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王宮炎上対応係の私、婚約破棄会見を止めたら無口な辺境伯に溺愛されました 〜王太子殿下、その発言は国が燃えます〜  作者: 磯辺
王都大炎上

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辺境伯出兵の誤報

 門は、閉じただけで見出しになる。


 私はその事実を、今夜ほど嫌というほど思い知ったことはない。


 王都北門が一時閉鎖された。


 理由は、北門警備隊から届いた一文。


『混乱を避けるため、王都北門を一時閉鎖』


 混乱を避けるため。


 その言葉は、便利すぎる。


 便利すぎる言葉は、だいたい人を傷つける。


「門を閉じた事実が、噂の証拠になります」


 私は机に両手をついた。


 公爵邸前の対応で、まだ手が震えている。


 エレオノーラ様の足元に転がった小さな石。


 あの乾いた音が、耳から離れない。


 けれど、次の火は待ってくれない。


 水晶板には、北門周辺の状況が次々に映し出される。


『北方辺境伯軍、王都へ進軍か』


『黒鷲旗を掲げた一団、北門付近に出現』


『公爵家救援のため、辺境伯が兵を動かしたとの情報』


『王都北門、緊急閉鎖』


『王宮は反乱を確認したのか』


 嘘だ。


 まだ確認されていない。


 けれど、門が閉じた。


 その事実だけで、噂は鎧を着る。


 私は火種を見る。


【火種:辺境伯軍進軍誤認】


【火種:北門封鎖】


【火種:公爵家救援説】


【火種:共同声明の政治勢力化】


【火種:王都包囲不安】


【火種:商流停止】


【火種:北方差別再燃】


 多い。


 多すぎる。


 できれば火種にも勤務時間を守ってほしい。


「北門の映像、出ます!」


 セーラが叫んだ。


 壁面水晶に、夜の北門が映る。


 高い城門。


 閉じられた鉄扉。


 その前に集まる商隊、荷馬車、帰れない旅人。


 門番たちが槍を持ち、押し寄せる人々を止めている。


 少し離れた路地の角に、黒い旗が揺れていた。


 黒い鳥。


 広げた翼。


 北方辺境伯家の紋章に似ている。


 似ている、だけだ。


 私には区別がつかない。


 しかし、横にいたカイル様の目が細くなった。


「違う」


「違いますか」


「尾羽が五本」


「そこですか」


「正規の黒鷲は七本だ」


 カイル様は低く言った。


「雑だ」


 怒っている。


 けれど、第56話の時とは違う。


 机は割れていない。


 剣にも触れていない。


 怒りが、言葉の内側にいる。


 私はそれに少しだけ安堵し、その直後、自分を叱った。


 安堵している場合ではない。


「北門警備隊へ照会。旗の尾羽数、紋章向き、旗布の材質、旗竿の刻印を確認してください」


「尾羽数まで公式照会に入れますか?」


「入れます。今夜から全員黒鷲検定です」


「嫌な検定ですね」


「合格しないと国が燃えます」


 セーラが青ざめながら書き取る。


 私は別紙を引き寄せた。


 第一報を出す。


 まずは、進軍を断定させない。


 ただし、早く否定しすぎてもいけない。


 王都北門付近に、北方領籍の者が一切いないとは限らない。


 もし商隊や荷馬車があれば、あとで「嘘をついた」と燃える。


 私は書き始めた。


『北門周辺で流れている「北方辺境伯軍が王都へ進軍している」との情報について、現在、王宮記録局、北門警備隊、北方連絡網に確認を行っています』


『現時点で、北方辺境伯カイル・ヴァレンシュタインが辺境軍の王都進軍を命じた記録は確認されていません』


 ここまでは出せる。


 私は次の一文を書きかけた。


『北方関係者が王都近郊へ入った事実はありません』


「違う」


 カイル様が言った。


 短い声だった。


 私は筆を止める。


「何がですか」


「北方の商隊はいる」


「商隊?」


「薬草商隊。二台。今朝、北門へ向かった」


 私は一瞬、言葉を失った。


 胃が、きゅっと縮む。


 危なかった。


 私は今、燃えない文を急いで書こうとして、嘘を書きかけた。


 正確には、確認不足の否定だ。


 前世で何度も見たやつである。


 あとから事実が出て、謝罪文が増える。


 胃薬が減る。


 信用が死ぬ。


「ありがとうございます」


 私は赤線を引いた。


 それから、言い直す。


『ただし、北方領籍の薬草商隊および荷馬車が北門付近に存在する可能性があります』


『商隊、荷馬車、護衛者の存在は、辺境軍進軍を意味しません』


