神託ログ10『空席の育成者』
翌朝、俺は神様に怒られていた。
理由は単純だ。
昨日、職業管理院の監察官に無理やり確保されかけたことを、神々がまだ納得していなかったからである。
『だから言っただろうが! 怪しい奴が妙な道具を取り出した時点で距離を取れ!』
ガルドの怒鳴り声が、朝食を食べている俺の頭に響く。
「いや、取ろうとしたよ」
『遅い!』
「でも結果的に切れたじゃん」
『結果の話をしてるんじゃねえ!』
……朝から元気だな、この神様。
俺はパンをちぎりながら、隣に座るリナを見た。
「ガルドがうるさい」
「いつもじゃん」
「今日は三割増し」
「昨日、レンが危なかったからでしょ」
そう言われると、少しだけ返す言葉に困る。
昨日、セドリックが掲げた銀板は、俺の育成対象情報へ勝手に接続しようとした。ブレイカーでその処理を切断できたからよかったものの、何をされるのか分からないまま身体が動かなくなったのは事実だ。
もし、切る場所を間違えていたら。
もし、ブレイカーが発動しなかったら。
今頃、俺は本部へ連れていかれていたかもしれない。
「……まあ、危なかったのは認める」
『最初からそう言え!』
「でも、ガルド」
『何だ』
「昨日のあれ、逃げたらソラとかトーマに向かったかもしれないだろ?」
ガルドが黙った。
俺はパンを皿へ置く。
「だから、俺が断れるうちに断りたかった」
『……それは分かる』
少し意外だった。
『だがな、レン。自分が捕まったら他の奴を守れなくなることも考えろ』
「……うん」
『お前は時々、守るためなら自分がどうなってもいいと思ってるだろ』
図星だった。
俺は答えられず、冷めかけたスープを口へ運ぶ。
ガルドはそれ以上怒鳴らなかった。
代わりに、ヴォルグが口を開く。
『今日はその癖を直す』
「え?」
『訓練だ』
「……今から?」
『食い終わってからだ』
リナが笑った。
「よかったね、レン」
「よくないよ! 絶対きついやつじゃん!」
『安心しろ。走らせるのは俺だ』
「ガルドも参加するの!?」
朝食の席に、俺の悲鳴が響いた。
◇ ◇ ◇
大神殿の裏庭には、昨日ソラが訓練に使った落ち葉がまだ数枚残っていた。
朝の空気は少し冷たく、石畳には夜露が薄く残っている。低い塀の向こうでは、神官たちが薬草の入った籠を運んでいた。
俺は木剣を握り、リナと向かい合っていた。
今回の訓練は、いつもの打ち合いとは違う。
ヴォルグが指定したのは、相手の攻撃を受ける練習だった。
「……受けるだけ?」
『そうだ』
「攻撃しちゃ駄目?」
『駄目だ』
「ブレイカーは?」
『使うな』
「魔法は?」
『使ってもいい。ただし相手を傷つけるな』
なるほど。
要するに、防御だけでどこまで耐えられるかという訓練らしい。
リナは木剣を軽く振って、こちらを見た。
「本気でいく?」
「優しくお願いします」
「じゃあ、ちょっとだけ」
その笑顔が怖い。
『始めろ』
ヴォルグの声と同時に、リナが踏み込んだ。
速い。
俺は慌てて木剣を上げる。
乾いた音が響き、腕に衝撃が走った。
「うわっ!」
何とか受け止めた。
でも、次の一撃には間に合わない。
木剣が俺の肩へ軽く触れた。
「一本」
「早い!」
「レン、剣を見すぎ」
「剣を見なきゃ何を見るの!?」
「身体」
リナは自分の肩と腰を指した。
「剣が動く前に、身体が動くから」
なるほど。
言われてみれば、確かにそうだ。
俺はもう一度構える。
今度はリナの肩を見る。
踏み込み。
腰の動き。
木剣が振られる。
「……ここ!」
受ける。
成功。
でも。
次の瞬間、リナの足が俺の足元へ滑り込んだ。
「え?」
体勢が崩れる。
尻もち。
「……痛い」
「二本目」
「剣関係ないじゃん!」
「戦いって剣だけじゃないから」
……正論。
悔しい。
『レン』
ガルドが呼ぶ。
「何?」
『お前、相手の攻撃を全部受けようとしてるな』
「防御の練習でしょ?」
『避けてもいい』
「先に言って!」
『聞かなかっただろ』
「神様の説明不足を俺のせいにしないで!」
リナが笑いながら手を差し出す。
俺はその手を取って立ち上がった。
今度は少し考える。
相手の攻撃を全部受ける必要はない。
