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神々は無職を選んだ  作者: 夜凪 灯
第二章 神なき力の目覚め
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神託ログ09『神託に従わない日』

 翌朝、俺のところへ職業管理院から呼び出しが届いた。


 正確には、呼び出しというより面会の依頼だったらしい。


 その違いをわざわざ説明してくれたのは、昨日の夕方、管理院の地下で少しだけ顔を合わせた若い査定官だった。


「特別査定部主任、レグル・ハイゼンより面会の申し入れです」


 大神殿の入口で、ディンと名乗った男は背筋を伸ばしたままそう告げた。


 濃紺の制服には銀色の徽章がついている。昨日、ミアへ剣を向けた時と同じ服装だ。ただ、今朝は剣の柄へ手を置いていない。


「面会って、俺が管理院へ行くってこと?」


「はい。ただし、任意です」


「任意?」


「拒否することもできます」


「……本当に?」


 ディンの眉がわずかに動いた。


「そのように申し伝えるよう、主任から指示されています」


「なるほど」


 俺は少し考えた。


 レグルなら、たしかにそう言いそうだ。


 昨日のあの人は、本人の意思を確認することの大切さを、嫌というほど思い知らされていた。俺が何度も口を挟んだせいでもある。


 ただ、問題はそこじゃない。


「ちなみに、何の話?」


「詳細は主任から直接説明するとのことです」


「それ、任意で呼ばれる側としては結構怖いんだけど」


「……私もそう思います」


「え?」


 思わず聞き返した。


 ディンは自分の発言に気づいたらしく、慌てて咳払いをする。


「失礼しました」


「いや、今の本音?」


「職務上、お答えできません」


「答え合わせ終わったじゃん!」


 後ろでリナが笑った。


「レン、朝から元気だね」


「元気というか、嫌な予感しかしないんだけど」


「だったら断る?」


 その問いに、俺は少しだけ黙った。


 断れる。


 少なくとも、今のところは。


 でも、昨日ソラの報告書に現れた【旧育成管理記録】という文字が気になっていたし、神名のない神託についても、まだ聞けていないことが山ほどある。


 行かない理由を探すより、行って確かめた方が早い。


「行く」


 俺が答えると、ディンはわずかに安堵したようだった。


「ありがとうございます」


「ただし、リナも一緒で」


「同行者については主任から許可が出ています」


「あと、七柱も」


「……七柱?」


「神様七人」


 ディンの顔が固まった。


「全員ですか?」


「全員」


『おう!』


 ガルドが威勢よく返事をする。


『私は別に行かなくてもいいけど』


 セレナは少し面倒そうだ。


『資料があるなら行きます』


 ノアはいつもどおり。


『管理院の備品を壊すなよ』


 ヴォルグ。


『壊した場合の請求先は明確にしておきたいねえ』


 メルク。


『皆さん、落ち着いてくださいね』


 フィリア。


『レン。今回はこちらも確認すべきことがある』


 エリオス。


 ……うん。


 七柱、通常運転。


「全員来るって」


 俺が伝えると、ディンは困り果てた顔で手帳を開いた。


「神性存在の同行人数は、記載すべきでしょうか……」


「書いといて。後で増えたら困るし」


「増えるんですか!?」


「知らん!」


 俺だって聞きたい。


 第一章の最後、育成者の枠は七つで終わらなかった。


 あれ以来、何が増えるのか分からないままだ。


 ディンは手帳に何かを書き込み、深々と頭を下げた。


「それでは、準備ができましたらご案内します」


 俺はリナと顔を見合わせた。


 今日は、何かが起きる。


 そんな予感がしていた。


 ただし、予感が当たるかどうかなんて、まだ分からない。


 最近は毎日のように事件が起きているせいで、平和な朝まで疑うようになってしまった。


 ……そろそろ普通に寝坊して怒られる日が欲しい。


          ◇ ◇ ◇


 職業管理院の会議室には、すでにレグルが待っていた。


 昨日までの地下検査室とは違い、地上階の窓に面した部屋だった。壁には周辺地域の地図が掛けられ、長机の上には水差しと人数分の杯が用意されている。


