避難民とその保護
「背後に、かなり大きな勢力がいるようです」
男の言葉に、俺は眉をひそめた。
「かなり大きな勢力、というのは?」
「そこまでは分かりませぬ」
「分からないのか」
「はい。ただ、あの者たちは自分たちの判断だけで動いているわけではないようです」
「何か証拠は?」
「ございます」
男は懐から、小さく折りたたまれた紙を取り出した。
「これは?」
「襲撃された村の者から預かったものです」
俺は受け取って広げる。
そこには、いくつかの品物の名前と数量らしきものが書かれていた。
米。
麦。
塩。
鉄。
銅。
布。
馬。
そして――船。
「……これは物資の調達表か?」
「おそらく」
俺はもう一度、紙を見る。
単なる略奪なら、こんなものは必要ない。
目についたものを奪えばいい。
ところが、これは違う。
必要な物資をあらかじめ決め、それを集めている。
つまり。
「軍勢を維持するための準備だな」
「私もそう考えております」
重時が紙を覗き込んだ。
「しかも、鉄や銅だけでなく、馬や船まで必要としているとなると……」
「かなり本格的だな」
俺は紙を机に置いた。
「それで、その連中は何をしようとしている?」
「そこまでは……」
男が首を振る。
「ただ」
「ただ?」
「襲われた村の者が、妙なことを言っておりました」
「何を?」
「『伊豆を足掛かりにする』と、襲撃した者たちが話していたそうです」
「…………」
伊豆を足掛かりにする。
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中でいくつかの可能性が浮かんだ。
伊豆そのものを奪う。
あるいは。
伊豆を使って相模へ出る。
さらにその先へ進む。
逆に海路を使って駿河へ出る。
「重時」
「はい」
「伊豆の地形を調べ直してくれ」
「地形を?」
「ああ。港、街道、峠。それから、どこに兵を置けば駿河へ進めるのか」
「承知しました」
「それと、伊豆国内の有力者についても調べる」
誰が味方で。
誰が敵で。
誰が中立なのか。
そして。
誰が最近になって急に兵を増やしているのか。
「分かりました」
重時が頷く。
俺は男へ向き直った。
「お前は、この情報をどうやって手に入れた?」
「伊豆で商いをしている者たちから聞き集めました」
「なるほど」
商人か。
ならば、まだ使える。
「頼みがある」
「何でしょうか」
「もう一度、伊豆へ戻れるか?」
男は少し驚いた顔をした。
「戻る、のでございますか?」
「ああ」
「危険では?」
「危険だ」
俺は即答した。
「だから無理にとは言わない」
男はしばらく黙っていた。
やがて。
「……戻りましょう」
「いいのか?」
「はい」
男は頷いた。
「商売を続けるためにも、伊豆がどうなっているのか知る必要があります。それに、殿が伊豆の民を見捨てないと分かれば、私もできることをしたい」
「そうか」
俺は頷いた。
「なら、無茶はするな」
「はい」
「そして、絶対に戦闘には関わるな。見たこと、聞いたことだけを持ち帰ってくれ」
「承知しました」
男が下がっていく。
俺はその背中を見送った。
商人。
漁師。
船乗り。
こういう人間たちが持ってくる情報は、これからますます重要になる。
関東の戦乱が続くなら。
武士だけを見ていては駄目だ。
市場を見る。
港を見る。
米の値段を見る。
塩の値段を見る。
鉄の流れを見る。
馬の数を見る。
それらを追っていけば、兵を動かす前の準備を察知できるかもしれない。
「……情報網を作る必要があるな」
「やはり、そう思われますか」
「ああ」
俺は重時に向き直った。
「駿河だけじゃない。伊豆、遠江、相模、それから関東まで。商人や船乗りを通じて情報を集める」
「かなりの費用がかかりますぞ」
「分かっている」
だが。
戦争に比べれば安い。
情報を買う。
そのために銭を使う。
そして戦争を避ける。
それなら十分に元が取れる。
「市座や商人たちにも協力してもらおう」
「商人を情報収集に使うのですな」
「そういうと聞こえが悪いけどな」
俺は苦笑する。
「要するに、商売のついでに世の中の様子を教えてもらうだけだ」
「同じことでは?」
「……まあ、そうとも言う」
重時が笑った。
そのとき。
ふと、先ほどの書状が目に入った。
日野富子からの京への呼び出し。
そして、足利義政からの関東への対応要求。
俺はそれを見比べる。
京では義政と富子の意見が割れている。
関東では古河公方と上杉氏が争っている。
その隙間で、伊豆には正体不明の武装勢力が入り込んでいる。
――嫌な流れだ。
歴史を知っている俺だからこそ分かる。
こういう小さな異変を放置すると。
ある日突然、とんでもない規模の問題になる。
「……今年は、駿河だけ見ているわけにはいかないな」
「では、どうされます?」
俺は少し考えた。
「まず、京にはすぐには戻らない」
