神託ログ01 死んだら、神様に拾われた。
『――候補者、発見』
暗闇の中で、声がした。
遠い。
誰かがどこかで話している。
そんな気がするのに、不思議とその声だけは耳の奥へ直接届いてくる。
『魂魄の固定を開始』
何を言っているのか分からない。
身体を動かそうとしても、指一本動かせなかった。
そもそも、自分に身体があるのかさえ分からない。
『適合率――』
その先は聞き取れなかった。
声が途切れる。
何も見えない。
何も聞こえない。
どれくらい経ったのかも分からない。
やがて。
もう一度だけ、声がした。
『……今度こそ』
その言葉だけが。
妙にはっきりと残った。
◇ ◇ ◇
鳥の声で目が覚めた。
「…………」
眩しい。
目を開けると、木々の隙間から差し込んだ光が顔を照らしていた。
鼻をくすぐる草の匂い。
湿った土の感触。
風が吹くたび、頭上で葉が擦れ合っている。
「……どこだ、ここ」
身体を起こす。
周囲に広がっていたのは、見覚えのない森だった。
木。
草。
岩。
どこを見ても、それだけ。
建物どころか、人の姿すらない。
「…………」
寝ぼけているのか?
そう思って頬をつねる。
「痛っ」
普通に痛い。
夢。
ではなさそうだ。
「昨日、俺……」
何してた?
記憶を辿る。
日本で生まれて、二十七年。
そこまでは覚えている。
家族も。
友達も。
仕事も。
自分がどんな人生を送ってきたのかも。
なのに。
一番最後の記憶だけが、妙に途切れている。
「…………あ」
道路。
強い光。
大きな音。
目の前へ迫ってくる何か。
衝撃。
身体が浮いたような感覚。
地面。
息ができない。
誰かの声。
そして。
そこから先がない。
俺は、自分の胸へ手を当てた。
心臓が動いている。
「俺……」
声に出すのが怖かった。
それでも。
口から漏れた。
「死んだ……よな?」
少なくとも。
最後の記憶から考えれば、無事だったとは思えない。
なのに。
生きている。
痛みもない。
それどころか。
「……ん?」
妙に身体が軽い。
立ち上がってみる。
思った以上に勢いがついて、少しよろけた。
「うおっ」
慌てて近くの木へ手をつく。
その手を見て。
止まった。
「……細くない?」
自分の手だ。
動かせる。
感覚もある。
でも。
俺が知っている自分の手より、明らかに若い。
腕も細い。
身体そのものが違う。
「なんだこれ……」
近くに水たまりを見つけた。
しゃがみ込み、水面を覗く。
「…………誰?」
知らない顔が映っていた。
黒い髪。
若い。
十七、十八歳くらいだろうか。
少なくとも、二十七歳には見えない。
頬を触る。
水面の男も触る。
右を向く。
同じように動く。
左。
同じ。
「……俺?」
もう一度、水面を見る。
どう見ても。
若返っていた。
「いやいやいや……」
死んだ記憶。
知らない森。
若くなった身体。
見覚えのない服。
ポケットを探ってみる。
財布。
ない。
スマホ。
ない。
鍵。
ない。
何もない。
「……マジか」
訳が分からない。
分からないけど。
一つだけ分かる。
このまま森の中に座っていても、何も解決しない。
「とりあえず……人、探すか」
水面から離れる。
俺は。
森の中を歩き始めた。
◇ ◇ ◇
どれくらい歩いたのか。
似たような木ばかりで、時間の感覚がおかしくなってくる。
聞こえるのは鳥の声と、葉が揺れる音。
時々、遠くで何かが動く気配がして、そのたびに足を止めた。
「……熊とか出ないよな」
武器。
なし。
食料。
なし。
知識。
なし。
もし大型の動物でも出てきたら、たぶん終わる。
死んだ直後にまた死ぬ。
さすがに笑えない。
「いや……そもそも、本当に死んだのか?」
事故。
病院。
昏睡。
誘拐。
何か説明できる可能性はないのか。
考えてみる。
でも。
この身体だけは。
説明がつかない。
「……異世界とか」
自分で言って。
すぐ首を振った。
「ないない」
さすがに。
それはない。
小説や漫画じゃあるまいし。
死んだら別世界で若返っていました。
そんな都合のいい――。
その時。
木々の隙間から、強い光が差し込んだ。
「……出口?」
歩く速度を上げる。
木を避け。
草を掻き分け。
最後の一本を抜けた瞬間。
視界が開けた。
「…………」
俺は。
足を止めた。
森の向こう。
広い平原。
その先に。
巨大な石造りの壁があった。
壁の向こうには、いくつもの建物。
高い塔。
立ち上る煙。
そして。
中央には。
遠くからでも分かるほど大きな城。
「…………は?」
言葉が出なかった。
どう見ても。
日本じゃない。
現代ですらない。
「……いや」
まだ。
分からない。
海外。
観光地。
映画のセット。
そういう可能性だって――。
ふと。
空を見上げた。
夕暮れ。
橙色に染まり始めた空。
そこに。
白い月が浮かんでいた。
「…………」
月。
そして。
その少し離れた場所に。
もう一つ。
青白い月。
「…………え?」
数える。
一つ。
二つ。
「月……二つあるんだけど」
しばらく。
動けなかった。
もう一度見ても。
やっぱり二つある。
俺の知っている空じゃない。
俺の知っている世界じゃない。
最後まで残っていた。
何か説明があるんじゃないかという期待が。
そこで。
完全に消えた。
「……異世界」
今度は。
冗談ではなかった。
死んだはずの俺が。
若い身体で。
知らない森に目覚めた。
その先には城があり。
空には二つの月がある。
意味なんて。
分からない。
どうして俺なのかも。
ここがどこなのかも。
何一つ。
分からない。
でも。
遠くには街がある。
少なくとも。
人はいる。
「……行くしかないか」
怖い。
不安しかない。
それでも。
ここに立っているだけじゃ始まらない。
俺は。
城壁の向こうに見える街へ向かって。
歩き始めた。
◇ ◇ ◇
その時。
俺の知らない場所で。
静かに。
記録だけが流れていた。
【候補者――確保】
【魂魄固定――正常】
【世界律との接続――】
【――失敗】
一度。
表示が止まる。
【対象を監視します】
そして。
誰にも見られることなく。
記録は消えた。




