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王宮炎上対応係の私、婚約破棄会見を止めたら無口な辺境伯に溺愛されました 〜王太子殿下、その発言は国が燃えます〜  作者: 磯辺
悪役令嬢の名誉回復作戦

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王太子派の記者を黙らせます

 新聞記者というものは、火種を運ぶ鳥に似ている。


 羽ばたけば噂が飛ぶ。

 鳴けば人が振り向く。

 そして、ときどき、くちばしに油をくわえてくる。


 もちろん、全ての記者がそうではない。

 事実を追う人もいる。

 権力を監視する人もいる。

 誰かの聞かれなかった声を拾い上げる人もいる。


 けれど、今日これから会う相手は、少なくとも油の匂いがした。


「リディア・ノートンです。本日は取材のお時間をいただき、ありがとうございます」


 王宮広報局の小会見室。


 机を挟んだ向こうに座っているのは、王都瓦版の記者、セドリック・ヘイルだった。


 三十前後。

 整えた茶色の髪。

 細い銀縁の眼鏡。

 指先にはインクの染み。

 見た目だけなら、いかにも勤勉な新聞記者である。


 ただし、目が笑っていない。


 その隣には、記録係が一人。

 私の背後には王宮広報局の先輩職員。

 部屋の隅には録音水晶が置かれている。


 水晶は薄青く光っていた。

 今この瞬間から、全ての発言は記録される。


 ありがたい。

 前世にも欲しかった。

 議事録を「言った」「言わない」で揉める会議に、この水晶を投げ込みたかった。

 物理的にではなく、制度的に。


「こちらこそ。王宮広報局のご見解を、ぜひ民の皆さまにお届けしたく」


 セドリック記者は、柔らかく笑った。


 言葉は丁寧。

 声も穏やか。

 けれど、その響きは妙に磨かれていた。


 まるで、よく研いだ小さな刃物を布に包んで差し出されたような声だった。


 私は視線を資料に落とす。


 取材依頼書。

 質問項目。

 昨日の試し刷り。


『公爵令嬢、貴族令嬢たちへ圧力か』

『王宮広報官も同席、発言訂正を強要』


 見出しの横で、火種がちらちらと揺れている。


【火種:圧力印象】

【火種:訂正要求の悪用】

【火種:王宮による言論統制】

【火種:悪女見出し再燃】

【火種:質問前提の誘導】


 はい。

 よく燃えますね。

 新聞紙って本当に燃えやすい。


「では早速ですが」


 セドリック記者は羽ペンを構えた。


「昨日の貴族サロンにて、エレオノーラ・グランフェルト公爵令嬢が、複数の貴族令嬢に対して発言訂正を求めた件について、王宮広報局としてはどうお考えですか?」


 私は微笑んだ。


 いきなり本丸。

 いいですね。

 胃には悪いですが、時間効率は高い。


「回答前に確認させてください」


「確認?」


「はい。そのご質問には、未確認情報が三つ含まれています」


 セドリック記者の羽ペンが止まった。


 背後の先輩職員が、小さく息をのむ気配がした。

 たぶん胃薬の瓶を握った音もした。


「未確認情報、ですか」


「第一に、“複数の貴族令嬢に対して”という表現です。昨日、訂正を求められた発言者は主にヴィオラ・マーデン子爵令嬢お一人です。周囲にいた方々は、その場で聞いていた立場です」


「しかし、場にいた令嬢たち全体が圧を受けたと感じた可能性は」


「第二に、“圧を受けた”という評価です」


 私は言葉を重ねた。


「その評価をなさったのは、どなたですか」


 セドリック記者は眼鏡の奥で目を細めた。


「それは、関係者の証言に基づいております」


「証言者の人数は?」


「取材源の秘匿がありますので」


「承知しました。では、証言者がその場にいた方か、後から聞いた方かだけでも確認できますか」


「それも取材源に関わります」


「では、“関係者の証言”という表現は、読者に対して検証可能性がありませんね」


 空気が少し固くなった。


 セドリック記者の笑みは崩れない。

 でも、羽ペンの先が紙の上でわずかに強く押された。


「第三に、“発言訂正を強要”という表現です」


 私は机の上の紙を一枚、前に出した。


「昨日の場でエレオノーラ様が求めたのは、“確認していない噂を口にした”という事実関係の訂正です。強制力を持つ命令ではありません」


「公爵家の令嬢が前に立てば、それは実質的な圧力では?」


「では、未確認情報を流された当事者が、その場で訂正を求めることは全て圧力になりますか」


 セドリック記者の目が止まった。


 私は続ける。


「例えば、王都瓦版が誤った情報を掲載され、貴紙が訂正を求めた場合、それは読者への圧力ですか?」


「新聞社の訂正請求と、公爵家の令嬢の発言を同列に扱うのは」


「同列ではありません。だからこそ確認しています」


 私はゆっくり息を吸った。


「訂正を求める行為そのものが問題なのか。身分によって問題になるのか。あるいは、内容が事実かどうかによって判断すべきなのか。ご質問の前提を整理しなければ、正確にお答えできません」


