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王宮炎上対応係の私、婚約破棄会見を止めたら無口な辺境伯に溺愛されました 〜王太子殿下、その発言は国が燃えます〜  作者: 磯辺
悪役令嬢の名誉回復作戦

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悪役令嬢ではなく、被害者です

 人は、見出しで他人の人生を雑に折りたたむ。


『悪役令嬢、聖女候補を威圧』


『公爵令嬢、涙なき反論』


『王太子殿下を追い詰めた冷たい婚約者』


 王都瓦版おうとかわらばんの紙面を机に並べながら、私は思った。


 折りたたまれた側の人生は、元に戻すのがとても難しい。


 紙なら広げればいい。

 しわは残るけれど、読める。


 でも、人の名誉は違う。


 一度「悪役」と書かれると、その人が何を言っても、読者はまず悪役として読む。


 泣けば「演技」。

 黙れば「図星」。

 怒れば「本性」。

 笑えば「不気味」。


 詰みである。


 しかもこの詰み盤面を作った側は、たいてい涼しい顔で言う。


『事実を報じただけです』


 違う。

 事実の顔をした印象操作です。


 私は赤鉛筆を握りしめた。


「リディア、鉛筆が折れますわ」


 向かいの長椅子に座るエレオノーラ様が、優雅に紅茶を傾けながら言った。


 グランフェルト公爵家こうしゃくけの応接室。

 高価な絨毯じゅうたん

 磨かれた銀器。

 季節の花。


 そして机の上には、悪意ある見出しの山。


 優雅な空間に新聞紙のすすが降っている気分だった。


「失礼しました。ですが、この見出しは折っても許される気がします」


「紙に罪はありませんわ」


「では見出しだけ切り取って燃やしても?」


「火消しひけしがかりが放火を提案するのは、少々まずいのではなくて?」


「職務上の比喩です」


「便利な言葉ですこと」


 エレオノーラ様は微笑んだ。


 その笑みは美しい。


 けれど、私はもう知っている。


 この人は傷ついていないから笑っているのではない。

 傷ついたまま、崩れないように笑っているのだ。


 私は机上の一枚を拾い上げた。


『悪役令嬢、沈黙を貫く』


 視界に火種が浮かぶ。


【火種:悪役令嬢固定】

【火種:被害者性の否定】

【火種:泣かない女性への攻撃】

【火種:王太子擁護への誘導】

【火種:聖女候補との対比強化】


 私は深く息を吐いた。


「やはり、名誉回復声明めいよかいふくせいめいを出しましょう」


「声明だけで足ります?」


「足りません」


 即答すると、エレオノーラ様の眉がわずかに上がった。


「珍しいですわね。あなたが最初から敗北宣言するなんて」


「声明は必要です。でも、声明だけでは届きません。王宮広報局おうきゅうこうほうきょくの文章は、民にとって遠いんです」


「では?」


「本人の言葉が必要です」


 私はそう言って、目の前の白紙を指で押さえた。


「エレオノーラ様の言葉です」


 エレオノーラ様の指が、紅茶の取っ手に触れたまま止まった。


 ほんの一瞬。