 ただ、机の中央に置かれた封筒だけが、妙に場違いだった。


 赤い封蝋。


 職業管理院本部の紋章。


 そして、その周囲を囲むように描かれた細い黒線。


 俺はその線を見た瞬間、思わず足を止めた。


「……それ」


 レグルが頷く。


「気づいたか」


「昨日はなかった?」


「ああ。夜中に現れた」


 ディンが扉を閉める。


 室内には俺、リナ、レグル、ディンの四人。神々の声は俺に届いているが、当然ながら他の三人には聞こえていない。


「まず、これを読んでほしい」


 レグルが封筒から文書を取り出した。


 そこには、未登録性質保有者への対応を変更する命令が記されていた。


 必要に応じた強制隔離。


 神性存在との接続遮断。


 育成状態が覚醒と判定された者の通常手続きからの除外。


 そして。


【第109代育成対象レン・アルヴェインを、特例対象として速やかに確保すること】


「…………」


 俺は二度読んだ。


 三度目を読もうとしたところで、リナが横から紙を覗き込む。


「レン、確保って書いてあるよ」


「見えてる」


「捕まえるってこと?」


「たぶん」


「じゃあ、何で普通に座ってるの?」


「俺も今それ考えてた!」


 レグルが小さく息を吐いた。


「安心しろ。少なくとも私は、今この場で君を拘束するつもりはない」


「少なくともって言い方が怖いんですよ」


「正確に説明している」


「正確すぎる!」


 けれど、レグルは笑わなかった。


「レン。この命令は本部長名義で発令されている。現場の査定官が無視できるものではない」


「じゃあ、どうするんですか?」


「確認する」


「何を?」


「命令の根拠だ」


 レグルは文書の最下部を指した。


【本件は神託に基づく特別命令である】


 その一文を見た瞬間、エリオスの声が低くなった。


『……神託か』


「どの神様の?」


 俺が聞くと、レグルは首を横に振った。


「記載がない」


「じゃあ、神託かどうか分からないじゃん」


「そのとおりだ」


 レグルはあっさり認めた。


「だが、正式な印章が押されている以上、行政上は有効な命令として扱われる」


「それ、おかしくない?」


「おかしい可能性があるから君を呼んだ」


 ……なるほど。


 この人、昨日より話が早い。


「ノア」


『確認します』


「この封筒、神様の力がある?」


『微弱な反応があります。ただし、神性存在から直接発せられたものか、神力を利用した装置によるものかは判別できません』


「じゃあ、神託って断言できない?」


『できません』


 俺はそのままレグルへ伝えた。


 すると、レグルは少しだけ目を細めた。


「やはりか」


「予想してた?」


「ああ。通常の神託文書とは異なる点が多い」


「例えば?」


「神名がない。受信した神官の記録がない。発令までの審査過程がない」


 レグルは指を折りながら説明した。


「それなのに、通常の手続きを飛ばして本部長の決裁が下りている」


「めちゃくちゃ怪しいじゃん!」


「怪しいという理由だけで無効にはできん」


「そこは真面目なんだ」


「真面目でなければ、この仕事は務まらない」


 ……確かに。


 俺は文書を見直した。


 問題は、命令が正しいか間違っているかだけじゃない。


 誰かがこの命令を利用して、ソラやトーマのような人間を自由に連れていけるようになることだ。


 しかも、俺まで確保対象になっている。


「レグルさん」


「何だ」


「これ、もう他の管理院にも届いてる?」


「ああ」


 即答だった。


「管轄内の各支部へ通達されている」


 俺の背中に冷たいものが走った。


「じゃあ、ソラは?」


「現時点では、私の管理下にいる」


「トーマは?」


「正式な保護対象ではない」


「ミアは?」


「所在不明だ」


 俺は机の端を握った。


 昨日までの問題が、一気に別の形へ変わっていく。


 これまでは、レグルたちが本人の意思をどこまで尊重するかという話だった。


 でも、今度は上から命令が来た。


 しかも、その命令は本人の意思確認を不要としている。


「……これ、従ったらどうなる?」


 レグルは少し間を置いて答えた。


