塩を止めたことで狩野が音を上げて降伏したので伊豆を統一できたよ
さて。
下田を落とし、狩野城へ向かう下田方面からの補給路を断ったことで――。
天城の狩野城は、完全に孤立した。
そもそも三島から天城峠を越えて下田へ抜ける道は、古くから存在している。
律令時代には、すでに人が行き交う交通路として利用されていたらしい。
とはいえ。
今の時代、その道を大軍が通れるかと言われれば、答えは否だ。
山が多すぎる。
平地が少なすぎる。
何より、人や物資を大量に運べる道が少ない。
後世になれば街道として整備され、人馬の継立も行われるようになる。
だが、それはまだずっと先の話だ。
ましてや南伊豆では、物資の輸送は海運が中心。
三島から下田へ抜ける陸路など、重要な補給路とは言い難い。
だからこそ――。
「……あちらは、だいぶ苦しくなってきているようだな」
俺が尋ねると、風魔小太郎が静かに頷いた。
「はい。特に大きいのが、塩でしょう」
「塩か」
「食料の保存にも必要ですし、人間が生きていく上でも欠かせません。下田を押さえられたことで、海から塩を入れるのが難しくなっています」
「なるほどな」
兵糧攻め。
城攻めの基本である。
ただ、今回はこちらが意図して狩野城を兵糧攻めにしたというより――。
伊豆の地形そのものが、こちらの味方をしてくれた。
伊豆半島は山だらけだ。
火山活動によって形作られた土地だけに、平地は少ない。
海岸まで山が迫っている場所も珍しくない。
現代なら、トンネルを掘ればいい。
道路を造ればいい。
橋を架ければいい。
だが、今は戦国時代。
国人領主の力だけで、大規模な道路工事などできるはずもない。
つまり。
山は多い。
なのに、人や物資を大量に運べる道は少ない。
それが伊豆だった。
そして今、その地形が狩野城を追い詰めている。
東には大見城。
こちらの手にある。
西には、土肥周辺を押さえる富永氏の高谷城。
こちらも味方だ。
南は下田。
すでに俺たちが押さえている。
そして北からも、こちらの軍勢が圧力をかけている。
――完全包囲。
しかも、狩野道一が頼れる後詰はない。
それでも。
狩野道一は降伏しなかった。
一月。
二月。
三月。
季節が巡り――。
半年。
半年もの間、狩野城は持ちこたえた。
城兵たちは籠城し、こちらは周囲を固める。
無理に攻める必要はない。
補給を断ち。
兵糧を削り。
時間を味方につける。
派手な戦ではない。
だが、確実に相手の力を奪っていく。
そして――。
ついに、その時が来た。
「殿」
報告に来た兵が、深々と頭を下げる。
「狩野城より使者が参りました」
「……内容は?」
「狩野道一が、自刃したとのことです」
「……そうか」
思わず息を吐いた。
長かった。
本当に長かった。
だが、これで終わりだ。
「残った城兵は?」
「降伏を申し入れております」
「受け入れよう」
「はっ」
こうして――。
狩野城は開城した。
伊豆に残っていた主要な抵抗勢力の一つが、ついに消えたのである。
◆
「とりあえず、これで伊豆も落ち着くかな」
俺が呟くと、大道寺重時が頷いた。
「表立って抵抗する者は、もうほとんどいないでしょう」
「だよな」
もちろん、完全に不安がなくなったわけではない。
だが、足利政知が国人たちに過酷な軍役を課し、無理な負担を押しつけていなければ――。
ここまで簡単にはいかなかっただろう。
伊豆の国人たちは、一枚岩ではなかった。
だからこそ。
政知への不満が、俺たちにとって最大の追い風になった。
そして今。
伊豆半島。
さらに駿河東部の箱根・足柄。
この一帯を、俺は押さえることができた。
これなら関東方面から何か仕掛けられても、そう簡単には伊豆へ侵入できない。
少なくとも――。
防波堤くらいにはなる。
「さて……」
俺は地図へ目を落とした。
「これからが大変だな」
「はい」
「鉱山もあるしな」
伊豆には金銀銅をはじめ、鉱山資源が豊富にある。
これを放っておく理由はない。
さらに、山葵や椎茸などの産業も育てたい。
沼津と下田。
二つの湊も整備しなければならない。
道も必要だ。
人も必要だ。
税を取るための仕組みも作らなければならない。
戦が終わった。
だからといって、仕事がなくなるわけではない。
むしろ――。
ここからが本番なのだ。
領地を取っただけでは意味がない。
人を住ませる。
道を整える。
産業を育てる。
港を発展させる。
税を集める。
そして、さらに領地を豊かにする。
やることはいくらでもある。
「……忙しくなりそうだな」
「今さらでしょう」
大道寺重時が苦笑した。
「それもそうか」
俺も苦笑する。
まあ、いい。
忙しいということは、それだけやることがあるということだ。
そう考えれば悪くない。
――ただ。
今回の伊豆攻めには、もう一つ。
戦そのものとは別の、大きな成果があった。
実は――。
狩野城を半年も包囲している間。
俺は俺で、別の戦いに励んでいたのである。
何をしていたのかって?
決まっている。
子作りだ。
……いや。
戦争中に何をしているんだ、と思われるかもしれない。
俺だってそう思う。
だが、こればかりは家の存続にも関わる。
むしろ重要な仕事である。
そんなある日のことだった。
「あなた」
「ん?」
妻の一人が、少し恥ずかしそうに俺を見る。
「……子ができました」
「…………」
俺は固まった。
「本当に?」
「はい」
「……よし!」
思わず拳を握った。
そして――。
「私もです」
「…………え?」
もう一人の妻が、静かに告げた。
「私も、懐妊しました」
「………………」
二人。
二人とも。
懐妊した。
「よかった……!」
思わず天を仰いだ。
狩野城は落ちた。
伊豆も、ほぼ平定した。
鉱山開発の目処も立っている。
港の整備にも取りかかれる。
そして何より――。
跡継ぎの問題にも、ようやく光が見えた。
「本当に……よかった」
戦場では、何人もの人間が命を落とした。
その一方で。
俺の家には、新しい命が二つもやって来る。
なんとも不思議な話だ。
「……まあ」
俺は妻たちを見ながら、しみじみと言った。
「狩野城を半年も包囲していた甲斐は、あったな」
「あなた」
「はい」
「そういう言い方は、やめてください」
「……はい」
どうやら。
伊豆平定よりも――。
こちらのほうが怒らせると怖いらしい。
ともあれ。
こうして俺は――。
伊豆を手に入れ。
二人の新しい命を迎えることになった。
戦国の世は、まだまだ続く。
これからも戦はあるだろう。
苦労もするだろう。
それでも。
俺には、守るべきものがまた二つ増えた。
ならば――。
何としてでも、この二つの命が生きていける国を作らなければならない。
伊豆平定は、終わった。
だが。
俺の戦いは、ここから始まるのだった。




