悪役令嬢、民衆の前に立つ
王宮地下へ向かう階段の前で、私は止められた。
止めたのは、王宮記録局の老記録官だった。
白い髭、曲がった背中、そして手に持った鍵束。
鍵束が、妙に多い。
この王宮、扉が多すぎる。
秘密を隠す建築思想は、だいたい維持費で燃える。
「リディア・ノートン殿」
「はい」
「地下記録庫への立ち入りは、現在、封鎖されています」
「誰の命令ですか」
「宰相府です」
「具体的な命令者名を」
老記録官は少し黙った。
その沈黙に、私は嫌な火の色を見た。
【火種:責任者不明の封鎖】
【火種:王宮地下隠蔽疑惑】
【火種:会見前情報遮断】
【火種:ベルク先行整理】
胃が鳴った。
比喩ではない。
正確には、胃が「この案件は予算外です」と抗議した。
「命令書はありますか」
「あります」
「見せてください」
老記録官は一枚の紙を差し出した。
そこにはこうあった。
『混乱を避けるため、旧広報記録庫および関連地下設備への一時立ち入りを制限する』
混乱を避けるため。
私は思わず、横にいるカイル様を見た。
彼の表情が消えていた。
剣には触れていない。
けれど、空気が冷えた。
「カイル様」
「わかっている」
短い。
でも、逃げていない。
彼は剣から手を離したまま、紙を見ていた。
私は命令書の下部を確認する。
署名は宰相府管理官。
だが、筆跡は代筆。
印章は正規。
時刻は会見開始の三刻前。
責任者欄には、こうある。
『情勢整理室判断』
個人名がない。
ベルク様らしい。
嘘はつかない。
けれど、人の名前を消す。
「記録官殿。この命令書の写しを三部。会見資料に加えます」
老記録官の眉が上がった。
「公開なさるのですか」
「はい。封鎖した事実を隠すと、封鎖理由が勝手に書かれます」
「しかし、地下の内容については」
「内容は未確認として扱います。封鎖の事実と命令系統は公開します」
老記録官は深く息を吐いた。
「若い方は、燃えるものをよく持ち歩きますな」
「紙と事実です。どちらもよく燃えます」
老記録官は一瞬だけ笑った。
そして、笑いをすぐに消した。
「では、写しを用意しましょう」
「ありがとうございます」
私は階段の奥を見た。
地下から、冷たい風が上がってくる。
その先に、何かがある。
ベルク様はそこへ向かった。
でも今、私が無理に地下へ入れば、会見そのものが壊れる。
王都はすでに燃えている。
公爵邸。
北門。
神殿前。
市場。
水晶掲示板。
火はあちこちで上がっている。
今必要なのは、地下の扉をこじ開けることではない。
まず、地上の人々へ返事をすることだ。
「会見場へ戻ります」
私が言うと、カイル様は頷いた。
「地下は」
「封鎖の事実を記録しました。今は、それ以上を無理に取りに行くと、こちらが『地下を奪いに行った』ことにされます」
「面倒だ」
「はい。とても」
「斬れないのか」
「地下階段は斬らないでください。修繕費も火種です」
「……概念だけにする」
「概念も後でお願いします」
私たちは引き返した。
王宮の廊下は、いつもより長く感じた。
窓の外では、王都の灯りが揺れている。
灯りなのか、松明なのか、火事なのか、遠くからではわからない。
わからないものは、人を不安にする。
不安は、見出しに似ている。
中身を確かめる前に、心を動かす。
会見場に戻ると、広報局員たちが紙束を抱えて走っていた。
普段なら「走らないでください、転んだら労災です」と言うところだが、今は私も走りたい。
ただし、会見場で息を切らす広報官は最悪だ。
私は歩いた。
すごく速く歩いた。
ほぼ走っていた。
でも心は歩いていた。
言い訳である。
「リディア様!」
セーラが駆け寄ってくる。
「会見場、準備できました。灯火新聞、王宮記録局、各社記者、神殿監察官、北門代表、公爵家代理、王宮警備、全員入っています」
「民衆は」
「会場外広場に多数。水晶中継を設置済みです」
「暴発しそうな火種は」
「全部です」
「簡潔で助かります」