「ソラは隔離される可能性が高い。トーマも性質保有者として正式に確認されれば、同様の対象になるだろう」


「俺は?」


「確保される」


「ですよね!」


「ただし」


 レグルが俺を見る。


「私はまだ、君を確保すべき理由を理解していない」


 その言葉は、思っていた以上に重かった。


 レグルは制度を守る人間だ。


 その人が、正式命令に疑問を持っている。


 だからといって、味方になったわけじゃない。


 でも、少なくとも今は同じ問題を見ている。


「分かりました」


 俺は頷いた。


「じゃあ、一緒に調べましょう」


「……一緒に?」


「だって、レグルさんも分かってないんでしょ?」


「そうだが」


「俺も分かってない」


「知っている」


「なら、二人で分からないことを調べればいい」


 レグルは数秒だけ俺を見つめた。


 そして。


「本当に、面倒な男だな」


「褒め言葉として受け取ります」


「褒めていない」


 リナが笑った。


 ディンも、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 ただ、その直後だった。


 会議室の扉が、三度叩かれた。


「主任。至急の報告です」


 入ってきた職員の顔は青ざめていた。


「何だ」


「本部から監察官が到着しました」


 レグルの表情が変わる。


「……予定より早いな」


「すでに一階受付におります」


「人数は?」


「四名です」


 職員は一度言葉を止めた。


「そのうち一名が、特例対象の引き渡しを要求しています」


 俺は嫌な予感がした。


「特例対象って……」


 レグルが俺を見る。


「君だ」


「やっぱり!!」


          ◇ ◇ ◇


 一階の受付には、黒い制服を着た男女が四人立っていた。


 職業管理院の査定官が濃紺の制服なのに対し、彼らの服装はほとんど黒に近い。胸元には銀ではなく、金色の紋章がついている。


 その中央に立つ男は、まだ三十代半ばくらいに見えた。


 整えられた黒髪。


 細い目。


 柔らかな笑み。


 ただし、その笑顔には妙な隙のなさがあった。


「お待ちしておりました、レグル主任」


 男は丁寧に頭を下げた。


「職業管理院本部監察局、第一監察官のセドリック・ヴァイスです」


 レグルが前へ出る。


「到着予定は明日だったはずだ」


「予定が変更になりまして」


「連絡は受けていない」


「緊急性が高い案件ですので」


 セドリックは穏やかに答えた。


 その視線が、レグルの後ろにいる俺へ移る。


「……あなたがレン・アルヴェインさんですね」


「そうですけど」


「お会いできて光栄です」


「俺、何か有名なことしました?」


「ええ」


 セドリックは笑った。


「非常に興味深いことを」


 ……怖い。


 めちゃくちゃ怖い。


「本日は、あなたを本部へお連れするために参りました」


「それって任意?」


「形式上は、そう説明することもできます」


「形式上!?」


 俺が思わず声を上げると、セドリックは少しだけ首を傾げた。


「何か問題でも?」


「問題しかないでしょ!」


 レグルが一歩前へ出た。


「セドリック監察官。対象の確保については、現場で必要性を確認している段階だ」


「確認?」


「命令の根拠が不十分だ」


 セドリックの笑顔が僅かに薄くなった。


「主任。これは本部長の正式命令です」


「承知している」


「では、なぜ従わないのですか?」


「対象の危険性が立証されていない」


「危険性の立証は、確保後に行えばよいでしょう」


 その瞬間。


 俺は少しだけ腹が立った。


「ちょっと待って」


 セドリックが俺を見る。


「何でしょう?」


「確保してから危険かどうか調べるって、順番逆じゃない?」


「危険な可能性があるから確保するのです」


「じゃあ、危険じゃなかったら?」


「適切な処置を行います」


「それ、帰れるって意味?」


 セドリックは答えなかった。


 代わりに、柔らかな笑みを浮かべる。


「あなたは非常に特殊な存在です。通常の人間と同じ基準で判断することは難しい」


「でも、人間ですよ」


「もちろんです」


「なら、普通に説明してくれればいいじゃん」


 セドリックは少しだけ目を細めた。


「……なるほど」


