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王宮炎上対応係の私、婚約破棄会見を止めたら無口な辺境伯に溺愛されました 〜王太子殿下、その発言は国が燃えます〜  作者: 磯辺
聖女ブームと神殿の広告塔

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21/100

聖女候補、王都で大人気です

 名誉回復会見めいよかいふくかいけんの翌朝。


 王都おうとは、思ったより静かだった。


 もちろん、完全に鎮火ちんかしたわけではない。


 水晶掲示板すいしょうけいじばんでは、まだ昨夜の会見について好き勝手な感想が流れている。


『エレオノーラ様、強すぎる』

悪役令嬢あくやくれいじょうではなく、戦略令嬢では?』

『王太子殿下、今どんな顔してるんだろう』

『広報官、また胃薬飲んでそう』


 最後の一文を書いた人。


 正解です。


 私は机の上に置いた小瓶から胃薬を一粒取り出し、水なしで飲み込んだ。


 苦い。


 けれど、王宮広報局おうきゅうこうほうきょく危機声明管理室ききせいめいかんりしつで働く者にとって、苦味は朝の挨拶みたいなものだ。


「リディア、掲示板の火力は?」


 先輩職員が、目の下に薄い影を作りながら聞いてきた。


「弱火です。ただし、油が近くにあります」


「油?」


神殿しんでんです」


 私が答えると、部屋の空気が少しだけ重くなった。


 昨日のエレオノーラ様の会見は、一定の成功を収めた。


 少なくとも、「悪役令嬢が聖女候補を一方的に傷つけた」という物語は、かなり揺らいだ。


 記録水晶きろくすいしょうによる全文公開。


 質問の事前整理。


 訂正権ていせいけんの確保。


 エレオノーラ様本人の、逃げない言葉。


 それらが重なり、王都瓦版おうとかわらばんの一部は、今朝になって見出しを変えた。


『グランフェルト公爵令嬢、婚約破棄騒動に正式反論』


『悪女報道に疑問 会見全文を読めば印象変わるか』


『涙を見せない被害者は、被害者ではないのか』


 最後の見出しを見た時、少しだけ胸が温かくなった。


 この見出しは、まだ刃物ではない。


 問いだ。


 問いなら、人を刺すだけではなく、立ち止まらせることができる。


 私はそう思った。


 思った、のだけれど。


「リディアさん」


 若い職員が、扉の向こうから顔を出した。


「今朝の商会広告しょうかいこうこく、確認されましたか?」


「商会広告?」


「はい。神殿関連のものです」


 嫌な予感がした。


 広報局の仕事をしていると、嫌な予感はだいたい当たる。


 当たってほしくない時ほど当たる。


 予算要求は通らないのに、嫌な予感だけは通過率が高い。


 私は差し出された広告束を受け取った。


 そして、一枚目を見た瞬間、胃のあたりがきゅっと縮む。


 そこには、聖女候補せいじょこうほミリア・セレスの絵姿えすがたが描かれていた。


 白い衣。


 淡い金の髪。


 胸の前で組まれた手。


 伏せられたまつ毛。


 頬には、光の粒のような涙。


 その横には、美しい文字が並んでいる。


『聖女候補ミリア様の祈りをあなたに』


『清らかな心を取り戻す祈りの布』


『一枚につき銀貨三枚。その一部は孤児院こじいん寄進きしんされます』


 私は黙った。


 沈黙した私を見て、先輩がそっと椅子を引いた。


「座る?」


「まだ立てます」


「立ったまま倒れると、記録に残るよ」


「座ります」


 私は素直に座った。


 広告束は、まだある。


 二枚目。


『聖女候補ミリア様の清らかな香油こうゆ


『一滴で心清らかに』


「……法的に危ない効能表記こうのうひょうきです」


 思わず声が出た。


 隣の職員が首をかしげる。


「効能?」


「一滴で心が清らかになると断言すると、薬効やっこうまたは精神浄化せいしんじょうか効果を保証したことになります。効果が確認されていない場合、誇大広告こだいこうこくです」