助からない。
私は手元の要点版を確認する。
地下封鎖命令書の写しが追加された。
会見台本はさらに厚くなった。
これ、もう台本ではなく王宮建築の耐震補強材に使える。
カイル様が横から紙束を見て言った。
「増えたな」
「増えました」
「武器だ」
「ある意味では」
「持つ」
「ありがとうございます。でも会見中に台本を構えると威圧です」
「では置く」
「はい。そっと」
カイル様は本当に、そっと置いた。
会議机が割れなかった。
成長である。
褒めるべきか悩んだが、今褒めると彼が少し誇らしげになり、周囲の緊張が妙な方向へ逸れるのでやめた。
「リディア」
呼ばれて振り向く。
エレオノーラ様が立っていた。
深い青のドレス。
公爵邸前で着ていたものより、少しだけ明るい。
喪服ではない。
謝罪服でもない。
戦装束でもない。
けれど、逃げる人の服ではなかった。
手袋は白。
耳飾りは小さな真珠。
髪はきっちりまとめられている。
完璧だ。
いや、完璧に見えるようにしている。
私は彼女の左手を見る。
指先が、ほんの少しだけ手袋の縁を押さえていた。
公爵邸の門前で、小石が足元に落ちた時と同じ仕草。
彼女は怖い。
それでも立つ。
「エレオノーラ様」
「顔色が最悪ですわ」
「ありがとうございます。今日一番欲しくなかった褒め言葉です」
「褒めておりません」
「知っていました」
エレオノーラ様は私の手元の台本を見た。
「ずいぶんと厚い台本ですこと」
「はい。人を殴れる厚さです」
「物理はおやめなさい」
「皆さん同じことを言いますね」
「あなたの周囲に常識人が多くて幸いですわ」
私は台本の一枚目を差し出した。
「エレオノーラ様の発言順です。最初に、確認済み事実を三点。その後、ご自身が悪役令嬢と呼ばれた件について。最後に、民衆の不安を否定せず、暴力を拒む言葉を」
「読ませていただきますわ」
彼女は紙を受け取った。
目を通す速度が早い。
そして、三行目で止まった。
「リディア」
「はい」
「ここ」
彼女が指したのは、私の文だった。
『私は、一連の報道により名誉を傷つけられました』
「正しいです」
「正しいですわね」
「では」
「でも、少し綺麗すぎます」
胸が痛む。
まただ。
私はまた、傷を文章に収まりやすく整えようとした。
「申し訳ありません」
「謝るのは後でよろしいです」
エレオノーラ様は、私の赤筆を取った。
そして、その一文に線を引く。
代わりに書いた。
『私は、悪役令嬢という言葉で、何度も人間扱いされませんでした』
喉が詰まった。
強い。
でも、綺麗ではない。
だから本当だ。
「こちらで」
エレオノーラ様が言う。
「……燃えます」
「燃えますわね」
「ですが、削りません」
「よろしい」
彼女は微笑んだ。
いつもの、完璧な微笑み。
けれど、ほんの少しだけ唇の端が硬い。
「それと」
「はい」
「私が詰まっても、助け舟を出さないこと」
「覚えています」
「記者が騒いでも?」
「止めません」
「群衆が笑っても?」
「止めません」
「私が泣きそうでも?」
私は息を止めた。
彼女の目は、私を試しているわけではなかった。
本当に、聞いていた。
私は少しだけ時間を置いて答えた。
「……止めません」
エレオノーラ様は頷いた。
「それで結構です」
「でも、危険になったら止めます」
「ええ。それは仕事ですもの」
「はい」
「感情と危険を、取り違えないで」
刺さる。
今日は胸に刺さる言葉が多い。
心臓がもう掲示板みたいになっている。
全部の投稿が刺さっている。
「善処します」
「私の台詞ですわ」
「お借りしました」
彼女は小さく笑った。
そして会見場の扉を見る。
扉の向こうから、ざわめきが聞こえる。
記者たち。
王宮関係者。
貴族。
神殿関係者。
そして水晶の向こうの民衆。
今夜、彼女はまた「見られる」。
悪役令嬢として。
公爵令嬢として。
疑惑の当事者として。
強い女として。
誰かが勝手に貼った名前の下で。
