神託ログ20『七柱会議、議長は無職』
大神殿の廊下に、見覚えのない看板が立っていた。
正確に言えば、看板そのものには見覚えがあった。昨日、共同作業所から帰る途中、メルクがしつこく話していたものと、ほとんど同じ形をしていたからだ。
ただし、あくまで話の中だけの存在だったはずである。
少なくとも、レンは製作を依頼した覚えがない。
それなのに。
【七柱便利屋 相談受付中】
朝日に照らされた木製の看板には、そう書かれていた。
「…………」
レンはしばらく文字を見つめた。
何度読み返しても、内容は変わらない。
看板の下には、小さな文字まで彫られている。
【代表:レン】
「……誰だ」
静かな声が廊下に落ちた。
その瞬間、頭の中で七柱の気配が動いた。
『おや、もう見つけたのかい』
メルクだった。
レンはゆっくり天井を見上げた。
「……メルク」
『おはよう、レン。いい朝だね』
「誰が作った」
『立派な看板だろう? 木目も綺麗だし、文字の配置も悪くない』
「誰が作ったって聞いてるんだけど!?」
『トーマだよ』
「トーマああああ!?」
大神殿の廊下に、レンの絶叫が響き渡った。
近くの部屋から顔を出した神官が、慣れた様子で扉を閉める。
この神殿では最近、レンが何もない場所へ向かって叫ぶ光景が日常になりつつあった。
本人としては、あまり嬉しくない変化だった。
『落ち着け。トーマは悪くない』
ヴォルグが言った。
『昨夜、俺が設計について助言した。あいつの加工技術を確かめるには、ちょうどいい課題だった』
「ヴォルグまで!?」
『接合も彫刻も丁寧だ。以前より腕が上がっている』
「職人としての成長は嬉しいけど、俺の知らないところで店を開かないでくれる!?」
『店を開いたわけではないよ』
メルクが訂正した。
『まだ相談を受け付けているだけさ』
「それを開業って言うんだよ!!」
レンは看板を抱え上げた。
思ったより重い。
しかも、文字の周囲には細かな装飾が施されている。トーマが時間をかけて作ったことは一目で分かった。
だからこそ、乱暴に扱うこともできない。
「……くそっ。無駄に出来がいい」
『無駄とは何だ』
ヴォルグが不満そうに言った。
『いい仕事をした職人に失礼だぞ』
「俺の許可を取らずに仕事を発注した神様に言われたくない!!」
レンは頭を抱えた。
すると、背後から笑い声が聞こえた。
「……何してるの?」
振り返ると、リナが立っていた。
彼女は看板を見て、一瞬だけ目を丸くした。
そして。
「……あははははっ!」
遠慮なく笑い始めた。
「笑い事じゃないから!」
「だって……代表、レンって……!」
「俺も今知ったんだよ!」
リナは目尻に浮かんだ涙を拭った。
「でも、看板はすごく綺麗だね」
「そこが問題なんだよ……」
レンは大きくため息をついた。
今日こそ、何事もなく過ごしたかった。
その願いは、朝食前に砕かれた。
◇ ◇ ◇
食堂で事情を説明すると、ソラは目を輝かせた。
「お店できたの!?」
「できてない!」
「空飛ぶお菓子屋さん!?」
「それでもない!」
「じゃあ、何屋さん?」
「……便利屋、らしい」
「べんりや?」
ソラは首を傾げた。
リナが説明する。
「困っている人の手伝いをするお店、かな」
「へえ!」
ソラは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、私もお手伝いしたい!」
「ソラまで!?」
『ほら、従業員が一人増えた』
メルクが満足そうに言った。
「増えてない!」
『なら、共同経営者かな』
「もっと違う!」
レンが反論していると、フィリアが心配そうに口を開いた。
『そもそも、仕事を増やすのは反対です』
「……フィリア!」
レンは感動した。
「やっぱり俺の味方はフィリアだけだ!」
『レンは最近、十分に休めていません。これ以上の負担は健康によくありませんから』
「そう! そうなんだよ!」
『ですから、便利屋を始めるなら、まず勤務時間を決めましょう』
「始める前提だったあああ!!」
『一日三時間程度なら、身体への負担も少ないでしょうし』
「健康管理で開業を正当化しないで!」
そこへガルドが割り込んだ。
『三時間じゃ足りねえだろ! 午前中は鍛錬、午後は仕事、夜は実戦訓練だ!』
「俺を何だと思ってるの!?」
『育成対象だろ』
「そうだけど、そうじゃない!!」
『それに、便利屋なら護衛の仕事も受けられるな!』
「危険な依頼は受けません!」
『何だと!?』
「何で残念そうなの!?」
セレナが呆れたように息を吐いた。