「何が?」


「報告書どおりの方ですね」


 俺は嫌な顔をした。


「何て書いてあるんですか?」


「質問が多い、と」


「それだけ!?」


「それから」


 セドリックが続けた。


「神々の判断を、容易には受け入れない」


 空気が少し変わった。


 俺はセドリックを見つめた。


「それ、悪いこと?」


「場合によります」


「今回は?」


「非常に困ります」


 セドリックは笑った。


 でも、目は笑っていなかった。


「あなたには、すでに役割があるのですから」


 ……役割。


 また、その言葉。


「誰が決めた?」


 俺は聞いた。


「神々ですか?」


「それとも職業管理院?」


「あなたの役割は、もっと古いところで決められています」


 セドリックはそう言った。


 俺の心臓が一度だけ強く鳴った。


「……古いところ?」


「ええ」


「それって、旧育成管理記録?」


 初めて。


 セドリックの表情が変わった。


 ほんの一瞬。


 でも、確かに。


「……どこで、その言葉を?」


 俺は答えなかった。


 代わりに聞き返す。


「知ってるんですね?」


 セドリックは数秒だけ黙った。


 それから、再び笑った。


「ますます、本部へ来ていただく必要がありそうです」


「説明してくれたら考えます」


「説明は本部で行います」


「ここじゃ駄目?」


「機密事項ですので」


「じゃあ行かない」


 俺は即答した。


 リナが隣で小さく頷く。


 セドリックの笑顔が消えた。


「……拒否されるのですか?」


「はい」


「正式な命令ですよ」


「俺が出した命令じゃないし」


「神託に基づいています」


「どの神様?」


 セドリックは答えない。


「名前、教えてください」


「……」


「神様が言ったなら、うちの七柱にも確認します」


 その時。


『レン』


 エリオスが呼んだ。


「何?」


『その男から、微弱な神性反応がある』


「え?」


『だが、我々のものではない』


 俺はセドリックを見た。


 男は相変わらず、こちらを見つめている。


 ただ、さっきまでとは少し違った。


 俺の背後。


 何もない空間。


 そこへ視線を向けている。


「……聞こえているのですね」


 セドリックが呟いた。


「何が?」


「七柱の声が」


 俺は黙った。


 セドリックは小さく笑う。


「羨ましい」


「……何が?」


「神々に選ばれた人間というのは、実に恵まれています」


 その言葉に、妙な違和感があった。


 俺は七柱に選ばれたわけじゃない。


 少なくとも、今の七柱はそう説明していた。


 育成対象として現れた俺を、彼らが受け入れた。


 順番が違う。


「俺、選ばれたわけじゃないですよ」


 セドリックが目を細めた。


「……そうお考えなのですか?」


「七柱がそう言ってました」


「なるほど」


 男は少しだけ笑った。


「では、彼らはまだ話していないのですね」


 その瞬間。


 エリオスの声が鋭くなった。


『レン。警戒しろ』


 俺も気づいた。


 この男。


 何か知っている。


 でも。


 それを知っているからといって、信用できるわけじゃない。


「何を話してないんですか?」


 俺は聞いた。


 セドリックは答えなかった。


 代わりに、懐から小さな銀色の板を取り出す。


 表面には細かな文字が刻まれていた。


「では、正式な手続きに移りましょう」


 レグルが一歩前へ出る。


「待て」


「主任?」


「対象本人の同意がない」


「必要ありません」


 セドリックは銀板を掲げた。


「神託に基づく特別措置です」


 銀板の文字が光り始める。


 俺の視界に、見覚えのある表示が浮かんだ。


【第109代育成対象】


【接続確認中】


「……おい」


 背中が冷たくなる。


【育成者権限照合】


 七柱の声が一斉に響いた。


『レン!』


『触るな!』


『接続を許可するな!』


 俺は反射的に右手を握った。


 ブレイカー。


 使える。


 たぶん。


 でも。


 何を切る?


 銀板?


 接続?


 権限?


 分からない。


 分からないまま切ったら、何が起きる?


