風魔に蕎麦栽培の技術指導とまずは駿河の市場での蕎麦の調理販売許可をだして抱えこむ事に成功したぜ
# 足柄の風魔を味方につける
さて、伊豆の国人を切り崩していくのと同時に、もう一つ押さえておきたい場所がある。
――足柄だ。
駿河国内については、清水や沼津の湊を焼津の小川湊と同じように整備しつつある。
もっとも、湊そのものの権利を俺が直接握っているわけではない。
俺が押さえているのは、あくまでその根本となる権利や許認可だ。
実際の津料や市座料の徴収などは地元の国人に任せ、その一部を彼らの利益として還元する。
さらに緑茶を栽培できる土地を広げさせ、そこで作られた茶葉を俺が買い上げて上方へ送る。
こうして、
「俺に従えば儲かる」
という仕組みを作っているわけだ。
結果として、駿河国内については今のところ大きな問題もなく収まっている。
もちろん、国人たちの権利を全部取り上げて直轄地にしてしまったほうが、長い目で見れば統治は楽になるかもしれない。
だが、今の俺がそれをやれば話は別だ。
中央から派遣されてきた、いわば「よそ者」の俺が、
「今日からここは全部俺の領地な」
などと言い出せば、駿河の国人たちが一斉に敵へ回ることは間違いない。
直属の兵力が十分にあれば、力ずくで押さえ込むことも不可能ではないだろう。
しかし、それで支配できる範囲が広がるかと言えば、むしろ逆だ。
代官もいない、現地の事情も知らない、そんな土地を大量に直轄化したところで、誰が治めるというのか。
結局、地元の人間を使わなければ回らない。
ならば最初から、彼らにも利益を与えてこちらへ取り込んだほうがいい。
これは伊豆でも同じだ。
伊豆半島は、駿河東部と似ている。
富士や箱根、伊豆大島などの火山活動の影響を受けた土地が多く、平地も少ない。
つまり、農業だけで大きく発展させるのは難しい。
ただし、伊豆には大きな利点がある。
――周囲が海なのだ。
漁業もできる。
海運もできる。
さらに東西を結ぶ交易の中継地点として発展させる余地もある。
そう考えれば、山間部であり、東海道の一部とはいえ現状では箱根峠ほど重要な交通路でもない足柄よりは、伊豆のほうが発展させやすい。
もっとも、足柄を軽視するわけにはいかない。
この時代の足柄峠は、今よりも重要な交通路だった。
建武二年(一三三五年)に起きた足利尊氏と新田義貞の戦い――箱根・竹ノ下の戦いでも、竹ノ下側が主戦場となっている。
箱根峠よりも道が緩やかで、比較的通行しやすかったからだ。
そして何より、足柄は駿河と相模の境界にある。
ここを誰が押さえているかは、軍事的にも非常に重要だった。
「とりあえず、足柄は先に押さえておこう」
俺がそう言うと、大道寺重時が頷いた。
「うむ。美味い蕎麦も出来たしな」
「……そこが一番大事なのか?」
「腹を満たせる者は強いですぞ」
「まあ、それは否定しないけどな」
というわけで、俺は護衛の兵を率いて足柄へ向かった。
目的は一つ。
――足柄の風魔を、こちらの傘下へ引き入れることだ。
山道を進んでいくと、やがて峠の関所らしき場所に差しかかった。
すると、前方から声が飛んできた。
「おい! お前ら、止まれ!」
兵たちが一斉に足を止める。
姿を見れば、どうやら普通の関所の番人というわけではなさそうだ。
山中の地形に溶け込むように立ち、こちらの人数や装備を素早く確認している。
おそらく風魔の一党だろう。
「うむ。俺は駿河の守護代、伊勢盛時だ」
俺は馬上から名乗った。
「風魔の長と話をしたくて、ここまで来た」
「……駿河の守護代だと?」
男の目が細くなる。
「しばし待つがいい」
そう言うと、別の男が奥へと走っていった。
それからしばらくして、戻ってくる。
「小太郎様がお会いになるそうだ」
「わかった」
案内役の男について山道を進む。
やがて案内されたのは、山中にしてはかなり大きな屋敷だった。
そこで俺を待っていた男が、こちらを値踏みするように眺める。
