功績をあげすぎた太田道灌が暗殺されたか
さて。
長尾景信の反乱をきっかけに、武蔵や相模の国人の多くが関東管領上杉家に背き、長尾景春に味方した。
その背景には、鎌倉幕府以来の有力御家人だった相模・武蔵の国人たちが持っていた旧領を、上杉氏やそれに従う太田氏らに奪われていたこともある。
長年積み重なっていた不満が、ついに爆発したというわけだ。
そして一度火がついた反乱は、簡単には消えなかった。
山内上杉顕定と扇谷上杉定正は上野へ逃れ、関東は再び大きく揺れた。
だが――。
ここで一人の男が縦横無尽に動き回った。
太田道灌である。
道灌は武蔵や相模だけではなく、下総・上総にまで兵を進め、長尾景春方の国人を次々と切り崩していった。
その活躍によって長尾景春は次第に追い詰められ、ついには反乱そのものが鎮圧されることになる。
そして文明九年(一四七七年)。
足利成氏と両上杉家との間で和議が成立した。
これによって足利成氏も幕府から赦免されることとなり、長年にわたって関東を荒らし続けた享徳の乱は、ようやく終わりを迎えた。
――少なくとも、表向きには。
「しかし……」
俺は届いた報せを眺めながら、思わず息を吐いた。
「太田道灌の名声が上がりすぎたな」
大道寺重時も苦笑する。
「長尾景春を追い詰めたのは、ほとんど道灌だからな。そりゃ、名も上がる」
「ああ」
だが、それは単純に喜ばしいことではない。
太田道灌の名声が上がれば上がるほど、その主である扇谷上杉定正や、関東管領である山内上杉顕定の存在感は相対的に薄くなる。
まして今回の和睦は、山内上杉家と越後上杉家が主導したものだった。
扇谷上杉定正にしてみれば、面白くない話だろう。
そして、もう一人。
太田道灌自身もまた、この和睦には不満を持っていた。
自分や、ともに戦った武士たちに対して、十分な恩賞が与えられていないからだ。
もっとも、道灌は何も得られなかったわけではない。
長尾景春方についた国人の所領を、自らの家臣たちに与えている。
長尾景春はもともと山内上杉氏に属していた人物だ。
その景春に味方した国人たちの所領を太田道灌が押さえれば、当然ながら山内上杉氏と長尾氏の勢力は削られる。
その一方で、道灌が仕える扇谷上杉氏の勢力は大きく伸びた。
つまり――。
長尾景春の乱を鎮圧した結果、扇谷上杉家が最も得をしたのだ。
そして、その最大の功労者こそ太田道灌だった。
「そりゃあ、定正も複雑だろうな」
大道寺が言った。
「自分の家を大きくしてくれた男なのに、その男自身の力も大きくなりすぎた」
「そういうことだ」
太田道灌は優秀すぎた。
戦にも強い。
政務にも通じている。
そして何より、今回の戦で関東の武士たちから絶大な支持を集めてしまった。
さらに道灌は江戸城や河越城の修築にも取りかかっている。
それを見た扇谷家中の者たちが、定正にこう吹き込んだとしても不思議ではない。
――道灌は謀反を企てている。
――城を修築しているのも、そのためだ。
――このままでは扇谷家そのものを乗っ取られる。
もちろん、本当に道灌が下克上を考えていたのかは分からない。
道灌が長尾景春の従兄弟であったことを危険視した者がいたともいう。
あるいは、道灌の力を恐れた定正が、自らの意思で暗殺を決めたとも。
さらに別の説では、扇谷上杉家の力を削ごうとする山内上杉顕定の策に、定正が乗せられたとも言われている。
真相がどこにあるのかは、俺にも分からない。
ただ一つ確かなことがある。
太田道灌は――殺された。
扇谷上杉定正の糟屋館へ招かれた道灌は、風呂から上がったところを襲われた。
風呂場の小口から出た、その瞬間。
待ち伏せしていた曽我兵庫に斬りつけられ、そのまま命を落としたのである。
「……やれやれ」
俺は天井を見上げた。
「おそらく、これでまた関東が荒れるな」
「だろうな」
大道寺も頷いた。
「長尾景春の乱を鎮めた張本人がいなくなったんだ。道灌を頼りにしていた国人の中には、また上杉に背こうとする奴が出てくるだろう」
「しかも、今度は誰が関東をまとめる?」
「山内上杉か?」
「難しいだろうな」
長尾景春の乱によって、山内上杉家の威信は大きく傷ついた。
その一方で、扇谷上杉家は太田道灌の活躍によって勢力を拡大している。
当然、両者の対立は深まる。
山内上杉が扇谷上杉を押さえ込もうとすれば、扇谷上杉はそれに抵抗する。
そして、その扇谷上杉を支えていた太田道灌は、もういない。
――つまり。
関東を覆っていた巨大な火種が、一つ消えた。
だが、その火種を消すために押さえ込まれていた別の火種が、これから一斉に燃え上がる可能性がある。
俺は腕を組んだ。
「まあ、当然と言えば当然か」
「何がだ?」
「守護代が守護を食うなんて話は、珍しくもないってことさ」
越前の朝倉。
美濃の斎藤。
どちらも、軍事力と実務能力を持った守護代が、次第に主家を凌ぐほどの力を持つようになっている。
そう考えれば、扇谷上杉定正が太田道灌を恐れたとしても、完全に理解できない話ではない。
「道灌ほどの男が自分の家臣だったなら、俺だって警戒するだろうな」
「だから殺してしまった、と?」
「さあな」
俺は首を振った。
「だが、一つだけ言える」
「何だ?」
「太田道灌がいなくなったことで、関東の勢力図はまた変わる」
そして――。
その変化は、伊豆と駿河を押さえた俺たちにとっても、決して他人事ではない。
足利成氏との和睦が成立したことで、関東軍が西へ攻め込んでくる可能性は、ほぼ消えた。
これは俺たちにとって大きな幸運だった。
だが、関東そのものが安定したわけではない。
むしろ逆だ。
太田道灌という巨大な存在が消えたことで、これまで彼の存在によって抑えられていた不満や野心が、再び表へ出てくる。
「……さて」
俺は地図へ目を落とした。
「次に動くのは、誰だ?」
関東が再び荒れれば、その影響は必ず周囲へ及ぶ。
そして俺たちは、そのすぐ西側にいる。
戦が終わったからといって、安心していられるほど、この時代は甘くない。
むしろ――。
大きな戦が終わった直後こそ、次の戦が始まる。
俺には、そんな気がしてならなかった。