 セドリック記者は、しばらく私を見ていた。


 その目には、少しだけ苛立ちが混ざっている。


 よかった。

 少なくとも、こちらの言葉は届いている。

 好意的にではないけれど。


「なるほど。では、王宮広報局としては、公爵令嬢の発言訂正要求は正当だったと?」


 来た。


【火種:王宮による公爵家擁護固定】

【火種:対立煽り】

【火種:正当性の断定要求】


「王宮広報局として申し上げられるのは、現時点で確認済みの事実のみです」


「一言でお願いします」


「一言で済むなら、炎上対応係は存在しません」


 背後で、先輩職員が咳き込んだ。

 たぶん笑いを殺した。

 仕事中です、先輩。


 セドリック記者の眉がわずかに動いた。


「読者にはわかりやすさが必要です」


「わかりやすさと、事実の省略は別です」


「しかし、全てを長々と説明しても、民は読みません」


 その言葉に、私は一瞬だけ引っかかった。


 民は読みません。


 言い方が、妙に滑らかだった。

 前にも似た響きを聞いたことがある。


 毒のない蜂蜜のような声。

 甘く、清潔で、喉を通りやすい。

 けれど、飲み込んだあとに体温だけを奪っていくような言葉。


 ベルク・アインハルト。


 宰相補佐の声が、頭の片隅をかすめた。


 実に有効な対応です。


 あの時の響きと似ている。

 同じ言葉ではない。

 けれど、文章の骨が似ている。


 誰かが、記者に型を渡している。


 私は視線を質問項目に落とした。


 句読点。

 文の切り方。

 問いの運び。


 新聞記者が荒く書いた質問ではない。

 あまりにも整っている。

 まるで、王宮文書の廊下を歩くような文章だ。


「ヘイル様」


「はい」


「この質問項目は、ヘイル様ご自身が作成なさったものですか」


 セドリック記者の羽ペンが止まった。


 ほんの一瞬。

 本当に、一瞬だけ。


 けれど、記録水晶の光がその沈黙を拾ったように見えた。


「もちろん、私が作成しました」


「全文を?」


「ええ」


「では、こちらの表現について確認させてください」


 私は紙の一文を指さした。


「“公爵令嬢による社会的圧迫の可能性”という表現です。新聞記事としては少し硬いですね。王宮法務部や行政文書でよく見る言い回しに近い」


「私は法務にも詳しいので」


「句読点の置き方も、貴族官僚文書に近いです」


 セドリック記者の笑みが消えた。


「広報官殿は、文章の癖で人を裁くおつもりですか」


【火種:言論弾圧への転換】

【火種:王宮の監視印象】

【火種:記者被害者化】


 ああ、早い。

 火の回りが早い。

 乾いた薪みたいな人だ。


「裁きません」


 私は即答した。


「ただし、確認はします」


「確認、確認。便利な言葉ですね」


「はい。便利です。燃える前に使うと特に」


 今度こそ、先輩職員が小さく吹いた。

 記録水晶が全部拾っていたら申し訳ない。

 後で議事録に「咳」と書いておこう。


 セドリック記者は、わずかに身を乗り出した。


「では、こちらも確認させてください。王宮広報局は、王太子殿下の名誉よりも、エレオノーラ公爵令嬢の名誉を優先するのですか?」


 視界が赤く揺れた。


【火種:王太子対公爵家の対立固定】

【火種:王宮分裂印象】

【火種:忠誠心テスト】

【火種:回答不能質問】


 来た。

 質問の形をした罠だ。


 はいと言えば、王太子軽視。

 いいえと言えば、エレオノーラ様の名誉軽視。

 どちらでも燃える。


 こういう質問は、答えてはいけない。

 質問の前提を、まず解体する。


「その質問には、前提の誤りがあります」


「どのあたりが?」


「王太子殿下の名誉と、エレオノーラ様の名誉は、片方を守るために片方を傷つけるものではありません」


 私は言った。