 その迷いを見透かしたように、セドリックが言った。


「抵抗は無意味です」


 銀板がさらに強く光る。


【育成対象確保処理】


 俺の足元に、薄い光の輪が現れた。


 動こうとすると、身体が重い。


 まるで足首を見えない紐で引っ張られているようだった。


「レン!」


 リナが剣へ手を伸ばす。


「待って!」


 俺は叫んだ。


 リナが止まる。


 今、斬ったら何が起きるか分からない。


 銀板と俺が、どんな形で繋がっているのかも分からない。


 ただ。


 一つだけ分かる。


 俺は同意していない。


「……ノア」


『はい』


「これ、俺が繋がったの?」


『いいえ。外部から既存の育成対象情報へ照合を試みています』


「じゃあ、新しく繋いでるわけじゃない?」


『少なくとも現段階では、そう判断できます』


 なるほど。


 俺の情報を使って、勝手に処理しようとしている。


 なら。


「切る場所、分かったかもしれない」


『レン。慎重に』


「うん」


 俺は銀板を見た。


 壊すのは簡単かもしれない。


 でも、銀板そのものを壊したら、証拠まで消える。


 それは困る。


 俺が切りたいのは、物じゃない。


 俺の意思を無視して処理を進めようとしている、その接続だ。


「……ブレイカー」


 右手に意識を集中する。


 以前、ユリウスを救うために黒い線だけを切った時の感覚を思い出す。


 必要なものまで壊さない。


 切る対象を選ぶ。


 銀板から伸びる、細い光。


 俺の足元へ繋がろうとしている線。


 それだけを。


「――断つ」


 乾いた音がした。


 光の輪が消える。


 身体の重さが抜けた。


 俺は思わず一歩後ろへ下がった。


「……よし」


 成功。


 少なくとも、俺は動ける。


 ただし。


 銀板は壊れていない。


 セドリックが目を見開いた。


「……まさか」


 その声には、初めて明確な驚きが混じっていた。


「権限照合を……拒絶した?」


「拒絶したというか」


 俺は息を整えながら答える。


「勝手に繋がないでください」


 セドリックの顔から笑みが消えた。


 その時、レグルが前へ出た。


「セドリック監察官」


「……何でしょう」


「今の行為は、本人の同意を得ていない強制処理だ」


「本部命令に基づいています」


「その命令の根拠を確認中だと伝えたはずだ」


「主任。あなたは本部に逆らうつもりですか?」


 レグルは答えなかった。


 代わりに、腰の徽章へ手を伸ばす。


 外す。


 掌に置く。


 そして。


「私は、職業管理院の人間だ」


 静かな声だった。


「だからこそ、手続きの正当性を確認する」


 セドリックが眉を寄せる。


「それがあなたの答えですか?」


「ああ」


 レグルは続けた。


「この施設内で、根拠不明の強制処理は認めない」


 沈黙が落ちた。


 ディンが一歩前へ出る。


 セドリックの部下たちも身構えた。


 今にも衝突が起きそうだった。


 けれど。


「……分かりました」


 セドリックは銀板を下ろした。


「本日は、ここまでにしましょう」


「帰るんですか?」


 俺が聞くと、男は再び微笑んだ。


「ええ」


「意外とあっさり」


「無理に連れていくことだけが、方法ではありませんから」


 その言い方が気になった。


 セドリックは銀板を懐へ戻す。


「レンさん」


「何?」


「一つ、覚えておいてください」


 男の目が細くなる。


「あなたが拒否したのは、私の命令ではありません」


「じゃあ誰の?」


「……あなた自身に与えられた役割です」


 俺は何も言わなかった。


 セドリックは踵を返す。


 部下たちが続く。


 受付の扉が開き、四人の黒い制服が外へ消えていった。


 誰も追わなかった。


 俺はようやく息を吐いた。


「……疲れた」


 リナが近づいてくる。


「大丈夫?」


「うん。でも、めっちゃ嫌な人だった」


「私も」


「笑ってるのに怖い」


「分かる」


 レグルがこちらへ向き直った。


「レン」


「はい」


「今の能力について、後で詳しく聞かせてもらう」


「えー」


「嫌なら断っていい」


「……学習してる」


「誰のせいだと思っている」


 俺たちは顔を見合わせた。


 そして、少しだけ笑った。


 ただ。


 問題は何一つ終わっていない。


