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王宮炎上対応係の私、婚約破棄会見を止めたら無口な辺境伯に溺愛されました 〜王太子殿下、その発言は国が燃えます〜  作者: 磯辺
リディア失脚炎上

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辺境伯の短い声明

 カイル様の声明文は、一文だった。


『リディア・ノートンは、火を隠さない。だから信じる』


 私はその紙を、三度見た。


 一度目は、短すぎたから。


 二度目は、燃えなかったから。


 三度目は、私の名前が入っていたからである。


 非常に困る。


 仕事上の文書に自分の名前が入るのは慣れている。


『リディア・ノートン氏による世論介入(せろんかいにゅう)疑惑』

『下級広報官、国家扇動罪か』

『王宮を乱す女』


 最近は、私の名前が紙面に載るたび胃が反射的に縮むようになった。


 条件反射である。


 人間の身体は賢い。


 賢すぎて、そろそろ勝手に胃薬を探しに行きそうだ。


 けれど、この一文は違った。


 同じ私の名前なのに、そこに刃物の冷たさがない。


 逃げ道もない。


 言い訳もない。


 飾りもない。


 ただ、信じる、と書いてある。


 私は赤鉛筆を持ったまま、動けなかった。


「……短いですね」


 ようやく出た言葉がそれだった。


 カイル様は少しだけ眉を動かした。


「駄目か」


「いえ。短いです」


「それは聞いた」


「短いという事実の処理に、こちらの情緒が追いついていません」


「長くするか」


「しないでください」


 反射で止めた。


 今、足したら台無しになる。


 でも、広報官としては足したい。


 補足したい。


 前提を整理したい。


 発信者の立場、発信範囲、証拠との関係、感情的擁護ではないこと、辺境伯(へんきょうはく)としての公式性と個人的信頼の線引き。


 最低でも五段落は欲しい。


 できれば注釈も欲しい。


 さらに言えば、想定問答を十五問つけたい。


 そんな私の欲望を察したのか、エレオノーラ様が扇で私の赤鉛筆を軽く叩いた。


「リディア」


「はい」


「今、余計な説明を足そうとなさいましたわね」


「余計ではなく、必要な説明です」


「必要な説明は、時に余計ですわ」


「広報官にとって一番受け入れがたい格言です」


「覚えておくとよろしいですわ」


 エレオノーラ様は、カイル様の紙を見た。


 そして、少しだけ目を細めた。


「よい一文ですわね」


 カイル様が、わずかに顔を上げた。


 ほんの少しだけ。


 誇らしげに見えた。


 いや、たぶん誇らしげだった。


 この人は感情表現が雪原の足跡くらい薄いので、読み取りには熟練が必要である。


「ただし」


 エレオノーラ様は続けた。


「これは証拠ではありませんわ」


「わかっている」


 カイル様は即答した。


「リディアの無罪を証明する文ではない」


「はい」


「では、何ですの?」


 カイル様は少し黙った。


 黙る。


 考えている。


 以前なら、そのまま黙り続けただろう。


 今は違った。


 彼は、自分で言葉を選ぼうとしていた。


「俺が、どこに立つかを示す文だ」


 低い声だった。


 短い。


 でも、逃げていない。


 私は胸の奥を押さえたくなった。


 押さえない。


 仕事中である。


 恋愛感情らしきものが業務机に乗ると、処理分類が非常に難しい。


 公私混同は燃える。


 でも今、燃えているのは私の顔である。


 たぶん。


「カイル様」


「何だ」


「この文は、私への擁護声明として出すには強すぎます」


「そうか」


「はい。あなたが私を信じると言えば、敵は必ず『癒着』と言います。『辺境伯が私的感情で広報官を庇った』とも言うでしょう。『北方が王宮に圧力をかけている』とも」


「言わせろ」


「好きに言わせた結果、人が死ぬこともあります」


 その言葉を口にした瞬間、私もカイル様も黙った。


 それは、かつて私が北方へ行く前に言った言葉だった。


 あの時、私はまだ彼の痛みを知らなかった。


 今は知っている。


 第56話。


 あの中傷記事。


『混乱を招く者』