「王宮広報局が優先するのは、確認済みの事実、関係者の名誉保護、そして公的手続きの適正さです」


「綺麗なお答えですね」


「汚くすると燃えますので」


「民は、そんな曖昧な言葉では納得しませんよ」


 まただ。


 民は。

 読者は。

 皆は。


 主語が大きい。

 大きい主語は、だいたい棍棒になる。


「では、ヘイル様に伺います」


 私は机の上で指をそろえた。


「貴紙が想定される“民”とは、どなたですか」


「王都に暮らす読者です」


「王都に暮らす読者全員ですか」


「もちろん全員ではありませんが」


「では、どの層の読者ですか。貴族、商人、職人、神殿関係者、学生、地方からの滞在者。立場によって関心は違います」


「そこまで細かく分けていては記事になりません」


「分けずに“民”と書けば、誰かの意見を全員の声に見せることができます」


 セドリック記者の顔から、ほんの少し血の気が引いた。


 私は逃さない。


「ヘイル様。貴紙は、誰の声を“民”として扱っていますか」


 沈黙。


 録音水晶が、青く瞬いた。


 私はその光を見ながら思う。


 この水晶は、声を残す。

 でも、残された声をどう扱うかは、人間次第だ。


 切り抜けば刃になる。

 全文で出しても、長すぎれば届かない。

 要約すれば、誰かの意図が混ざる。


 情報は、それ自体が中立ではない。

 扱う人間の手つきが出る。


「……王宮広報局は、新聞の自由を制限するおつもりですか」


 セドリック記者は低く言った。


【火種:表現の自由】

【火種:王宮検閲疑惑】

【火種:新聞社被害者化】


 はい、出ました。

 第十一話からの続投火種。

 表現の自由。


 強い言葉だ。

 それ自体は大切だ。

 でも、大切な言葉ほど盾にされやすい。


「いいえ」


 私は答えた。


「新聞の自由は重要です。王宮に都合の悪いことを書く自由も、権力を批判する自由も守られるべきです」


 セドリック記者の目が少し揺れた。


「ですが」


 私は続ける。


「未確認情報で人を殴る自由は、表現の自由とは別です」


 部屋が静まり返った。


「訂正を求められた時に、その訂正内容を検証せず“圧力”と見出しにすること。涙を見た人が、その理由を本人に確認せず他者の罪にすること。公的手続きが進行中の事案で、片方を悪役、片方を被害者として固定すること。それらは自由の行使である前に、情報を扱う者の責任の問題です」


 私は、紙の上の見出しを見た。


「見出しは、人の人生を変えます」


 エレオノーラ様の手が震えていたことを思い出す。


 悪女と呼ばれ慣れております。


 あの笑顔。

 その裏の傷。


「だから、見出しを書く人には責任があります」


 セドリック記者は黙っていた。


 怒っている。

 けれど、録音水晶の前で雑な言葉は使えない。


 記者は言葉の人だ。

 だからこそ、記録される言葉の怖さを知っている。


「……では、貴局の正式回答を」


 彼はようやく言った。


「簡潔にお願いします」


「はい」


 私は用意していた文書を開いた。


「王宮広報局としての見解は以下です」


 背筋を伸ばす。


「第一に、昨日の貴族サロンで行われた発言訂正のやり取りは、現在確認中です。現時点で“圧力”または“強要”と断定する根拠は確認されていません」


 セドリック記者の羽ペンが動く。


「第二に、婚約破棄手続きおよび関連発言については、王宮声明の通り、証拠確認と関係者聴取が継続中です。確認完了前に、特定人物を加害者または被害者として固定する表現は控えるよう求めます」


 水晶が静かに光る。


「第三に、王宮広報局は新聞社の取材および報道の自由を尊重します。ただし、未確認情報に基づく名誉毀損、断定的見出し、文脈を欠いた切り抜きについては、必要に応じて訂正要請を行います」