 セドリックは帰った。


 でも、命令は残っている。


 神託も。


 育成対象の確保も。


 そして、俺に与えられたという役割も。


 まだ、何も分かっていなかった。


          ◇ ◇ ◇


 その日の午後、ソラが大神殿へやって来た。


 レグルが手配した職員に付き添われ、少し大きめの外套を羽織っている。


 白い髪は昨日より整えられていたが、右腕の黒い線はまだ消えていない。


 ただ、その表情は少しだけ明るかった。


「レン!」


「ソラ!」


 俺が手を振ると、ソラは小走りで近づいてきた。


 その途中、足元の小石がふわりと浮かぶ。


「……あ」


 ソラが立ち止まった。


 小石が地面へ落ちる。


 本人も驚いたようだった。


「ごめん」


「何で謝るの?」


「また、変なの出た」


「誰も怪我してないし、大丈夫」


「でも……」


 ソラは右腕を押さえた。


 俺は少し考えてから言った。


「じゃあ、練習しよう」


「練習?」


「うん」


「何を?」


「浮かせない練習」


 ソラが目を丸くする。


「浮かせる練習じゃないの?」


「それも大事かもしれないけど、まずは止め方を知りたい」


 俺は自分の右手を見た。


 ブレイカーも同じだ。


 使えることと、使っていいことは違う。


 何が起きるか分からないなら、まず安全に止められるようになりたい。


「セレナ」


『何よ』


「ソラの練習、手伝える?」


『……いいわよ』


「珍しく素直!」


『やっぱりやめようかしら』


「ごめんなさい!」


 ソラが笑った。


 その笑顔を見て、俺も少し安心する。


 ただし、訓練を始める前に確認することがあった。


「ソラ」


「うん」


「ここに来ること、自分で決めた?」


「うん」


「管理院の人に言われたんじゃなくて?」


「違うよ」


 ソラは首を横に振った。


「私が、ここに来たいって言った」


「そっか」


「でも、レグルさんがいっぱい質問した」


「何て?」


「どこで寝たいかとか、誰と話したいかとか、何が怖いかとか」


「めっちゃレグルさんだ」


「あと、何かあった時はすぐ知らせてって」


「それもレグルさんだ」


 ソラは少し笑った。


「でも、ちゃんと聞いてくれた」


 その言葉が嬉しかった。


 レグルは変わろうとしている。


 制度の中にいる人間が、自分のやり方を少しずつ変えている。


 それは、俺がブレイカーで何かを壊すこととは違う。


 でも。


 たぶん。


 同じくらい大事なことだ。


「じゃあ、まず場所を決めよう」


 俺が言うと、アリアが近づいてきた。


「レンさん。訓練でしたら、神殿の裏庭が使えます」


「本当?」


「はい。ただし、周囲に人がいない時間帯に限ります」


「了解!」


「それから、危険がある場合は中止してください」


「了解!」


「そして、建物を壊さないでください」


「俺じゃなくてソラに言って!」


 アリアはにっこり笑った。


「レンさんもです」


「信用ゼロ!?」


 リナが笑いながら肩を叩く。


「日頃の行いだね」


「俺そんな壊してないよ!?」


『職業石を割ったな』


 エリオス。


「それ俺のせい!?」


『旧観測機構の接続も切った』


「必要だったじゃん!」


『管理院の装置にも干渉した』


「今日の話!?」


 ソラが目を丸くしている。


「レンって、いっぱい壊してるんだね」


「違う! 壊すもの選んでるの!」


「……でも、壊してる?」


「はい……」


 ソラは笑った。


 俺もつられて笑う。


 そんなやり取りをしながら、俺たちは裏庭へ向かった。


          ◇ ◇ ◇


 神殿の裏庭は、夕方になるとほとんど人がいなくなる。


 石畳の向こうには低い塀があり、その先に小さな林が広がっている。普段は神官たちが薬草を干したり、子どもたちが遊んだりする場所らしい。


 今日は訓練のために、アリアが周囲への立ち入りを制限してくれた。


 ただし、完全な隔離ではない。


 出入口は開いたまま。


 ソラが嫌になったら、いつでもやめられる。


「まず、何も浮かせない状態を確認するわ」


 セレナの声を俺が伝える。


 ソラは頷いた。


「分かった」


「次に、小さな石を一つだけ浮かせることを考えてみよう」


「……うん」


 ソラは地面に置いた小石を見つめた。