「駿河の守護代様が、こんな山奥まで一体何の用だ?」
「うむ」
俺は単刀直入に切り出した。
「お前さんたちに、俺の下についてもらいたい」
「……」
「もちろん、ただ従えと言うつもりはない。それなりの見返りは用意する」
小太郎が眉を上げる。
「その見返りっていうのは、一体何なんだ?」
「まず一つ」
俺は指を立てた。
「この土地でもおそらく育つ、蕎麦の適切な栽培方法を教える」
「蕎麦?」
「ああ。そして、ただ育てるだけじゃない」
俺は続けた。
「美味しく食べるための方法も教える」
「……ほう」
「さらに、駿河の市や、近隣で戦が起きた際の戦場において、蕎麦を売る許可を与える」
小太郎の表情が変わった。
「つまり……」
「お前たちに飯の種をやるってことだ」
「飯の種、ねぇ」
小太郎は腕を組んで考え込む。
風魔の一党が、狩猟や採取だけで生活しているわけではないことくらい俺にも分かる。
足柄を通る人間から通行料を取る。
場合によっては荷物を奪う。
いわゆる山賊稼業だ。
とはいえ、海賊や湖賊と同じで、彼らなりの理屈はある。
通行料を取る代わりに、それ以上の狼藉はしない。
場合によっては道中の安全を保証する。
なぜなら、好き放題に襲ってしまえば、人間は二度とその道を通らなくなるからだ。
そうなれば、自分たちの収入も消える。
だからこそ、彼らにとって必要なのは「別の飯の種」なのだ。
「……どうしても従いたくない、と言うのであれば?」
小太郎が探るように尋ねる。
「その場合は、俺も別の方法を考えざるを得ない」
俺は笑って答えた。
「お互い、無駄な血は流したくないだろ?」
「……」
しばしの沈黙。
やがて小太郎は、大きく息を吐いた。
「その蕎麦ってやつで、本当に女子供まで食うに困らなくなるのか?」
「やり方次第だ」
俺は即答した。
「少なくとも、今よりはずっとましになる」
「……なら」
小太郎がこちらを真っ直ぐ見た。
「それで女子供が食うに困らねえようになるってんなら、あんたに従ってもいい」
「うむ」
俺は頷いた。
「そう言ってくれるなら助かるよ」
こうして、足柄の風魔は俺の側へ取り込まれることになった。
……もっとも。
俺としては、蕎麦を食わせるだけで風魔を味方につけられたこと以上に、別のことを考えていた。
風魔には、荒事が得意という特徴がある。
放火。
流言。
偵察。
掠奪。
派手な破壊工作。
要するに、忍者という言葉から連想するような「隠密専門の諜報員」というより、むしろ敵陣を引っ掻き回すための破壊工作員に近い。
そして、そういう人間も戦国の世には必要だ。
正面から槍を突き合わせるだけが戦ではない。
敵の倉を焼き、兵糧を奪い、噂を流し、敵の動きを探り、夜中に騒ぎを起こす。
そうした連中が一組いるだけでも、戦のやり方は大きく変わる。
ただし――。
それだけでは足りない。
「風魔には荒事を任せるとして……」
俺は山道を下りながら呟いた。
「流れ巫女みたいな草も、別に育てておいたほうがいいな」
大道寺重時が首を傾げる。
「草、ですか?」
「そう。人の懐へ入り込んで、噂を拾ってくる連中だ」
風魔のような連中は、敵に恐怖を与えることはできる。
だが、恐怖を与えずに情報を集められる人間も必要になる。
商人。
僧侶。
巫女。
旅芸人。
行商人。
そういう「どこにいても怪しまれない人間」が集めてくる情報は、戦場の斥候とはまた違った価値がある。
「諜報というのは、何も忍者だけの仕事じゃないからな」
俺はそう言って、山の向こうを眺めた。
駿河を押さえた。
伊豆にも手を伸ばしている。
そして今、足柄まで押さえた。
ならば次に必要なのは――。
この土地で得られる情報を、誰より早く俺のところへ集める仕組みだ。
戦は兵の数だけで決まらない。
金。
食料。
交通路。
そして情報。
その四つを押さえた者が、最後に笑う。
……さて。
蕎麦を食わせて味方につけた風魔には、さっそく働いてもらうとしよう。