 私は一度、息を吸った。


「以上です」


「長いですね」


「短くすると人が燃えます」


 セドリック記者は、今度は笑わなかった。


「その回答を、全文で掲載してもよろしいですか」


「もちろんです」


「では、紙面の都合で一部抜粋になる場合は?」


 来た。


【火種:切り抜き】

【火種:都合のよい引用】

【火種:王宮発言の改変】


「抜粋する場合は、抜粋箇所と省略箇所が明確にわかる形でお願いします」


「新聞には紙面があります」


「訂正欄にも紙面は必要です」


 セドリック記者が、ぴたりと動きを止めた。


「……訂正欄?」


「はい。もし本日の回答が文脈を損なう形で掲載された場合、王宮広報局は貴紙に訂正を求めます。その際、訂正記事は元記事と同程度の視認性で掲載してください」


「それは要求ですか」


「事前確認です」


「また確認ですか」


「燃える前に使うと便利ですので」


 背後で、先輩職員がまた咳をした。

 絶対に笑っている。

 あとで胃薬を一本没収しよう。


 その時、会見室の扉が静かに開いた。


 入ってきたのは、エレオノーラ様だった。


 今日は深い紺色のドレスをまとっている。

 装飾は少ない。

 けれど、少ないからこそ、彼女自身の気品が際立っていた。


 セドリック記者が立ち上がる。


「グランフェルト公爵令嬢」


「失礼。私についての記事になると伺いましたので、本人として確認に参りました」


 本人確認。

 強い。

 概念が強い。


 エレオノーラ様は、録音水晶に目をやった。


「記録中ですのね。結構ですわ」


 そしてセドリック記者へ微笑む。


「ヘイル様。一つ、私からも質問してよろしいかしら」


「もちろんです」


「あなたは、私が昨日、令嬢方に訂正を“強要”したとお書きになる予定でしたわね」


「その可能性について取材を」


「では、強要されたとおっしゃった方は、誰ですの?」


 セドリック記者は答えない。


「取材源は秘匿なさるのでしょう。では、その方は私が訂正を求めた発言内容を正確にご存じでしたか?」


「それは」


「その方は、私が“確認していない噂を口にした”という点を訂正してほしいと申し上げたことをご存じでしたか?」


 セドリック記者の沈黙が長くなる。


 エレオノーラ様は、少しだけ首を傾げた。


「ご存じないなら、それは証言ではなく感想ですわ」


 私は心の中でメモした。


 証言ではなく感想。

 未確認情報対応マニュアル、第二項目。


「感想を書くなとは申しません。新聞にも論評は必要でしょう」


 エレオノーラ様は穏やかに続けた。


「けれど、感想を事実の顔で歩かせるのは、おやめなさい」


 セドリック記者の頬が強張った。


 美しい言葉だった。

 でも、切れる。

 絹で巻かれた刃だ。


 私は少しだけ息をのむ。


 エレオノーラ様は、やはり戦える人だ。

 誰かに守られるだけの人ではない。

 彼女は、自分の名誉を自分の手で取り戻そうとしている。


 そして私は、その隣で彼女の言葉が歪められないようにする。


 そういう役割なのだ。


「……よくわかりました」


 セドリック記者は、ゆっくりと羽ペンを置いた。


「本日の王宮広報局の見解は、慎重に扱います」


「ありがとうございます」


 私は礼をした。


 でも、油断はしない。


 慎重に扱う。

 便利な言葉だ。

 慎重に切り抜くこともできる。


 セドリック記者は資料をまとめ、立ち上がった。


「最後に一つだけ」


「どうぞ」


「王宮広報局は、エレオノーラ様を守るために、聖女候補ミリア様への報道を制限しているという声があります」


 また来た。


 ミリア様。


【火種:エレオノーラ対ミリア再燃】

【火種:聖女候補被害者化】

【火種:神殿反発】

【火種:取材制限批判】


 私は答えようとした。


 けれど、エレオノーラ様が先に口を開いた。


「ミリア様への過度な取材も、未確認の中傷も、私は望みません」


 その声は、さっきより少し低かった。


「私の名誉を回復するために、別の女性を燃やす必要はありませんわ」


 私は、胸の奥が熱くなった。


 それは難しい言葉だった。

 エレオノーラ様はミリア様に傷つけられた。

 少なくとも、あの場ではそう見えた。

 怒りもあるだろう。

 許せない部分もあるだろう。


 それでも、燃やすなと言う。


 自分が燃やされたからこそ、別の誰かを燃やすなと言う。


 セドリック記者は、一瞬だけ言葉を失った。


「……そのお言葉も、掲載してよろしいですか」


「全文で」


 エレオノーラ様は即答した。


