神託ログ21『神様たち、謝罪の仕方で大揉めする』
大神殿の倉庫には、どうしてこうも壊れた棚が多いのだろう。
レンは目の前に並んだ木製の棚を眺めながら、そんなことを考えていた。
昨日、アリアから修理を頼まれた時には、せいぜい二つか三つだと思っていた。ところが、実際に案内された倉庫には、脚の折れたもの、背板の外れたもの、棚板が大きく反ったものなど、合わせて九つもの棚が並んでいた。
しかも、そのうち三つは、もはや棚と呼んでいいのか分からない状態だった。
「……アリアさん」
「はい?」
「これ、本当に全部修理するんですか?」
「できるものだけで構いませんよ」
アリアは穏やかに微笑んだ。
「ただ、できれば今週中に使えるようになると助かります」
「今週中!?」
「無理なら来週でも大丈夫です」
「そういう問題じゃなくて!」
レンが頭を抱えると、隣で棚の状態を確認していたリナが笑った。
「昨日、手伝うって言ったのはレンでしょ?」
「言ったけど! 九つもあるとは聞いてない!」
「確認しなかったのもレンだよね」
「正論で殴らないで!」
すると、頭の中でガルドが豪快に笑った。
『はっはっは! いいじゃねえか! 全部壊して新しく作ろうぜ!』
「修理の意味を調べてきて!!」
『古いものにこだわるな! 新しいものを作る方が早い!』
『馬鹿を言うな』
ヴォルグが低い声で割り込んだ。
『使える木材まで捨てる必要はない。脚が折れた棚なら、傷んだ部分を取り替えれば済む』
『だったら、最初から頑丈な棚を作ればいいだろ!』
『壊れないものなどない』
『俺なら壊れねえぞ!』
『お前は棚じゃない』
「朝から何の議論してるの!?」
レンは思わず天井へ向かって叫んだ。
アリアは一瞬だけ驚いたものの、すぐに納得したように頷いた。
「今日も神様たちはお元気ですね」
「元気すぎて困ってます……」
『元気なのはいいことですよ』
フィリアが嬉しそうに言った。
『ただし、レンは昨日も長時間働いていましたから、今日は休憩を多めに取ってくださいね』
「フィリア……!」
レンの胸に温かいものが広がった。
この七柱の中にも、まだ自分の健康を気遣ってくれる存在がいる。
『一時間作業したら、十五分休憩しましょう』
「うん!」
『その間に健康診断をします』
「休憩の意味!!」
リナが笑い始めた。
アリアも口元を押さえている。
レンは深く息を吐いた。
どうやら今日も、平穏な一日にはならないらしい。
◇
作業を始めてしばらくすると、レンはあることに気づいた。
棚を修理するという行為は、想像以上に頭を使う。
ただ釘を打ち直せばいいわけではない。棚板が傾いている原因が脚なのか、接合部分なのか、それとも木材そのものの歪みなのかを見極めなければならない。
しかも、大神殿の倉庫には古い棚が多かった。長い年月をかけて乾燥した木材は、見た目以上に脆くなっていることがある。力を入れすぎれば、直すつもりだった場所とは別の部分が割れてしまうのだ。
『レン、そこは触るな』
ヴォルグの声が響いた。
「え?」
『その棚板は、今は横の柱に支えられている。先に外せば全体が崩れる』
レンは伸ばしかけた手を止めた。
よく見ると、確かに棚板の片側が柱へ食い込むように引っかかっている。
「……危なかった」
『直す時は、まず何が何を支えているのかを見ろ』
「うん」
『壊す時も同じだ』
その言葉に、レンは少しだけ表情を引き締めた。
何が何を支えているのか。
それは、ブレイカーを扱う時にも何度も教えられてきたことだった。
以前の自分は、何かを断ち切れば問題が解決すると思っていた。
だが、繋がりには意味がある。
不要に見えるものが、別の何かを支えていることもある。
それを知らずに切れば、守りたかったものまで壊してしまう。
「……分かった」
レンは棚の裏側へ回り込み、慎重に木材を確認した。
その様子を見ていたリナが、少し感心したように言った。
「最近、ちゃんと確認するようになったね」
「前はしてなかったみたいに言うなよ」
「……してた?」
「…………」
「ほら」
「反論できない!」
リナは楽しそうに笑った。
レンも苦笑する。