 でも私は見逃さなかった。


「……私の言葉、ですか」


「はい」


「王宮が整えた、燃えにくい文章ではなく?」


「それも作ります。燃えにくい外壁は必要です。でも、その中身までこちらで作ってしまったら、また誰かがエレオノーラ様の人生を代筆することになります」


 言いながら、私は少し胸が痛くなった。


 代筆。


 私はずっと、それを仕事にしてきた。


 前世でも。

 今世でも。


 誰かの謝罪文。

 誰かの釈明文。

 誰かの弁明。

 誰かの沈黙を埋めるための、整った文章。


 でも、今は違う。


 エレオノーラ様は、誰かの作った悪役ではない。

 誰かの用意した清らかな被害者でもない。


 この人は怒っている。

 傷ついている。

 それでも立っている。


 だから、その言葉を本人に返さなければならない。


 エレオノーラ様はしばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくりと紅茶を置く。


「悪役令嬢という呼び名がありますでしょう」


「はい。非常に燃えやすい呼称です」


「なら、利用いたしましょう」


「はい?」


 エレオノーラ様は、背筋を伸ばした。


 その瞬間、応接室の空気が変わる。


 お茶会の場ではなく、舞台になった。


「悪役と呼ばれるなら、舞台に立ちます」


 私は嫌な予感がした。


「念のため確認しますが、舞台とは比喩ですよね?」


「もちろんですわ」


「本当に?」


「ええ」


 エレオノーラ様はにっこり笑った。


「悪役令嬢らしく高笑いでもいたしましょうか」


「見出しにされます」


 即答した。


 エレオノーラ様は楽しそうに目を細める。


「では、黒い扇を持って登場するのは?」


「見出しにされます」


薔薇ばらを踏むのは?」


「絶対に見出しにされます」


「では、王太子殿下の謝罪文を朗読してから、静かに破るのは?」


「気持ちはわかりますが、見出しどころか号外です」


「残念ですわ」


 本当に残念そうだった。


 この人、思ったより演出家気質えんしゅつかきしつがある。

 いや、社交界を戦場にしてきた人だ。舞台感覚があるのは当然かもしれない。


 私は咳払いをした。


「エレオノーラ様。私たちがすべきなのは、悪役令嬢を演じることではありません」


「では?」


「悪役令嬢ではなく、被害者であると明確にすることです」


 私の言葉に、室内が静かになった。


 その場には、公爵家の代理人ヘルマン・クレイグ氏、王宮記録局おうきゅうきろくきょくの若い書記官、そして護衛として壁際に立つカイル様もいた。


 カイル様は相変わらず無言だった。


 ただ、腕を組んでこちらを見ている。


 視線が少し重い。


 熊ではない。

 熊ではないが、応接室に北方の冬が立っている。


 私は続けた。


「これまでの記事は、エレオノーラ様を“加害者かもしれない人物”として扱っています。ですが、確認済みの事実だけを見るなら、まず明らかなのは、王太子殿下が公の場で婚約破棄を宣言し、証拠確認前に罪状を示し、エレオノーラ様の発言機会を奪ったことです」


