神託ログ02 異世界まで来て、まさかの無職です
城壁が近づくにつれて、ようやく人の姿が見えてきた。
荷車を引く男。
大きな籠を背負った女。
剣を腰に下げた旅人。
街へ入ろうとしている人たちが、門の前に列を作っている。
「……人だ」
当たり前のことなのに、少し安心した。
森で目を覚ましてから、初めて見る人間だった。
少なくとも。
見た目は、俺と変わらない。
角もない。
翼もない。
尻尾もない。
「そこまでファンタジーではない……のか?」
いや。
空に月が二つある時点で、十分ファンタジーだった。
列の最後尾へ並ぶ。
前の人たちは、門の左右に立つ兵士へ何かを見せている。
紙。
札。
小さな板。
どうやら身分証のようなものらしい。
「……俺、何も持ってないぞ」
財布どころか。
自分が誰なのか証明できるものすらない。
嫌な予感しかしない。
少しずつ列が進む。
やがて。
俺の番になった。
門番の男がこちらを見る。
「身分証を」
「…………」
来た。
一番聞かれたくないやつ。
「あの」
「どうした?」
「持ってないです」
門番の眉が上がった。
「紛失したのか?」
「いや……その」
説明できない。
森で目覚めたら異世界でした。
なんて言って。
信じてもらえるわけがない。
「気づいたら、森にいて」
「森?」
「はい」
「荷物は?」
「ありません」
「金は?」
「……ありません」
門番の表情が。
どんどん怪しくなっていく。
そりゃそうだ。
俺でも怪しいと思う。
「名前は?」
「名前……」
答えようとして。
一瞬だけ。
妙な感覚がした。
頭の奥。
ずっとそこにあったものが、急に輪郭を持ったような。
「……レン」
口から。
自然に名前が出た。
「レン・アルヴェイン」
言ってから。
俺自身が。
一番戸惑った。
レン。
それは分かる。
なぜか。
自分の名前だと思える。
でも。
アルヴェイン。
そんな姓に。
覚えはない。
「レン・アルヴェインだな」
門番は何事もなかったように確認する。
「……はい」
返事をしながら。
胸の奥に、小さな違和感が残った。
どうして俺は。
今。
その名前を知っていた?
「出身は?」
「……分かりません」
「分からない?」
「説明しづらいんですけど……本当に、気づいたら森にいて」
門番はしばらく俺を見つめた。
完全に不審者を見る目だった。
「記憶喪失か?」
「たぶん……近いと思います」
日本の記憶はある。
だから正確には違う。
でも。
この世界での俺について聞かれたら。
何一つ答えられない。
門番は小さく息を吐いた。
「身分証がない者は、仮通行証を発行する。銅貨三枚だ」
「…………」
「どうした?」
「お金が」
「ないのか?」
「……はい」
沈黙。
後ろの列から。
視線を感じる。
恥ずかしい。
異世界に来て。
最初にぶつかった壁が。
魔物でも。
言葉でもなく。
入場料だった。
「……詰んだ」
思わず呟く。
すると。
門番が眉間を押さえた。
「仕方ない」
「え?」
男は自分の腰袋から銅貨を三枚取り出し、受付へ置いた。
「これで仮通行証を出せ」
「いやいやいや!」
慌てて止める。
「さすがに悪いです!」
「では、ここで野宿するか?」
「…………」
無理だ。
さっきまで森を歩いていた。
もう一度戻れと言われても。
正直。
かなり嫌だ。
門番は俺の反応を見て、鼻を鳴らした。
「働いて返せ」
「……え?」
「街へ入れば仕事くらいある。銅貨三枚だ。返せない額じゃない」
ぶっきらぼうだった。
でも。
その言葉は。
ありがたかった。
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
「礼は返してから言え」
「はい」
仮通行証を受け取る。
小さな木札だった。
そこには見たことのない文字が刻まれている。
なのに。
「……読める」
『仮通行証』
そう書かれていると。
なぜか分かった。
「ん?」
門番がこちらを見る。
「どうした?」
「いや……何でもないです」
文字だけじゃない。
さっきから。
普通に会話できている。
相手が日本語を喋っている。
そう思っていた。
でも。
よく聞くと。
音そのものは。
俺が知っている日本語とは違う気がする。
それなのに。
意味だけが自然に頭へ入ってくる。
文字も同じ。
見たことがないのに。
読める。
「……どうなってんだ」
異世界に来た。
若返った。
知らない名前が出てきた。
言葉も分かる。
考えることが。
どんどん増えていく。
「おい」
「はい!」
「後ろがつかえてるぞ」
「あ、すみません!」
慌てて門をくぐった。
◇ ◇ ◇
街の中は。
想像以上に人が多かった。
石造りの建物が並び。
露店からは肉を焼く匂いが漂っている。
荷車が石畳を走り。
あちこちから呼び込みの声が聞こえる。
「すげえ……」
完全に。
知らない世界だ。
なのに。
不思議と。
言葉だけは分かる。
それがありがたい反面。
少し気味が悪かった。
俺は仮通行証を眺める。
金がない。
家もない。
仕事もない。
この世界の常識もない。
「まず、仕事か……」
門番にも言われた。
銅貨三枚。
借りたままにはしたくない。
でも。
何の仕事ができる?