『まったく。あなたたちは品がないわね』
「……セレナ?」
『便利屋なんて名前がよくないのよ。もっと優雅で、魔法の素晴らしさが伝わる名前にすべきだわ』
「いや、名前の問題じゃ……」
『例えば、七柱魔導支援協会』
「急に大組織になった!?」
『悪くないでしょう?』
「魔力3の俺が代表でいいの!?」
『そこは今後の成長に期待するわ』
「無茶な期待を背負わせないで!!」
ノアが静かに言った。
『名称について議論する前に、業務内容を明確にする必要があります』
「……ノア」
『修理、運搬、清掃、護衛、魔法支援。それぞれ必要な技術と危険性が異なります』
「うん」
『さらに、依頼者との契約条件、報酬、事故発生時の責任も決めなければなりません』
「……うん」
『まずは規約を作成しましょう』
「だから始めないって言ってるだろおおお!!」
レンは食卓に突っ伏した。
リナは笑いすぎて、まともにパンを食べられなくなっている。
ソラは七柱の声が聞こえないため、レンの反応だけを見て楽しそうにしていた。
そんな中。
『……全員、少し落ち着け』
エリオスが口を開いた。
レンは顔を上げた。
「……エリオス」
『本人が望んでいないことを、勝手に進めるべきではない』
「そう! それ!!」
『まずはレンの意思を確認する必要がある』
「やっとまともな神様がいた!!」
レンは勢いよく頷いた。
エリオスは続けた。
『レン。お前は本当に、誰かを助ける仕事をしたくないのか?』
「……え?」
予想していなかった質問だった。
レンは少し考えた。
昨日の共同作業所。
修理を手伝い、倉庫の片づけをした。
ドランから礼を言われ、少しだけ報酬も受け取った。
嬉しかった。
誰かの役に立てたことは、確かに嬉しかった。
「……したくないわけじゃない」
レンはゆっくり答えた。
「でも、今は色々ありすぎるし。管理院の問題も終わってない。俺が責任を持てない仕事まで受けるのは違うと思う」
『……なるほど』
エリオスは静かに頷いた。
『ならば、今すぐ開業する必要はない』
「……うん」
『ただし、今後の可能性として考える価値はあるだろう』
レンは少し笑った。
「……それなら、まあ」
『では、七柱で方針を協議しよう』
「……え?」
嫌な予感がした。
『各自、意見を述べろ』
「ちょっと待って」
『まず、ガルドから』
「待ってって!」
『護衛と戦闘訓練だ!』
『却下です!』
フィリアが即座に反論した。
『健康管理と治療補助を優先すべきです!』
『治療ばかりでは利益が出ないよ』
メルク。
『利益だけで判断するな』
ヴォルグ。
『そもそも、魔法を軽視しすぎよ!』
セレナ。
『各案の危険性を比較する必要があります』
ノア。
『順番に話せ!』
エリオス。
レンはゆっくり立ち上がった。
そして、深く息を吸った。
「……俺の意思確認、どこ行ったあああああ!!」
食堂に、再び絶叫が響いた。
◇ ◇ ◇
昼前。
レンは大神殿の中庭に立っていた。
目の前には、木製の長机が置かれている。
その上には、七枚の紙。
そして、一枚の大きな白紙。
リナが腕を組み、満足そうに頷いた。
「よし。準備できたね」
「……リナ」
「ん?」
「何でこうなったの?」
リナは笑った。
「だって、神様たちが全員好き勝手に話すから」
「……うん」
「だったら、ちゃんと会議にすればいいと思って」
レンは目の前の紙を見つめた。
七柱会議。
議題は、便利屋の今後について。
そして。
議長は、レン。
「……俺、開業したくないんだけど」
「だから、開業するかどうかも含めて話し合うんだよ」
「……なるほど」
リナは笑った。
「それに、レンが議長なら、神様たちも勝手に決められないでしょ?」
レンは少し考えた。
確かに。
今までは七柱が勝手に話し合い、最後に俺へ結果を押しつけてくることが多かった。
でも、今回は違う。
俺が議長。
つまり、話し合いの進め方を決めるのは俺だ。
「……よし」
レンは椅子に座った。
「やってやろうじゃないか!」
『いい心意気だ!』
ガルドが叫んだ。
『まずは実戦訓練の拡充から――』
「まだ始まってない!!」
リナが笑った。
ソラも隣の椅子に座り、楽しそうに足を揺らしている。
「私、何するの?」
「ソラは記録係をお願い」
「きろくがかり?」
「みんなの意見を書いておく係」
「分かった!」
ソラは嬉しそうに頷いた。
もっとも、七柱の声が聞こえないため、レンが一つずつ伝えなければならない。
レンはその事実に気づき、少しだけ後悔した。