 紙に書き出す。


 一つずつ。


『公の場での一方的な婚約破棄発言』

『証拠確認前の断定的発言』

『発言機会の不平等』

名誉毀損めいよきそん的言説の拡散』

『泣かないことを根拠とする人格攻撃』


 書きながら、火種を確認する。


【火種:王太子責任追及】

【火種:王家面子めんつ低下】

【火種:公爵家対王家】

【火種:神殿証拠への疑義】

【火種:聖女候補への飛び火】


 ある。


 当然ある。


 真実に近づくほど、燃えることもある。


 だからこそ、順番が大事だ。


「ミリア様を攻撃してはいけません」


 私ははっきり言った。


 エレオノーラ様の視線が静かに動く。


「私が彼女を恨んでいない、と言えば嘘になりますわ」


「それは当然です」


 私は即座に返した。


「恨むな、とは言いません。傷つけられた側に、清らかな感情だけを求めるのは二次被害にじひがいです」


 エレオノーラ様が、目を瞬かせた。


「……あなた、時々さらりと強いことを言いますのね」


「前世の職場で、言えなかったことが多すぎるので」


「そう」


 エレオノーラ様は少しだけ表情をやわらげた。


 でもすぐに、公爵令嬢の顔に戻る。


「なら、私は何を言えばいいのかしら」


「怒っている、と」


 私は言った。


「悲しい、でも、許す、でもなく?」


「それはエレオノーラ様が本当にそう思った時に言うべきです。今は、怒っているなら怒っていると言ってください」


 ヘルマン氏が慌てたように身を乗り出した。


「リディア殿、それは少々危険では。公爵令嬢が公の場で怒りを示せば、また冷酷だと――」


「言われます」


「では」


「ですが、怒っていないふりをすれば、今度は傷ついていないことにされます」


 私は新聞紙を指で押さえた。


「今の論調はそれです。泣かないから冷たい。取り乱さないから加害者らしい。公爵令嬢だから傷つかない。そんなはずがありません」


 自分の声が少し強くなった。


 私は一度息を整える。


「被害者は、常に清らかで控えめで、涙を流して、相手を許す準備をしていなければならないのでしょうか」


 誰も答えなかった。


 答えられない問いだった。


 カイル様が、低く言った。


「違う」


 短い。


 でも、重かった。


 エレオノーラ様がカイル様を見る。


「辺境伯様にそう言っていただけるとは、心強いですわ」


「事実だ」


「では、怒ってもよろしい?」


「当然だ」


「高笑いは?」


「好きにしろ」


「駄目です」


 私が即座に割って入った。


 カイル様がこちらを見る。


「なぜだ」


「見出しにされるからです」


「そうか」


 本気で納得した顔をしないでほしい。


 私たちは会見の形式を詰めた。


 大規模な質疑応答しつぎおうとうはまだ早い。

 次回、王宮が関与する正式な名誉回復会見を開く。


 今回は、その前段階。


 公爵家としての先行声明。

 エレオノーラ様本人による短い発言。

 記録水晶きろくすいしょうを置き、全文を保全。

 記者からの質問は三問まで。

 未確認情報を前提にした質問には、回答前に前提確認を行う。


 先輩が持ち込んだ進行表に、私は赤字を入れていく。


「質問三問までにしましょう」


「少なくありません?」


「多いと燃えます」


「一問では?」


「逃げたように見えます」


「では二問」


「中途半端です」


「三問」


「はい」


 ヘルマン氏が真面目にうなずく。


「なるほど。三問にはそのような戦略的意味が」


「いえ、今のは半分勘です」


「勘」


「炎上対応の現場では、勘と胃痛がよく当たります」


「胃痛が」


 ヘルマン氏が困惑した。


 大丈夫です。

 私も自分で言っていて嫌です。


 やがて、エレオノーラ様の発言案がまとまった。


 私が整えた案は、こうだった。


『私は、昨夜の舞踏会における一方的な婚約破棄発言、および証拠確認前の罪状提示により、名誉を傷つけられました。私は本件について、正式な調査と発言機会の確保を求めます』


