第53話「BLACK BOX」
さあ、ボクシングで闘うことを宣言したマイカが構えを取る。
左手足を前に出し利き腕の右を後ろに据えるオーソドックスな構えに上体を比較的まっすぐに立てる、いわゆるアップライトスタイルだ。
長身でリーチの長い彼にとっては、これが基本の構えなのだろう。
そのまま彼は軽やかにフットワークを刻み、慎之介を睨みつける。
(さて、ここからが本番だ。決して気を抜くなよ、僕)
トントンとその場で軽く飛びながらリズムを取り続けるマイカを見て、慎之介も自分を戒めるかのようにそう思案する。
大輔が救援に来るまであと15分ほど…自分ではマイカに太刀打ちできない以上、それまではなんとか時間を稼がなければいけない。
だが…。
――マイカは踏み込み、ほんの数瞬で自分の拳が届く距離まで慎之介に接近する。
雨で足場も悪いはずだが想像を超えたこの速さには、警戒していた慎之介も一瞬虚を突かれた。
(は…速い!)
咄嗟に慎之介は顔面をガードするが、その上から叩きつけられるように左ジャブの連打を受ける。
手打ちのジャブと言ってもその拳は重く、このまま連打を受ければ腕が破壊されかねない。
反撃しようにも圧倒的なリーチの差で慎之介の拳は届きそうにない。
蹴りなら届くかもしれないが、かわされたりでもしたら体勢を崩したところに致命の一撃を受けることは彼にも容易に想像がついた。
数秒後、マイカが左ジャブから右ストレートに切り替えようとしたところで、慎之介は咄嗟にしゃがむ。
そしてそのまま右ストレートをかわしてマイカの背後に回り込み、ふくらはぎへカーフキックを打ち込んだ。
「…チッ!」
マイカの動きも速いが、慎之介とて過酷な日常生活で鍛えられた俊敏さと脚力、そしてスタミナがある。
今まで相対した小兵とは違うその素早さにマイカも面喰らい、一撃を許したのであるが…。
マイカは少し距離を取り、ふくらはぎのダメージを散らすかのように足を振る。
反して慎之介も腕の痛みやしびれを振り払うように腕を伸ばし縮みさせた。
その場に降る雨がますます強くなっていく中、慎之介はマイカを睨み思案する。
(まいったな、想像以上だ。
この雨と足場の中で、あれほどのスピードで動けるなんて…。
それに威力も段違いだ。
一発でもまともに食らうと、もう動けないかもしれない)
雨が大降りになれば、ますます視界は悪くなる。
不利なのは一緒だが、やはり実力で勝るマイカのほうがやや有利に勝負を進められるだろう。
慎之介が思案を続けていたところ…マイカが冷静さを取り戻して語り掛けてきた。
「おいガキ、大したもんだな。
ボクサーの俺相手に蹴りを狙った奴はごまんといるが
実際に当てたのはお前が三人目だぜ」
「…お褒めいただきどうも。
そのお礼と言ってはなんだけど、見逃してくれませんか?
あんたの弟を倒したこともバカにしたことも謝りますんで」
大輔が応援に来るまでおそらく長くともあと15分程度。慎之介としては、それまでとにかく時間を稼ぎたい。
そのためとにかく会話を引き延ばそうとして…マイカもそれに乗ってきた。
彼も先のカーフキックが思った以上に効いているのだろう。
「Hahaha…そりゃ無理だな。俺は見逃すつもりはねえ。
それに万が一俺が見逃したとしても、お前は家には帰れねえ」
「それはまたいったい、どういう理由で?
