塩を止めるために先に下田の深根城を攻略したよ
さて、年が明けて文明八年(1476年)となった。
伊豆の平定は、かなりのところまで進んでいる。
今なお俺に抵抗している大きな勢力は、天城にある狩野城の狩野道一と、下田にある深根城の関戸吉信。
この二人を落とせば、伊豆の平定もいよいよ最終段階に入る。
問題は、どちらを先に攻めるかだ。
「……下田を先に落とすべきか」
俺がそう呟くと、大道寺重時も頷いた。
「私もそう考えます」
「やはりか」
「はい。狩野氏のほうが伊豆では古くから勢力を持ち、兵力も影響力も大きい。正面から攻めれば、それなりの時間が必要になるでしょう」
「ならば、その間に狩野へ物資が流れ込む」
「その通りです」
伊豆は山が多い。
その中でも下田は重要だった。
特に問題なのが――塩だ。
人間が生きていくうえで、塩は欠かせない。
食料の保存にも使うし、当然ながら日々の食事にも必要になる。
その塩が下田から天城を越えて運ばれている。
ならば。
下田を抑えれば、その流れを断つことができる。
狩野城を直接攻めるより、まず下田を落として兵糧や物資の流れを止めたほうが、結果的には早い。
「それに、下田から天城へ向かう道は比較的大きい」
俺は地図を指でなぞった。
「ここを押さえれば、狩野へ向かう物資の流れもかなり制限できる」
「問題は、その道をこちらが使って攻めるのが難しいことですな」
「ああ」
天城へ向かう道は山間を抜ける。
大軍を動かすには向いていない。
ならば――別の場所から入ればいい。
「風魔小太郎」
「はっ」
「深根城の兵力と、城へ至る道を探ってきてくれ」
「承知しました」
小太郎は頭を下げる。
「時間はかかりますが、必ず」
「頼む」
風魔が去る。
その間、俺は兵を集めた。
集めた兵は二千。
いくら深根城の兵が千に満たないとしても、城攻めとなればこちらが圧倒的に多いほうがいい。
兵には訓練をさせる。
そしてもう一つ。
相良油田で湧き出している油を汲ませ、陶器の器へと詰めさせた。
火攻めに使うためだ。
「……これが役に立つといいんだが」
陶器の中に入った油を見ながら、俺は呟く。
城攻めでは、火は強力な武器になる。
ましてや相手が山城ならなおさらだ。
やがて――。
「殿」
風魔小太郎が戻ってきた。
「深根城の兵力が判明しました」
「聞こう」
「関戸吉信の手勢が二百ほど。その他の雑兵が五百。合わせて七百ほどでございます」
「七百か」
思ったより少ない。
だが。
「問題は城のほうです」
「地形か?」
「はい」
小太郎が地図を広げる。
「北は山。東と南は沼に囲まれております」
「つまり、攻められるのは西だけか」
「その通りでございます」
「……なるほど」
西側に兵力を集中させれば、七百でも十分に戦える。
しかも城は山城。
攻める側にとっては厄介だ。
「西側には?」
「堀と逆茂木を幾重にも設けております。関戸は西からの攻撃に備え、兵力もそこへ集中させているようです」
「ならば――そこを潰す」
俺は地図を見る。
「正面から馬鹿正直に攻める必要はない」
大道寺重時が顔を上げた。
「まさか」
「ああ」
俺は西伊豆の松崎を指差した。
「船で松崎へ兵を運ぶ」
そしてそこから松崎街道を東へ進む。
途中、道を塞ぐ木々を切り倒す。
そして――。
深根城の西側へ回り込んだ。
「火をかけろ!」
油を入れた陶器を逆茂木へ投げ込ませる。
割れた陶器から油が広がった。
そこへ火を放つ。
瞬く間に炎が燃え上がった。
「燃えた!」
「逆茂木を焼き払え!」
赤い炎が山城の防衛線を舐めていく。
だが、木材を焼いただけでは終わらない。
「次だ!」
生木を切り倒して堀へ投げ込ませる。
一人。
二人。
十人。
百人。
兵たちが次々と木を運び、堀を埋めていく。
「渡れるぞ!」
「進め!」
炎と煙の向こう。
深根城の兵が慌ただしく動き始めた。
「敵襲!」
「西口を守れ!」
「押し返せ!」
だが、こちらは二千。
対する城方は七百。
しかも防衛線の一部を焼き払い、堀まで埋めた。
勝負は、長くは続かなかった。
「突撃!」
俺たちは城内へ斬り込んだ。
激しい抵抗を受けながらも、一つ、また一つと防衛線を突破していく。
そして――。
深根城は落ちた。
最後まで抵抗していた関戸吉信も、もはやこれまでと悟ったのだろう。
嫡男とともに自刃した。
そして吉信の妻。
上杉憲実の娘である尉奈の前もまた、自ら命を絶った。
城内には、まだ多くの者が残っていた。
兵だけではない。
女子供や法師もいる。
史実では、ここで凄惨な結末を迎える。
城内にいた者たちは一人残らず首を斬られ、その首は城の周囲に掛け並べられたという。
だが――。
「降伏した者まで殺す必要はない」
俺はそう命じた。
「武器を捨てた者は助命する」
兵たちが顔を見合わせる。
「女子供もだ」
「……はっ!」
これでいい。
戦国の世だからといって、何もかも殺せばいいわけではない。
むしろ降伏すれば命が助かるという前例を作ったほうが、これから先の戦では得になる。
敵を殺すより、降伏させる。
そのほうが兵力も、人手も、土地も残る。
そして何より――。
「これで下田の塩は止まる」
俺は城から見える海を眺めた。
深根城が落ちたことで、下田から天城方面へ向かっていた物資の流れは途絶える。
塩も例外ではない。
「狩野は、どう動くでしょうな」
大道寺重時が尋ねる。
「どうするも何もないだろう」
俺は答えた。
「塩が来ない」
それだけでいい。
人は塩なしでは生きられない。
食料を保存するにも塩がいる。
兵を養うにも塩がいる。
商人が動くにも塩がいる。
そして――。
「狩野城が、どれだけ持ちこたえられるか見ものだな」
俺は天城の方角へ視線を向けた。
深根城は落ちた。
次は――狩野城だ。
ただし、今度は正面から攻める必要すらないかもしれない。
塩を止める。
物資を止める。
そして、敵が弱るのを待つ。
戦とは、何も刀を振るうことだけではない。
相手が戦えなくなる状況を作ることもまた、戦なのだから。
「さて――狩野道一」
俺は小さく呟いた。
「お前は、どこまで耐えられる?」