「……俺の仕事、増えてない?」
リナが笑った。
「議長だからね」
「議長って大変だな……」
◇ ◇ ◇
会議は、開始三分で崩壊しかけた。
『便利屋をやるなら、まず戦闘力だ!』
ガルドが拳を握る。
『護衛依頼を受ければ、実戦経験も積める! 一石二鳥だろ!』
「危険な仕事は受けないって言ってるだろ!」
『危険だからこそ鍛えられるんだ!』
「仕事を訓練場にするな!」
『なら、怪我人の救護を中心にしましょう』
フィリアが提案した。
『困っている人を助けるなら、まず健康を守ることが大切です』
「それは分かるけど、俺、医者じゃないから」
『私が教えます!』
「二日で医者になれるみたいに言わないで!?」
『最低限の応急処置だけでも覚える価値はある』
エリオスが補足した。
レンは頷いた。
「……それは確かに」
『なら、救護講習を業務に加えよう』
ノアが言った。
「業務じゃなくて、まず勉強ね!」
『修理だ』
ヴォルグが短く言った。
『壊れた道具を直す。できることから始めればいい』
「……それは現実的かも」
『ただし、品質を保証できないものは受けるな』
「うん」
『道具の点検、材料の確認、作業手順の記録も必要だ』
「……うん」
『まずは半年ほど修業しろ』
「長い!!」
『短いくらいだ』
「職人の世界、厳しい!!」
メルクが楽しそうに笑った。
『修理は悪くないね。ただし、報酬の設定が必要だ』
「……まあ、そうだね」
『材料費、作業時間、技術料。最低でも三つに分けて考えよう』
「うん」
『それから、紹介料も設定したい』
「……紹介料?」
『七柱からの助言には価値があるからね』
「神様が俺から手数料取るの!?」
『もちろん、身内価格にしておくよ』
「身内価格の概念があるの!?」
セレナが不満そうに言った。
『まったく。あなたたちは地味すぎるわ』
「……セレナ?」
『せっかく七柱が関わるのよ。もっと華やかなことをするべきだわ』
「例えば?」
『魔法による照明、装飾、演出。町の催し物を盛り上げるの』
「……おお」
レンは少し感心した。
「それ、結構いいかも」
『でしょう?』
セレナの声が弾んだ。
『夜の祭りで光を灯したり、広場を飾ったり。魔法の美しさを人々に知ってもらえるわ』
「……でも」
『何よ』
「俺の魔力、三だけど」
『……そうだったわね』
「忘れてたの!?」
リナが腹を抱えて笑った。
ソラも楽しそうにしている。
レンは頭を抱えた。
……この会議、本当に意味あるのかな。
◇ ◇ ◇
それでも、会議は続いた。
七柱の意見を一つずつ聞き、レンが整理し、ソラが紙へ書き込んでいく。
最初は混乱していたが、少しずつ共通点が見えてきた。
ガルドは、危険から人を守りたい。
フィリアは、怪我や病気で苦しむ人を減らしたい。
ヴォルグは、壊れたものを直し、使い続けられるようにしたい。
メルクは、働いた人が正当な報酬を受け取れるようにしたい。
ノアは、知識を共有し、同じ失敗を繰り返さないようにしたい。
セレナは、魔法の可能性を広げ、人々の暮らしを豊かにしたい。
エリオスは、誰かが勝手に決めるのではなく、責任を持って選べる仕組みを作りたい。
方法は違う。
考え方も違う。
でも。
目指しているものは、必ずしも反対ではないのかもしれない。
「……ねえ」
レンが口を開くと、七柱の声が止まった。
「みんなさ」
レンは少し考えた。
「結局、困ってる人を助けたいんだよね?」
しばらく沈黙が続いた。
最初に答えたのは、フィリアだった。
『……はい』
次に、ヴォルグ。
『助け方は選ぶがな』
メルクが笑った。
『対価の問題もあるけれどね』
ガルドが豪快に言った。
『困ってる奴を放っておくのは性に合わねえ!』
セレナは少し照れくさそうに答えた。
『……当然でしょう』
ノアが静かに頷いた。
『知識が役立つのであれば、提供する価値があります』
最後に、エリオス。
『ただし、助けることと、相手の人生を決めることは違う』
レンは頷いた。
「……うん」
その言葉は、今の自分にとって大切なものだった。
最近、俺たちは何度も誰かの意思を巡って争ってきた。
守るためだから。
危険だから。
本人には判断できないから。
そんな理由で、誰かの選択を奪おうとする人たちがいた。
でも。
七柱が俺にしてくれたことは、少し違う。
もちろん、勝手なことばかり言う。
無茶な訓練をさせようとする。
休みたいと言っても、なかなか休ませてくれない。
だけど。
最後に選ぶのは、いつも俺だった。
少なくとも、そうであろうとしてくれていた。
