閑話:日野富子と細川政元のそれぞれの思惑
日野富子は伊豆より届いた手紙を読み、笑みを浮かべた。
「ほう、ようやくか」
そこには伊勢盛時に嫁いだ兄の養女であった姪が懐妊したとの知らせが書いてあったからだ。
本来の家格が名家である日野家の極官は大納言であるが、足利将軍家との結びつきにより兄は従一位左大臣にまで昇進した。
だがその兄も昨年の文明8年(1476年)にすでに薨去しており、足利義政と富子の関係は冷え切っていたため、将軍の実母である富子は実質的な幕府の指導者となっていた。
しかし、その権勢には細川・伊勢・赤松などの存在と協力は不可欠であった。
山城の実質的な支配は伊勢一族がおこなっていたし、いまや交易拠点としても農地としても重要な場所である摂津国東成郡の生玉荘も伊勢一族が管理している。
さらに言えば幕府直属の軍事力である奉公衆の主力も伊勢が努めていることを考えれば伊勢とのつながりが強まることは日野富子には良いことでしかない。
だが細川政元から見ればかつての伊勢貞親のように専横を振るわれては困る。
もともと逆賊とされていた斯波義敏や畠山義就を、足利義政を通して赦免させ、細川勝元が敵対した大内政弘討伐を要請した時に大内政弘を支援したのは伊勢貞親であったのだ。
であるがゆえに故に二人の意見は対立した。
「古河公方との和平も成立し、関東の争いも収まった今、伊勢駿河守(盛時)には戻ってきてもらうべきだと思うがどうであろう?」
日野富子はそう言ったが細川政元は首を横に振った。
「それについてはまだ時期尚早かと。
一つには今川龍王丸はまだ元服しておらず、今川の後見人として彼がいなくなれば今川はまた割れるかもしれぬということ。
もう一つは山内上杉と扇谷上杉の間に不和が生じつつあり、関東の争いは決して収まったとは言えぬことです。
長尾四郎左衛門尉(景春)や古河公方も今は息を潜めているだけとみていたほうが良いでしょう」
「……そうか、いつまでたっても関東の闘いは終わらぬのだな」
「そしてもしも関東勢が西進してくることがあるとすれば、冬は雪に閉ざされる東山道や北陸道ではなく東海道でありましょう、故に箱根や足柄はなんとしてでも抑え続ける必要もあります」
「代わりのものを派遣するというわけには行かぬか?」
「今川龍王丸の母である北川殿と血縁関係がある伊勢駿河守(盛時)であればこそ任せることができましょう」
「……それも道理か」
「それに彼は”神憑り”であればこそ京に近づけぬほうが良いかと」
「あの者には天神や御霊がついているという噂は聞いておる。
だが、それならば京を復興し朝廷に銭を収め宮廷行事を復活させようとするものであろうか?」
「そこまではわかりませぬが、我家が没落せずに済んだのは御霊合戦に参加しなかったからと言うのは京雀たちが噂するところでございますゆえ」
「ふむ……彼に憑いているのが”天神”であれば、我らは怨敵となっているだろうが少なくとも私の姪をふくめ彼に嫁いだ者の身に何かがあったと言うわけではないようだが?」
「しかし彼が伊豆でも積極的に寺社の復興を行っているのは間違いようではございますな」
「ふむ……ではしばし様子を見たほうが良いか」
「その方が良いかと」
実際の所、細川政元は伊勢盛時が本当に神憑りだと思っているわけではなかった。
しかし、応仁の乱を実質的に収めた存在だと言える伊勢盛時が有能な政治家であり、伊豆を制圧して見せた武将でもあることは間違いなく、彼が京に戻ってくれば、伊勢と畠山の小競り合いが伊勢による河内・大和・紀伊の制圧に繋がりかねないとも考えていた。
遠江と越前を失い、尾張内部でも未だにお家騒動の火が消えていない斯波と河内と紀伊に分かれて争っている畠山よりも、京と大阪を抑え一族の中での争いのない伊勢のほうが細川にとっては脅威となる可能性は高い。
ならば伊豆に留めおいたほうが安心できるというものでもあった。