守るということは、必ずしも正面から受け止めることじゃない。
避ける。
距離を取る。
相手の動きを読む。
そして、必要なら助けを求める。
昨日の俺には、その選択肢が足りなかった。
「もう一回」
俺が言うと、リナは嬉しそうに笑った。
「いいよ」
そこから何度も打ち合った。
最初は十秒も持たなかったが、少しずつ相手の動きが見えるようになってくる。
もちろん、勝てるわけじゃない。
でも、攻撃を受ける前に足を動かせるようになった。
木剣を握る手の力も、少しだけ抜けた。
そして、七度目の打ち合い。
リナが右から踏み込む。
俺は反射的に木剣を上げた。
でも、途中で気づく。
これは誘いだ。
リナの身体は、左へ動こうとしている。
「……そっちか!」
俺は一歩後ろへ下がった。
木剣が空を切る。
避けた。
初めて、ちゃんと。
「おお!」
思わず声が出た。
その瞬間。
リナの木剣が俺の額へ軽く触れた。
「一本」
「喜ぶの早かった!」
リナが笑う。
『だが、今のは悪くない』
ヴォルグが言った。
「本当?」
『避ける判断ができた』
「やった!」
『その後、油断した』
「そこは言わなくても!」
『言う』
厳しい。
でも、少し嬉しかった。
昨日までの俺なら、相手の攻撃を全部受け止めようとしていたかもしれない。
今日、一つだけ違う選択ができた。
それは小さな変化だった。
でも、確かに前進だ。
◇ ◇ ◇
訓練を終えた頃、ソラが裏庭へやって来た。
白い髪を後ろで軽く結び、昨日より少しだけ身体に合った服を着ている。アリアが用意してくれたらしい。
右腕の黒い線は、長袖の下に隠れていた。
「レン!」
「おはよう、ソラ」
「何してたの?」
「ボコボコにされてた」
「……大丈夫?」
「身体は大丈夫。心がちょっと痛い」
ソラが困ったように笑った。
リナは木剣を片づけながら言う。
「レン、少し上手くなったよ」
「本当?」
「うん。最後はちゃんと避けた」
「その後、当たったけどね!」
俺が自分で言うと、ソラが笑った。
その笑顔を見て、少し安心する。
昨日、ソラは初めて自分の力を意識して使った。
落ち葉を浮かせ、ゆっくり下ろした。
たったそれだけ。
でも、本人にとっては大きな一歩だったはずだ。
「ソラ、今日はどうする?」
「……練習したい」
「いいね」
「昨日の葉っぱ、もう一回」
「分かった」
俺たちは石畳の上に落ち葉を一枚置いた。
ソラは少し緊張した様子で、葉を見つめる。
ゆっくり浮く。
指一本分。
昨日と同じ高さ。
そして、ゆっくり下がる。
成功。
「できた!」
ソラが嬉しそうに笑った。
「昨日より安定してる!」
「本当?」
「うん!」
セレナも満足そうだった。
『悪くないわね。魔力の流れは見えないけど、意識の集中と現象の発生には関係がありそう』
「じゃあ、次は?」
『少しだけ難しくしましょう』
セレナは二枚の葉を使うよう指示した。
ソラは頷き、もう一度集中する。
二枚の葉が同時に震える。
少しずつ浮き上がる。
でも、片方だけが高く上がりすぎた。
「あっ」
ソラが慌てる。
葉が勢いよく飛びそうになる。
「ソラ、落ち着いて!」
俺が声をかけた。
ソラは目を閉じ、深呼吸する。
すると、葉はゆっくり地面へ戻った。
「……できた?」
「できた!」
俺は笑った。
ソラも笑う。
でも、その直後だった。
右腕の黒い線が、長袖の下で微かに光った。
「……あれ?」
ソラが袖をまくる。
黒い線の一部に、小さな文字が浮かんでいた。
【育成進行:確認】
俺は息を止めた。
「……ノア」
『確認しました』
「これ、昨日も出た?」
『いいえ』
「じゃあ、今の練習で?」
『可能性があります』
ソラは不安そうに俺を見る。
「何か悪いことした?」
「いや」
俺はすぐに首を横に振った。
「ソラは何も悪くない」
でも。
何かがおかしい。
俺たちは、ただ練習していただけだ。
神様が教えて、ソラが自分で試した。
それなのに。
誰かが、その進み具合を確認している。
「ソラ」
「うん」
「ちょっとだけ、休憩しよう」
「……うん」
ソラは頷いた。
俺はその右腕を見つめる。
黒い線。
育成状態。
育成者。
接続。
全部。
