この時代の食糧事情
さて、現状の京の食糧事情だが、京都の市街で合戦を繰り返していた頃に比べれば、だいぶマシにはなっている。
少なくとも、俺たちのようにある程度の身分と力を持つ者なら、一日二食――朝と夕に飯を食べることができる。
飯は白米なら六合、玄米なら四合ほど。
そこへ害獣駆除や山狩りで手に入れた野兎、猪、鹿、羚羊、熊、穴熊、狸、水鳥などの肉。
川から獲れた鮒や鯉、鮎、鰍などの魚を煮たり、焼いたり、干したりしたもの。
そして野菜の漬物に味噌汁。
贅沢とは言えない。
だが、飢えを凌ぐだけの食事からすれば、ずいぶんとまともな食卓になったものだ。
もっとも――。
「もう少し、食事における米の割合を減らすというか……おかずの割合を増やせればいいのだがな」
向かいで飯を食っていた大道寺重時が、苦笑しながら言った。
「我らはまだまだマシな方でありましょう」
「まあ、たしかになあ」
俺も箸を止める。
「米もろくに食えない奴が、まだまだ大勢いることを考えれば……これはこれで贅沢か」
そう言って、目の前の膳を見渡す。
白飯。
焼いた魚。
漬物。
味噌汁。
現代の感覚からすれば質素極まりない。
だが、この時代においては、毎日これだけ食えるだけでも決して当たり前ではない。
戦乱によって田畑は荒れ、流通は寸断され、米の値段は容易に跳ね上がる。
だからこそ、山や川から得られる食料は貴重だった。
肉も魚も、ただの御馳走ではない。
生きるための重要な蛋白源なのだ。
そして、この時代の食卓を眺めていると、後世の「日本食」と呼ばれるものの原型が、すでにかなり形作られていることに気付く。
飯。
汁。
漬物。
魚や野菜。
酒。
こうした組み合わせは、後世まで続いていく日本の食卓にかなり近い。
ただし――。
俺には一つ、どうしても気になることがあった。
「……それにしても、米が多すぎるんだよな」
「米が多い?」
「いや、俺たちの食事の話だ」
俺は自分の膳を見る。
米だけでかなりの量がある。
もちろん現代人と同じ感覚で考えること自体が間違っているのだろう。
この時代は、身体を動かす仕事が多い。
武士などは日常的に馬に乗り、歩き、刀を振る。
農民に至っては、一日中身体を使って働く。
それだけのエネルギーを米から取らなければならないのも分かる。
とはいえ、前世の知識を持つ俺としては、米ばかりを腹一杯食う食生活には、どうしても不安が残る。
糖尿病などのことを考えれば、もう少し米以外の食材を増やしたいところだ。
しかし――。
言うは易く、行うは難し。
肉を増やせば狩猟圧が高まる。
魚を増やせば川の資源が減る。
野菜を増やそうにも、畑を増やすには土地と人手が必要だ。
雑穀を増やすという手もあるが、それだって生産量には限界がある。
結局、現状では米が一番安定して大量に確保できる食料なのだ。
だからこそ、米中心の食生活になってしまう。
そして、そんな食卓を眺めていると、もう一つ興味深い変化にも気付く。
それが――米の炊き方だ。
室町時代になると、米の基本的な調理法は、それまでの「蒸す」から「炊く」へと徐々に変化していく。
もっとも、誰もが同じものを食べているわけではない。
伝統を重んじる朝廷の皇族や公家などは、昔ながらの蒸した飯――強飯を食べ続けている。
一方で、武士や、それなりに裕福な商人、地侍などの間では、羽釜で米を煮た後に蒸して仕上げる、柔らかな飯――姫飯が広がっている。
いわゆる「炊いた飯」に近いものだ。
羽釜そのものは平安時代から存在していたらしい。
ただ、面白いことに、かつては炊いた柔らかな飯を食べるのは女性や老人、幼児などとされ、成人男性は硬い強飯を食べるものと区別されていたという。
食文化というのは、意外と面倒なものだ。
同じ米でも、炊き方一つで身分や性別による違いまで生まれる。
さらに、この時代になると、飯の食べ方そのものも増えてきている。
僧の料理を起源とする餝飯のように、飯の上へ細かく刻んだ野菜や乾魚を煮たり焼いたりしたものを乗せ、そこへ汁をかけて食べる料理もある。
現代人の感覚なら、お茶漬けと雑炊の中間くらいだろうか。
手軽で、腹にもたまる。
しかも、少ないおかずでも飯を大量に食べられる。
こういう料理が広まるのも、考えてみれば当然だった。
魚と飯を組み合わせる食文化も発達している。
鮒などの魚を飯と一緒に発酵させる「なれずし」なども、その一つだ。
保存性を高めるという意味では、冷蔵庫など存在しないこの時代に非常に理にかなった食べ物でもある。
調味料も変わりつつある。
たまり醤油。
昆布。
椎茸。
なまり節のような、柔らかく加工された鰹節。
こうしたものから取った出汁が、料理に使われるようになってきた。
つまり――。
「旨味」という、日本料理を特徴付けるものが、少しずつ形になってきているわけだ。