「はい」
「関東にも、こちらから軍勢を出さない」
「はい」
「その代わり――」
俺は地図を広げた。
「駿河、伊豆、相模の情報を集める」
そして。
「小川湊を、もっと大きくする」
「港を?」
「ああ」
人と物が集まる場所を作る。
情報もそこに集まる。
伊豆から逃げてくる者も受け入れる。
商人も呼ぶ。
船も増やす。
倉庫も増やす。
そして。
必要なら兵を送り出せるだけの物資を蓄える。
「戦うための港ではなく、戦わずに済ませるための港にする」
「……なるほど」
重時が頷いた。
俺は地図を見ながら、今後のことを考える。
もし伊豆の情勢が悪化したなら。
駿河には人が流れてくる。
その人々を受け入れられるだけの食料が必要になる。
だから蕎麦や麦を増やす。
大豆も増やす。
漁業も育てる。
乾物も増やす。
港を整備する。
倉庫を増やす。
街道を整備する。
全部が繋がっている。
「……結局、やることは変わらないか」
「何がです?」
「駿河を豊かにすることだよ」
俺は笑った。
戦争が近づいているからといって。
戦争だけを考える必要はない。
むしろ逆だ。
戦争が近づいているからこそ。
人々が安心して暮らせる場所を作る。
食べ物を増やす。
仕事を増やす。
商売をしやすくする。
逃げてきた人間にも生きる場所を与える。
そうして駿河そのものを強くする。
それが結果として。
最大の防御になる。
「よし」
俺は立ち上がった。
「今年は忙しくなるぞ」
「昨年も、そのようなことを仰っておられましたな」
「去年以上だ」
「でしょうな」
「……笑うなよ」
重時が楽しそうに笑う。
俺も苦笑する。
だが。
そのときだった。
港のほうから、再び鐘が鳴った。
今度は一度だけ。
先ほどとは違う音だ。
「……何だ?」
俺が港を見る。
すると。
遠くから一人の男が、こちらへ向かって全力で走ってくる。
「殿!」
「どうした!」
「新しい船が入りました!」
「伊豆か?」
「いえ!」
男は息を切らしながら叫んだ。
「駿河湾の沖合に――大きな船団が見えております!」
「船団?」
「はい!」
俺は思わず海へ目を向けた。
水平線。
その向こう。
確かに。
いくつもの帆が見える。
しかも。
こちらへ向かっている。
「……商船か?」
俺が呟く。
だが。
重時は首を横に振った。
「商船にしては、多すぎますな」
俺は黙って海を見つめた。
伊豆の騒乱。
関東の戦乱。
京からの呼び出し。
そして――謎の船団。
文明5年は。
どうやら、俺にゆっくり農業をしている暇を与えてくれるつもりはないらしい。
「……一体、何者だ?」
その答えを知るのは。
もう少しだけ先のことだった。
駿河湾の沖合に現れた船団。
遠目には、その数は十隻ほどにも見えた。
ただし、こちらへ向かってくる船がすべて同じ目的で動いているとは限らない。
商船かもしれない。
漁船かもしれない。
あるいは――。
「殿、念のため兵を港へ」
重時が言った。
「ああ。ただし、こちらから敵意を見せるな」
「承知しました」
港の警備兵が配置につく。
弓を持った者たちもいるが、誰も矢をつがえない。
こちらから攻撃するつもりはない。
ただ、何かあったときにすぐ動けるようにしておく。
俺はその様子を見ながら、船団を観察した。
「……あれ?」
俺は目を細めた。
「どうされました?」
「あの船、旗がない」
「旗が?」
「いや、全部じゃない。何隻かに旗がないんだ」
商船なら、どこから来た船か分かるように何らかの目印を掲げることが多い。
もちろん、すべての船に旗が必要なわけではない。
だが。
これだけの船団がまとまって航行しているのに、目印が少ないのは妙だった。
「密貿易か?」
「それなら、もっと小規模に動くのでは?」
「……それもそうか」
俺たちが見守っているうちに、船団がさらに近づいてくる。
そして。
先頭の船から、一隻の小舟が下ろされた。
「こちらへ来ます!」
港の者が叫ぶ。
小舟には三人。
中央に座っているのは、身なりの良い男だった。
武士にも見える。
商人にも見える。
判断がつかない。
小舟が岸へ着く。
男が降りてきた。
「駿河守護代殿は、こちらにおられますか?」
「俺だ」
俺が名乗ると、男は深々と頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします」
「どこの者だ?」
「私は伊豆で商いをしております、三宅と申します」
「伊豆の商人?」
「はい」
なるほど。
それなら船団にも納得がいく。
「しかし、なぜこれほどの船を?」
「実は」
三宅と名乗った男が、少し困った顔をした。
「伊豆から商人や職人、それにその家族を避難させてまいりました」
「……避難?」
俺は思わず聞き返した。
「はい」
男が頷く。
「伊豆の一部で、戦乱を恐れた者たちがこちらへ移りたいと願っております」
俺は海を見た。