「エレオノーラ様」
「何かしら」
「怖いですか」
聞いた瞬間、しまったと思った。
遅い。
今聞くことではない。
会見直前だ。
でも、エレオノーラ様は怒らなかった。
ただ、少しだけ目を伏せた。
「怖いですわ」
静かな声だった。
「怖いです。でも、怖くない顔は得意です」
それは自慢ではなかった。
技術の説明だった。
貴族の娘として、生き延びるために身につけた技術。
泣かない技術。
笑う技術。
傷を隠す技術。
強く見える技術。
私は何も言えなかった。
言葉を仕事にしているくせに、こういう時いつも、役に立つ言葉が見つからない。
だから、代わりに頷いた。
エレオノーラ様は少しだけ満足そうにした。
「では参りましょう。悪役令嬢の台本は、上質でなければ」
扉が開いた。
光と声が押し寄せる。
会見場は、王宮の大広間だった。
普段は叙任式や貴族の式典に使われる場所。
今日は中央に長い卓が置かれ、背後に王宮記録局の紋章、灯火新聞の立会札、公爵家の封印写し、北方辺境伯家の非出兵証明、神殿監察官の確認印が並んでいる。
情報の祭壇みたいだ。
嫌な祭壇である。
前方には記者席。
壁際には水晶中継。
外の広場へ向けて、大型の音響水晶が設置されている。
ざわめきが、波のように来る。
「公爵令嬢だ」
「悪役令嬢」
「反逆はどうなった」
「石を投げた奴、捕まったのか」
「王宮は何を隠してる」
「神殿の件は」
「北門を開けろ」
声が混ざる。
ひとつひとつは人の声。
でも集まると、火の音に似る。
私は火種を見る。
【火種:悪役令嬢再燃】
【火種:貴族への怒り集中】
【火種:公爵家反逆疑惑再拡大】
【火種:民衆侮辱印象】
【火種:エレオノーラ発言切り抜き】
【火種:王宮責任回避疑惑】
多い。
多すぎる。
火種が花畑みたいに咲いている。
地獄の花壇だ。
私は壇上の横に立つ。
本来なら、私が進行をする。
けれど最初の発言者は、エレオノーラ様だ。
これは彼女の選んだ舞台。
私が奪ってはいけない。
エレオノーラ様が一歩前に出た。
ざわめきが、少しだけ大きくなる。
彼女はそれを待った。
止めない。
怒らない。
笑わない。
ただ、立つ。
その姿勢だけで、広間の声が一段下がった。
貴族の教育、すごい。
でも、彼女がこの姿勢を身につけるまでに、どれだけの沈黙を飲み込んだのかと思うと、胸が痛い。
「グランフェルト公爵家令嬢、エレオノーラ・グランフェルトです」
声は澄んでいた。
外の広場へも、水晶を通して届く。
「まず、確認済みの事実を申し上げます」
彼女は紙を見なかった。
「一つ。グランフェルト公爵家が王都武器庫と接触した記録は存在します」
記者席がざわつく。
彼女は続ける。
「二つ。その接触は、三日前に行われた儀礼用剣十二本の点検および返却に関するものです。王都武器庫、王宮記録局、灯火新聞、公爵家の四者確認により、反逆準備を示す記録は確認されておりません」
灯火新聞の編集長が頷く。
「三つ。公爵邸前での門前集合、投石、使用人呼び出し要求は、いずれも疑惑確認の手続きではありません」
少し強い。
火種が揺れる。
【火種:民衆叱責印象】
私は反射的に一歩出そうとして、止まった。
だめ。
まだだ。
これは彼女の言葉だ。
エレオノーラ様は、ざわめきを受け止めてから、静かに言った。
「ただし」
広間が少し静まる。
「皆さまが不安になったことを、愚かだとは申しません」
記者の羽ペンが止まる。
「貴族の屋敷は高い塀に囲まれています。門は重く、窓は遠い。中で何が行われているのか、外からは見えません。見えないものを怖いと思うのは、自然なことです」
私は息を呑んだ。
彼女は、民衆を責めなかった。
でも、自分の家の塀を正当化もしなかった。
「私たち貴族は、しばしば『信じなさい』と言います。ですが、見えない場所から信じよと言われる側の不安を、十分に考えてきたとは言えません」
貴族席がざわついた。
そちらにも火種が浮く。