昨日から少しずつ繋がっている。
でも。
まだ、何が繋がっているのか分からない。
その時。
『レン』
ノアが呼んだ。
「何?」
『一つ、確認したいことがあります』
「何?」
『今の訓練を、誰が指導しましたか?』
「セレナでしょ」
『はい』
「それが?」
『育成進行が確認されたにもかかわらず、セレナの育成者情報は登録されていません』
「……え?」
俺は眉を寄せた。
「じゃあ、誰が育てたことになってるの?」
『不明です』
「……また?」
『はい』
俺は小さく息を吐いた。
でも、そこで一つ気づいた。
昨日、セドリックが使った銀板にも、育成者の記録がなかった。
俺の育成者は未登録。
ソラの育成者も未接続。
なのに。
育成は進んでいる。
「……これ」
俺は呟いた。
「誰が育てたかって、関係ないのか?」
エリオスが答える。
『少なくとも、現在の記録上ではそう見える』
「じゃあ、育成者って何?」
誰も答えなかった。
その沈黙が、妙に気になった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、大神殿へ一通の手紙が届いた。
差出人は、職業管理院のレグルだった。
封筒には正式な印章が押されているが、昨日の神託文書とは違い、黒い線は見当たらない。
内容は短かった。
『昨日の監察官による強制処理について、正式な調査を開始した。現時点で君の身柄を拘束する予定はない。ただし、本部から追加命令が出る可能性があるため、注意してほしい』
その下には、もう一つ。
『旧育成管理記録に関する資料を一部確認した。直接話したい』
俺は手紙を読み終えると、リナへ見せた。
「また管理院?」
「うん」
「最近、毎日行ってない?」
「もはや通勤してる」
「無職なのに?」
「そこ突っ込む!?」
リナが笑う。
俺も笑った。
でも、今回は少しだけ違う。
レグルが自分から調査を始めている。
昨日、セドリックへ逆らったことも含めて、あの人の立場は危うくなっているはずだ。
「……行こう」
俺が言うと、リナは頷いた。
「うん」
ただし、ソラは神殿に残ることになった。
本人に聞くと、少し考えてから答えた。
「今日は、ここにいたい」
「分かった」
「アリアさんと、話したいことがある」
「何?」
「……名前のこと」
俺は少し驚いた。
「名前?」
「うん」
ソラは自分の胸に手を置いた。
「私、ソラって決めたけど……前にも名前があったのかなって」
その問いに、すぐには答えられなかった。
たぶん、あった。
でも、それが何だったのか分からない。
そして、前の名前を知った時、今の名前をどう思うのかも分からない。
「……調べたい?」
俺が聞くと、ソラは首を横に振った。
「まだ」
「そっか」
「でも、名前って何なのか、聞いてみたい」
俺は少し笑った。
「アリアなら、いろいろ教えてくれると思う」
「うん」
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてね」
「ありがとう」
ソラは手を振った。
俺も振り返す。
その姿を見て、少しだけ安心した。
昨日までのソラは、自分のことを何も知らなかった。
今日は、自分から知りたいことを選んでいる。
それだけでも、十分な変化だと思った。
◇ ◇ ◇
職業管理院へ到着すると、レグルは地下の記録室で待っていた。
机の上には古い書類が何冊も積まれている。
紙の端は黄ばみ、表紙の文字も薄れていた。
「来たか」
「来ました」
「早いな」
「無職なので」
「便利だな」
「便利扱いしないで!」
レグルが少しだけ笑った。
リナも笑う。
でも、机の上の資料を見ると、自然と表情が引き締まった。
「これが旧育成管理記録?」
「ああ」
レグルは一冊の帳簿を開いた。
そこには、見慣れない項目が並んでいた。
【育成対象】
【育成者】
【育成進行】
【完了判定】
俺は息を止めた。
ソラの右腕に現れたものと、ほとんど同じだ。
「……いつの記録?」
「最も古いものは、約二百年前だ」
第一章で見つけた、職業固定試験の時代。
神々と人間が約束を交わした頃。
俺の前にいた、先輩が生きていた時代。