「そこですか?」


「そこもです」


 広告の中のミリア様は、完璧だった。


 可憐かれんで、清楚せいそで、傷ついていて、それでも祈っている。


 民衆が求める「清らかな被害者」そのもの。


 それが、怖かった。


 人は、完璧なものを見ると安心する。


 わかりやすいからだ。


 悪い人。


 かわいそうな人。


 救う人。


 三つに分けられた物語は、飲み込みやすい。


 でも、人間はそんなに簡単に分けられない。


 エレオノーラ様は、悪女ではない。


 ミリア様も、ただの聖女ではない。


 なのに、王都は今、二人を並べて売り出そうとしている。


 片方を黒く塗り、片方を白く光らせて。


 私の視界に、火種が浮かんだ。


【火種:聖女候補の商品化】


【火種:悪女対聖女構図】


【火種:神殿権威利用】


【火種:寄進金不透明】


【火種:効能誤認】


【火種:被害者像の固定】


 多い。


 多すぎる。


 これは火種というより、乾いたまきの見本市だ。


「リディア、顔が燃えそう」


「燃えているのは顔ではなく事案です」


「また名言っぽいこと言ってる」


「名言ではなく、緊急性のある愚痴です」


 私は広告束を机に並べた。


 祈りの布。


 聖女候補の絵姿。


 小瓶に詰めた香油。


 神殿印しんでんいん入りの小冊子。


 そして、子ども向けの祈りの歌。


 どれも美しい。


 どれも整っている。


 どれも、売る気満々だった。


 私は思わず呟く。


「炎上の関連商品展開が早すぎます」


「関連商品?」


「騒動を物語化して、消費しやすくしたものです」


 王太子殿下の婚約破棄発言。


 エレオノーラ様の悪女報道。


 ミリア様の涙。


 本来なら、それぞれ別の問題として慎重に扱うべきものだ。


 けれど神殿は、それらを一つの流れにまとめようとしている。


 傷つけられた清らかな少女。


 彼女を守る神殿。


 彼女に対立する冷たい公爵令嬢。


 そして、その構図を曖昧にした王宮。


 非常にわかりやすい。


 わかりやすさは、強い。


 強すぎる。


「昨日、エレオノーラ様の名誉回復会見を開いたばかりです」


 私は広告を指で押さえた。


「なのに今朝には、もうミリア様を中心にした商品と布告ふこくが出回っている。準備が早すぎます」


「事前に用意していた?」


「でしょうね」


 誰かが、会見の結果を待たずに準備していた。


 エレオノーラ様の会見が成功した場合に備えて。


 次の物語を差し込むために。


 私は、最後の小冊子を開いた。


 表紙にはこうある。


『聖女候補ミリア様、苦しむ民のために祈る』


 本文は、やけに整っていた。


 短い段落。


 覚えやすい三つの奇跡。


 孤児を助けた。


 病人を癒した。


 濁った井戸を清めた。


 三つ。


 また三つ。


 私は目を細めた。


「三点構成……」


「三点?」


「人は三つ並べられると、納得しやすいんです。一つだと弱い。二つだと偶然に見える。三つだと、物語になる」


「物語……」


 先輩が小さく繰り返した。


 その言葉に、昨日のベルク様の声が重なる。


『見事です。物語の修正がお上手だ』


 私は指先に力を込めた。


 紙が少しだけしわになる。


 物語。


 便利な言葉だ。


 けれど、そこに閉じ込められた人はどうなる。


 エレオノーラ様は「悪役令嬢」にされた。


 ミリア様は「清らかな聖女候補」にされている。


 どちらも、人間ではなく役だ。


 役は、扱いやすい。


 怒らせても、泣かせても、燃やしても、観客は「そういう物語」として受け取る。


 それが一番危ない。


 その時、扉が開いた。


「失礼いたします」


 入ってきたのは、エレオノーラ様だった。


 今日も背筋はまっすぐで、髪も装いも完璧だ。


 けれど、目元には少しだけ疲れが見える。


 昨夜の会見は、彼女にとっても消耗が大きかったはずだ。


「エレオノーラ様。お体は」


「休めました、と申し上げたいところですが、貴族サロンが朝から元気すぎまして」


「嫌な元気ですね」


「ええ。朝食より噂の方が早く運ばれてまいりましたわ」


 エレオノーラ様は机の上の広告束を見た。


