伊豆の堀越公方対策は焦らず行くか、まずは風魔を雇い入れておくかね
さて、堀越公方の執事であった上杉政憲という後ろ盾と、国人衆の支持を失った小鹿範満の排除は、思ったよりもあっさりと進んだ。
これによって駿河国内の掌握も、ひとまず完了したと言っていい。
ならば次に目を向けるべきは――伊豆。
堀越公方である。
ただし、史実とはかなり状況が違っている。
そのせいで、俺としては少々頭が痛い。
史実において北条早雲が足利茶々丸を討伐することになったのは、単純な「下剋上」ではない。
そもそもの発端は、堀越公方・足利政知の嫡男である茶々丸だった。
茶々丸は素行不良を理由に父・政知の命で土牢に軟禁され、代わって弟の潤童子が後嗣に定められた。
ところが政知が死ぬと事態が動く。
継母の円満院から虐待を受けていた茶々丸は、牢番を殺して脱獄。
そのまま潤童子と円満院を殺害し、事実上の堀越公方後継者となった。
……まあ、穏やかな話ではない。
しかも茶々丸は、その後も自分に諫言する重臣たちを次々と処断している。
筆頭家老で韮山城主でもあった外山豊前守。
秋山新蔵人。
こうした重臣たちまで奸臣の讒言を信じて斬殺してしまったことで、当然ながら旧臣たちの支持も失っていった。
そもそも、堀越公方そのものが伊豆国内で歓迎されていたわけでもない。
古河公方・足利成氏に対抗するため、足利政知の時代から戦費を賄うための負担が重く、領民は重税に苦しんでいた。
国人衆だって面白くない。
そんなところへ北条早雲がやって来た。
鈴木繁宗。
松下三郎右衛門尉。
大見の三人衆。
伊豆の有力豪族たちが次々と早雲に従ったことで、茶々丸は伊豆を追われることになった。
その後、茶々丸は上杉氏や武田氏を頼りながら伊豆奪回を目指すものの、明応七年(一四九八年)に甲斐で捕捉され、自害することになる。
そして、この一連の流れを考えると――
北条早雲の伊豆討ち入りは、別に「一介の浪人が勝手に国を奪った」という話ではない。
将軍・足利義澄から討伐を命じられた、れっきとした軍事行動だったわけだ。
なにしろ茶々丸は異母兄。
同母兄弟に比べれば他人に近い。
しかも茶々丸は、自分の母と弟を殺している。
義澄からすれば、敵討ちという意味でも茶々丸を許す理由はない。
さらに茶々丸自身、中央の将軍家に従う意思などほとんどなかっただろう。
つまり、北条早雲の伊豆討ち入りは、将軍の命を受けた討伐戦。
少なくとも、この時点の早雲を「下剋上の戦国大名」と見るのは、かなり後世的なイメージなのだ。
その後の小田原城奪取についても同じだ。
足利義澄。
細川政元。
今川氏親。
扇谷上杉定正。
そして北条早雲。
対するは、
足利義稙。
大内政弘。
足利茶々丸。
武田信縄。
山内上杉顕定。
――という、明応の政変によって生じた対立構図の中での軍事行動だった。
小田原城についても、城主の大森藤頼が山内上杉氏側へ寝返ったことが大きい。
要するに。
この頃までの北条早雲は、基本的に「将軍の命令を受けて動く有力武将」に過ぎない。
後世のイメージとは、かなり違う。
そして今回の俺の場合、さらに話がややこしい。
そもそも堀越公方討伐について、将軍・足利義尚本人の意向がどこまで強いのか。
むしろ日野兄妹や細川政元あたりの意向のほうが強いのではないかと思う。
とはいえ、足利義政にしてみれば、堀越公方・足利政知は異母兄弟。
親愛の情がそこまで深いとも思えない。
しかも、関東の騒乱を鎮めるために送り込んだはずの政知が、結局のところ大した成果を上げられていない。
ならば、今さら堀越公方をそこまで重要視する必要があるのか。
……まあ。
そもそも、そうなった原因の一端は足利義政自身にあるのだが。
「……なんともまあ、面倒な話だな」
俺は頭を掻いた。
だが、伊豆の問題を片付けるだけなら、軍勢をぶつけるだけが方法ではない。
むしろ重要なのは、伊豆の国人たちをこちら側へ引き込むこと。
そして――。
「そろそろ、あいつらも味方につけておきたいな」
「……あいつら?」
隣にいた大道寺重時が首を傾げる。
「足柄の風魔だよ」
「風魔……?」
重時が眉をひそめた。
「山賊や追い剥ぎの類ではありませんでしたかな?」
「まあ、似たようなものだと思ってもらってもいい」
「いいのですか、それで……」
「でもな」
俺は地図の上で相模と伊豆の境目を指でなぞった。
箱根。
足柄。
伊豆へ抜ける山道。
ここを自由自在に動ける連中を味方につけられるなら、それだけで価値がある。
風魔は、いわゆる忍者集団として知られている。
ただ、後世の創作に出てくるような「情報収集専門の忍者」というより、むしろ破壊工作や攪乱、奇襲といった荒事を得意としていたと考えたほうがいい。
そして、彼らが根拠地としていた足柄下郡という土地にも理由がある。
火山灰土が多く、農業には向かない。
そのため、狩猟や採取、場合によっては山賊まがいの行為に頼って生きていかざるを得ない人々もいた。
いわば、中央の支配からこぼれ落ちた者たち。
――「まつろわぬ者」。
だが、そういう土地だからこそ身についた技術もある。
山を知り。
獣道を知り。
そして馬を自在に操る。
普通の兵士なら一日かかる山道を、彼らなら馬を駆って駆け抜けることすらできる。
箱根周辺の山道を縦横無尽に行き来できる。
それは、この時代の戦では恐ろしいほどの強みになる。
「伊豆の豪族たちを懐柔するのと一緒に、足柄の風魔もこちら側へ引き込んでおくべきだな」
俺がそう言うと、重時は少し考え込んだ。
「しかし、あの者たちは農地を持たず、山賊まがいの暮らしをしているのでしょう?」
「だからこそだ」
「……?」
「食わせればいい」
「食わせる?」
俺はニヤリと笑った。
「蕎麦だよ」
「蕎麦……」
「足柄のような土地でも育てやすい。米が十分に作れなくても、蕎麦なら作れる」
「なるほど……」
重時もようやく意味を理解したらしい。
「つまり、蕎麦を作れる土地と、その食べ方を与えてやれば――」
「そういうことだ」
俺は頷く。
戦国の世で人を味方につける方法はいくらでもある。
土地。
金。
武器。
地位。
だが、もっと単純な方法もある。
――食い物だ。
「それに、ただの蕎麦じゃないぞ」
「……まだ何かあるのですか?」
「うまい蕎麦を作る」
「結局そこですか」
「結局そこだ」
俺は胸を張った。
こうして俺たちは、伊豆の豪族たちを懐柔する一方で、足柄の風魔をこちら側へ引き込むべく動き始めた。
まずは腹を満たす。
そして次に、こちらへ付く理由を作る。
――そのためにも。
俺たちは、さらにうまい蕎麦の開発に勤しむのであった。