『軍移動、商隊移動、個人移動を分けて確認します』


 セーラが横から覗き込んだ。


「長いです。でも大事です」


「長くても今は必要です」


 カイル様が私の紙を見て、ぼそりと言う。


「長い」


「読みますか」


「読む」


「ありがとうございます」


「褒めるな」


「読んだだけで褒められる辺境伯様、広報局的には優良案件です」


「不本意だ」


 そのやり取りで、ほんの少しだけ空気が緩んだ。


 けれど、北門の水晶映像は緩まない。


 門の外で怒鳴る声が増えている。


『門を開けろ!』


『軍が来るなら逃がせ!』


『閉じ込める気か!』


『辺境伯が攻めてきたって本当か!』


『黒い旗が見えたぞ!』


 黒い旗。


 それだけで人は走る。


 私は第一報を出した。


 水晶板に文字が流れる。


『北門周辺で流れている「北方辺境伯軍が王都へ進軍している」との情報について、現在、王宮記録局、北門警備隊、北方連絡網に確認を行っています』


『現時点で、北方辺境伯カイル・ヴァレンシュタインが辺境軍の王都進軍を命じた記録は確認されていません』


『ただし、北方領籍の薬草商隊および荷馬車が北門付近に存在する可能性があります』


『商隊、荷馬車、護衛者の存在は、辺境軍進軍を意味しません』


『軍移動、商隊移動、個人移動を分けて確認します』


『門閉鎖の事実を、辺境軍到着の証拠として扱わないでください』


 送信。


 すぐに掲示板が反応する。


『門閉まってるじゃん』


『閉まったなら何かあるんだろ』


『軍移動と商隊移動を分けるの大事そう』


『でも黒鷲旗あったぞ』


『尾羽五本とか言われても知らん』


『黒鷲検定始まった?』


『北方民しかわからんだろ』


『門を開けろ』


『怖いから閉めててくれ』


 反応が割れる。


 当然だ。


 一文で全員を止められるなら、炎上対応係は胃薬を常備しない。


「北方連絡網、つながります!」


 別の広報局員が叫んだ。


 通信水晶が青く光る。


 北方の鐘楼につながった。


 画面に映ったのは、夜の雪道ではなく、古い木の机と、眠そうな鐘守の老人だった。


『こちら北方第二鐘楼。夜中に何だ』


 老人は完全に不機嫌だった。


 カイル様が前へ出る。


「鐘三回」


 老人の顔が変わった。


 眠気が消える。


『噂か』


「王都で、辺境軍進軍の噂」


『動いておらん』


「確認を」


『する』


 老人は横を向き、怒鳴った。


『鐘三回! 起きろ! 王都がまた変な噂で走っとる!』


 変な噂で走っとる。


 表現は雑だが、だいたい正しい。


 通信の向こうで、鐘が鳴った。


 一回。


 二回。


 三回。


 低い音が、雪の夜を渡っていく。


 それは、王都の鐘と違った。


 人を急かす音ではない。


 人を止める音だった。


 カイル様が静かに言う。


「北方では、三回鳴ったら走らない」


「はい」


「集まる。聞く。待つ」


「はい」


「王都は逆だ」


 私は答えられなかった。


 北門の映像では、人々が門へ押し寄せている。


 北方の通信では、村人たちが広場へ集まり始めている。


 同じ噂。


 違う動き。


 噂は人を動かす。


 けれど、どう動くかは、その土地に積み重なった返事の形で変わる。


 北方には、少なくとも「噂なら待て」という返事があった。


 王都には、それがない。


「北方各鐘楼から返答、順次入ります!」


 セーラが紙束を抱えた。


『第一鐘楼、軍移動なし』


『第二鐘楼、軍移動なし』


『第三鐘楼、雪崩警戒中。軍移動なし』


『第四鐘楼、熊出没。軍移動なし』


「熊」


 私は顔を上げた。


 カイル様が眉を寄せる。


「今それは不要だ」


「いえ、必要かもしれません」


「なぜ」


「具体的すぎる情報は、嘘っぽさを減らします」


「熊でか」


「熊でです」


 カイル様は不満そうだった。


 でも、否定はしなかった。


 さらに連絡が続く。


『北方領主館、辺境軍全隊待機記録確認』


『西砦、兵移動なし』


『南補給所、干し肉荷車一台、王都方面へ出発済み。軍ではない』


 私は紙にまとめる。


 北方からの共同確認。


 鐘三回。


 軍移動なし。


 薬草商隊二台。


 干し肉荷車一台。


 熊一件。


 この情報量。


 王都広報局より現場感が強い。


「カイル様」


「何だ」


「北方、広報ができますね」


「できない」


「今できています」


「偶然だ」


「偶然に負ける王宮広報局、泣いていいですか」


「あとにしろ」


「はい」


 私は第二報を書いた。


