まずは焼津で六斎市を開くとするか
さて。
このあたりは、まだまだ沼や湿地、未開墾の原野が多い。
ならば――と、俺は喜び勇んで治水と開墾に取り掛かろうとした。
ところが。
地元の農民や土豪たちの反応が、どうにも微妙だった。
「……あれ?」
思っていたより歓迎されていない。
そこで俺は、長谷川政宣に正面から尋ねてみることにした。
「そう言えば、このあたりの湿地を埋め立てて田にして、ススキやササが生い茂っている原野を畑にすれば、もっと豊かになると思うのですが……。なぜ今まで放置していたのでしょう?」
「ああ、それですか」
政宣は、さも当然のことのように答えた。
「このあたりは土地が痩せていて、あまり作物が実らぬのです。ですので、湊の津料などで発展してきたわけですよ」
「……ああ」
俺はそこで、ようやく納得した。
そういうことか。
備中や大阪では、土地を開発すればするほど収穫が増えるという感覚があったので、すっかり忘れていた。
駿河から関東にかけては、事情が違う。
富士山。
箱根。
浅間山。
このあたりは火山が多く、長い年月の間に大量の火山灰が降り積もっている。
そのため、農地として使いやすい土地ばかりではない。
特に畑作では、それがかなりの問題になる。
現代日本では、火山灰を母材とする土壌は珍しくない。
むしろ火山灰土は日本の農地のかなりの割合を占めている。
石が少なく、耕しやすい。
排水も良い。
土地が比較的平らで、耕作そのものはしやすい。
一見すると、むしろ農業に向いていそうに思える。
ところが。
肝心の養分が少ない。
しかも酸性が強く、火山灰土に多く含まれるアルミニウムがリン酸と結び付いてしまう。
すると植物が利用できるリンが不足する。
要するに――。
耕しやすいのに、作物が育たない。
農民からすれば、なんとも意地の悪い土地である。
「アルミニウムなんて、この国にそんなにあるんですか?」
現代日本の感覚なら、そう思う人もいるだろう。
何しろアルミニウムの原料であるボーキサイトは、日本ではほとんど産出せず、海外から輸入している。
だが、アルミニウムそのものが日本の土壌に少ないわけではない。
むしろ逆だ。
他の元素との結び付きが強すぎて、鉱物資源として取り出せない形で大量に存在しているのである。
たとえば明礬。
その「礬」はアルミニウムを示している。
つまり、アルミニウムはこの国にも普通に存在している。
ただし――。
農業にとっては、ありがたくない形で。
特に火山灰が雨にさらされ、長い年月をかけて風化していくと、鉄やアルミニウムが残りやすい。
そして、この鉄やアルミニウムがリン酸を捕まえてしまう。
植物が使いたいリンが、土の中にあるのに使えない。
なんとも厄介な話だ。
「なるほど……」
俺は周囲に広がるススキを眺めた。
これも、ただ放置されているわけではない。
火山灰土のような土地でも比較的よく育つ植物なのだ。
ササもそうだ。
彼らは土の条件が悪くても生き残り、長い年月をかけて枯れ、腐り、土に有機物を供給していく。
そうやって少しずつ土が変わっていく。
現代では、その過程を人間が肥料や資材によって一気に補ってしまう。
だが――。
この時代には、化学肥料なんてものは存在しない。
リン酸肥料を大量投入する、なんて芸当もできない。
「そりゃあ、畑にできるなら、とっくにしているわけですな」
政宣が苦笑する。
「ええ」
俺も苦笑するしかなかった。
農民だって馬鹿ではない。
目の前に使える土地があるのに、何百年も放置していたわけではない。
できなかったから、やらなかった。
実に単純な話だった。
そして、それを考えると駿河という国の性格も見えてくる。
国土そのものは決して狭くない。
だが、山が多い。
平野は限られる。
そして、その平野ですら火山灰土によって農業に向かない場所がある。
だからこそ、駿河は農業生産力だけで見れば、案外豊かな国ではない。
場合によっては甲斐より石高が低くなることすらある。
ところが――。