 燃えにくい。

 必要な要素は入っている。

 責任の所在も曖昧にしていない。


 けれど、エレオノーラ様はそれを読んで、静かに言った。


「正しいですわね」


「はい」


「正しすぎますわ」


 私は顔を上げた。


 エレオノーラ様は、紙を机に置く。


「リディア。正しすぎる文章は、ときどき人の心を置き去りにしますわ」


 胸に刺さった。


 まっすぐに。


「私は、名誉を傷つけられたのではありません」


「……え?」


「もちろん、名誉も傷つきました。でもそれだけではありません」


 エレオノーラ様は、自分の胸に手を当てた。


 その指先は、ほんの少し震えていた。


「私は、人生を勝手に決められそうになりました」


 室内の空気が止まる。


「王太子殿下の隣に立つために、感情を抑え、望まれる言葉を選び、完璧な婚約者であろうと努めました。その私を、殿下は公の場で断じました。証拠も、弁明の機会もなく」


 エレオノーラ様は笑っていなかった。


 泣いてもいなかった。


 ただ、怒っていた。


 その怒りは美しかった。

 けれど、飾りではなかった。


「私は、悪役令嬢ではありません」


 彼女は言った。


「私は、傷つけられた本人です」


 私は息を呑んだ。


 視界に火種が浮かぶ。


【火種:王太子責任の明確化】

【火種:王家批判拡大】

【火種:公爵家支持の増加】

【火種:聖女候補との比較再燃】

【火種:被害者像への反発】


 燃える。


 けれど、これは燃やすべき火かもしれない。


 人を燃やす炎ではなく、暗い場所を照らす火。


 私はゆっくり頷いた。


「その言葉でいきましょう」


 ヘルマン氏が小さく息を吐く。


「よろしいのですか」


「はい。ただし、補足します。ミリア様への攻撃ではないこと。証拠確認を求めること。王宮と神殿の正式調査を求めること。そこは明確にします」


 エレオノーラ様は微笑んだ。


「火消しはあなたに任せます」


「燃やす相手は?」


「まだ選びませんわ」


「とても助かります」


「今は、ね」


 今は。


 私は聞かなかったことにした。

 胃に悪いので。


 その日の夕刻。


 グランフェルト公爵家の前庭に、限られた記者だけが集められた。


 記者の数は絞った。

 王都瓦版。

 灯火新聞ともしびしんぶん

 貴族向け通信紙。

 神殿寄りの小紙が一つ。


 本当は神殿寄りの紙を入れたくなかったが、排除すると「都合の悪い記者を締め出した」と燃える。


 炎上対応は、敵も会場に入れるところから始まる。

 とても嫌な仕事である。


 私は記録水晶の位置を確認した。


「発言はすべて記録します。切り抜き対策のため、全文写しを公爵家および王宮記録局で保全します」


 記者の一人が不満そうに眉を寄せた。


「報道の自由への圧力では?」


「いいえ。発言の正確性を保つためです。正確に報じていただけるなら、記録は記者の皆様を守るものにもなります」


 その記者の口が閉じた。


 横で灯火新聞の若い記者が小さく笑う。


 私は心の中で感謝した。

 大きく笑わないでください。見出しになります。


 エレオノーラ様が前へ出た。


 白ではない。

 黒でもない。


 深い青のドレス。


 喪服もふくではなく、戦装束いくさしょうぞくでもなく、ただ彼女自身の色だった。


 記者たちの羽ペンが動き出す。


 エレオノーラ様は、ゆっくりと口を開いた。


「本日は、お集まりいただき感謝いたします」


 声は落ち着いていた。


 泣いていない。

 震えてもいない。


 だからこそ、強かった。


「昨夜の舞踏会において、私は王太子ルーファス殿下より、公の場で一方的に婚約破棄を告げられました。また、証拠確認が完了していない段階で、私に対する罪状が示されました」


 記者たちが一斉に書き取る。


 私は記録水晶の光を確認した。


 大丈夫。

 記録されている。


「私は、その場で十分な発言機会を与えられませんでした」


 エレオノーラ様は一度だけ、目を伏せた。


 すぐに上げる。


「その後、私は多くの記事で“悪役令嬢”と呼ばれました」


 空気が変わった。


 記者たちが顔を上げる。


 この言葉を本人が口にすると思っていなかったのだろう。


 エレオノーラ様は、まっすぐ前を見た。


「ですが、私は悪役令嬢ではありません」


 羽ペンの音が止まる。


「私は、傷つけられた本人です」


 静かだった。


 誰も笑わなかった。

 誰も茶化さなかった。


 エレオノーラ様は続けた。


「私は聖女候補ミリア・セレス様を、この場で非難するつもりはありません。彼女に関する事実もまた、正式に確認されるべきものです。未確認情報で人を裁くことを、私は望みません」