「切り抜くと、私が聖女候補を庇っている美談にされそうですもの。私は美談にされるほど寛大ではありません」


 私は危うく吹き出しそうになった。


 いい。

 非常にいい。

 美談化まで先回りしている。


「承知しました」


 セドリック記者は、今度こそ頭を下げた。


 会見室の扉が閉まる。


 足音が遠ざかる。


 その瞬間、先輩職員が椅子に崩れ落ちた。


「胃が……胃が拍手しています……」


「それはたぶん痙攣です」


 私は真顔で答えた。


 先輩は懐から胃薬を出した。


「ノートンさん、今日は勝ちましたか」


「勝ってはいません」


 私は録音水晶を見る。


「ただ、切り抜かれた時に反撃できる記録は残しました」


「それを勝ちと言ってはだめですか」


「炎上対応では、燃えなかった日を勝利と呼ぶと翌日燃えます」


「縁起でもない……」


 先輩は胃薬を飲んだ。


 エレオノーラ様が、静かに笑った。


「あなたの戦い方、少しわかりましたわ」


「私の、ですか」


「ええ。相手を黙らせるのではなく、相手が雑に話せない場所を作るのね」


 私は少し考えた。


「……たぶん、そうです」


 怒鳴って黙らせることはできない。

 権力で押さえつければ、別の火種になる。

 でも、記録を残し、前提を整理し、引用元を問えば、雑な言葉は少しだけ動きにくくなる。


 それは完全な防火壁ではない。

 でも、延焼を遅らせる壁にはなる。


「リディア」


「はい」


「あなた、静かに強いのね」


 私は一瞬、返事に困った。


 強い。

 その言葉を自分に向けられることに、まだ慣れない。


「私は、胃が弱いです」


「それは存じています」


「それに、怖いです。記者会見は前世から苦手で」


「前世?」


「あっ」


 しまった。


 エレオノーラ様は一瞬だけ不思議そうにしたが、すぐに流してくれた。


「まあ、過去の職場という意味にしておきますわ」


「助かります」


「いつか詳しく聞きます」


「助かっていません」


 エレオノーラ様は楽しげに微笑んだ。


 その時、会見室の外から慌ただしい足音が聞こえた。


 別の広報局員が飛び込んでくる。


「ノートンさん! 王都中に新しい瓦版が配られています!」


「早すぎませんか」


「王都瓦版ではありません! 神殿系の配布紙です!」


 差し出された紙を受け取る。


 見出しを見た瞬間、私は眉をひそめた。


『聖女候補ミリア様、孤児を癒やす』

『病人のため夜通し祈る』

『汚れた井戸を清め、民に笑顔を戻す』


 三つ。


 綺麗に三つ。


 私は紙面をめくる。

 構成が整いすぎている。

 敵、被害者、救済者。

 涙、祈り、奇跡。


 美しい。

 美しすぎる。


 美しすぎるものは、たいてい誰かが磨いている。


 視界に火種が揺れた。

 でも、それだけではない。


 ミリア様の笑顔の挿絵の奥に、火ではなく、白い空白のようなものが見えた気がした。


 言葉があるのに、本人の声がない。


「……これは」


 エレオノーラ様が紙面をのぞき込む。


「聖女候補の美談ですわね」


「はい」


 私はゆっくりとうなずいた。


「整いすぎています」


 先輩職員が青ざめる。


「整いすぎると、どうなるんですか」


「広告になります」


「美談ではなく?」


「美談の形をした広告です」


 私は紙面を握りしめた。


 ミリア・セレス。


 王太子の隣で涙を流した少女。

 エレオノーラ様を悪女に見せる構図の中心に置かれた聖女候補。


 私はまだ、彼女が敵なのかどうかわからない。


 でも、この紙面の中にいる彼女は、人間ではない。


 清らかな絵。

 便利な涙。

 民衆が信じたくなる物語。


 そして、本人の言葉だけがない。


「次は神殿ですね」


 私が言うと、先輩職員は胃薬の瓶を落とした。


「新聞の次に神殿ですか。順番待ちの炎上案件、多すぎません?」


「王都は今、薪の積み方が上手すぎます」


 エレオノーラ様は紙面を見つめたまま、静かに言った。


「リディア」


「はい」


「ミリア様の記事を調べましょう」


 私は彼女を見る。


 その横顔には、怒りがあった。

 けれど、それだけではなかった。


 警戒。

 痛み。

 そして、ほんのわずかな疑念。


 もしかしたら、ミリア様もまた、誰かに書かれているのではないか。


 私は水晶板に次の見出しを記録した。


『聖女候補ミリア様、三つの奇跡』


 火は、新聞社から神殿へ移った。


 けれど私は、今度こそ火元を見誤らないつもりだった。

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