 そして、微笑んだ。


 とても美しい笑みだった。


 怒っている時の笑みだ。


「まあ。神殿は商売がお上手ですこと」


「率直に言うと、かなり危ないです」


「ええ。率直に言わなくても危ないですわね」


 彼女は祈りの布の広告を手に取る。


 そこには、ミリア様が涙を浮かべながら空を見上げる絵が描かれていた。


「この涙の位置、よく考えられていますわ」


「位置ですか?」


「ええ。頬を伝いきる前。悲しみは見えるけれど、顔は崩れない。絵姿として最も美しく、被害者として最も清らかに見える角度です」


 私は背筋が冷えた。


 エレオノーラ様は、人間関係の火薬庫を見る人だ。


 私が文章の火種を見るなら、彼女は視線や仕草の意図を見る。


「つまり、演出ですか」


「少なくとも、偶然ではありませんわ」


 広告の中のミリア様は、泣いていた。


 でも、その涙は彼女のものだろうか。


 彼女が流した涙を、誰かが切り取り、整え、売れる形にしたものではないのか。


 私は第十五話で見た、あの笑顔を思い出す。


 火種ではなく、空白が見えた笑顔。


 何を聞いても、「皆さまのために祈ります」と言いそうな表情。


 もし、あの人が本当に自分の言葉を持っていないなら。


 この人気は、彼女を救っているのではない。


 縛っている。


「リディア」


 エレオノーラ様が、静かに私を呼んだ。


「はい」


「私を悪女にする物語は、昨日少し崩れました」


「はい」


「けれど、その代わりに、ミリア様を聖女にする物語が強くなっています」


「……そう見えます」


「なら、次に燃えるのは誰かしら」


 私は答えられなかった。


 答えは見えている。


 ミリア様だ。


 過度に美化された人は、崩れた瞬間に激しく燃える。


 聖女として売り出された少女は、少しでも人間らしい弱さを見せた時、「裏切り者」として燃やされる。


 清らかな偶像ぐうぞうは、汚れを許されない。


 人間なのに。


 私は広告を見下ろした。


「……このままでは、ミリア様自身が燃料にされます」


 エレオノーラ様は目を伏せた。


「私を燃やした火で、今度は彼女を照らしているのですね」


 その言い方が、あまりに正確で、胸が痛んだ。


 照らす。


 そうだ。


 民衆は今、ミリア様を見ている。


 けれどそれは、彼女を見るための光ではない。


 エレオノーラ様を影にするための光だ。


「神殿布告は届いていますか」


 エレオノーラ様が尋ねた。


「まだ確認していません。広告だけでこの量なので、布告まで見たら胃が反乱を起こす可能性があります」


「胃にも反乱権がありますの?」


「できれば認めたくありません」


 その時、外からばたばたと足音が近づいてきた。


 また職員が飛び込んでくる。


「リディアさん、神殿から正式布告です!」


「来ましたか」


 私は立ち上がり、差し出された巻紙を受け取った。


 神殿印が押されている。


 白い紙。


 金の縁取り。


 整った文字。


 開く前から、嫌な予感しかしない。


 私は息を吸って、布告を広げた。


『聖女候補ミリア・セレスは、傷つけられし者のため、清き祈りを捧げ続けている』


『彼女は争いを望まず、誰をも責めず、ただ皆さまの安寧あんねいを願う』


『いかなる権力も、清き祈りを妨げてはならない』


 その瞬間、私の視界に火種が走った。


【火種:王宮批判誘導】


【火種:公爵家牽制】


【火種:ミリア本人の意思不在】


【火種:祈りの政治利用】


【火種:聖女候補への過剰取材】


【火種:反論封じ】


 私は無言で布告を机に置いた。


 先輩が恐る恐る聞く。


「どう?」


「綺麗です」


「綺麗ならいいんじゃ」


「綺麗な燃料です」


 部屋が静まり返った。


 私は布告の一文を指で叩く。


『誰をも責めず』


 責めないことは、美徳に見える。


 でも、それを周囲が勝手に掲げれば、被害を訴える人間を黙らせる刃になる。


『ただ皆さまの安寧を願う』


 皆さま。


 また、皆さまだ。


 ミリア様の口癖。


 けれど、その皆さまとは誰なのか。


 孤児院の子どもたちか。


 王都の民か。


 神殿の信者か。


 王太子殿下か。


 エレオノーラ様か。


