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なぜか北条早雲こと伊勢盛時になってしまったが、大樹の無茶振りがひどすぎて正直しんどい  作者: 水源
文明7年(1475年)

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箱根や足柄を抑えられたし遠江制圧を開始したよ

 さて、風魔一族に加えて、上杉と敵対している相模松田氏まで麾下に加えたことで、箱根と足柄の峠は事実上こちらが押さえたと言っていい。東側から扇谷上杉が攻め込んでくる可能性を考えても、ひとまず十分な備えはできたはずだ。


 俺は地図代わりに広げた絵図へ視線を落とし、箱根から足柄へと続く道を指先でなぞりながら、ここまでの情勢を頭の中で整理していく。もちろん、上杉が大人しくしている保証などどこにもないが、こちらからわざわざ東へ兵を向けなければならないほど差し迫った状況でもない。


 ならば、今のうちに別の問題を片付けておくべきだろう。


「今川庶流や遠江今川の悲願でもあるし、東が動かなそうなうちに遠江を制圧するか」


 俺が絵図から顔を上げ、正面に座る大道寺重時へ視線を向けながらそう口にすると、重時は腕を組んだまま少し考えるように眉を寄せ、それから小さくうなずいた。


「まあ、あまり遠江を放っておいても、俺たちに不満を抱くだろうしな」


 重時は苦笑を浮かべながら肩をすくめる。


「今川の側についた国人たちからすれば、遠江を取り返すために協力したのに、いつまで経っても取り返す気がないとなれば、何のために味方したのか分からなくなるからな」


「ああ。だから、今はその期待に応える必要がある」


 俺がそう返すと、重時は納得したように頷いた。


 守護大名というと、守護が国内のすべてを思い通りに動かし、国人たちへ一方的に命令できるように考えてしまいがちだ。


 だが、実際のところはそんな単純な話ではない。


 俺は絵図の端を指先で軽く叩きながら、頭の中で現地の国人たちの顔ぶれを一人ずつ思い浮かべていく。守護や守護代が国人や、その下にある惣村へ好き勝手に口を出せるわけではなく、国人たちの権益を調整し、国人同士の争いを抑えながら、自分たちの権威を維持していく必要がある。


「とはいえ、守護なんだから命令すれば従う、というわけでもないんだろ?」


 重時が絵図から顔を上げ、確認するようにこちらを見る。


「ああ。国人にとって不利益なことを押しつければ、当然反発するし、場合によっては一揆まで起こす」


 俺がそう答えると、重時は眉間に皺を寄せ、腕を組み直した。


「そう考えると、領地を広げるだけでも結構面倒だな」


「だからこそ、戦に勝つだけじゃ足りないんだよ」


 俺は苦笑しながら首を横に振る。


 何より厄介なのは、国人たちにとって自分たちの利益を守ることが何より重要だということだ。


 守護がそれを無視して一方的に不利益な命令を押しつければ、国人たちは黙って従うとは限らない。場合によっては国人同士が結束して一揆を起こし、守護に対抗することすらある。