あれだけの船に乗っている人間が。
みんな伊豆から逃げてきたというのか。
「何人いる?」
「正確には数えておりませんが、二百人ほどかと」
「二百……」
重時も驚いた顔をしている。
「かなり多いですな」
「はい」
三宅が頭を下げた。
「受け入れていただけますでしょうか」
俺はすぐには答えなかった。
もちろん、受け入れたい。
だが。
二百人となると話は別だ。
食料が必要になる。
住居が必要になる。
仕事も必要だ。
病人がいれば治療も必要になる。
そして何より。
この中に敵の手の者が混じっている可能性もある。
「……なぜ駿河へ?」
俺は尋ねた。
「伊豆から近いから、というだけではないでしょう」
「はい」
三宅が少しだけ笑った。
「最近、駿河では商売がしやすいという噂が広まっております」
「…………」
「港の整備が進み、市が開かれ、商人が安心して取引できるようになった、と」
「そうか」
俺は港を見た。
以前は小さな港だった。
だが。
少しずつ整備してきた。
土倉を建て。
市場を作り。
商人が安心して商売できるようにしてきた。
その噂が。
海を越えて伊豆にまで届いている。
「だから、こちらへ?」
「はい」
「なるほどな……」
俺はしばらく考えた。
そして。
「受け入れよう」
そう答えた。
三宅が顔を上げる。
「よろしいので?」
「ああ」
「しかし、二百人ともなると――」
「分かっている」
俺は重時を見る。
「まず、住む場所を用意する」
「承知しました」
「食料は備蓄から出す」
「はい」
「ただし、働ける者には仕事をしてもらう」
「もちろんです」
三宅が深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
俺は頷いた。
「職人がいるなら、職人街へ案内する」
「職人もおります」
「商人は市場へ」
「はい」
「漁師がいるなら、漁業を手伝ってもらう」
「それも可能です」
俺は少し笑った。
こういう人材は貴重だ。
戦乱で人が流れてくる。
一見すると駿河にとって負担に見える。
だが。
仕事を与えることができれば。
その人間は駿河の力になる。
「農民もいるか?」
「おります」
「なら、農地を増やす」
今まさに蕪や大根、麦、蕎麦などの作付けを増やそうとしているところだ。
人手はいくらあっても足りない。
「ただし」
俺は三宅を見た。
「一つだけ条件がある」
「何でしょうか?」
「武器を持ち込む場合は、すべてこちらへ預けてもらう」
三宅の表情が少し引き締まった。
「……承知いたしました」
「それと、身元を確認する」
「はい」
「これはお前たちを疑っているからではない」
俺は港の警備兵を見た。
「駿河には、駿河を守るための決まりがある。それを守ってもらうだけだ」
「分かりました」
三宅は深く頭を下げた。
こうして。
伊豆からの避難民二百人ほどが、駿河へ入ることになった。
――だが。
それから三日後。
俺は頭を抱えることになる。
「……思ったより多いな」
「二百人ではありませんでしたな」
「そうだな」
港に集まった人々を見ながら、俺は呟いた。
「三百を超えてる」
「さらに伊豆から来る船もあるようです」
「…………」
俺は遠くの海を見た。
新しい船がまた一隻。
こちらへ向かっている。
「重時」
「はい」
「食料の備蓄、足りる?」
「今のところは」
「今のところか」
「はい」
俺は頭を抱えた。
そして。
ふと、思い出した。
蕎麦。
麦。
大豆。
干物。
椎茸。
そして、これから収穫する蕪や大根。
「……作っておいてよかった」
思わずそう呟く。
内政というのは。
平和なときには、成果が分かりにくい。
だが。
こういうときになると。
一気に、その意味が見えてくる。
食料がある。
港がある。
倉庫がある。
市場がある。
仕事がある。
だから。
人を受け入れられる。
「殿」
「ん?」
「これ、もしかすると……」
重時が海の向こうを見た。
「駿河は今後、伊豆から逃げてくる者たちの受け皿になるのでは?」
「…………」
俺も海を見る。
確かに。
その可能性は高い。
ならば。
今のうちに準備しなければならない。
「よし」
俺は立ち上がった。
「農地を増やす」
「はい」
「倉庫も増やす」
「はい」
「港もさらに整備する」
「承知しました」
「それと――」
俺は少し考えた。
「住居も増やす」
「……かなり大規模になりますな」
「人が来るなら、それに合わせるしかないだろ」
俺は笑った。
戦乱は、人を奪う。
村を焼く。
田畑を荒らす。
商売を壊す。
だが。
逆に言えば。
戦乱で居場所を失った人間がいるなら。
その人間たちに居場所を与えた土地は、急速に成長する。
「駿河を、逃げてきた人間が安心して暮らせる場所にする」
俺はそう決めた。
しかし。
その決断が。
後に駿河の人口と経済を大きく押し上げることになる。