 その一語で、カイル様は机を割った。


 人は傷つけなかった。


 でも、敵に見出しを渡した。


 私の名と、彼の怒りが、同じ紙面に閉じ込められた。


 カイル様の手が、手袋の縫い目を押さえる。


「だから、言葉にする」


 彼は言った。


「殴らない。怒鳴らない。剣も抜かない」


 そこで、一度だけ息を吐いた。


「今度は、渡さない」


 敵に。


 見出しに。


 怒りを。


 私の目の奥が熱くなった。


 まずい。


 ここで泣くと、たぶんカイル様が困る。


 エレオノーラ様は喜ぶかもしれない。


 セラさんは胃薬と布を同時に出すだろう。


 私は、仕事の声を出した。


「この文は、公式証言ではなく、個人声明として出しましょう」


「個人」


「はい。辺境伯としての立場は明記しますが、内容は『確認済み事実の断定』ではなく、『信頼の表明』です」


「信頼は弱いか」


「証拠としては弱いです」


「なら駄目か」


「いいえ」


 私は紙を見た。


『火を隠さない。だから信じる』


 この一文には、証拠ではない力がある。


 証拠は人を納得させる。


 でも、信頼は人を立ち止まらせる。


 燃えている人に、ほんの一瞬、紙面の向こうを見る理由を渡す。


「今、掲示板は私を黒だと決めつけています。説明しないなら黒。説明しても言い訳。味方が黙れば黒。味方が出れば癒着。そういう流れです」


「知っている」


「ミリア様の証言で、その流れは少し割れました」


 昨日、ミリア様は火の中に戻った。


『私は、聖女候補と呼ばれることに救われていた時もありました』


 あの一文は、彼女を綺麗な被害者にしなかった。


 だからこそ、掲示板は揺れた。


 信じる人。


 疑う人。


 戸惑う人。


 怒る人。


 いろいろな声が生まれた。


 一色ではなくなった。


「カイル様の一文は、その揺れに、もう一つの軸を作れます」


「軸」


「はい。『リディアが正しいかどうか』ではなく、『リディアは何をしてきたか』を見る軸です」


 私は赤鉛筆を置いた。


「火を隠さない。だから信じる。これは、私が完璧だと言う文ではありません」


「違う」


「私が間違えないと言う文でもありません」


「違う」


「私が都合の悪い火を隠さず、火元を見る人間だと言う文です」


「そうだ」


 短い返事。


 でも、迷いがなかった。


 私は紙を両手で持った。


 不思議なことに、火種が見えない。


 正確に言えば、発信後の周辺には火種が見える。


【火種:辺境伯による私的擁護疑惑】

【火種:リディア癒着再燃】

【火種:北方反王宮印象】

【火種:信頼を証拠扱いする誤読】

【火種:王宮側反発】


 でも、この一文自体には、火種がない。


 文の中に逃げがないからだ。


 言い訳がない。


 責任転嫁もない。


 過度な美化もない。


 カイル様が、ただ自分の立つ場所を示している。


 私は唇を噛みそうになって、やめた。


「短いのに燃えない……奇跡です」


 声が少し震えた。


 カイル様は、ほんの少しだけ目を細めた。


 たぶん、また誇らしげになった。


 やめてほしい。


 こちらの情緒が追いつかない。


「もっと短くできる」


「しないでください」


「『信じる』だけでも」


「それは求婚文です」


 言ってから、空気が止まった。


 エレオノーラ様が扇をゆっくり開いた。


 完全に楽しんでいる。


 カイル様は、ほんのわずかに視線を外した。


 外した。


 この人、今、外した。


 私は自分の発言を業務用の箱に押し込んだ。


「いえ、違います。違わない可能性を今は考えません。現在は国家扇動罪疑惑への対応中です。私的感情は燃えるので棚上げします」


「棚が足りませんわね」


「エレオノーラ様、今は黙ってください」


「黙る自由を行使しますわ」


 絶対に黙る気がない声だった。


 その時、セラさんが作業室に駆け込んできた。


 手には掲示板記録と灯火新聞の速報版。


「ミリア様の証言、かなり反応が割れています!」


「内容は?」


「荒れています。でも一色ではありません」


 セラさんは紙を広げた。


『元聖女候補、リディア擁護』

『「聖女候補に救われていた時も」発言に波紋』

『神殿、即時抗議』