 誰でもあり、誰でもない言葉。


 広すぎる言葉は、誰の責任でもなくなる。


 私は、以前エレオノーラ様が言った言葉を思い出した。


 そして今、その意味がまた一つ深く刺さった。


「この布告、ミリア様本人の言葉ではない可能性が高いです」


「根拠は?」


 先輩が聞く。


「言葉が広すぎます。誰に向けた祈りなのか、誰を守りたいのか、誰の傷に向き合うのかが一つも書かれていません」


 私は布告を見下ろす。


「それに、昨日の会見を受けた内容のはずなのに、エレオノーラ様の名前が一度も出てこない」


 エレオノーラ様が静かに頷いた。


「つまり、私の存在を消したまま、私を責めない聖女という構図を作っていますのね」


「はい」


「まあ、丁寧ですこと」


 彼女は微笑んだ。


「丁寧に刺してくる方、嫌いではありませんわ。倒しがいがありますもの」


「倒す前提で話さないでください。まだ調査段階です」


「リディアは慎重ですわね」


「慎重でないと謝罪文が増えます」


「それは困りますわ」


 そこで、黙って広告を眺めていた若い職員が呟いた。


「でも……民は喜んでいますよ。ミリア様の祈りの布、朝から売り切れだそうです」


 私はその言葉に、少しだけ目を閉じた。


 そう。


 民は喜んでいる。


 それも事実だ。


 不安な時、人は清らかなものにすがりたくなる。


 誰かが祈ってくれていると思えば、少しだけ安心できる。


 ミリア様の絵姿を買った人たち全員が悪いわけではない。


 祈りの布を握った人たち全員が愚かというわけでもない。


 たぶん、その中には本当に救われた人もいる。


 だから厄介なのだ。


 美談は、嘘でなくても人を縛る。


 善意は、善意のまま誰かを黙らせることがある。


「喜ばれているからこそ危険です」


 私は言った。


「誰かの善意を否定する形にすると、こちらが燃えます。でも、放置すればミリア様本人が商品になります」


 先輩が頭を抱えた。


「難しい案件だね」


「はい。火加減を間違えると、聖女焼きになります」


「言い方」


「すみません。胃が荒れていて」


 エレオノーラ様が小さく笑った。


「では、どうしますの?」


 私は広告束と神殿布告を並べた。


 文章。


 絵。


 商品。


 寄進。


 祈り。


 全部が一つの方向へ流れている。


 ミリア様を清らかな聖女候補として高く掲げる方向へ。


 そして、エレオノーラ様をその対極に置く方向へ。


「まず、神殿布告の文章を分析します」


「文章を?」


「はい。誰が書いたのか、どの媒体と同じ言い回しがあるのか、広告と布告で共通する語句を拾います」


「火元探しですわね」


「はい」


 炎上したら、まず火元を見ろ。


 燃えている人ではなく、火をつけた場所を見る。


 ミリア様が燃えているように見えても、火元は彼女ではないかもしれない。


 むしろ彼女は、誰かに火の前へ立たされているだけかもしれない。


「それから、寄進先の孤児院を確認します」


 私が言うと、先輩が眉を上げた。


「孤児院?」


「広告に『一部は孤児院へ寄進』とあります。でも、一部とは何割か書かれていません。寄進先も明記されていない。こういう綺麗な言葉ほど、数字を見るべきです」


「うわ、広報っぽい」


「広報です」


 エレオノーラ様が祈りの布の広告をそっと机に戻した。


「ミリア様本人には?」


「会いたいです。ただ、神殿側は簡単には会わせないでしょう」


「でしょうね。今の彼女は、神殿にとって最も価値のある看板ですもの」


 看板。


 その言葉が、妙に痛かった。


 人間なのに。


 十八歳の少女なのに。


 私は、広告の中で涙を浮かべるミリア様を見る。


 その顔は美しかった。


 美しすぎて、本人の温度がなかった。


「……ミリア様は、本当にこの売り出し方を望んでいるのでしょうか」


 誰もすぐには答えなかった。


 王宮広報局の窓の外では、王都の通りを行き交う人々が、今朝配られた神殿広告を手にしている。


 祈りの布を買う人。


 絵姿を覗き込む子ども。


 香油の小瓶を見比べる商人。


 誰もが少しずつ、ミリア様という物語を受け取っている。


 そして物語は、受け取られた瞬間から、本人の手を離れていく。