「これ、職業システムと関係ある?」
「あると考えられている。ただし、詳細は不明だ」
レグルはページをめくった。
「当時、職業による分類と並行して、別の管理制度が試験運用されていたらしい」
「別の?」
「ああ。職業を与える制度とは異なり、個体の成長を記録する仕組みだ」
俺は眉を寄せた。
「それって、育成?」
「そう呼ばれていた」
レグルは続ける。
「ただし、誰が育成者を選び、何をもって完了としたのかは記録が欠けている」
「……なるほど」
俺は帳簿を見つめた。
育成。
成長。
記録。
それだけなら、悪いことには思えない。
でも。
完了判定。
その言葉が気になった。
「レグルさん」
「何だ」
「育成が完了したら、どうなるの?」
レグルは答えなかった。
代わりに、別のページを開いた。
そこには短い文章が残されていた。
【育成完了後、対象は次段階へ移行する】
「次段階?」
「ああ」
「何の?」
「不明だ」
俺は小さく息を吐いた。
また、分からない。
でも、今回はそれだけじゃなかった。
レグルはさらに一枚の紙を取り出した。
「この記録には、もう一つ重要な項目がある」
「何?」
「育成者の資格だ」
俺は顔を上げた。
シオン。
あの男の左腕にあった文字。
【育成者資格:剥奪】
まさか。
「……資格って、取り消されることがある?」
「ああ」
「どういう場合?」
「記録上は三つある」
レグルは指で項目を示した。
【育成対象の管理放棄】
【育成権限の不正使用】
【育成対象の重大な損失】
俺は三つ目を見つめた。
「重大な損失……」
「死亡を含むと考えられる」
シオンの言葉が蘇る。
『育成対象を殺した』
『神に褒められた』
俺はゆっくり息を吐いた。
「……じゃあ、シオンは」
「知り合いか?」
「少し」
レグルは俺の表情を見て、それ以上は聞かなかった。
代わりに説明を続ける。
「ただし、この資格制度が現在も有効なのかは分からない」
「でも、ソラや俺には表示が出てる」
「ああ」
「誰かが使ってる?」
「その可能性は高い」
俺は帳簿を見つめた。
二百年前。
旧育成管理記録。
職業システム。
神々。
そして、現在。
何かが、再び動き始めている。
「レグルさん」
「何だ」
「これ、誰が作った制度?」
レグルは首を横に振った。
「記録がない」
「神様?」
「分からない」
「人間?」
「それも分からない」
俺は少し考えた。
第一章で分かったことがある。
職業システムは、神々の力を利用して人間が作った。
だからといって、この育成制度も同じとは限らない。
でも。
もし人間が作ったのなら。
なぜ神様の力が関わっている?
もし神様が作ったのなら。
なぜ七柱は知らない?
「……難しいな」
俺が呟くと、レグルが頷いた。
「だから調べている」
その言葉に、少しだけ笑ってしまった。
俺も同じだ。
分からないから調べる。
ただ、それだけ。
でも。
その途中で、誰かの人生を勝手に決めることだけは避けたい。
◇ ◇ ◇
資料を調べ終えた頃、レグルが一枚の紙を俺へ差し出した。
「最後に、これを見てほしい」
「何?」
「昨日の銀板に関する調査結果だ」
俺は紙を受け取った。
そこには、セドリックが使用した装置の識別情報が記されている。
【装置分類:育成者権限照合器】
【登録権限:本部監察局】
【使用目的:育成対象の確保・接続確認】
ここまでは予想できた。
でも、その下。
【権限管理者:未登録】
俺は眉を寄せた。
「また未登録?」
「そうだ」
「この世界、登録し忘れ多すぎない?」
「冗談で済めばいいがな」
レグルは真顔だった。
「本来、権限を持つ者が不明な装置は使用できない」
「でも、セドリックは使った」
「ああ」
「じゃあ、どうして?」
「そこが問題だ」
レグルは机の上へ別の書類を置いた。
「照合器は、登録権限がなくても一時的に起動できる仕組みを持っていた」
「抜け道?」
「そう考えられる」
「誰が使えるの?」
「条件を満たした者だ」
俺は嫌な予感がした。
「条件って?」
レグルはゆっくり答えた。
「育成者候補として認識された者」
俺は言葉を失った。
育成者候補。
ソラ。
トーマ。
そして。
セドリック?