すると、セレナが不満そうに声を上げた。
『まったく。木材を削ってばかりで退屈ね』
「退屈って……」
『魔法で修理すれば、もっと早く終わるんじゃない?』
「俺の魔力、三だけど?」
『知っているわよ!』
「今、一瞬忘れてたでしょ!」
『忘れてないわ! ただ、魔力の使い方次第では補助くらいできると言っているの!』
セレナは少し考えた。
『例えば、暗い場所を照らすだけでも作業効率は上がるでしょう?』
「……ああ」
レンは頷いた。
昨日、共同作業所の倉庫で役立った小さな光。
あれなら、今でも使える。
『それに、細かな傷を確認する時にも便利よ』
「なるほど」
『ただし、魔力を使いすぎないこと。今日は修理が目的なんだから』
「……セレナ」
『何よ』
「最近、ちゃんと俺の魔力量を考えてくれるようになったね」
『当然でしょう!』
セレナは胸を張ったようだった。
だが、その直後。
『魔力が三しかないんだから、考えないわけにはいかないもの』
「言い方!!」
レンが叫ぶと、ガルドが腹を抱えて笑った。
『はっはっは! 魔力三!』
「お前は昨日から何回言うんだよ!」
『三!』
「数字で返すな!!」
倉庫に、リナの笑い声が響いた。
◇
昼前。
ようやく一つ目の棚を修理し終えた頃、倉庫の入口から小さな声が聞こえた。
「……あの」
レンが振り向くと、そこには十歳くらいの少年が立っていた。
少し大きすぎる上着を着て、両手で古い木箱を抱えている。髪はきちんと整えられていたが、靴には泥が付いていた。
少年はレンたちを見ると、ためらうように足を止めた。
「……ここで、壊れたものを直してもらえるって聞いたんですけど」
「ああ、うん」
レンは立ち上がった。
「何か壊れたの?」
少年は木箱を差し出した。
蓋の片側が外れ、金具が曲がっている。
「……これ」
「大切なもの?」
レンが尋ねると、少年は小さく頷いた。
「……お母さんの」
その言葉に、レンは木箱を見つめた。
表面には細かな傷があり、長く使われてきたことが分かる。蓋の中央には小さな花の模様が彫られていた。
「……直せるか、見てみるね」
少年は少しだけ安心したようだった。
だが、すぐに不安そうな表情へ戻った。
「……お金、あんまりないんです」
レンは一瞬、言葉に詰まった。
そして、笑った。
「まずは直せるかどうか確認しよう」
『待った』
メルクが口を開いた。
レンは身構えた。
「……何?」
『今、無料で直すと言いかけただろう?』
「……別に」
『顔に書いてあるよ』
「顔、見えてるの!?」
『見えなくても分かるさ』
メルクは少し真面目な声になった。
『レン。善意は大切だ。でも、何でも無料にすればいいというものではない』
「……うん」
『材料が必要なら、その分は誰かが負担することになる。君が時間を使えば、ほかの仕事をする時間は減る』
レンは黙って聞いた。
『だからこそ、相手が無理なく払える方法を一緒に考えるんだ』
「……なるほど」
『もちろん、今回は君が自分の意思で無料にするのもいい。ただ、それを当然にしてはいけない』
レンは少し考えた。
確かに、メルクの言うとおりかもしれない。
困っている人を助けたい。
その気持ちは本物だ。
でも、助ける側にも限界がある。
自分が無理をし続ければ、いつか誰かを助けられなくなる。
「……分かった」
レンは少年へ向き直った。
「材料が必要になるかもしれないけど、まず見てみるよ。費用がかかりそうなら、先にちゃんと伝えるから」
少年は少し驚いたようだった。
それから、小さく頷いた。
「……はい」
レンは木箱を作業台へ置いた。
ヴォルグの指示に従い、壊れた金具を確認する。
蓋の蝶番は片側が曲がっていたが、木材そのものはまだ使えそうだった。
『金具を交換する必要はない』
ヴォルグが言った。
『形を戻せば使える。だが、無理に曲げると折れるぞ』
「……慎重に、だね」
『そうだ』
レンは工具を手に取った。
少しずつ金具を整え、木材の穴を補強する。
リナが横から支え、少年は息を呑んで見守っていた。
時間はかかった。
だが。
最後に蓋を閉じると、小さな音がした。
カチリ。
「……おお!」
レンは思わず声を上げた。