この世界で。
俺に。
何ができる?
そんなことを考えながら歩いていると。
人の流れが、一つの大きな建物へ向かっていることに気づいた。
白い石で造られた。
立派な建物。
入口の上には。
七つの紋章が並んでいた。
剣。
杖。
硬貨。
槌。
葉。
本。
そして。
中央に置かれた。
円環のような紋章。
「……神殿?」
文字が読める。
そう書かれていた。
ちょうど。
若い男女が次々と中へ入っていく。
年齢は。
今の俺と同じくらい。
十七、十八歳に見える。
気になって。
近くにいた男へ声を掛けた。
「すみません」
「ん?」
「ここって、何をする場所なんですか?」
男は。
不思議そうに俺を見る。
「神殿を知らないのか?」
「あー……ちょっと遠いところから来たばかりで」
嘘ではない。
たぶん。
とんでもなく遠い。
「今日は天職授与の日だよ」
「天職?」
「十八になったら、神殿で神様から天職を授かるだろ?」
当然の常識を説明するような口調だった。
「天職があれば身分証代わりにもなる。仕事を探すなら、まず調べてもらった方がいいんじゃないか?」
「……仕事」
その言葉に反応する。
俺は。
無一文だ。
しかも。
門番に借金まである。
「俺でも受けられます?」
「年齢が合うなら大丈夫だろ」
今の身体は。
十七か十八くらい。
なら。
ちょうどいい。
「ありがとうございます」
男と別れ。
俺は神殿へ入った。
◇ ◇ ◇
中は。
思っていたより静かだった。
広い礼拝堂。
正面には。
七つの紋章。
その前に。
大きな透明の結晶が置かれている。
順番に。
若者たちが結晶へ手を触れていた。
「次の方」
神官らしき男が呼ぶ。
淡い金色の髪をした少女が前へ出た。
緊張しているのか。
胸の前で。
何度も手を握り直している。
「手を置いてください」
「……はい」
少女が結晶へ触れる。
次の瞬間。
淡い光が。
礼拝堂へ広がった。
「おお……!」
周囲がざわめく。
結晶の上に。
文字が浮かび上がった。
《聖女》
一瞬。
空気が止まった。
それから。
大きなどよめきが起こる。
「聖女!?」
「本当に?」
「すごい……!」
少女自身が。
一番驚いていた。
「わ、私が……?」
神官も。
目を見開いている。
「おめでとうございます。非常に希少な天職です」
周囲から。
拍手が起こった。
少女は。
まだ信じられないという顔で。
何度も頭を下げている。
「……聖女」
いかにも。
異世界らしい。
剣士。
魔法使い。
聖女。
もし。
そういうものが本当にあるなら。
俺にも。
何か。
この世界で生きるための力が。
もらえるのかもしれない。
そんな期待が。
少しだけ。
生まれた。
「次の方」
列が進む。
そして。
とうとう。
俺の番になった。
神官が俺を見る。
「お名前を」
「レン・アルヴェインです」
やっぱり。
その名前は。
口にすると自然だった。
自然なのに。
どこか。
自分のものではないような違和感がある。
「では、結晶へ手を」
「はい」
俺は。
透明な結晶へ手を置いた。
冷たい。
次の瞬間。
光が走った。
「お……」
何か来る。
そう思った。
さっきの少女みたいに。
剣士。
魔法使い。
勇者。
いや。
さすがに勇者はないか。
でも。
異世界に来たんだ。
一つくらい。
何か。
特別なものが――。
結晶の上に。
文字が浮かんだ。
【名称:レン・アルヴェイン】
【天職:無職】
【筋力:8】
【耐久:7】
【敏捷:9】
【魔力:3】
【固有能力:なし】
「…………」
俺は。
黙った。
神官も。
黙った。
周囲も。
なぜか。
少し静かになった。
「……え?」
もう一度見る。
【天職:無職】
見間違いじゃない。
「無職?」
神官が。
気まずそうに咳払いする。
「……はい」
「天職なのに?」
「……無職です」
「それ、天職って言っていいんですか?」
「…………」
神官が答えに困っている。
やめて。
そんな顔しないで。
こっちが一番困ってるから。
「ちなみに、この数字は?」
「一般的な成人男性であれば、筋力と耐久は十前後。敏捷も同程度です。魔力は個人差がありますが……」
神官の視線が。
俺の表示へ戻る。
【魔力:3】
「……やや低めですね」
「やや?」
「……低めです」
言い直された。
そして。
最後。
【固有能力:なし】
何もない。
本当に。
何もない。
異世界へ来た。
身体は若返った。
言葉まで分かる。
空には月が二つ。
城も。
魔法も。
神様から授かる職業まである。
その結果。
俺は。
無職。
「…………」
思わず。
天井を見上げた。
「異世界まで来て……」
誰に言うでもなく。
呟く。
「まさかの無職ですか」
返事はない。
七つの紋章だけが。
静かに。
俺を見下ろしていた。
◇ ◇ ◇
その頃。
俺には見えない場所で。
別の記録が流れていた。
【天職付与――失敗】
【世界律への再接続を実行】
【――失敗】
【対象:レン・アルヴェイン】
【分類処理を実行】
【――失敗】
【分類不能】
そして。
その記録を。
俺はまだ。
知らなかった。