『北方連絡網より、以下の確認を受領しました』


『第一鐘楼、第二鐘楼、第三鐘楼、第四鐘楼および領主館において、辺境軍の王都進軍命令、出兵記録、大規模移動はいずれも確認されていません』


『北門付近に到着している北方領籍の車両は、薬草商隊二台および干し肉荷車一台です』


『これらは商隊登録済みであり、辺境軍ではありません』


『北門周辺で確認された黒鷲旗について、正規の北方辺境伯家旗とは尾羽数および紋章線が一致していないとの報告があります。現在、現物確認中です』


 ここで私は一度止まった。


 最後の一文。


 入れるか。


 入れれば笑われるかもしれない。


 軽く見えるかもしれない。


 でも、北方から届いた記録の具体性は、誰かの足を止めるかもしれない。


 私は書いた。


『なお、北方第四鐘楼より熊出没の報告がありますが、反乱ではありません』


 カイル様が沈黙した。


 重い沈黙だった。


「……それを入れるのか」


「入れます」


「恥では」


「人が少し笑うなら、今は武器です」


「熊を武器にするな」


「情報戦です」


 カイル様は深く息を吐いた。


「熊は出たが反乱ではない」


「はい」


「変な国だと思われる」


「すでに思われています」


「……そうか」


 送信。


 水晶掲示板が一瞬、止まった。


 そして、爆発した。


『熊は出たが反乱ではない』


『そこ大事?』


『いや大事だろ、熊は反乱しない』


『熊は出るんだ』


『北方怖い』


『辺境軍より熊の方が具体的で笑う』


『薬草商隊と干し肉荷車で王都攻略する気か』


『干し肉荷車は強そう』


『笑わせに来てるだろ』


『でも軍じゃないなら門開けていいんじゃないか』


『黒鷲旗、尾羽五本らしいぞ』


『正規は七本って北方民が言ってる』


『尾羽検定合格者求む』


 笑いが混じった。


 完全な安心ではない。


 けれど、恐怖だけの流れが少し崩れた。


 北門の映像でも、人々の声が変わる。


『薬草商隊?』


『干し肉?』


『じゃあ軍じゃないのか』


『旗は偽物?』


『でも門は閉まってるぞ』


『門番、説明しろ!』


 次は、北門警備隊だ。


 門を閉じた側が、閉じた理由を説明しなければならない。


 説明が遅れれば、門そのものが嘘の証拠になる。


「北門警備隊へ、閉門理由の再表現を要求します」


 私は言った。


「『混乱を避けるため』禁止」


 セーラが頷く。


「禁止語句ですね」


「はい。今夜の禁句です」


「ほかにもありますか」


「『秩序維持のため』も危険です」


 カイル様の横顔が、ほんの少し硬くなった。


 私は続ける。


「『安全確認のため、車両と旗の確認を行っている。完了予定時刻は夜半第二刻。完了後、通行再開可否を発表する』にしてください」


「期限を入れるんですね」


「期限がない保留は、沈黙です」


 それは、私自身への戒めでもあった。


 門を閉じるなら、いつ開けるかを言う。


 答えられないなら、いつ答えるかを言う。


 そうしないと、人は扉を叩く。


 王宮は、何度それを忘れてきたのだろう。


 北門警備隊から、少し遅れて返答があった。


『表現修正に応じる』


『ただし門前の民衆が騒ぎ続ける場合、閉門継続』


 私はその文を見て、眉間を押さえた。


「気持ちはわかりますが、燃えます」


「書き直しますか」


「書き直します」


 私は赤を入れる。


『門前の安全確保が確認でき次第、通行再開判断を行う』


 これなら命令ではなく条件だ。


 人を責めず、状況を示す。


 ただし、これでも不満は出る。


 出るものは出る。


 私は深く息を吸った。


「出してください」


 北門警備隊の修正文が公式板に流れた。


『北門は現在、北門付近で確認された旗および車両の安全確認のため、一時的に通行を停止しています』


『現時点で、辺境軍進軍を確認したための閉門ではありません』


『確認完了予定時刻は夜半第二刻です』


『門前の安全確保が確認でき次第、通行再開判断を行います』


 水晶板の反応は、また割れた。


『最初からそう言え』


『辺境軍じゃないのか』


『でも怖いからまだ出たくない』


『干し肉荷車かわいそう』


『熊情報いる?』


『いる』


『北方は余裕ぶってるな』


『王都が燃えてるのに熊で笑わせるな』


『笑ったら少し落ち着いた』


『黒鷲旗の偽物を誰が置いたんだ』


 その問いが、本当の火元に近い。


 誰が置いたのか。


 誰が、門を閉じるところまで計算したのか。


 誰が、北方の紋章を雑に真似たのか。


 私は答えを知っている気がした。