『王宮記録局、本人意思確認を公表』

『リディア・ノートン氏の質問が怖かったとの証言も』


 見出しだけで胃が痛い。


 でも、想定よりはましだった。


 最悪の場合、『元聖女候補、広報官に操られる』一色になるところだった。


 灯火新聞は、きちんと全文と要点を並べている。


 マーサ編集長、ありがとう。


 胃薬を箱で贈りたい。


 自分にも欲しい。


 セラさんが、次の紙を差し出した。


「それと、大手三紙が夕刊でこう出す予定です」


『元聖女候補、今度は臨時広報調査室の広告塔か』

『下級広報官、かつての聖女候補まで利用』

『公爵令嬢、元聖女候補、辺境伯――リディア派の包囲網』


 私は額を押さえた。


「出ましたね、便利な派閥化」


「ええ。人間関係を全部『派』にすれば、記事が三行で済みますから」


「楽をしないでほしいです、新聞社」


 セラさんが、そこでカイル様の紙に気づいた。


「……これ、声明ですか?」


「はい」


「短っ」


 正直な第一声だった。


 カイル様は動じない。


 慣れているのかもしれない。


 いや、慣れないでほしい。


 セラさんは一文を読んで、口を閉じた。


 その後、もう一度読んだ。


 そして、小さく息を吐いた。


「強いですね」


「短いのに?」


「短いから、ですかね」


 セラさんは私を見た。


「これ、余計な説明を足したくなるやつですね」


「とてもなります」


「足したら駄目です」


「わかっています」


「本当に?」


「……注釈を一つだけ」


「駄目です」


 味方が厳しい。


 でも正しい。


 私は渋々頷いた。


「発信形式だけ整えます」


 声明の周辺は整えられる。


 ここを怠ると、一文そのものが別の文脈に攫われる。


 私は新しい紙を取り出した。


「発信文はこうです」


『カイル・ヴァレンシュタイン辺境伯(へんきょうはく)より、リディア・ノートン氏に関する一連の報道について、以下の個人声明を公表する。

 本声明は、現在検証中の国家扇動罪告発に関する証拠判断を代替するものではなく、同氏のこれまでの対応姿勢に対する発信者本人の信頼表明である。』


 カイル様が眉を寄せた。


「長い」


「周辺説明です」


「寝る」


「寝ないでください。ここは必要です」


 エレオノーラ様が頷く。


「その周辺説明は必要ですわね。一文を証拠代わりにされると困りますもの」


「はい。信頼は証拠ではありません。でも、証拠を見る前に人を焼き尽くす流れを止めることはできます」


「よろしいですわ」


 エレオノーラ様はカイル様に視線を向けた。


「カイル様。この周辺説明は、あなたの一文を守るための柵ですわ」


「柵」


「ええ。あなたの一文は槍ではなく、旗です。旗だけ立てると奪われます。柵は必要です」


 カイル様は少し考えた。


「なら、置け」


 許可が出た。


 柵扱いなら納得するらしい。


 覚えておこう。


 辺境伯への説明には、比喩を物理に寄せると通りやすい。


 ただし、斬る・折る・撃つ方面へ寄りすぎると全員で止める必要がある。


 私は発信文を整えた。


 灯火新聞への同時提供。


 王宮記録局への写し送付。


 大手三紙には、全文記録と発信時刻を添付。


 掲示板には、短文版と全文版の両方を流す。


 短文版はこれだけ。


『カイル・ヴァレンシュタイン辺境伯、リディア・ノートン氏について個人声明。

「リディア・ノートンは、火を隠さない。だから信じる」』


 これ以上削らない。


 これ以上足さない。


 私は送信前の記録水晶に手を置いた。


 その時、カイル様が低く言った。


「リディア」


「はい」


「火種は」


 私は一文を見た。


 周辺説明も見た。


 水晶の光の中で、文字が揺れる。


 火種は、周囲にはある。


 けれど、一文そのものにはない。


「見えません」


 カイル様の目が、ほんの少しだけ見開かれた。


「本当にか」


「はい」


「お前のことなのに」


「私のことなのに、です」


 私は笑おうとして、今度は少しだけ笑えた。


「奇跡ですね」


 カイル様は、静かに言った。


「奇跡ではない」


「では?」


「選んだ」


 その一言で、私はまた黙りそうになった。


 この人は、短い。