 つまり、守護大名だからといって、国内を完全に思い通りに動かせるわけではない。


 むしろ、国人たちを納得させながら自分たちの側へ取り込んでいくことこそが、守護として領国を維持するためには重要になる。


 その点で言えば、今川は駿河を、斯波は尾張を長い間にわたって統治してきたため、両国についてはそれなりに安定した支配基盤を築いている。


 しかし、遠江は事情が違う。


 俺が遠江のあたりへ指を移すと、重時もつられるように身を乗り出して絵図を覗き込んだ。


 遠江も今川が長く関わってきた国ではあるものの、現在の守護は斯波氏であり、その斯波氏の内部では斯波義敏と甲斐常治の対立が激しくなっていた。


 そして、その対立が越前で長禄合戦という形で表面化すると、遠く離れた遠江でも斯波氏の家臣団が内訌を起こしている。


「斯波の内部がそこまで揉めているなら、遠江に援軍を出す余裕も少ないんじゃないか?」


 重時が絵図を睨みながらそう言うと、俺はその言葉に頷いた。


「それもある。名目上の守護が斯波だとしても、実際の支配が盤石というわけじゃない」


 つまり、遠江の斯波方は、名目上の守護という立場こそ持っているものの、その支配体制は決して盤石ではない。


 守護が一枚岩ではなく、その家臣たちまで争っているのなら、こちらから見ればむしろ好都合だった。


 俺がそう考えながら口元をわずかに吊り上げると、重時もその表情を見て、何を考えているのか察したように苦笑した。


 そして、遠江を奪還したい理由は、単純に今川の旧領だからというだけではない。


 駿河を保持しているとはいえ、国土の大部分が山地で占められている駿河に比べれば、平野部が広く、農業生産力にも恵まれた遠江のほうが、領国としての価値は高い。


「そりゃまあ、農地に適さない場所が多い駿河より、遠江のほうが欲しいよな」


 俺は思わず肩をすくめ、半ば独り言のようにそう漏らす。


 重時はそれを聞いて苦笑すると、腕を組み直しながら首を縦に振った。


「戦う理由だけじゃなくて、取った後の利益まで考えれば、なおさらか」


「そういうことだ」


 もちろん、駿河が不要というわけではない。


 駿河は東海道の要衝であり、富士川や駿河湾、箱根方面へ繋がる交通路を押さえるうえでも重要な土地だ。


 だが、その駿河を基盤としてさらに領国を広げるのであれば、次に狙うべき土地が遠江になるのは当然だった。


 そして、今川義忠が死んだ後の斯波方にも問題がある。


 斯波氏にとっては、遠江よりも越前で朝倉氏から国を取り返すことのほうが優先されている。そのため、斯波氏の主力が遠江へ大軍を送り込んでくる状況にはなっていない。


 俺はその点を改めて確認するように重時へ視線を向けた。


「斯波の主力が越前に張り付いている今なら、遠江へまとまった援軍が来る可能性も低いだろう」


 俺が落ち着いた声でそう告げると、重時は絵図から顔を上げ、真剣な目で俺を見返した。


「逆に言えば、越前の問題が片付けば、こっちに援軍を回せるようになるか」


「ああ。だからこそ、東も動いていない今のうちに片付けたい」


 俺がはっきりと言い切ると、重時も納得したようにうなずいた。


 こちらとしては、これほど都合のいい状況をわざわざ見逃す理由もなかった。


 さらに遠江には、こちらに味方してくれそうな国人が少なくない。


 俺は指を折りながら、その名前を順に挙げていく。


 東遠江の天野氏、奥山氏、松井氏、相良氏、原氏など、親今川として協力を得られそうな勢力が存在している。


 それだけではない。


 遠江今川氏の今川義秀こと瀬名一秀なども、当然ながら遠江を取り戻すことに強い思いを抱いている。


「こっちだけで遠江を攻めるわけじゃないってことか」


 重時が少し感心したように目を細める。


「ああ。現地にもこちらへ手を貸してくれる連中がいる。それなら、駿河から全部の兵を持ち込む必要もない」


 つまり、駿河からこちらが軍勢を送り込むだけではなく、現地にもこちらを受け入れる勢力が存在しているのだ。


 こうした勢力をうまく取り込むことができれば、遠江全体を一気に敵に回して戦う必要はない。


 むしろ、こちらに協力する国人を増やしながら、反今川の勢力を一つずつ切り崩していけばいい。


 そもそも、守護である斯波氏や守護代の甲斐氏は、実際に遠江へ赴いて長期間にわたって統治してきたわけではない。


 現地で実際に土地を支配し、領民との関係を築いてきたのは横地、勝間田、狩野、原、大谷といった国人たちだった。