 けれど、証拠はまだない。


 ここでベルク様の名を出せば、こちらが噂を流す側になる。


 悔しい。


 本当に、悔しい。


 その時、カイル様が紙を一枚差し出した。


「出せ」


 そこには、短い文があった。


『辺境軍は動いていない。俺も命じていない。鐘三回を確認済み。噂なら走るな。』


 私は読んだ。


 何度か読んだ。


 短い。


 でも、今の北門には届く。


 少なくとも、北方を知る者には届く。


「このまま出します」


「長くしないのか」


「補足は別紙で出します」


「俺の言葉は」


「残します」


 カイル様の目が、少しだけ揺れた。


 第79話で、私はこの人の「信じている」を削った。


 守るために。


 隠すために。


 今も危険はある。


 カイル様の言葉は、強い。


 強い言葉は切り取られる。


 けれど、今この一文から逃げると、また彼の言葉を私が私物化することになる。


 私は、紙の端に補足を書いた。


『上記は北方辺境伯本人の発言です』


『補足記録として、北方各鐘楼および領主館からの軍移動なしの確認を添付します』


 送信。


 すぐに反応が返る。


『辺境伯声明きた』


『短い』


『でも今回はわかる』


『噂なら走るな、って北方の言い方?』


『鐘三回だ』


『鐘三回を確認済み、なんか強い』


『俺も命じていない、が本人っぽい』


『辺境伯が命じてなくても兵が勝手に動くかもしれないだろ』


『北方各鐘楼の確認添付あるぞ』


『熊も添付されてる』


『熊を添付するな』


 少し和んだ。


 だが、すべてではない。


 北門の映像では、数人がまだ叫んでいる。


『北方が余裕ぶってるだけだ!』


『王都を馬鹿にしている!』


『本当に進軍してないなら、なぜ門が閉じた!』


『黒鷲旗を置いた奴を出せ!』


 正しい疑問と、怒りと、恐怖が混ざっている。


 言葉は届く。


 でも、全員に同じようには届かない。


 私はその事実を、また机の上に置いた。


 勝利の印ではなく、未処理の記録として。


   ◇


 夜半第二刻。


 北門は、部分的に通行を再開した。


 薬草商隊二台。


 干し肉荷車一台。


 確認済み。


 護衛は三名。


 軍装なし。


 黒鷲旗の偽物は、門から少し離れた路地裏で見つかった。


 尾羽五本。


 紋章線が粗い。


 旗竿に刻印なし。


 使い捨ての、雑な旗。


 雑なのに、王都の門を閉じさせた。


 私はその記録を見て、胃の奥が冷える。


 ベルク様は、完璧な文章だけで人を動かすわけではない。


 雑な旗でもいい。


 人が怖がる場所に置けばいい。


 あとは、王宮が勝手に最悪の反応をする。


 門を閉じる。


 説明を遅らせる。


 混乱を避けるため、と書く。


 それだけで、噂は事実のふりをする。


「リディア」


 カイル様が呼んだ。


「はい」


「門は開いた」


「一部です」


「噂は」


「弱まりました。でも消えていません」


「次は」


 私は答えようとした。


 その時、神殿区からの緊急連絡が飛び込んだ。


 水晶が赤く光る。


 記録官の声が、震えていた。


『神殿前に群衆が集まり始めています』


『元聖女ミリア・セレス様が、神殿付近で襲撃されたとの情報が拡散中』


 部屋の空気が凍った。


 セーラが小さく息を呑む。


「ミリア様は」


 私は聞いた。


 声が少し掠れた。


『現在、王宮記録局保護室にいるはずです。ただし、本人確認の記録水晶が一時的に応答しません』


 火種が、目の前で膨れ上がる。


【火種:元聖女襲撃情報】


【火種:神殿前群衆集合】


【火種:ミリア本人確認不能】


【火種:神殿による怒り誘導】


【火種:聖女復権要求】


【火種:王宮保護失敗疑惑】


 公爵家。


 辺境伯。


 元聖女。


 三つ目の火が、ついに燃えた。


 私は立ち上がる。


 カイル様も動いた。


「行くか」


「行きます」


「剣でか」


「言葉でです」


 そう答えたのに、私の手は震えていた。


 ミリア様は、火の中へ戻ると言った。


 今度は私の言葉です、と。


 でも、本人確認が取れない。


 彼女の言葉が届く前に、彼女の不在が物語にされようとしている。


 私は白紙を取った。


 そこに、まだ何も書けなかった。


 神殿前の鐘が、夜の王都に鳴り始める。


 一回。


 二回。


 三回。


 噂の音が、また人を走らせた。

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