?」
若い男は少し驚いたようだった。
「……何?」
「確認結果がどう扱われるのか、書いてあるものです」
女性職員が小さく息を吐いた。
「……確認します」
彼女は若い男へ目配せした。
男は少し不満そうだったが、銀色の板を操作し始めた。
しばらくして。
板の表面に文字が浮かび上がった。
【情報閲覧権限:管理院指定職員】
【本人への開示:申請により可能】
【第三者提供:管理上必要と認められる場合】
レンは眉を寄せた。
最後の一文。
やはり、曖昧だ。
ユウも、じっと文字を見つめていた。
そして、小さな声で尋ねた。
「……僕が嫌だって言っても、誰かに見せるんですか?」
女性職員は答えられなかった。
その沈黙が、答えのように思えた。
◇
確認は、その場で中断された。
ユウが、今は同意しないと伝えたからだ。
女性職員は困ったような表情を浮かべたが、無理に進めることはしなかった。
「……では、本日の確認は保留とします」
彼女は静かに言った。
「ただし、管理院への報告は必要になります」
アリアが頷いた。
「承知しています」
職員たちが帰った後、ユウは大きく息を吐いた。
そして、椅子へ座り込んだ。
「……怖かった」
リナが隣へ座った。
「うん。頑張ったね」
ユウは小さく頷いた。
レンも近づいた。
「……どうだった?」
ユウは少し考えた。
そして。
「……嘘、つかなくてよかった」
小さく笑った。
レンは胸が温かくなった。
「……そっか」
「でも……」
ユウは少し不安そうに続けた。
「……また来ますよね?」
レンは頷いた。
「うん。たぶん」
ユウの表情が曇る。
レンは静かに言った。
「でも、次も一緒に考えよう」
ユウは顔を上げた。
「……うん」
レンは笑った。
その時、ガルドが静かに言った。
『……あいつ、強えな』
レンは少し驚いた。
「……ユウ?」
『ああ』
ガルドは続けた。
『怖いのに、ちゃんと自分の言葉で話した』
レンは頷いた。
「……そうだね」
『俺なら、もっと大声で怒鳴ってたかもしれねえ』
「……それは想像できる」
『何だと!?』
レンは笑った。
そして、ユウを見た。
小さな少年。
特別な力があるかもしれない。
でも、今はただ、自分の意思を守ろうとしている。
その姿は、どんな戦士よりも強く見えた。
◇
夜。
レンは大神殿の庭で、一人空を見上げていた。
今日の出来事を思い返していた。
ユウは、嘘をつかなかった。
自分の意思で、確認を保留した。
それは、小さな選択だった。
でも。
その小さな選択が、誰かの人生を守ることもある。
「……なあ、エリオス」
『何だ』
「今日のこと、どう思う?」
エリオスは少し黙った。
そして、静かに答えた。
『……正しいかどうかは、まだ分からない』
「……うん」
『確認を受けなかったことで、今後困ることがあるかもしれない』
「……そうだね」
『だが、少なくとも本人が考え、選んだ』
レンは頷いた。
『それを無視して進めるよりは、ずっといい』
レンは小さく笑った。
「……うん」
その時、メルクが口を開いた。
『ただし、保留にも代償はあるよ』
「……代償?」
『確認が終わらなければ、必要な手続きが進まないかもしれない。仕事や学校、生活に影響する可能性もある』
レンは黙った。
『だからこそ、選択した後のことも考えなければならない』
「……うん」
レンは静かに頷いた。
選ぶことは、簡単ではない。
自分で決めるということは、その結果と向き合うことでもある。
でも。
だからといって、誰かに全部決めてもらえばいいわけではない。
レンは空を見上げた。
七柱の神々は、今日も違うことを言う。
それぞれの考え方があり、正しさがある。
でも、その違いがあるからこそ、自分で考えることができる。
「……ありがとう、みんな」
レンは小さく笑った。
すると。
『よし! 明日はユウを鍛えるか!』
ガルドが叫んだ。
「何でそうなる!?」
『あいつ、いい根性してるぞ!』
「本人の許可取ってからにして!」
『じゃあ聞いてこい!』
「今から!?」
『明日でもいい!』
「そういう問題じゃない!!」
セレナが呆れたように言った。
『まったく。子どもを見たらすぐ鍛えようとするんだから』
『強くなって困ることはねえだろ!』
『魔法の適性も分からないのに、無茶をさせるつもり?』
『魔法じゃなくて筋力だ!』
『もっと駄目でしょう!』
ノアが静かに口を開いた。
『ユウ本人の希望を確認することが先決ですね』
『そうです!』
フィリアが賛成した。
『それに、今日は緊張して疲れているはずです。まずは十分に休ませてあげましょう』
ヴォルグが低い声で言った。
『……それより、レン』
「……何?」
『倉庫の棚が一つ残っているぞ』
「今その話する!?」
『修理は最後までやれ』
「分かってるよ!!」
メルクが楽しそうに笑った。
『明日は仕事が多そうだね』
「便利屋じゃないから!!」
エリオスが深く息を吐いた。
『……全員、静かにしろ』
レンは腹を抱えて笑った。
やっぱり、神様たちは面倒くさい。
でも。
この騒がしさが、今の自分には心地よかった。
レンは空を見上げた。
そして、小さく呟いた。
「……明日も頑張るか」
その瞬間。
『よし! 朝から訓練だ!』
「だから休ませろって言ってるだろおおおお!!」
七柱の笑い声が、夜の庭に響いた。




