まずは焼津で六斎市を開くとするか
さて、このあたりはまだまだ沼や湿地、未開墾の原野が多いので、喜び勇んで治水開墾を始めようとしたら、地元の農民や土豪などから微妙な顔をされた。
「そう言えばここの湿地を埋め立てて田にして、ススキやササが生い茂る原野を畑にすれば、ここももっと豊かになると思うのですが。なぜ今まで放置していたのでしょうか?」
俺は長谷川政宣に正面切って聞いてみた。
「ああ、このあたりは土地が貧しくあまり作物が実らぬのです。
ですので湊の津料で発展してきたのですよ」
彼の回答を聞いて合点がいった。
「ああ、なるほど、そういうことでしたか」
備中や大阪は違うのですっかり忘れていたが、このあたりから関東にかけては富士山や箱根、浅間などの噴火による火山灰が多いためあまり農地、特に畑に適しているとは言えないのである。
もっとも21世紀の日本における火山灰土は全農地の25%を占め、もっとも多い土の性質でもあるのだが。
九州や中部以東では特に多く、性質としては石が少ないため耕しやすく、排水も良くて、凸凹がなく平らであるというメリットは有るが、酸性が強く、アルミニウムが多いためリン成分がほとんど全くない、全体的に養分が少なく、微生物も少ないという致命的に大きな欠点がある。
この為普通に栽培したのでは植えた作物は枯れてしまうのである。
アルミニウムと言うと日本では原料のボーキサイトのほぼ全量をオーストラリアなどから輸入しているため、国内にそんなにあるとは思えないだろうけど、それはボーキサイトというまとまった形で存在する地金はないだけで、元素との結び付きが強すぎたりするために、鉱物資源としては利用できない形のアルミニウムは、日本ではむしろ多い。
たとえば明礬の礬はアルミニウムを示し、これは硫酸カリウムアルミニウムだ。
で、日本の火山灰土は、このアルミニウムが溶け混んでいる量が、火山灰土以外の他の土とはケタ違いに多く、戦後であれば化学肥料のリン酸肥料を大量投入することでだいぶ改善されるが、弥生時代における水田稲作の伝播についても、諏訪や駿河などの黒ボク土地帯を避けて、それらより東が続縄文時代と呼ばれて稲作がほとんど根付かなかったのはそれよりも西に比べ農業に向かなかったからでもあるらしい。
九州北部や関東、東北や北海道の大部分のようにある程度大規模な火山灰の降下から時間が建てば、ススキが生えてきてそれが長い時間かけて腐葉土になり、有機物が供給されることで黒ボク土になるが、九州南部や東海東部は火山活動が活発であるためより火山灰土としての性質が強いんだったな。
で火山灰が雨ざらしになると、最後に残るのは鉄とアルミニウムだが、どちらもリン酸と結び付いて植物が利用出来ないようになってしまう。
なので火山灰土で普通に育つことができるのはリン酸の吸収力が強い ススキやササだけ、農作物としては火山灰のシラス台地でも育つさつま芋くらいだが、この時代にはまださつま芋はポルトガル人が発見する前でもある。
「なるほど、このあたりに畑が少ないのはそういうわけですか」
「ええ、畑に出来るならとっくにしているのですよ」
駿河国は面積的には決して小さくないが、地形的に山がちで平野も少なく、火山灰土で農地に向かない土地も多いため、実は石高的には甲斐よりも貧しかったりする。
しかし関東からの攻撃を抑えるための要衝である箱根等があるため、地理的には非常に重要な場所でもあるのだ。
「なんとも厄介な場所ではありますな。
となればまずは大阪などからの下り物の集積をここ焼津で行い、六斎市を開いて商業を活発にさせるほうが優先かもしれませんな」
六斎市とはおよそ5日に一度、月六回開催する市で、この時代は多くても10日に一度で月に三回の三斎市までの場合が多いからもっと開催頻度を上げて行いたいものだ。
「下りものの集積ですか」
「ええ、絹や綿、酒や味噌、たまりと言った麹を使うものなどはこちらで手に入れるには難しいはずですから」
「なるほどたしかにそうですな」
つまりこのあたりを農地として本気で開発するとなれば、石灰で酸の中和をして、江戸時代にシラス台地でも栽培されていた比較的に施肥の必要の少ない大豆の栽培をしつつ、肥料として徐々に分解される魚肥や猪や鹿・鯨などの骨粉肥料などが必要だろうから狩猟や漁業も促進しないと駄目かな。
そしてもみがらと米ぬかを混ぜた物を乳酸菌発酵させたものに発酵させた牛馬の糞を混ぜたものを施肥してやれば、土中の有用な微生物も増やせるから、水車を用いて精米させて米ぬかを取り出したりもしたほうが良いかもしれない。