【火種:貴族層反発】
【火種:公爵家弱腰印象】
エレオノーラ様は続ける。
「けれど、不安があることと、石を投げてよいことは違います」
今度は民衆側のざわめき。
「門を叩けば、真実が早く出てくるわけではありません。使用人を引きずり出せば、記録が増えるわけではありません。怖いからといって、目の前にいる誰かを疑惑そのものにしてよいわけではありません」
強い。
でも、逃げていない。
私は火種を見る。
燃え上がりそうな火が、何度も揺れて、少しだけ下がる。
人は、叱られると燃える。
でも、理解された後に線を引かれると、燃え方が変わる。
完全には消えない。
けれど、一瞬、考える余地ができる。
エレオノーラ様は、そこで一枚の紙を机に置いた。
「ここからは、私自身の話をいたします」
空気が変わった。
私は背筋を伸ばす。
ここからだ。
悪役令嬢という言葉。
彼女の傷。
そして、私が助け舟を出してはいけない場所。
「私は、悪役令嬢と呼ばれました」
ざわめき。
「初めてそう呼ばれた時、私は怒るべきだったのだと思います」
彼女は微笑まなかった。
「けれど、その時の私は、怒るより先に考えました。ここで怒れば、やはり悪役だと書かれる。泣けば、芝居だと書かれる。黙れば、冷たいと書かれる。笑えば、反省がないと書かれる」
記者席の数人が視線を落とした。
「ですから、私は姿勢を正しました。背筋を伸ばし、手袋を整え、何も傷ついていない顔をしました」
彼女の左手が、手袋の縁に触れた。
小さな仕草。
きっと、会場の大半は気づかない。
でも私は見た。
「そうしたら、皆さまは私を強い女だと思いました」
エレオノーラ様の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「強い女は、傷つかないのだと」
広間が静まった。
私は喉が詰まった。
助け舟を出したくなる。
ここで補足したい。
『エレオノーラ様は被害者です』
『彼女への誹謗中傷は不当です』
『泣かないことを冷たさと見なすべきではありません』
いくらでも言葉が浮かぶ。
でも、どれも私の言葉だ。
今は、彼女の沈黙を奪わない。
「悪役令嬢という言葉は、便利でした」
エレオノーラ様は言う。
「私を知らない人も、その言葉を使えば私を理解した気になれます。私が何を言っても、悪役らしいと言えます。私が何も言わなくても、図星だから黙ったと言えます」
彼女は一度、息を吸った。
その息が、少しだけ震えた。
私は指先を握りしめる。
出るな。
助けるな。
信じろ。
「私は――」
エレオノーラ様の声が止まった。
ほんの一瞬。
本当に一瞬。
けれど会場はそれを逃さない。
記者の羽ペンが止まる。
外の広場からも、ざわめきが伝わる。
私は一歩も動かなかった。
カイル様がこちらを見た。
私が動かないのを見て、彼も動かなかった。
エレオノーラ様は、ゆっくりと目を伏せた。
そして、もう一度顔を上げた。
「私は、傷つきました」
たった一文。
美しく飾っていない。
貴族の格式も、社交界の比喩もない。
ただ、それだけ。
「悪役令嬢と呼ばれて、傷つきました。冷たい女だと言われて、傷つきました。泣かないのは心がないからだと書かれて、傷つきました」
声は震えていた。
でも、崩れなかった。
彼女は泣かなかった。
泣けなかったのではない。
泣かないことを、今は自分で選んでいる。
「私は、悪役ではありません」
エレオノーラ様は言った。
「ですが、皆さまの不安を悪役にするつもりもありません」
広間の空気が、少し変わった。
「公爵家を疑うなら、記録を求めてください。貴族を疑うなら、制度を問うてください。王宮を疑うなら、返事を求めてください」
私は顔を上げた。
返事。
その言葉が、ここで出た。
「ですが、石を投げる前に、少しだけ考えてください。その石が当たるのは、疑惑ではありません。人です」
外の広場のざわめきが遠くなった気がした。
いや、静かになったわけではない。