 私は小さく息を吐いた。


 よし。


 ここは大事だった。


 ミリア様を攻撃しない。

 けれど、自分の被害は消さない。


 難しい綱渡りだ。


 エレオノーラ様は、その綱の上を、背筋を伸ばして歩いている。


「私が求めるのは、三つです」


 出た。


 三つ。


 神殿の広報戦略でもよく使われる、覚えやすい数。

 けれど今回は、人を記号化するためではない。

 伝えるための構成だ。


「第一に、昨夜の発言についての正式な事実確認。

 第二に、証拠資料の出所と内容の検証。

 第三に、私自身の発言機会の確保」


 記者たちが一斉に書く。


 私は水晶板に視線を落とした。


 火種はある。


【火種:証拠資料への疑義】

【火種:神殿印章への注目】

【火種:王太子責任追及】

【火種:公爵家支持拡大】


 けれど、余計な火種は少ない。


 言葉が、本人の場所へ戻っている。


 エレオノーラ様は最後に言った。


「私は泣きませんでした」


 その一言に、記者たちの手が止まった。


「だからといって、傷つかなかったわけではありません」


 私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。


「私は怒っています。悲しんでいます。そして、正式な場で、自分の言葉を聞かれることを求めます」


 沈黙。


 長い沈黙だった。


 やがて、灯火新聞の記者が静かに手を上げた。


「エレオノーラ様。今のお言葉は、王太子殿下への非難と受け取ってよろしいでしょうか」


 いい質問だ。


 でも危険だ。


 私は息を詰める。


 エレオノーラ様は、揺れなかった。


「非難ではなく、事実確認を求める発言です。ただし、傷つけられたことを、傷つけられていないように装うつもりはありません」


 強い。


 私は心の中で拍手した。


 次に、神殿寄りの小紙の記者が口を開いた。


「聖女候補ミリア様が涙を流されたことについては、どのようにお考えですか。あなたの態度が彼女を追い詰めたとの声もありますが」


 来た。


 視界に火種が走る。


【火種:涙の責任転嫁】

【火種:エレオノーラ再悪役化】

【火種:ミリア被害者固定】

【火種:女性同士の対立演出】


 私は一歩前に出かけた。


 だが、エレオノーラ様がほんの少しだけ手を動かした。


 止まって、という合図。


 私は踏みとどまる。


 エレオノーラ様は記者を見た。


「ミリア様が涙を流されたことは事実でしょう」


「では」


「ですが、その涙の理由を、本人確認なしに私への非難へ結びつけることには反対します」


 記者の眉が動く。


 エレオノーラ様は続けた。


「女の涙を見出しにする男は、だいたい自分の破滅記事を書くことになりますわ」


 空気が凍った。


 私は頭を抱えそうになった。


 エレオノーラ様。

 強い。

 強いですが、見出し性能が高すぎます。


 灯火新聞の記者が必死に笑いをこらえている。


 神殿寄りの記者は顔を赤くした。


 カイル様が壁際で小さく言った。


「良い」


 良くはないです。

 いや、良いけど。

 良いのだけれど。


 燃え方がこちらの管理外です。


 私はすぐに補足した。


「今のご発言の趣旨は、涙という事実と、その原因の断定は分けるべきだということです。見出しにされる場合は、その点を必ず併記してください」


 エレオノーラ様が横目で私を見る。


「火消しが早いですわね」


「燃料の質が良かったので」


「褒められているのかしら」


「半分ほど」


 会場に、ほんの少し笑いが広がった。


 緊張がゆるむ。


 その隙に、私は進行表を見た。


「質問は残り一問です」


 王都瓦版の記者が手を上げる。


 例の、句読点が妙に丁寧な記者だった。


「エレオノーラ様。かかる状況において、あなたの名誉回復を急ぐことは、聖女候補ミリア様の尊厳を二次的に損なうおそれがあるとの見方もあります。この点について、ご見解を」