 短いのに、時々、こちらの逃げ道を全部塞いでくる。


 困る。


 本当に困る。


 私は送信印を押した。


 記録水晶が青く光る。


 声明が王都へ流れた。


 最初の反応は、速かった。


『短っ』


 そこですか。


 いや、そこですよね。


 次に流れたのは。


『辺境伯、また一文』

『でも今回は帰れじゃない』

『火を隠さない、って何』

『リディアは火種見えるって噂、本当?』

『見えるなら自分の炎上止めろよ』

『いや、自分の火は見えにくいって前に言ってなかった?』

『辺境伯が信じるって言うの、重くない?』

『証拠じゃないだろ』

『証拠じゃないって書いてある』

『証拠じゃないのに意味ある?』

『少なくとも、机割った時より意味ある』

『机の話はやめて差し上げろ』

『あの人が剣じゃなくて文出したのは大きいのでは』

『短いのに逃げてない』

『リディア派とかじゃなく、見てきた人の言葉って感じ』

『辺境伯が長文を書いたら世界が終わる』

『世界は守られた』


 私は最後の投稿で少し吹き出しかけた。


 危ない。


 状況は深刻である。


 しかし、王都民は時々、妙な方向から酸素を差し込んでくる。


 セラさんも口元を押さえていた。


「世界は守られましたね」


「声明文の文字数で世界を背負わないでください」


 カイル様は真顔だった。


「世界は終わらない」


「わかっています」


「長文も、読める」


「はい。読めるようになっています」


「時間はかかる」


「それも知っています」


 カイル様は少しだけ不服そうだった。


 もしかして、長文を読めることを主張したかったのだろうか。


 かわいい。


 いや、今かわいいと思っている場合ではない。


 炎上中である。


 私は掲示板記録へ視線を戻した。


 反応は割れている。


 批判もある。


『結局、辺境伯との関係は?』

『癒着じゃん』

『北方の力で押してるだけ』

『信じるとか感情論』

『広報官一人に公爵令嬢、元聖女、辺境伯がつくの怖い』


 当然だ。


 この火種は消えない。


 けれど、すぐ下に別の声が流れた。


『でも国家扇動罪の証拠って、まだ出てないよな』

『偽造疑惑はどうなった?』

『ミリアの証言、記録局確認ついてる』

『辺境伯声明、証拠じゃないって自分で書いてるのは逆に誠実では』

『リディアが完璧かは知らん。でも、神殿の寄付金の時も北方の給与遅延の時も、隠さなかったのは確か』

『火を隠さない、はちょっとわかる』


 私は、その投稿を見て動けなくなった。


『ちょっとわかる』


 その程度でいい。


 今は、それで十分だった。


 真っ黒に塗られた紙面に、小さな空白ができた。


 そこへ、事実を置ける。


 証拠を置ける。


 検証を置ける。


 人は、いきなり信じ直せない。


 でも、少し立ち止まることはできる。


 カイル様の一文は、そのための杭になった。


 セラさんが、低く言った。


「流れ、変わりますね」


「少しだけです」


「少しでも、今は大きいです」


「はい」


 エレオノーラ様は、優雅に紅茶を飲むふりをしていた。


 飲んでいない。


 カップの水面が減っていない。


 相変わらず、怖い時ほど綺麗に見せる人だ。


 でも今、私は少しだけわかる。


 彼女も、怖い。


 ミリア様も怖いまま言った。


 カイル様も、怒りを一文に変えた。


 私は一人で火を消しているのではない。


 その事実が、怖くて、ありがたくて、少し重い。


「リディア」


 カイル様が呼んだ。


「はい」


「これで、足りるか」


「足りません」


 私は即答した。


 カイル様は頷いた。


「そうか」


「はい。まだ証拠が必要です。偽造資料の出所も追わなければなりません。ベルクの関与も、王宮内部の情報流出も、全部まだです」


「なら、次をやる」


「はい」


 そこで、少し間が空いた。


 カイル様は、何か言いかけた。


 口を開き、閉じる。


 手袋の縫い目に触れる。


 いつもの癖。


 でも今日は、ただの沈黙ではなかった。


 言いたいことがあるのに、出せない沈黙。


 私は待った。


 急かさない。


 彼が、自分で言葉を選ぶのを待つ。


「第56話のことだが」


 胸が、少しだけ跳ねた。


