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神々は無職を選んだ  作者: 夜凪 灯
第一章 七柱と無職
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17/71

神託ログ17 聞く神なくば、火を起こせ

【レン】


『初めまして』


一拍。


『レン』


「…………」


森の中。


俺は、自分の名前から届いた通知を見つめていた。


七柱との神託は途絶えたまま。


目の前には、俺を心配して駆け寄ってきた三人の旅人。


倒れた大木。


その向こうには、音の消えた森が続いている。


状況だけでも十分おかしい。


なのに。


一番おかしいものが、俺の手の中にあった。


「……誰だ」


【レン】


『レン』


「それは俺だよ」


『知ってる』


「じゃなくて、お前が誰か聞いてんの」


返事はなかった。


「おい」


【レン】


『レン』


「だからそれ俺!」


『知ってる』


「会話する気ある!?」


思わず声が大きくなった。


「おい、兄ちゃん」


旅人の一人が怪訝そうに俺を見る。


「さっきから誰と喋ってるんだ?」


「あ」


そうだった。


傍から見れば俺は、森の中で一人、端末に向かってキレている男だ。


「神様です」


「神様?」


「……今の忘れてください」


最近、このパターン多いな。


旅人は不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞かなかった。


「とにかく、ここを離れよう。さっきから妙だ」


「妙?」


「ああ」


三人のうち、弓を背負った男が森の奥を見る。


「静かすぎる」


俺も耳を澄ませた。


風が木々を揺らしている。


葉が擦れる音はする。


でも。


鳥が鳴かない。


虫も鳴かない。


昨日、荷馬車の男から聞いた言葉が蘇る。


――鳥も、獣も、妙に避けてる。


「……やっぱり」


気のせいじゃない。


この森。


何かある。


――ピコン。


【レン】


『三人から離れろ』


「…………」


画面を見る。


「なんで?」


返事はない。


「理由くらい言えよ」


『離れろ』


「だから――」


「兄ちゃん?」


旅人が振り返る。


「行くぞ」


三人を見る。


普通の人たちにしか見えない。


俺を助けに来てくれた。


疑う理由なんてない。


なのに。


【レン】


『離れろ』


また同じ通知。


昨夜。


こいつは俺に『西へ』と言った。


『七柱には、言うな』とも言った。


そしてさっき。


『止まれ』と言った。


俺は無視した。


直後、目の前に木が倒れた。


結果だけ見れば。


こいつに助けられた。


信用していいのか?


分からない。


こんな時こそ、七柱に聞きたい。


ガルド。


フィリア。


セレナ。


ノア。


誰でもいい。


「セレナ」


呼ぶ。


何も来ない。


「ガルド」


沈黙。


「エリオス!」


駄目だ。


画面には、俺の名前しかない。


その時。


旅人の一人が俺の腕を掴んだ。


「何してる。早く――」


――ピコン。


【レン】


『触らせるな』


「え?」


男の手を見る。


普通の人間の手。


俺の腕を、しっかりと掴んでいる。


でも。


「…………」


冷たい。


人の体温じゃない。


「……っ!」


反射的に腕を振り払った。


「何するんだ!」


男が声を荒らげる。


俺は一歩下がった。


何がおかしい?


服。


荷物。


武器。


顔。


三人とも、どこにでもいそうな旅人だ。


考えろ。


見ろ。


ヴォルグに何度も言われた。


目の前だけを見るな。


フィリアにも教わった。


違和感を無視するな。


もう一度。


三人を見る。


そして。


足元で視線が止まった。


木々の隙間から陽が差している。


俺の影。


ある。


倒れた木の影。


ある。


なのに。


三人の足元には。


何もない。


「…………影がない」


そう口にした瞬間だった。


三人から、表情が消えた。


さっきまで心配そうにこちらを覗き込んでいた男が、無言のまま首を傾ける。


ゆっくり。


人間なら痛みを感じるはずの角度を越えても、まだ止まらない。


ぞわりと、背中が粟立った。


「……嘘だろ」


――ピコン。


【レン】


『走れ』


言われるまでもなかった。


俺は踵を返した。


直後、背後で何かが地面を抉る。


振り返らない。


木々の隙間を縫うように走りながら、ただ前だけを見る。


七柱の声はない。


ガルドも。


フィリアも。


セレナも。


誰もいない。


聞こえるのは、自分の荒い呼吸と、すぐ後ろから迫ってくる足音だけだった。


一つ。


二つ。


三つ。


距離が縮まっている。


「速すぎるだろ……!」


右へ曲がった瞬間、頬の横を黒い何かが掠めた。


一拍遅れて、前方の木の幹が弾け飛ぶ。


「…………」


当たったら。


死ぬ。


その事実だけが、異様なほど鮮明に頭へ入ってきた。


走る。


肩が痛む。


呼吸が苦しい。


それでも足を止められない。


やがて木々が途切れ、視界が開けた。


「っ……!」


そこで。


足が止まった。


崖。


下を覗く余裕なんてない。


落ちれば助からない。


「……最悪」


背後で枝が鳴った。


一人。


また一人。


旅人だったものが森から姿を現す。


もう人間のふりをする気はないらしい。


腕は不自然に長く伸び、皮膚の下では黒い筋が脈打っている。


三人目が現れた時。


完全に囲まれた。


逃げ道は、ない。


俺は木剣を抜いた。


震える手で構える。


「来るなら……来い」


一体が地面を蹴った。


速い。


木剣を振り抜く。


――ガンッ!