今日は早めに帰らないと母親が心配するんですが。
なんせ今日の夕ご飯は僕の大好きなハンバーグなんで」
「いいだろう、教えてやる。
この周辺にはな、俺のボスが手下を張らせてるんだ。
俺とお前が闘っていることもとっくに耳に入ってるだろうぜ。
つまり、お前は死体になる以外に家に帰る方法はねえんだ」
慎之介はその言葉に対してため息をつきながらも、マイカを睨み続ける。
実際に彼の仲間が張っているかはわからないが…その言を信じて周囲を見回し視線を切ろうものなら、マイカはそのスキに一瞬で距離を詰めてくるだろう。
時間稼ぎの会話と挑発を何度か往復した後…カーフキックのダメージも幾分か癒えたのか、マイカがまた構えて挑発する。
「さて、お喋りは終わりだ。
改めて言うが、俺はお前を逃がすつもりは一切ねえ」
そして慎之介に向かって来ようとするが…慎之介はニッと笑ってさらに挑発する。
「それなら無理にでも僕は逃げようかな」
というと後ろを振り返り…そのまま走って逃げだした。
そしてビルの間の狭い路地へ…先ほど遼と蘭丸がいる場所へ入る。
「馬鹿め、逃がさねえぞクソガキ!そこは行き止まりだ!」
マイカにとって慎之介の考えることは容易に想像がつく。
いったん姿の見えない路地裏に隠れ込み、追ってきた自分を不意打ちしようとしているのだろう、と。
不意打ちに警戒しながら、やや距離を取ってマイカは慎之介を追いかけ、路地裏を覗き込むが…。
「どりゃああああっ!」
という大きな掛け声とともに、慎之介が高い跳躍の飛び蹴りを放ってきた。
いわばライダーキックとでも言えそうな高く鋭い蹴りだが、不意打ちにしてはあまりにも大技で大げさだ。
そんなものが警戒していたマイカには当たるはずもなく、彼はスッと身を退きかわし、雨で少し滑りながら後方で着地した慎之介の方を振り返り構える。
「マヌケが。不意打ちならもっと静かに確実にやるもんだぜ。
もう隠れる場所もねえ、終わったな」
しかしその言葉を受けても慎之介は不敵な笑みを浮かべている。
まるでかわされることなど、とっくに承知していたかのように。
マイカはその表情に少し違和感を覚えるが…。
"I don’t care what the fuck you’re planning! I’m gonna crush your goddamn skull and finish you off!"
(何企んでいようが知るか!お前の頭蓋骨を砕いて終わりだ!)
と叫び、突進しようとする。
――瞬間、バチバチッ!という電気音が響き、彼の全身に激痛が走った。
"Wh-what!?"
マイカが目を見開いて後ろを見ると…暗い路地の壁際にしゃがんで隠れていた蘭丸が静かに接近し、己にスタンガンを押し付けていた。
雨によって100%の威力はないが、それでも動きを止めるには十分だ。
「今だ!やれ、慎之介!!」
蘭丸がそう叫ぶと、慎之介はマイカに猛然と突進した。
それを見て、マイカは電撃で自由にならない体を必死に動かそうとするが…その中で一つの考えに思い当たった。
―そうだ。
あの路地裏には倒れている大男ともう一匹のガキがいた。そのガキは部下からスタンガンを奪ったままだという。
―そうか。
あの大げさな不意打ちの飛び蹴りは、自分に注意を向けるためだったのか。
そして俺が慢心したところで、本命の不意打ちとして背後からスタンガンでの攻撃…。
いわば二段構えの不意打ち戦法だったのか、と。
そこまでマイカが考えたところ…接近した慎之介のハイキックが鈍い打撃音とともに彼の頭部にジャストヒットする。
それを受けたマイカは軽い呻き声を上げ、ゆっくりと回転しながら地面に崩れ落ちた。
――――――――――
「はは、不意打ち有りとはいえ元ヘビー級ボクサーに勝っちまったよ」
極度の緊張感から解放された蘭丸が座り込み、大きくため息を吐く。
慎之介も倒れたマイカを見下ろしながらも、遼の容態を確認しようと思い視線を切ったところ…。
―不意にマイカが立ち上がり、油断していた慎之介の顔面を右ストレートで打ち抜いた。
攻撃を受けた慎之介は吹っ飛び、雨で濡れた路上をすべるように倒れる。
それを見た蘭丸は、放心したように呟いた。
「う、嘘だろ…なんであれで立ち上がれるんだよ…」
マイカはよろよろと立ち上がる。
スタンガンの不意打ち、そして頭部への強烈なハイキック。決してダメージは少なくないはずだが…。
それでも、彼は執念、怒り、恨み、殺意の雄叫びを大きく上げた。
"You little bastard…! This ain’t over…! I’LL FXXKING KILL YOU—AAAAAAHHHHH!!!"
(クソガキが…!まだ終わりじゃねえ!ブッ殺してやる…アアアア!!)
雨は、まだ降り続けている。




