第54話「TRIGGER」
雨の中、野獣のように雄叫びを上げ続けるマイカ・ハートリー。
放心しながらも彼から目を離すことができない蘭丸は、その叫びに人間ならざる者の片鱗を感じ、ただ恐怖していた。
(野獣…いや、悪魔だ。あいつは悪魔だ…)
雨の中で威力が不十分ながらもスタンガンの直撃、そして並の格闘家なら一撃でKOする慎之介のハイキックを頭部に受け、なおも立ち上がり反撃する男。
マイカ自身もさすがにダメージは深いようだが、見た目よりもずっとタフな慎之介を一撃でダウンさせるほどのパンチを放てるほど力が残っていたとは…。
足元がおぼつかないながらもマイカは蘭丸の方に目を向け、ふらふらと歩きながら向かってくる。
最後に残った一人…蘭丸を倒し、目的を完遂させようとしているのだろう。
弟の仇である者や、自分の邪魔をする者全員の打倒という目的を。
「く…くそっ!このままやられてたまるかよ!」
遼も戦いに破れてKO、慎之介も不意打ちの右ストレートでダウンしている。
両者ともに死んではいないが、この短期間でまた闘えるほど回復できるかはかなり怪しい。
残ったのは自分しかいない…そう考えた蘭丸が我に返り、手に持ったスタンガンを構えて突進するが…。
身に染み付いた動きであろう、マイカは巧みなフットワークでその突進をかわし、蘭丸の顔面を左フックで打ち抜く。
それを受けた蘭丸も慎之介同様に吹き飛び、地面に倒れてしまった。
敵対者三人をダウンさせ、息を落ち着かせたマイカがゆっくりと膝をつく。
"S-Shit… I can’t believe that damn kid pushed me this far…"
(く、くそっ…あのガキめ、俺をここまで追い詰めるとは…)
見ればたった今殴った蘭丸も、立ち上がれはしないようだが息はあるようだ。
全力なら一撃で絶命させられただろうが、ダメージや足場の悪さ、疲労の問題でやはり拳の威力が落ちている。
しかし…敵対者は全員倒した。あとは組織の人間が何とかするだろう。
そう考えてマイカはこの場を見張っているであろう自身の上司…金豪へと電話を掛け始めた。
――――――――――
「…うむ、承知した。マイカ、お主もそこへ残っておれ。
今すぐ駆け付けよう」
マイカからの電話を受けた金豪がそう告げた後…。
彼は部下に命令を始める。
「よし、決着じゃ。
蘭丸なるガキのみ拉致して斗真の居場所を吐かせよ。
残りの者はマイカ含めて全員始末せい。
くれぐれも相討ちのように見せかけてな」
金豪は、部下でありながら暴走し、警察官さえも暴行したマイカにはとっくに見切りをつけていた。
そのため敵とまとめてマイカを始末しようと思っていたのである。
電話向こうのマイカの声はかなり息を切らせていたし、おそらくダメージも大きいのだろう。
銃器を使わなくても葬れるはず…と金豪は考えていた。
だが…。
「そこまでだ、金豪。その命令を実行させるわけにはいかないよ」
集団の中から一人の男…非常勤の医師ながらIDMの幹部でもある井上翔眞が現れ、金豪に向けてそう言い放った。
その顔を見て金豪は不愉快そうな顔を浮かべる。
「なんじゃ、昼行燈の井上か。
これはわしの作戦じゃ。貴様の命令など聞かん。
何しに来たのか知らんが、とっとと失せろ!」
金豪と井上は、IDMの幹部としては最古参…形式上も事実上もほぼ同格である。
ただ、井上は人を人と思わない金豪の下劣な所業を心の底から嫌っていたし、金豪も戦闘能力を持たない井上を蔑んでいた。
はっきり言えば、この二人はIDM幹部衆の中でも最悪の組み合わせでもあった。
それを踏まえて井上が笑いながら金豪に言う。
「それはまあそう、私の言うことは聞かないだろうなお前は。
そんなこともわからずにここに来るほど、私も間抜けじゃないぞ」
「ええい、相変わらず言い回しがくどいわ、このタワケが!