「……じゃあさ」
レンは笑った。
「便利屋をやるかどうかは、まだ決めない」
『……ふむ』
メルクが興味深そうに声を上げた。
「でも、困ってる人がいたら、できる範囲で手伝う」
リナが頷いた。
「いいと思う」
「その時、七柱の力も借りたい」
レンは続けた。
「ただし、勝手に仕事を決めたり、危険なことをさせたりするのは禁止!」
『何だと!?』
ガルドが抗議した。
「特にガルド!」
『俺だけ名指しかよ!』
「当然!」
リナが笑った。
レンはさらに続けた。
「あと、報酬を受け取るかどうかは、相手と相談して決める」
『それは大切だね』
メルクが満足そうに頷いた。
「修理や魔法も、できる範囲だけ」
『妥当だ』
ヴォルグ。
『無理をしないことが重要です』
フィリア。
『記録も残しましょう』
ノア。
『魔法の練習も続けなさいよ』
セレナ。
『責任の所在を明確にすることも忘れるな』
エリオス。
レンは大きく頷いた。
「……よし!」
そして、白紙の中央に大きく書いた。
【困っている人を、できる範囲で助ける】
それが、七柱会議で決まった最初の方針だった。
◇ ◇ ◇
会議が終わる頃には、日が傾き始めていた。
レンは椅子にもたれ、深く息を吐いた。
「……疲れた」
リナが笑った。
「でも、ちゃんと決まったね」
「うん。意外とまとまった」
「議長、お疲れさま」
「ありがとう……」
ソラも嬉しそうに手を上げた。
「レン議長!」
「……何?」
「私、次も記録係やりたい!」
「次があるの!?」
リナが吹き出した。
その時、アリアが中庭へやってきた。
「皆さん、こちらでしたか」
「あ、アリアさん」
「ちょうどよかったです。少し相談がありまして」
レンは嫌な予感がした。
「……相談?」
「はい。大神殿の倉庫に、壊れた棚がいくつかあるんです。もし時間があれば、修理をお願いできないかと思って」
レンはゆっくりリナを見た。
リナも、ゆっくりレンを見た。
ソラが目を輝かせる。
「……初仕事?」
「違う!!」
レンが叫んだ。
だが、アリアは不思議そうに首を傾げた。
「……違うんですか?」
「いや、手伝うのはいいんですけど!」
「それなら、お願いできますか?」
「……はい」
レンは頷いた。
すると。
『素晴らしい!』
メルクが歓声を上げた。
『七柱便利屋、初の正式依頼だね!』
「正式じゃないから!!」
『では、料金表を作ろう』
「作らない!」
『作業内容を確認しろ』
ヴォルグ。
『怪我をしないようにしてくださいね』
フィリア。
『危険な棚なら、まず壊してから作り直せ!』
ガルド。
『壊すな!!』
レンとヴォルグの声が重なった。
セレナが楽しそうに笑った。
『せっかくだから、魔法で装飾してあげたら?』
「棚に!?」
『いいじゃない。綺麗な棚になるわよ』
『まず、構造的な安全性を確認する必要があります』
ノア。
『全員、落ち着け』
エリオス。
レンは天井を見上げた。
「……もう嫌だ」
リナが笑った。
「でも、楽しそうだよ?」
「……まあ」
レンは少しだけ笑った。
「楽しくないとは言わないけどさ」
アリアは不思議そうに二人を見つめていた。
ソラは記録用の紙を抱え、嬉しそうに笑っている。
七柱の神々は、相変わらず騒がしかった。
そしてレンは、そんな神々に振り回されながらも、少しずつ自分の道を選び始めていた。
無職だから、何もできないわけじゃない。
神様がいるから、何でもできるわけでもない。
大切なのは、自分で考えて、自分で選ぶこと。
そのために、七柱の力を借りる。
レンは小さく笑った。
……ただし。
『レン。看板は入口に戻しておこうか』
メルクが言った。
「戻さない!!」
『せっかくトーマが作ってくれたのに?』
「……それは……」
レンは言葉に詰まった。
確かに、トーマが作ってくれたものだ。
捨てるわけにはいかない。
でも。
看板を出したら、本当に便利屋が始まってしまう気がする。
「……じゃあ」
レンは少し考えた。
「看板の文字を変えよう」
『ほう?』
メルクが興味深そうに言った。
「何て書くの?」
リナが尋ねた。
レンは笑った。
「決まってるだろ」
そして、紙へ大きく書いた。
【本日休業】
数秒の沈黙。
次の瞬間。
『おい!!』
ガルドが叫んだ。
『それじゃ何も始まらねえだろ!!』
「始めないって言ってるだろおおおお!!」
夕暮れの中庭に、七柱の笑い声が響いた。
レンは深く息を吐いた。
……やっぱり、神様たちに休日の意味を教えるのは、まだまだ先になりそうだった。