硬い。


人間を殴った感触じゃない。


衝撃で手首が痺れ、木剣が大きく弾かれた。


「っ!」


次の一撃を身体ごと避ける。


頬を風が裂いた。


続けて二体目。


受ける。


ミシッ。


木剣から、嫌な音がした。


「ヴォルグ……!」


呼んでから。


気づく。


返事なんて。


来ない。


三体目が迫る。


避けきれない。


腕で顔を庇った瞬間、身体が吹き飛んだ。


背中から地面へ叩きつけられる。


肺から空気が抜けた。


「か……っ」


立て。


頭では分かっている。


でも。


身体が動かない。


一体が、ゆっくり近づいてくる。


口元だけが笑っていた。


俺は木剣を探した。


少し離れた場所。


届かない。


逃げる道もない。


七柱もいない。


「…………」


やばい。


今までとは違う。


誰かが助けてくれると思っていた。


どこかで。


神様がいるから大丈夫だと。


勝手に思っていた。


でも。


今は。


本当に。


誰もいない。


男だったものが、腕を振り上げる。


黒く伸びた指先が、刃物のように光った。


死ぬ。


その瞬間。


なぜか。


セレナの声を思い出した。


◇ ◇ ◇


――数日前。


『あんた、魔力の流れが雑なのよ』


「俺、魔力あるの?」


『あるわよ』


セレナは、何を当たり前のことを聞いているんだという調子で答えた。


『生きてるんだから』


「じゃあ魔法も使える?」


『理屈ではね』


「教えてよ」


『そのうち』


「そのうちっていつ?」


『そのうちよ』


「便利な言葉だな!」


◇ ◇ ◇


あの時は。


それだけだった。


でも。


ある。


俺の中にも。


魔力が。


目の前。


腕が振り下ろされようとしている。


俺は右手を突き出した。


魔法なんて使えない。


習ってもいない。


やり方も知らない。


それでも。


他に。


何がある?


剣は駄目。


逃げられない。


助けも来ない。


「…………頼む」


何でもいい。


火でも。


水でも。


風でも。


今。


こいつを止められるなら。


「出ろ……!」


何も起こらない。


敵の腕が振り下ろされる。


「出ろ!!」


まだ。


何も。


「頼むから――!」


胸の奥。


一瞬。


熱が走った。


「……っ!」


あった。


何かが。


確かに。


そこにある。


掴む。


右手へ。


無理やり引っ張る。


指先が焼けるように熱くなる。


敵が目の前まで迫る。


間に合え。


「燃えろ!!」


――ボッ。


小さな炎が、手のひらに灯った。


敵の動きが。


止まった。


「…………」


俺も。


止まった。


揺れる。


小さな。


赤い火。


「……出た」


感動している暇なんて、本当はない。


それでも。


一瞬だけ。


笑ってしまった。


「俺、魔法使ってる……」


――ピコン。


【レン】


『今それ言ってる場合?』


「分かってるよ!」


炎を前へ突き出す。


すると三体が、一斉に距離を取った。


「……怖いのか?」


初めて。


相手が。


俺から逃げた。


その瞬間。


頭の中で何かが切り替わった。


倒せなくていい。


逃げられればいい。


足元には、乾いた落ち葉。


「これなら……!」


炎を地面へ落とす。


ぱちっ、と葉が燃え上がった。


小さな炎が横へ広がり、三体との間に一本の火の線ができる。


奴らが。


止まる。


道が。


開いた。


「よし!」


俺は木剣を拾い上げると、その隙間を一気に駆け抜けた。


◇ ◇ ◇


どれだけ走ったのか分からない。


ただ。


森を抜けた瞬間。


世界に音が戻った。


鳥の声。


風に揺れる草。


遠くから聞こえる町の喧騒。


「……出た」


膝をつく。


肺いっぱいに空気を吸い込んだ。


生きてる。


頬は痛い。


肩も痛い。


手も痺れている。


それでも。


生きている。


そして。


俺は右手を見た。


もう炎はない。


でも。


確かに。


この手から出た。


「…………」


怖かった。


死ぬと思った。


それでも。


口元が少し緩んだ。


「俺……」


もう一度。


右手を開く。


「本当に魔法使ったんだ」


その時だった。


――ピコン!!


