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遠江征圧の功績により伊豆近くの沼津の興国寺城へ移動になったよ

 さて、遠江の制圧の功績という名目で俺を遠江から遠ざけるためか、堀越公方や扇谷上杉とやり合わせるためか、俺は駿河と伊豆の境に近い沼津の興国寺城へ移動することになった。


 名目上は焼津の発展整備はほぼ終わったので、引き続いて沼津の発展を行ってほしいということらしいが、実際は強い力を持つ俺を今川本家から遠ざけたいというところだろうけどな。


「まあ直轄地も得られたし風魔や松田との連携も取りやすくなるからいいけどな」


 俺がそういうと大道寺重時も苦笑していった。


「まあ、今までよりは面倒ではなくなるよな」


 今まではあくまでも今川の被官の国人に今川龍王丸の後見人として、間接的に指示を出していたわけだが、沼津では完全に直轄地として好きなようにふるまえる。


 また興国寺城は愛鷹山南麓に位置しており、その傾斜面と南方の浮島ヶ原の沼地に突き出るような地形を天然の要害として利用した城郭でもあり、東西方向に根方街道が通っていて、南北方向には竹田道があり、東西方向と南北方向の道が交わる場所である上に、沼津湊による海路を繋ぐ交通拠点でもあり水産業も盛んで、アジやイワシ、ブリ、マグロ、カツオの幼魚やサバ、ソウダガツオなどの回遊魚がかなり岸近くまで来て比較的簡単に釣れ、狩野川の河口辺りならスズキの魚影が濃い漁港としてもよい漁場である。


 ちなみに伊豆はもともと山内上杉家の守護領国であったこと、上杉政憲を自害させたことなどもあって足利政知は相模を支配していた扇谷上杉家と対立していて、現状では伊豆1国の領主に過ぎなくなってしまったのだが、その勢力巻き返しのために自分の子を次の将軍職に就ける計画を企てていたりもするらしい。


 そりゃ、そんなことをしていたら現将軍から討伐指令が出てもおかしくはない。


 また伊豆衆二十一家と呼ばれる伊豆国人衆たちは足利成氏との和睦に賛成したことで足利政知と対立している。


 京では、日野兄妹と細川政元、そして元将軍である足利義政の思惑も必ずしも一致していないが、足利政知が関東の争乱を収めるためにまったく役に立っていないと思っている点ではみな一致した見解なのだろう。


 足利政知がせめて伊豆をかっちりまとめ上げていればまた評価も違うかもしれないが、現状では彼の存在には室町幕府中央にメリットが全然ないのは確かなんだ。


 まあそうなった原因は前の将軍の足利義政にもかなりあるので足利政知が全面的に悪いとも言えないのだが。


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