 机を割った日のこと。


 あの怒り。


 あの沈黙。


 私を守ろうとして燃料になったこと。


 謝ろうとして、言葉にならなかったこと。


 カイル様は、低く続けた。


「俺は」


 そこで、止まった。


 長い沈黙が落ちた。


 でも、逃げた沈黙ではない。


 言葉を探している沈黙だった。


 私は、少しだけ笑った。


「今は、声明が届いたことを確認しましょう」


 カイル様がこちらを見る。


「いいのか」


「よくはありません」


「……そうか」


「でも、逃げないなら待ちます」


 カイル様の目が揺れた。


 ほんの一瞬。


 そして、彼は頷いた。


「逃げない」


 その一言で、私は十分だった。


 十分ではない。


 でも、今は十分にしておける。


 謝罪は、急がせて受け取るものではない。


 たぶん。


 私はまだ、その辺りが下手だ。


 前世でも今世でも、謝罪文は山ほど書いてきた。


 でも、本当に謝りたい人が言葉を探す時間を、私はどれだけ待てていただろう。


 そんなことを考えていると、記録水晶が赤く光った。


 セラさんが反応を確認し、顔をしかめる。


「来ました。大手紙の追撃です」


「内容は」


 セラさんは読み上げた。


『元聖女候補、辺境伯、公爵令嬢が相次ぎリディア・ノートン氏を擁護。

 一連の動きについて、王宮内では、反王宮的な臨時勢力の形成を懸念する声も――』


 私は目を閉じた。


 来た。


 早い。


 予想通り。


 でも、やはり胃が痛い。


 さらに別の見出しが流れる。


『火を隠さない広報官か、火を操る中心人物か』

『辺境伯の信頼表明、北方勢力の政治介入との指摘』

『公爵家、元聖女、辺境伯――王宮外連合が形成か』


 エレオノーラ様が扇を閉じた。


「ずいぶん便利に束ねてくださいましたわね」


「敵の整理整頓能力が高すぎます」


「ベルクの匂いがしますわ」


「はい」


 この言い回し。


 反王宮。


 臨時勢力。


 王宮外連合。


 複雑な人間関係を、一つの敵にまとめる言葉。


 ベルク・アインハルトの好む「認識の整理」。


 人の声を、都合のよい箱に入れるやり方。


 カイル様が、静かに紙を見た。


 怒りはある。


 でも、拳は動かない。


 剣にも触れない。


 ただ、読み終えるまで目をそらさなかった。


 私はその横顔を見て、思った。


 第56話で机を割った男が、今は紙を読んでいる。


 怒りを飲み込み、言葉で立っている。


 まだ完璧ではない。


 謝罪も終わっていない。


 それでも、変わっている。


 少しずつ。


「リディア」


「はい」


「次は、火元か」


 私は大手紙の見出しを見た。


 ベルクの影。


 王宮内部の情報流出。


 偽造資料。


 そして、私たちを「反王宮勢力」としてまとめる物語。


「はい」


 私は赤鉛筆を持った。


 今度は迷わなかった。


「火元を見ます」


 カイル様が短く頷く。


「行く」


「概念は斬らないでくださいね」


「努力する」


「そこは約束してください」


 セラさんが小さく笑い、エレオノーラ様も扇の陰で笑った。


 笑えるだけ、まだ大丈夫だ。


 王都はまだ燃えている。


 でも、炎の中に、いくつかの言葉が立った。


 ミリア様の言葉。


 カイル様の一文。


 エレオノーラ様の沈黙と作戦。


 灯火新聞の訂正欄。


 そして、まだ書きかけの私自身の反論。


 敵はそれらを、ひとまとめにして燃やそうとしている。


 なら、こちらは一つずつほどく。


 誰が、何を、自分の意思で言ったのか。


 誰が、どの火を隠したのか。


 誰が、怒りを別の見出しへ流したのか。


 カイル様の一文は届いた。


 だからこそ、敵はその一文を切りに来た。


 次に必要なのは、信頼を証拠へつなぐこと。


 私は新しい紙の一番上に、こう書いた。


『偽造資料作成経路の確認』


 その文字の横で、カイル様の一文がまだ静かに光っていた。


『リディア・ノートンは、火を隠さない。だから信じる』


 短い。


 短すぎる。


 けれど、その一文は、確かに戦況を変え始めていた。

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