怒りはまだある。
不安もまだある。
でも、声の温度が少し下がった。
火が、酸素を失った時のように。
エレオノーラ様はそこで、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「それから」
来た。
軽口の気配。
「私を悪役にするなら、せめて台本は上質に」
会場の一部が、思わず笑った。
記者席からも小さな笑い。
外の広場でも、ぽつぽつと笑いが起きた。
笑いは、火を完全には消さない。
でも、怒りの肩を少しだけ下げる。
「雑な悪役扱いは、こちらの美意識に反しますわ」
また少し笑い。
私は思わず、口元を押さえた。
エレオノーラ様、ここで観客を取りにいった。
しかも成功した。
悪役令嬢、舞台慣れしすぎである。
ただし、笑いが落ち着いた後、彼女はもう一度真顔に戻った。
「本日の会見では、公爵家、北方、神殿、王宮に関わる複数の情報について、確認済みの事実と未確認情報を分けて説明します」
彼女は私を見なかった。
私に頼らず、言葉を続けた。
「私からお願いすることは一つです」
会場が静かになる。
「怒るなら、返事を求めてください。人を壊して、答えを得た気にならないでください」
その一文で、火種がいくつか弱まった。
【火種:民衆侮辱印象】が細くなる。
【火種:悪役令嬢再燃】が揺らぐ。
【火種:貴族への怒り集中】はまだ残る。
消えない。
でも、弱まった。
私は胸の奥で息を吐いた。
エレオノーラ様は最後に軽く礼をした。
「以上です」
一拍。
広間は静かだった。
次に、ざわめき。
それから、拍手がひとつ。
誰が最初に叩いたのかはわからない。
灯火新聞の編集長かもしれない。
公爵家の使用人かもしれない。
外の広場の誰かかもしれない。
拍手は大きくはならなかった。
会見場は、拍手で解決する場所ではない。
それでいい。
拍手より、沈黙の方が正直な時もある。
エレオノーラ様が席へ戻る。
私はその横顔を見る。
美しい。
強い。
でも、白い手袋の指先は震えていた。
私は何も言わなかった。
彼女が望んだから。
そして、信じたから。
エレオノーラ様は席に着く直前、私の横を通り過ぎながら小さく言った。
「助け舟なし、合格ですわ」
「心臓に悪かったです」
「私もです」
それだけ言って、彼女は座った。
私は頷きそうになって、止めた。
今は進行しなければならない。
会見はまだ第一幕だ。
公爵家の火は少し弱まった。
だが、王都全体はまだ燃えている。
次は、ミリア様。
聖女候補。
広告塔。
被害者。
利用された少女。
そして、自分が「選ばれたかった」と認めた人。
彼女が今度は、嘘の聖女をやめる番だった。
私は壇上の中央へ進み、記録水晶に向かって言った。
「続いて、ミリア・セレス様より発言があります」
会場の空気が、また変わる。
神殿関係者が身じろぎする。
記者たちが羽ペンを構える。
外の広場から、誰かが叫んだ。
「聖女様!」
別の声が返す。
「言わされてるんじゃないのか!」
火種が再び浮かぶ。
【火種:聖女再神格化】
【火種:言わされている疑惑】
【火種:神殿責任転嫁】
【火種:ミリア個人攻撃】
【火種:被害者像固定】
私は台本を握る。
ミリア様は、壇上の袖に立っていた。
白い衣装ではない。
神殿の聖女服でもない。
淡い灰色の簡素な服。
髪飾りも、祈りの布もない。
ただの少女に見える。
けれど、ただの少女として立つことこそ、彼女には難しかった。
ミリア様は私を見る。
私は小さく頷いた。
言葉を渡さない。
でも、ここにいると伝える。
ミリア様は両手で紙を握った。
そして、一歩、壇上へ上がった。
彼女の最初の言葉は、いつもの癖で始まりかけた。
「皆さまのために――」
そこで、ミリア様は止まった。
会場中が息を呑む。
彼女は紙を見下ろす。
そして、ゆっくり顔を上げた。
次に出る言葉は、台本ではない。
少なくとも、神殿の台本ではなかった。