 私は背筋が冷えた。


 言い回し。


『かかる状況において』

『尊厳を損なうおそれ』

『との見方もあります』

『ご見解を』


 新聞記者の言葉にしては、整いすぎている。


 王宮文書。

 いや、もっと正確には、宰相府さいしょうふ周辺の文章の匂い。


 ベルク・アインハルトの気配が、薄く混じっている。


 エレオノーラ様も気づいたらしい。


 彼女は、優雅に微笑んだ。


「その“見方”は、どなたの見方ですの?」


 記者が止まる。


「……読者の中に、そうした声が」


「どちらの読者ですか」


「それは」


「お名前を出せないのであれば、属性でも構いませんわ。神殿関係者? 王太子派貴族? 王宮内のどなたか? それとも、あなたご自身?」


 質問形式の火炎放射器。


 久々に出た。


 記者の額に汗が浮かぶ。


 エレオノーラ様は畳みかけない。


 ただ、静かに言った。


「ミリア様の尊厳を守ることと、私の名誉を回復することは、対立するものではありません。どちらか一方を守るために、もう一方を黙らせる必要はないはずです」


 私は、その言葉に息を止めた。


 それは、今後のミリア様との関係にもつながる言葉だった。


 許すことと、話を聞くことは別。

 恨みと、事実確認は両立する。

 被害者は一人ではないかもしれない。


 でも、誰かの被害を理由に、別の誰かの声を消してはいけない。


 エレオノーラ様は最後に言った。


「私は、私の言葉を聞かれることを求めます。ミリア様にも、彼女自身の言葉があるなら、それが聞かれるべきだと思いますわ」


 私の中で、何かが静かに繋がった。


 ミリア様の手紙。


『一度だけ、お話をさせていただけないでしょうか』


 エレオノーラ様の言葉。


『私は、傷つけられた本人です』


 どちらも、誰かが代わりに書いていい言葉ではない。


 会見は終わった。


 記者たちはざわめきながら去っていく。


 私はすぐに記録水晶を確認し、全文写しの作成を指示した。


「見出し案を先回りします。候補は?」


 先輩が素早く紙に書く。


『悪役令嬢、怒りの反撃』


「燃えます」


『公爵令嬢、聖女候補への非難を否定』


「まだましです」


『エレオノーラ様「私は傷つけられた本人」』


「それでいきましょう。本文で三点要求を必ず併記」


『女の涙を見出しにする男は破滅記事を書く』


「それは引用されますね……」


「されますわね」


 いつの間にか隣に来ていたエレオノーラ様が、涼しい顔で言った。


「止められませんでした」


「止める気、ありました?」


「少し」


「少し」


 私は胃薬を探した。


 カイル様が無言で差し出してくる。


 なぜ持っているのですか。


「ありがとうございます」


「必要そうだった」


「否定できません」


 その時、王宮の連絡用水晶が淡く光った。


 先輩が読み上げる。


「神殿から緊急抗議です」


 早い。


 嫌な予感しかしない。


 水晶板に文字が浮かぶ。


『本日グランフェルト公爵家において行われた発言は、聖女候補ミリア・セレスの心痛に対する配慮を欠き、民の信仰心を揺るがすものである。神殿は深い憂慮ゆうりょを表明する』


 火種が一気に浮かぶ。


【火種:神殿反発】

【火種:信仰対公爵家】

【火種:ミリア被害者固定】

【火種:エレオノーラ再悪役化】

【火種:王宮への対応要求】

【火種:聖女ブーム加速】


 私は額を押さえた。


「深い憂慮、便利に使われすぎでは?」


 先輩が乾いた笑いを漏らす。


「王宮もよく使うわよ」


「だから刺さるんです」


 エレオノーラ様は水晶板を見つめ、静かに言った。


「つまり、効いたのですわね」


「はい」


 私は頷く。


「効きました。だから反発しています」


 神殿は、エレオノーラ様が黙っている限り、悪役令嬢として利用できた。


 でも彼女は言った。


 私は悪役令嬢ではない。

 傷つけられた本人だ。


 その言葉は、神殿が作った構図に傷を入れた。


 敵。

 被害者。

 救済者。


 その単純な三角形に、本人の声が割り込んだ。


 神殿が嫌がるはずだ。


 私は記録水晶を見た。


 今日の会見は、完璧ではなかった。


 火種もあった。

 危険な発言もあった。

 見出しになりそうな一言も、正直あった。


 けれど、エレオノーラ様の言葉だった。


 それだけは、誰にも奪わせない。


「明日、正式な名誉回復会見めいよかいふくかいけんを開きます」


 私は言った。


 先輩が顔を引きつらせる。


「明日?」


「はい。神殿が反発した以上、放置すれば“公爵家が聖女候補を傷つけた”という物語に戻されます。全文公開、質問制限、訂正権の確保。王宮記録局立ち会いで行います」


「胃薬、追加発注する?」


「箱で」


 カイル様が短く言った。


「守る」


 私は彼を見上げる。


「剣ではなく、場を、ですね?」


「……場を」


 少し間があった。


 今、剣も候補にありましたね。


 エレオノーラ様がくすりと笑う。


「では、明日は悪役令嬢らしく――」


「高笑いは禁止です」


「まだ何も言っておりませんわ」


「言う前に火種が見えました」


「便利な能力ですこと」


 便利ではない。

 胃に悪い。


 でも、私は少しだけ笑った。


 今日、エレオノーラ様は自分の言葉を取り戻した。


 明日は、それを記録に残す。


 悪役令嬢ではなく、被害者として。

 被害者でありながら、怒る権利を持つ人として。

 誰かを罵らず、それでも黙らない人として。


 王宮広報局危機声明管理室。


 通称、炎上対応係。


 明日の仕事は、ただ火を消すことではない。


 誰かに奪われた言葉を、本人の手に返すことだ。


 私は白紙を一枚取り出し、見出しを書いた。


『名誉回復会見、始めます』


 その文字の端に、小さな火種が灯った。


 けれど私は、羽ペンを止めなかった。

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