木箱の蓋が、きちんと閉まった。
少年の目が大きく開かれる。
「……直った?」
「うん!」
レンは笑った。
「まだ少し古いけど、ちゃんと使えるよ」
少年は木箱を受け取った。
何度も蓋を開け閉めし、壊れていないことを確かめる。
そして。
「……ありがとうございます」
小さな声で、そう言った。
レンは笑った。
「どういたしまして」
その時、少年が懐から小さな布袋を取り出した。
「……これ」
中には、数枚の銅貨が入っていた。
レンは少し迷った。
だが、メルクの言葉を思い出した。
「……今回は、材料をほとんど使わなかったから」
レンは銅貨を一枚だけ受け取った。
「これで十分だよ」
少年は目を丸くした。
「……いいんですか?」
「うん」
レンは笑った。
「大切に使ってね」
少年は何度も頭を下げた。
そして、木箱を抱えて倉庫を出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、レンは小さく息を吐いた。
「……よかった」
『悪くない判断だったね』
メルクが言った。
「……本当?」
『ああ。相手に負担をかけず、君も自分の仕事を安売りしなかった』
レンは少し嬉しくなった。
「……ありがとう」
『ちなみに、売上記録には一件追加しておこう』
「やっぱり商売にする気だろ!!」
リナが吹き出した。
◇
少年が帰った後、レンは再び棚の修理へ戻った。
だが、なぜか集中できなかった。
少年が抱えていた木箱。
あの古い花の模様。
そして、「お母さんの」という言葉。
何か、気になるものがあった。
ただ、それが何なのかは分からない。
「……レン?」
リナが声をかけた。
「どうしたの?」
「……いや」
レンは首を振った。
「何でもない」
だが、リナはしばらくレンを見つめていた。
そして、静かに言った。
「……気になるなら、聞いてみればよかったのに」
「……え?」
「さっきの子。何か事情がありそうだったでしょ」
レンは黙った。
確かに。
少年は何かを抱えているように見えた。
でも、木箱を直してほしいと言われただけだ。
それ以上、勝手に踏み込んでいいのか分からなかった。
「……でもさ」
レンは小さく言った。
「聞かれたくないことかもしれないし」
リナは頷いた。
「うん。だから、無理に聞く必要はないと思う」
「……うん」
「でも、気にかけることまでやめなくていいんじゃない?」
レンは顔を上げた。
リナは少し笑った。
「何か困ってるなら、また来てくれるかもしれないし」
レンは静かに頷いた。
その時、エリオスが口を開いた。
『……リナの言うとおりだ』
レンは少し驚いた。
『助けたいと思うことと、相手の事情を知る権利があることは別だ』
「……うん」
『相手が話すと決めるまで、待つことも必要だ』
レンは小さく息を吐いた。
「……そうだね」
最近、自分は誰かを助けることばかり考えていた。
だが、助けるという行為には、相手の意思が必要なのだ。
勝手に踏み込まない。
勝手に決めない。
相手が望むことを、きちんと聞く。
それは、七柱が何度も教えてくれたことだった。
◇
夕方。
倉庫の棚は、ようやく三つ修理できた。
残りは六つ。
レンは床に座り込み、深く息を吐いた。
「……終わらない」
『まだ六つもあるじゃねえか!』
ガルドが楽しそうに言った。
「お前、嬉しそうに言うな!」
『明日も訓練できるな!』
「修理だってば!」
『力仕事は全部訓練だ!』
「便利な理屈すぎる!!」
ヴォルグが静かに言った。
『今日はここまでだ』
「……え?」
『集中力が落ちている。今の状態で作業を続ければ、余計な失敗をする』
レンは少し驚いた。
「……ヴォルグが休めって言った」
『職人は、疲れた時に手を止める判断も必要だ』
「……なるほど」
『それに、残りの棚は明日以降でも間に合う』
レンは笑った。
「……ありがとう」
すると、フィリアが嬉しそうに言った。
『そうです! 無理をしないことが一番です!』
「フィリアもありがとう」
『では、今から健康診断を――』
「それはもういいって!!」
リナが笑った。
アリアも倉庫へやってきて、修理された棚を見て驚いた。