 最初は何も起きなかった。


 けれど、しばらくすると小石が微かに震え始める。


「……動いた」


 ソラが呟く。


「うん。今、何考えてる?」


「浮いてほしいって」


「じゃあ、そのまま」


 小石がゆっくり浮き上がった。


 ほんの指一本分。


 でも、確かに地面から離れている。


「できた!」


 ソラが嬉しそうに声を上げた。


 その瞬間、小石が勢いよく跳ね上がった。


「うわっ!」


 俺が慌てて避ける。


 小石は塀へぶつかり、乾いた音を立てて落ちた。


 ソラの顔が青ざめる。


「ごめん!」


「大丈夫!」


「でも!」


「当たってないから!」


 俺は笑おうとした。


 けれど、セレナがすぐに口を挟む。


『レン。今のは危険よ』


「……うん」


『小石でも速度が上がれば怪我をする。次はもっと軽いものにしなさい』


「了解」


 俺はソラを見る。


「今の、失敗じゃないよ」


「……でも」


「浮かせることはできた。次は、飛ばさずに止める練習」


 ソラは少し考えた。


「……できるかな」


「分からん」


「レン、そればっかり」


「だって分からんもん」


 ソラが笑う。


 俺も笑った。


 でも、次はちゃんと考える。


 小石は危ない。


 なら、もっと軽いもの。


「……葉っぱとか?」


『それがいいわ』


 セレナが答えた。


 俺たちは落ち葉を一枚拾い、石畳の上へ置いた。


 ソラは深呼吸してから、もう一度集中する。


 葉が震える。


 ゆっくり浮く。


 今度は、さっきより低い。


「……浮いた」


「うん」


「止める?」


「そう」


 ソラは眉を寄せた。


 葉がふらふら揺れる。


 そして。


 ゆっくり。


 地面へ戻った。


「……できた?」


 ソラが俺を見る。


「できた!」


 俺が笑うと、ソラも嬉しそうに笑った。


 セレナが満足そうに言う。


『悪くないわね』


「セレナが褒めた!」


『何よ、その反応!』


「いや、珍しいから」


『レンは褒めないわよ』


「差別!」


 ソラが声を上げて笑った。


 その笑い声を聞いて、俺は少しだけ胸が温かくなった。


 昨日まで、この子は自分の名前すら知らなかった。


 今日は自分で名前を決めた。


 そして今、自分の力を少しだけ扱えるようになった。


 まだ何も分からない。


 でも。


 昨日よりできることが一つ増えた。


 それでいい。


 俺自身も、そうやって七柱に育てられてきたのだから。


          ◇ ◇ ◇


 訓練を終えた後、ソラは神殿の客室へ案内された。


 正式な保護登録については、まだ決まっていない。


 ただし、本人の希望に基づく一時滞在として、今夜だけ部屋を使えることになった。


 アリアが手続きを進め、レグルも管理院側の責任者として承認したらしい。


 ……あの人、仕事が早い。


 俺は廊下を歩きながら、エリオスへ話しかけた。


「なあ」


『何だ』


「今日、セドリックが言ってたこと」


『役割の話か』


「うん」


 俺は少し考えた。


「俺の役割って、何なんだろうな」


『分からない』


「即答!」


『だが、レン』


「何?」


『役割があることと、それに従わなければならないことは別だ』


 俺は足を止めた。


「……そうだな」


『お前が育成対象として現れたことは事実だ。だが、それを理由に我々がお前の人生を決めていいわけではない』


「うん」


『同じように、お前が誰かの育成者候補として表示されたからといって、その人間の人生を決める権利を得たわけでもない』


 トーマ。


 ソラ。


 ミア。


 ユウ。


 いろんな顔が浮かぶ。


「……分かってる」


『ならいい』


「でも」


 俺は言った。


「もし、その仕組みが誰かを傷つけるなら」


『……』


「俺は壊すと思う」


 エリオスはすぐには答えなかった。


 しばらくして、静かに言った。


『その時は、何を壊すのか、よく見極めろ』


「うん」


『そして、壊さずに済む方法があるなら、それも探せ』


「……分かった」


 それは、俺が七柱から教わってきたことだった。


 力を使う前に考える。


 助ける前に聞く。


 壊すものを選ぶ。


 全部。


 今の俺には必要なことだ。


 俺は小さく息を吐き、廊下を歩き始めた。


 その時だった。