地図を広げれば、その重要性がよく分かる。
西には遠江。
東には伊豆、相模、そして関東。
その間に富士や箱根の山々がある。
東から関東勢が攻めてくるなら、駿河を通らずに進むのは難しい。
つまり。
農業には厳しい。
だが、地理的には極めて重要。
なんとも面倒な国である。
「……となれば」
俺は地図を眺めながら呟いた。
「まずは農地開発より、こちらを活かすべきかもしれませんな」
「こちら?」
「焼津です」
俺は湊を指差した。
「大阪などから運ばれてくる下り物を、まずここに集める。そして六斎市を開いて、商業を活発にするのです」
「六斎市ですか」
「ええ」
六斎市。
月に六度ほど開かれる市だ。
この時代、定期市といっても多くは十日に一度程度。
月三回ほどの三斎市ならともかく、月六回というのはかなり頻繁だ。
だからこそ、人を呼べる。
市が開かれる。
人が集まる。
人が集まれば、物が売れる。
物が売れれば、また人が来る。
農地を増やすより先に、商業を育てる。
土地に頼れないなら――。
人と物の流れを富に変えればいい。
「下り物の集積ですか」
「ええ。絹や綿、酒、味噌、それに醤油やたまりのような麹を使う品々。こうしたものはこちらで大量に作るのは難しいでしょう」
「なるほど。確かに」
政宣も頷いた。
そして俺は、その先を考える。
もちろん、だからといって農地開発を諦めるわけではない。
ただし――。
この土地では、普通のやり方では駄目だ。
まず必要なのは、酸性土壌の改良。
石灰を使って酸を中和する。
そして、比較的肥料分を多く必要としない作物を選ぶ。
候補になるのは大豆だ。
江戸時代にはシラス台地のような土地でも栽培されていた実績がある。
大豆なら、食料にもなる。
味噌にもなる。
醤油にもなる。
豆腐にもできる。
農業だけでなく、加工業まで含めて考えれば価値は高い。
ただし――。
それでも肥料は必要になる。
そこで重要になるのが、漁業と狩猟だ。
魚を獲れば魚肥が作れる。
猪や鹿を獲れば、肉だけでなく骨も利用できる。
骨粉肥料として土に戻せばいい。
さらに、このあたりは海が近い。
ならば魚肥の生産は、むしろ積極的に伸ばすべきだろう。
そして、もう一つ。
俺は米ぬかのことを考えた。
もみ殻と米ぬかを利用し、発酵させる。
そこへ発酵させた牛馬の糞などを混ぜて堆肥にする。
こうして有機物を土に戻していけば、単純に肥料成分を補うだけではなく、土中の微生物も増やせる。
土そのものを少しずつ育てていくのだ。
「……となると」
俺は思わず笑った。
「やることが増えたな」
「何か問題でも?」
「いや」
俺は首を振った。
「むしろ逆です」
土地が痩せている。
ならば、土地そのものを豊かにする。
そのためには、農業だけでは足りない。
漁業。
狩猟。
畜産。
肥料生産。
精米。
水車。
そして商業。
全部を繋げてしまえばいい。
「まずは水車を作るか」
「水車、ですか?」
「ああ。精米を効率化して、米ぬかを確保する。それを肥料作りに回す」
俺は焼津の町を眺めた。
田畑だけを見ていては、この土地の可能性を見誤る。
海がある。
湊がある。
山がある。
人がいる。
そして、関東と畿内を繋ぐ場所にある。
「駿河を、農業だけで豊かにする必要はないんですよ」
俺はそう言った。
「農業で取れないなら、海で取る。山で取る。商売で稼ぐ。それでも足りなければ、土を改良して、少しずつ田畑を増やす」
そのために必要なのは――。
一つの産業に全てを賭けることではない。
この土地にあるものを、全部繋げることだ。
「……まずは焼津を、駿河の商業の玄関口にしましょう」
俺は地図の焼津を指で叩いた。
「そして、その利益で土を育てる」
農地を増やす。
町を育てる。
湊を整える。
市を開く。
そして――。
いつかは、この痩せた土地そのものを豊かな土地へ変えていく。
どうやら駿河の開発は、田畑を増やすところから始めるのではなく。
**人と物と金を集めるところから始めたほうがよさそうだった。**