ただし。
それを誰もが楽しめるわけではない。
昆布も椎茸も、決して安くはない。
まして戦乱で物流が滞っている京では、なおさらだ。
出汁を取れるほど余裕のある家は限られている。
そのため、庶民の食卓では、身近な材料だけで何とか味を整えることになる。
味噌もまた、そんな食文化の中で変化していた。
鎌倉時代頃までの味噌は、今のように完全に擦り潰されたものではなく、大豆の粒が残った、納豆にも似た姿をしていたらしい。
大豆を柔らかくして汁に入れ、そのまま食べる。
それが次第に擦り潰され、汁に溶かして使うようになっていく。
そして出汁を使うようになることで――。
俺たちが現代で知っている「味噌汁」に、少しずつ近づいていく。
「こうして見ると、食文化もずいぶん変わってきたんだな」
「何がでございます?」
「いや……味噌汁の話だ」
「味噌汁が?」
「いや、なんでもない」
危うく余計なことを言いそうになって、俺は口を閉じた。
未来を知っている俺からすれば、今の変化は歴史の教科書を目の前で見ているようなものだ。
だが、こいつらにとっては、ただ日々の食事が少しずつ変わっているだけ。
そんなものなのだろう。
武士の戦場での食事も、基本的には質素だ。
玄米を硬めに煮た粥。
鯉、鮒、鮎などの川魚を焼いたもの。
野菜の漬物。
そして、携帯食として重宝されるのが、笹の葉で包んだ梅干し入りのおにぎりや、菜飯のおにぎりだ。
握ってしまえば持ち運びができる。
腐りにくい。
腹持ちもいい。
戦場では、これほど便利な食べ物もない。
だから武士たちにとって、おにぎりは単なる軽食ではなく、立派な兵糧なのだ。
もっとも、戦場を離れれば話は変わる。
酒宴ともなれば、それなりに華やかな料理が並ぶ。
応仁の乱によって一時中断されたものの、酒宴では本膳料理のような豪華な料理も供される。
一汁三菜を基本に、飯、汁、膳の上へ次々と料理を並べていく。
一の膳。
二の膳。
三の膳。
見た目だけなら、それはもう豪華絢爛だ。
ただ――。
「……これ、本当に全部食べるのか?」
「食べぬものも多いようですな」
「だよな」
本膳料理には、実際には食べられず、見栄えを整えるためだけに置かれている料理も少なくない。
正直に言えば、俺にはかなり無駄に思える。
現代人の感覚からすれば、食べもしない料理を並べるなんて、食品ロスもいいところだ。
もっとも、全く無意味というわけでもない。
食べられなかった餅などは、最終的に神前へ供える供物として使われることもある。
つまり、ただ捨てているわけではない。
……とはいえ。
やっぱり豪勢すぎる。
そして酒宴と言えば、昔の上流階級の宴には、さらに呆れるような風習まであった。
足利義満や足利義教の時代には、酒を飲み過ぎて吐くことすら「当座会」などと呼ばれ、称賛されることがあったらしい。
「……吐くまで飲んで、それが偉いってことか?」
「昔は、そのような風習もあったようですな」
「絶対に真似したくないな」
俺は即答した。
幸い、今ではそこまで無茶をすることは少なくなっているらしい。
酒は飲んでも、吐くまで飲むことを競うような宴は、さすがに廃れてきている。
それでも、身分の高い者たちが豪華な料理を並べ、酒を飲み交わす一方で――。
京の片隅では、今日の飯すら満足に食えない人々がいる。
麦粥。
雑穀。
そこへ野草を混ぜた粥。
それだけで一日を凌ぐ者も珍しくない。
同じ京に住みながら、食卓に並ぶものは天と地ほど違う。
俺は箸を置いた。
目の前には、白飯と魚、それに味噌汁がある。
決して豪華ではない。
だが――これを毎日食べられるということ自体が、実はかなり恵まれている。
「……やっぱり、食い物って大事だな」
「突然、どうなされた?」
「いや」
俺は苦笑した。
「腹が減ってちゃ、戦も仕事もできないってことさ」
戦乱の時代だからこそ、武器や兵だけではなく、食料をどう確保するかが国の命運を左右する。
そして俺は、ふと思った。
もし、この先も京で生きていくつもりなら――。
米だけに頼る食生活を、少しずつ変えていく必要があるのではないか。
麦。
雑穀。
豆。
芋。
野菜。
魚。
そして、肉。
手に入る食材を増やし、保存方法を工夫し、食べられるものを増やしていく。
それができれば、米の消費量を減らせる。
食糧事情も安定する。
何より――。
腹いっぱい米を食う以外にも、もっと旨いものを食べられる。
「……よし」
「何か思いつかれましたか?」
「いや、ちょっと食料について考えていただけだ」
俺は再び箸を手に取る。
戦をするにも、国を治めるにも、まずは腹を満たさなければ始まらない。
結局のところ――。
天下を取るより先に、飯をどうするか。
そこから考えなければならないらしい。