 俺はそこまで話したところで、少しだけ眉を寄せる。


 ところが、その遠江の国人たちの中には、今川義忠によって討たれた者も少なくない。


 そのため、遠江には今川に恨みを抱いている勢力も存在する。


「そこをどうする?」


 重時が慎重な顔で問いかけてきた。


「無理に全部を従わせようとは思わない」


 俺は首を横に振りながら答える。


「だが逆に言えば、今川に従う勢力と反発する勢力がはっきり分かれているということでもある」


 俺が絵図を指先で叩くと、重時はその場所を覗き込むように身を寄せた。


「なら、敵を一つずつ減らすわけか」


「ああ。全部を敵に回す必要なんてない」


 俺は重時の目を見ながら、ゆっくりと言葉を続ける。


「親今川の国人をこちらの側へまとめ上げて、その勢力を利用して反今川勢力へ圧力をかけていけばいい」


 実際、駿河の軍勢に加えて遠江の親今川の国人たちの協力を得ることで、堀越氏、大河内氏、井伊氏などの反今川勢力を服属させることにも成功している。


 ここまで来れば、遠江奪還は単なる願望ではなく、十分に現実的な目標になっている。


「それなら、遠江を取った後のことも考えておく必要があるな」


 重時はそこで表情を引き締め、絵図の一角を指で示した。


「取るだけ取って、その後に守れないんじゃ意味がないからな」


 その言葉に俺は黙ってうなずく。


 重時の言う通りだった。


「ああ。だから、東遠江の抑えは朝比奈に任せる」


 俺はそう答えながら、掛川古城のあたりへ指を置いた。


 今川義忠が東遠江を支配するために掛川古城の築城を命じ、朝比奈泰凞を城主とした時と同じように、遠江の抑えを朝比奈泰凞に任せるつもりだった。


「朝比奈なら、現地を任せても問題はないか」


 重時が絵図の上に置かれた俺の指先を見ながら尋ねる。


「ああ。むしろ遠江を取った後こそ、朝比奈には働いてもらうことになる」


 重時はその答えを聞くと、納得したように一度だけ強く頷いた。


 遠江を手に入れた後に最も怖いのは、こちらが兵を引いた途端に国人たちが再び勝手に動き始めることだ。


 だからこそ、現地の事情に通じた者を置き、城を拠点として国人たちを監視しながら、必要ならすぐに兵を動かせる体制を作っておく必要がある。


 遠江を奪還することそのものよりも、むしろ奪還した後にどうやって維持するかのほうが重要なのだ。


 その点でも、朝比奈泰凞に東遠江を任せるのは悪くない。


 俺は絵図から指を離し、今度は西側へ視線を移した。


 そして、もう一つ問題になるのが三河だ。


 三河は細川氏の守護領国であるうえ、今川宗家の吉良氏も存在している。


 こちらが遠江を手に入れたからといって、勢いに任せて三河まで手を伸ばせば、今まで敵に回していなかった勢力まで警戒させることになる。


「遠江の西を取った勢いで、そのまま三河まで欲しくならないか?」


 重時が冗談めかして口元を緩める。


 俺も思わず苦笑したが、すぐに首を横へ振った。


「欲を出したくなるのは分かるけど、今は我慢だな」


 それに、東側では扇谷上杉の動きを警戒しなければならない以上、これ以上戦線を広げるのは得策ではない。


「三河は……今は手を出さないほうがいいだろうな」


 俺が慎重な口調でそう呟くと、重時も三河へ視線を向け、腕を組んだまま静かにうなずいた。


「遠江だけでも、それなりに大仕事だからな」


「ああ。まずは遠江を取る。そして、その支配を固める。それから次を考えればいい」


 重時は俺の言葉を聞くと、納得したように一度だけ強くうなずいた。


 欲を出して一度にすべてを手に入れようとすれば、かえって足元をすくわれる。


 今はこちらに有利な条件が揃っている遠江へ集中する。


 東の扇谷上杉を牽制しつつ、駿河の軍勢と遠江の親今川勢力をまとめ上げ、斯波方が内紛で弱っている間に遠江を制圧する。


 そして、掛川古城を中心に東遠江を固め、朝比奈泰凞にその守りを任せる。


 そこまでできれば、今川にとって遠江奪還は大きな転機になるはずだ。


 俺はもう一度絵図へ目を落とし、その上に置いた指をゆっくりと遠江へ滑らせる。


「……よし。やるか」


 小さく呟いた俺の声に、重時も口元へ薄い笑みを浮かべた。


「ああ。やるなら、今だな」


 そう考えれば、今こそ動くべき時だった。

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