「まあ、三つも直してくださったんですね」
「……三つしか、ですけど」
「十分ですよ」
アリアは穏やかに笑った。
「ありがとうございます。これで明日から、倉庫が少し使いやすくなります」
レンは少し照れくさくなった。
「……いえ」
アリアは続けた。
「それから、先ほど男の子が来ていましたよ」
「……え?」
「木箱を直してもらったお礼を、もう一度伝えたいと」
レンは目を丸くした。
「……さっきの子?」
「はい。とても嬉しそうでした」
アリアは小さく笑った。
「お母さんが昔使っていた、大切な箱だったそうです」
レンは黙った。
少年が抱えていた木箱。
あの花の模様。
大切そうに何度も蓋を開け閉めしていた姿。
レンは静かに笑った。
「……そっか」
たった一つの木箱。
大きな魔法を使ったわけでもない。
誰かと戦ったわけでもない。
ただ、壊れた金具を直しただけ。
それでも、誰かにとっては大切なことだった。
レンは自分の手を見つめた。
ブレイカー。
何かを断ち切る力。
その力を持っている自分が、今日は何も切らずに誰かを助けた。
それが、少しだけ嬉しかった。
◇
夜。
自分の部屋へ戻ったレンは、扉に掛けられた木札を見つめた。
【本日休業】
トーマが作ってくれたものだ。
最近は、毎日のように何かを手伝っている。
休日どころか、むしろ以前より忙しくなっている気がした。
「……なあ、みんな」
レンが声をかけると、七柱の気配が集まった。
『何だ?』
ガルド。
「今日さ」
レンは少し考えた。
「……ありがとう」
七柱が静かになった。
「ヴォルグが教えてくれなかったら、棚も木箱も直せなかった」
『……ふん』
「メルクが言ってくれなかったら、お金のこともちゃんと考えられなかった」
『当然のことを教えただけさ』
「フィリアが休めって言ってくれたのも、嬉しかった」
『レンの健康が一番ですから!』
「ガルドは……」
『おう!』
「……まあ、元気だったね」
『何だそりゃ!?』
レンは笑った。
「セレナのおかげで、暗い場所でも作業できるようになったし」
『当然よ!』
「ノアの説明も、最近ちょっとずつ分かるようになってきた」
『それは喜ばしいことです』
「エリオスも、いつも大事なことを教えてくれる」
『……そうか』
レンは静かに笑った。
「俺、一人だったら何もできなかったと思う」
しばらく沈黙が続いた。
そして。
『……馬鹿を言うな』
ヴォルグが言った。
レンは少し驚いた。
『俺たちが教えたからといって、実際に手を動かしたのはお前だ』
「……え?」
『失敗して、考えて、やり直した。それをやったのはお前だろう』
レンは黙った。
『俺たちは助言をしただけだ』
メルクが続けた。
『そうだね。君が動かなければ、どんな知識も価値にはならない』
フィリアが優しく言った。
『だから、自分のことも褒めてあげてくださいね』
レンは小さく笑った。
「……うん」
その時、ガルドが豪快に叫んだ。
『よし! なら明日はもっと頑張れるな!』
「何でそうなる!?」
『今日できたなら、明日はもっとできる!』
「休ませろ!!」
セレナが笑った。
『まったく、あなたたちは本当に騒がしいわね』
『あなたも十分騒がしいですよ』
ノアが淡々と指摘した。
『何ですって!?』
『事実です』
『ちょっと、ノア!』
エリオスが深く息を吐いた。
『……全員、静かにしろ』
レンは腹を抱えて笑った。
今日も、神様たちは面倒くさい。
でも。
こんな毎日が、嫌いじゃない。
むしろ、少しずつ好きになっている。
レンは木札を見つめた。
【本日休業】
そして、小さく呟いた。
「……明日こそ、休もうかな」
『明日は残り六つの棚があるぞ』
ヴォルグ。
『健康診断もあります』
フィリア。
『売上記録の整理も必要だね』
メルク。
『戦闘訓練も忘れるなよ!』
ガルド。
『魔法の復習もあるわ』
セレナ。
『今日の作業を記録しましょう』
ノア。
『予定を整理する必要があるな』
エリオス。
レンは天井を見上げた。
そして、深く息を吸った。
「……お前ら全員、一回休めえええええ!!」
七柱の笑い声が、頭の中いっぱいに響いた。