さっさと帰れ!失せろ!!」
イライラとしながら吐き捨てる金豪に対し…井上が後ろを振り返り、膝をつく。
そこから現れたのは…純白の高級スーツに鈍く輝く銀色の長髪、鋭く冷ややかな眼光をした長身の男性。
井上や金豪などIDM幹部の上位である存在…『ソーマ』と呼ばれる人物である。
「うっ!ソ、ソーマ様…」
金豪が言葉を失い、その場に膝をつき頭を垂れる。
いかな金豪とはいえ、この人物には逆らえない。
傲慢不遜な人物が多いIDM幹部のさらに上…言わば彼らの上司にあたる人物なのだ。
3人しかいないその上位者たちの決定に刃向かえば、それは即ち『死』を意味する。
そう考えた金豪に対し、ソーマと呼ばれた人物が冷たく語り掛ける。
「金豪、貴様の部下の囲みを解け。それ以上の言葉は必要あるまい」
「…はっ…」
理由を問うことはできない。
それは先刻承知済みの金豪が、部下に命じ撤退を指示する。
それを確認した後、ソーマは井上を促すように言った。
「井上、お前も来い。
知った顔がいるほうが、その…霧神少年だったか?
彼も少しは警戒が緩むことだろう」
そう言ってソーマは、マイカと慎之介達の闘いの場所へ向かう。
井上もそれに合わせてついていった。
そして金豪は…頭を垂れながらも忌々しそうにその後ろ姿を眺め続けていた。
――――――――――
さて、こちらは戦闘が終わったマイカだが…。
しばらく待っても誰も来ないことを訝しがり、周囲を見回している。
本来ならばとっくに仲間が来てもおかしくないはずだが…。
(どうなっている?なぜ誰も来ない?
何かトラブルでもあったのか?
まさか俺を見捨てた…?
いや、勝った俺を見捨てて何の意味がある?)
胸に不信感を少し抱きながら彼はさらに周囲を見回すが…。
視線の先に、ゆっくりと立ち上がる一人の少年の姿が見えた。
その少年…霧神慎之介は大きく息を吐きながら、立ち上がりマイカを見据える。
「…驚いたぞ、小僧。まさか立ち上がれるとはな。
そのまま倒れていれば楽に死ねたものを」
挑発と敬意か、日本語で慎之介に話しかけるマイカだが…慎之介は何も答えない。
ダメージのせいで言葉が発せないのか、とマイカは考える。
ならばやることは一つ…とどめを刺すだけだ。
斗真の場所を聞きださなければいけない蘭丸はともかく、この少年はこの場で殺害しても問題ない。
…そう考えながら、マイカは構えを取り、思案する。
慎之介が立ち上がったのは、自分のストレートの威力が落ちていたからだろう。
ハイキックとスタンガンで自身のダメージも多いし、雨で足場が悪く踏ん張りもきかない。
そのため一撃KOには至らなかったが…結局、死ぬまで殴れば結果は変わらない。
"You little bastard… this is the end. Go to hell!!"
(このクソガキめ…これで終わりだ!地獄に堕ちろ!!)
そう叫んでマイカは突進する。まさにとどめを刺さんばかりに。
慎之介は動かない。来るに任せているようだ。
そしてマイカは拳が届く範囲まで接近し、右ストレートを打ち込むが…。
――慎之介はひらりとその拳をかわした。
まるでその攻撃が来ることがわかっていたかのように。
"What the—!? No fxxking way!"
(なっ!?…そんなバカな!!)
驚愕するマイカだが…気を取り直してジャブを連打する。
しかし、それさえも慎之介は身軽にかわし続けた。
まさに、すでに攻撃が来るべき位置を完全に見切っているかのように。
"Huh…"
最速の攻撃であるジャブさえもかわされたマイカが驚愕の声を上げる。
そのスキに慎之介は少し距離を取り、思案していた。
(なぜだろう、攻撃が来る場所がわかる。
――そうか、これが…『無明』、その真の効果か)
『無明』…霧神流古武術午之段の奥義。
先に詩音から伝授されていた技である。
五感を極限まで研ぎ澄まし、さらに第六感で相手の位置を探る技。
極めれば相手の敵意や殺意も敏感に感じ取り、攻撃が来る位置も事前に察知できるというが…。
慎之介はまさに死地に追い込まれ、その境地に達していたのである。
「…はは。本当にトンデモ奥義だな。
でも…そのおかげで、あいつを何とかできそうだ」
少し笑いながら慎之介はマイカに向け構え、決着をつけるべく動き出す。
霧神慎之介…霧神流の正統後継者としての真の第一歩が、今刻まれた。