「……あいつも候補なの?」
「可能性はある」
俺は額へ手を当てた。
育成者の席が空いている。
その席へ、誰かが座ろうとしている。
昨日のセドリックの言葉。
『あなたには、すでに役割があるのですから』
あれは。
単なる脅しじゃなかったのかもしれない。
「……レグルさん」
「何だ」
「俺の育成者って、誰なんですかね」
レグルは少しだけ考えた。
「私には分からない」
「ですよね」
「だが」
俺は顔を上げた。
「君を育ててきた者が誰かは、君自身が知っているのではないか?」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
七柱。
俺を育ててきた神様たち。
記録にない。
権限がない。
でも。
それでも。
俺は知っている。
「……はい」
俺は頷いた。
「知ってます」
レグルが小さく笑った。
「なら、それを忘れるな」
俺も笑った。
ただ。
問題はまだ終わっていない。
育成者候補として認識された者なら、照合器を起動できる。
そして、セドリックはそれを使った。
つまり。
あいつ自身が、俺の育成者候補である可能性がある。
それが、どういう意味を持つのか。
まだ分からない。
◇ ◇ ◇
その夜。
職業管理院本部の地下深くで、セドリックは一人の男と向かい合っていた。
部屋には窓がなく、壁には古い文字が刻まれている。
中央には、大きな円形の装置が置かれていた。
その表面には、いくつもの空欄が並んでいる。
【育成者候補】
【第一席:空席】
【第二席:空席】
【第三席:空席】
さらに下へ。
第四席。
第五席。
第六席。
そして。
第七席。
その先にも、まだ空欄が続いていた。
「……進捗は?」
向かいに座る男が尋ねた。
顔は影に隠れている。
セドリックは恭しく頭を下げた。
「第109代の能力は確認できました」
「確保は?」
「失敗しました」
「……失敗?」
男の声が低くなる。
セドリックは慌てなかった。
「ですが、育成者権限への干渉能力を確認しています」
「なるほど」
「彼は、登録されていない育成者の権限すら拒絶できる可能性があります」
男はしばらく黙っていた。
それから、低く笑った。
「……面白い」
セドリックも微笑んだ。
「ええ」
「ならば、次の段階へ進め」
「承知しました」
セドリックが装置へ手をかざす。
空欄の一つが、淡く光った。
【育成者候補登録】
【候補者:セドリック・ヴァイス】
【登録申請:受理】
セドリックの笑みが深くなる。
「……ようやく」
男が尋ねた。
「何だ?」
「私にも、育てる資格が与えられるのですね」
男は答えなかった。
代わりに、装置の奥を見つめた。
そこには、さらに古い文字が刻まれていた。
【育成者は、対象を導く者に限らない】
【対象を変化させる者もまた、育成者である】
男は静かに呟いた。
「第109代は、まだ理解していない」
セドリックが顔を上げる。
「何をでしょう?」
「育成とは、必ずしも救うことではない」
男は装置へ指を伸ばした。
「人は、傷つくことでも変わる」
その言葉と同時に、空欄が一つだけ赤く染まった。
【第一席:候補登録完了】
セドリックは満足そうに頭を下げた。
「では、次は何を?」
男はしばらく考えた。
そして。
「彼が大切にしているものを、一つ奪え」
部屋の空気が冷たくなる。
「そうすれば、彼は変わる」
セドリックは静かに微笑んだ。
「……素晴らしい育成方針ですね」
装置の中央で、文字が一度だけ明滅した。
【第109代育成対象】
【第二段階:進行中】
【育成者候補:一名登録】
その下に、新しい項目が現れる。
【次回育成課題】
【喪失】
男はその文字を見つめ、ゆっくりと笑った。
「さあ、無職の少年」
誰もいないはずの部屋で、低い声が響く。
「今度は、何を失えば成長できる?」