『レン』


 ノアの声が響く。


「何?」


『先ほどの銀板について、気になる点があります』


「銀板?」


『セドリックが使用した、育成対象確保処理の装置です』


「うん」


『あれは、あなたの育成対象情報を照合していました』


「そう言ってたね」


『しかし、照合先の情報に不整合がありました』


「……不整合?」


 俺は足を止めた。


『第109代育成対象という識別は一致しています』


「うん」


『名称も、現在のレンと照合されました』


「じゃあ、何が違うの?」


 少しだけ間があった。


『育成者の記録です』


「……育成者?」


『はい』


 俺は嫌な予感がした。


 七柱。


 俺を育てている神様たち。


 その記録が違う?


「どう違った?」


 ノアが答えた。


『照合先には、七柱の名前が存在しませんでした』


「……は?」


『代わりに、一つだけ記録がありました』


 俺の背中に冷たいものが走る。


「何て?」


 ノアは静かに告げた。


『育成者――未登録』


 俺は眉を寄せた。


「……未登録?」


『はい』


「それって、誰も育ててないってこと?」


『そうとは限りません』


「じゃあ、何?」


 ノアは少し考えた。


『少なくとも、セドリックの装置が参照した記録上では、あなたの育成者は確定していません』


 俺は何も言えなかった。


 七柱は、ずっと俺を育ててきた。


 走らされた。


 魔法を教わった。


 商売を手伝った。


 剣を握った。


 人を助けることについて考えた。


 知らないことを知らないと言う大切さを学んだ。


 それなのに。


 記録上では、育成者がいない?


「……エリオス」


『何だ』


「これ、どういうこと?」


 沈黙。


 そして。


『分からない』


 また。


 その答え。


 でも。


 今回は少し違った。


『ただし、レン』


「うん」


『我々が、お前を育ててきた事実は変わらない』


 俺は目を閉じた。


 そうだ。


 記録にないからといって、なかったことにはならない。


 名前が違っても。


 職業がなくても。


 誰かに認められなくても。


 自分で選んで積み重ねたものは、消えない。


「……うん」


 俺は頷いた。


「分かってる」


 ただ。


 気になることが一つ増えた。


 誰が、俺の育成者を未登録にしたのか。


 それとも。


 最初から登録されていなかったのか。


 その答えは、まだ分からない。


          ◇ ◇ ◇


 同じ頃。


 職業管理院本部へ戻る馬車の中で、セドリックは銀板を眺めていた。


 表面には細い亀裂が走っている。


 ただし、装置そのものは壊れていない。


 レンが切断したのは、装置と育成対象を繋ごうとしていた処理だけだった。


「……素晴らしい」


 セドリックは小さく笑った。


 向かいに座る部下が不思議そうに尋ねる。


「監察官。確保に失敗したのに、なぜ笑っておられるのですか?」


「失敗?」


 セドリックは首を傾げた。


「いいえ。確認できました」


「何を?」


「第109代が、正式な育成者権限に対しても干渉できることを」


 部下の表情が変わる。


「それは……危険では?」


「非常に」


 セドリックは楽しそうに答えた。


「だからこそ、価値がある」


 銀板に、微かな光が戻る。


【照合結果】


【第109代育成対象:レン】


【育成者:未登録】


【育成者候補:複数】


 セドリックはその表示を眺めた。


「七柱は、まだ自分たちが育成者だと思っているのでしょうね」


 部下は何も言わなかった。


 セドリックは銀板を指でなぞる。


「ですが、登録されていない育成者に、正式な権限はありません」


 銀板の表示が変わった。


【育成者権限:空席】


 セドリックの笑みが深くなる。


「……ようやく、席が空いた」


 馬車が石畳を走る。


 窓の外では、夕暮れの街並みがゆっくりと遠ざかっていく。


 そして。


 銀板の最下部に、新しい文字が浮かび上がった。


【育成者候補登録を開始します】


 セドリックは目を細めた。


「さて」


 誰に聞かせるでもなく、静かに呟く。


「次は、誰が彼を育てるのでしょうか」

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