 私は布告をもう一度読み返した。


 整った文面。


 美しい言葉。


 優しい響き。


 けれど、その奥で火種が赤く瞬いている。


『いかなる権力も、清き祈りを妨げてはならない』


 この一文。


 王宮への牽制。


 公爵家への牽制。


 エレオノーラ様への牽制。


 そして何より、ミリア様本人へのおり


 清き祈りでいなければならない。


 誰も責めてはならない。


 皆さまのために微笑まなければならない。


 私は巻紙を閉じた。


「この布告、鎮火ではありません」


 先輩が聞く。


「燃料?」


「はい」


 私は少し迷ってから、言い直した。


「しかも、香りつきの燃料です」


 部屋の誰かが小さく吹き出した。


 でも、笑いはすぐに消えた。


 香りがよくても、燃料は燃料だ。


 むしろ、よい香りがする分、近づく人が増える。


 私は立ち上がった。


「神殿布告、商会広告、瓦版記事、水晶掲示板の投稿。全部並べます」


「全部?」


「はい。火元の線を引きます」


 机の上に、紙が積まれていく。


 胃薬の瓶が、端へ追いやられる。


 私はそれを見て、そっと瓶を中央に戻した。


 これは重要資料だ。


 少なくとも私にとっては。


 エレオノーラ様が、優雅に椅子へ腰かけた。


「お手伝いしますわ。人間関係の線は、私が見ます」


「助かります」


「ただし、リディア」


「はい」


 エレオノーラ様は、静かに言った。


「ミリア様を救うことと、彼女がしたことをなかったことにすることは違います」


 私は頷いた。


「わかっています」


 ミリア様が利用されている可能性は高い。


 けれど、彼女の存在によってエレオノーラ様が傷ついたことも事実だ。


 誰かが被害者だからといって、別の被害が消えるわけではない。


 責任と救済を、同じ箱に入れてはいけない。


 私はそれを、忘れてはいけない。


「まずは、言葉を見ます」


 私は神殿布告を指で押さえた。


「これは誰の言葉なのか。ミリア様の言葉なのか。神殿の言葉なのか。それとも、別の誰かが整えた物語なのか」


 窓の外で、神殿の鐘が鳴った。


 澄んだ音だった。


 王都中に届く、綺麗な音。


 その音に合わせるように、水晶掲示板へ新しい投稿が流れる。


『ミリア様こそ真の聖女』

『悪女を許すなんて清らかすぎる』

『神殿はミリア様を守って』

『王宮は聖女候補を傷つけるな』


 私は息を吐いた。


 火は、もう別の形で燃え始めている。


 エレオノーラ様を黒くした炎は、今度はミリア様を白く照らしている。


 けれど白い炎だって、人を焼く。


 私はペンを取った。


 最初に書いた見出しは、こうだった。


『聖女候補ミリア様関連布告および商会広告に関する火種分析』


 硬い。


 ものすごく硬い。


 でも、今は眠気を誘うくらいがちょうどいい。


 派手な見出しは、敵がもう十分作っている。


 私たちは、火元を見る。


 燃えている少女ではなく。


 彼女の足元に油を撒いた者を。


 私は赤インクの瓶を開けた。


「さて」


 苦い胃薬の味が、まだ舌に残っている。


「聖女ブーム、火元調査を始めます」


 その時、また別の職員が駆け込んできた。


「リディアさん! 神殿から追加資料です!」


「追加?」


「はい。神殿主催の慈善祈祷会じぜんきとうかいを開くそうです。ミリア様が、孤児院への寄付を呼びかけるとか」


 私は手を止めた。


 孤児院。


 寄付。


 ミリア様。


 綺麗な言葉が、三つ並んだ。


 嫌なほど整っている。


 私は、赤インクを紙に落とさないように、ゆっくりペンを置いた。


「……数字を見ましょう」


 エレオノーラ様が、静かに微笑む。


「美談の裏側ですわね」


「はい」


 私は神殿の追加資料を受け取った。


 その紙面は、やはり美しかった。


 けれど美しすぎる書類ほど、私は信用しない。


 なぜなら、綺麗な包装紙の中に何が入っているかは、開けてみるまでわからないからだ。


 そして今回の包装紙は、金縁つきで、祈りの香りがした。


 つまり。


 非常に燃えやすい。

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