【生命神フィリア】


『レンくん!!』


「フィリア!」


思わず声が出た。


続けて。


――ピコン。


【戦神ガルド】


『レン!!!!』


「ガルド!」


『無事か!!!!』


「たぶん!」


【生命神フィリア】


『“たぶん”では分かりません! 怪我は!?』


「頬と肩!」


『肩!?』


「あ、肩は昨日から!」


『そういう問題ではありません!』


うるさい。


めちゃくちゃ。


うるさい。


さっきまで。


あんなに静かだったのに。


「…………」


なのに。


ちょっと。


安心した。


【魔法神セレナ】


『レン』


「セレナ!」


返事はない。


「どうした?」


『…………』


「セレナ?」


ようやく。


通知。


『あんた』


少し間があった。


『何したの?』


「え?」


『今』


いつもの軽い調子じゃない。


『魔力が動いた』


「…………」


分かるんだ。


さすが。


魔法神。


俺は少しだけ得意になって、右手を見せた。


「実は」


「魔法、使った」


沈黙。


「セレナ?」


『…………は?』


「だから」


「火」


「出した」


さらに。


沈黙。


「ちっちゃかったけど」


『誰に』


「え?」


『誰に教わったの?』


「誰にも」


『そんなわけないでしょ』


「本当に」


『魔力の流し方は?』


「なんとなく」


『術式は?』


「知らん」


『属性固定は?』


「何それ」


『発火点の指定は?』


「だから何それ」


止まった。


完全に。


セレナから通知が来なくなった。


「……セレナ?」


――ピコン。


『ちょっと待って』


「何?」


そして。


爆発した。


『待って待って待って待って、あんた今“なんとなく”って言った? 魔力の循環も知らない、術式も組んでない、属性固定もしてない、発火点すら指定してない、それで火を出した? いや無理でしょ、無理なのよ。魔法っていうのは願ったら出てくる便利な現象じゃないの。魔力を認識して、流して、属性へ変換して、術式を通して現象として固定するの。分かる? 分からないでしょうね、教えてないもの。そう、教えてないのよ私! なのに何で使えてるの!? というか何で私が教える前に勝手に初魔法済ませてるのよ!!』


「最後そこ!?」


『どんな火だった!?』


「小さい」


『色!』


「赤っぽい」


『温度!』


「知らん!」


『形!』


「火!」


『火の形って何よ!!』


「こっちが聞きたいわ!」


『もう一回!』


「え?」


『出して! 今すぐ!』


「分かった」


右手を出す。


さっきの感覚。


胸の奥。


熱。


それを。


右手へ。


「…………」


出ろ。


「…………」


何も出ない。


『レン?』


「ちょっと待って」


もう一回。


「…………」


何も。


『まさか』


「出ない」


『なんでよ!!』


「俺が聞きたい!!」


――ピコン。


【戦神ガルド】


『気合いだ!!!!』


「急に入ってくんな!」


【魔法神セレナ】


『ガルドは黙ってて!!』


『なぜだ!!!!』


『魔法の話だからよ!!』


いつもの。


やり取り。


俺は思わず笑った。


その時。


――ピコン。


別の通知が。


重なった。


【レン】


『七柱には、言うなって言っただろ』


「…………」


笑いが止まった。


セレナはまだ何か言っている。


ガルドも騒いでいる。


フィリアは怪我を見せろと言っている。


でも。


俺には。


その文字しか見えなかった。


【レン】


『まあいい』


一拍。


『その火』


嫌な予感がした。


『本当に、お前が出したと思ってる?』


「…………」


背中に。


冷たいものが走った。


「どういう意味だ」


返事はない。


「おい」


【レン】


『またな』


「待て!」


通知が消えた。


履歴を開く。


ない。


また。


何も残っていない。


「…………」


右手を見る。


俺が。


出した。


はずだ。


確かに。


身体の奥に何かを感じた。


それを右手へ動かした。


そして。


炎が生まれた。


なのに。


――本当に、お前が出したと思ってる?


「…………」


――ピコン。


【魔法神セレナ】


『レン』


「え?」


『明日』


セレナから届いた言葉は。


いつもの強気なものだった。


『私が一から教える』


「魔法?」


『そう』


少し間を置いて。


もう一通。


『あんたが今日使ったものが』


『本当に魔法なのかも含めてね』


「…………」


風が吹いた。


俺は。


右手を握った。


初めて使った。


魔法。


嬉しかった。


間違いなく。


嬉しかった。


なのに。


今は。


少しだけ怖い。


俺は今日。


何を使った?


その答えを。


魔法神でさえ。


まだ知らなかった。

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