政治と酒宴は切っても切り離せない理由がよくわかったよ
さて、年が明けて文明2年(1470年)の元旦になり、俺は殿上人の隅の隅ではあるが、殿上公家としても扱われる事になったので小朝拝に参加する事になった。
清涼殿の代わりに花の御所に今上陛下が御椅子を立てて、大臣から六位蔵人までが官位位階ごとに公卿と四位・五位・六位で3列を作って、大臣から蔵人頭を通じて今上陛下に小朝拝のために参内したことが奏上された後に、天皇が母屋の御簾を垂れて出御して御椅子に着席すると、天皇から見て最前列にあたる公卿から拝謁していき、その後は元日節会に移行する。
まずは「諸司奏」という、諸国の豊作の吉兆を天皇に申し上げる儀式があり、その後、陰陽寮が、七曜暦を献上。
それから宮内省が氷様という儀式を行うがこれは氷室に納めた氷を取り出し、その厚さ薄さを天皇に報告するがこれは厚いほど吉兆であるとされた。
その後に腹赤贄という食いかけの鱒を次々にとり伝えて食べる儀式を行った後、今上様が出御し、群臣が饗座について、三献の儀を行った後、宴が開かれる。
普通なら一番下っ端の俺など見向きもされないはずだが、実質的にこの儀式を復活させたのが俺であるということもあって、あちらこちらの公家から人が来ては酌をされて、俺は酒を死ぬほど飲む羽目になった。
酒宴と政治は切っても切れぬ関係にあって、こういったところで軽く話しつけては、自邸へ招いたり寺や遊郭などの”公界”すなわち政治的な影響のない場所で詳細の話などになったりするわけで、たとえば日野家と三条家と近衛家などはそれぞれ仲が良くないから、お互いに自分のところへ引き込もうとして宴への誘いをかけてくるわけだ。
日野勝光が来たときに俺は彼に話した。
「細川右京大夫様はもう戦を終わらせたいと考えられているようです」
「そうか、それは良いことである」
「ですので、今上様より正式な和議の勧告を行っていただければと」
「うむ、話はしておこう」
また西軍についた正親町三条公治とも話をした。
「赤入道様はもはや争いを終わらせたいとお考えのようです」
「ふむ、争いが長引くのは我々とて好むところではない」
「ですので、今上様より正式な和議の勧告を行っていただければと」
「うむ、話はしておこう」
このように細川と山名の双方が和議を結びたいと考えていることを公家たちに伝えるとならばそれは今上様にお伝えしようという話に進んでくれたのは助かったが、どちらも戦後の政治的な主導権を手放すつもりはないだろうから頭がいたい。
現状では政治的には東軍有利、軍事的には西軍有利なのでお互い譲ることはないだろうしな。
政治家が密室の料亭で大事なことを話し合うのも利益が食い合う相手方にバレては困るからだ。
「誰と誰が会ったか」をぜんぶ知られると調整というのが利かなくなる、だからこそ寺や遊郭や料亭の密室でコソコソと根回しなどの話し合いをするんだ。
そういった場所では部屋もたくさんあるので同時進行でいくつもの会合を行えるから、別々の部屋で行われている宴からこっそり抜け出して話し合う事も可能なので、誰と誰がどれぐらいの時間会っていたかバレバレな自邸とかで行なうのはもうはっきり派閥がわかってもいい場合のみなわけだ。
政治の世界はとある件では協力できるが別件では無理なんてことも多く、要は欲望や希望をどうやって調整するかという作業だから本当に面倒臭いな……。
こういうのは間に入って”まあまあまあ、そういきり立たないで、お互い妥協をできるところを見つけるため、もうちょっと話し合いましょう”ということができる調整型の公家とかがちゃんと間に入ればなんとかなるはずなんだが。