A.D.2040.地底の天使
(もう朝か……)
哲士はいない。先週、新しいガス田の採掘へと出かけてしまった。
なにがあっても、あの日朝まで話し合った二人は、世界の終わりまで一緒だと確認した。
その気持ちが七海が感じた先の見えない、不安な予感を何とか抑えて、哲士を仕事に送りだす事が出来た。
今のエネルギー問題が抱える日本で、次々と危険なミッションをクリアして、ガス田を開拓していく哲士。現代の英雄を七海の不安だけで、止めておけるわけはない。
超がつく深度、高圧、低温の環境。作業には多くの危険があり、強い精神と身体を持った技術者が必要だった。まさに哲士にはピッタリだった。ただ……出かけるときは心配なのはいつもだが、今回は予感がある。
スマホでカーテン開けると、朝の光が、強く差し込み、一瞬、視界を奪う。自動で窓が開き、風が海辺の臭いを運んできた。
通信と流通が進んだ今は、人々は好きな場所で暮らせる。ネット上で会議や作業が出来て、必要な時だけ、Nリニア、次世代高速鉄道で研究所へ向かう。三百キロ圏内なら、三十分以内で移動が出来る。
Nリニアまでの接続も、iEV、自動運転電気自動車により行われ、運転は車が代行して睡眠や作業を行いながらでも、目的地までたどり着ける。
iEVは共用されており、スマホで予約し、いつでも呼び出す事が出来る。
目的地が同じ人がいれば、ルートを作成し途中で同乗させて、運搬効率をあげるシステムも組まれている。
でも全ては電力をちゃんと供給出来ての話だ。危険な仕事を哲士が続けてる、人々の生活を守る意識とプライドが彼には有った。あと危険を楽しみたい冒険心もあるのかもしれない。
「……ふぅ、海風が今日も気持ちいいなあ」
しばらくは窓から入ってくる風に、心と身をまかせる。
窓からの海風に乱れる、長い髪を手で梳かし今日のニュースを確認する為に、スマホをタッチしてTVをつけた。
写しだされた画像を見た、七海の思考は一旦、全てが止まった。
スマホのリジューム機能ので、意識が戻った七海の目に、緊急ニュースが繰り返されていた。
「日本海で新規に採掘を始めたガス田で、事故が発生しました。ガス田内部で作業中であった、三十人が閉じ込められた模様です」
深海地下千メートル。高圧で極低温の世界。マシンの故障は、確実に命に関わる。
「何が起こった? 哲士」
最初は赤の小さな点滅が、一気にパネル全体へと広がる。
「どうやら、シーリング掘削機のドリルに氷がついて、動けなくなったらしいな」
赤い点灯理由を確認していた哲士が銀次に答える。
「どうする哲士? いつでもおれは行けるぞ」
肩を廻して、50歳を過ぎた銀次が準備が出来ていると、哲士を見る。
「まったく。幾つになってもやる気満々ですね銀さん。まあ、氷が邪魔なら、取り除くしかないでしょ」
哲士の冷静さ。普段の七海に見せる、子供っぽさは微塵もない。
「そっちこそ危機が迫るほど思慮深くなる、それに自分がやる、それが当たり前になってるぞ哲士。いいか、おまえはこのチームのリーダーなんだ。軽率に危険に飛び込むな」
パネルに設置された複数のディスプレイを見る、哲士が銀次の戒めに答える。
「俺はリーダーだから全員を無事に地上に返す。それと、この状態で船外で雪かきできる奴はそうはいない」
「そんな事はない。命じればいい。哲士」
ディスプレイを見たまま、着替え始める銀次をチラリと見た哲士。
「こんな事を頼めるのは銀次さんしかいない。例え死んでも氷を取り除き、チームを救えなんて言える奴なんて」
作業服から船外用のアンダーウェアに着替え始めた銀次。50歳を過ぎても衰えない強靭な筋肉が見える。
「つまり哲士。このミッションは戻れない可能性が高いわけだな」
「ああ、そうだよ。俺の命令で人が死ぬかどうか見てるより、自分でなんとかする方が気軽だ」
「確かにその通りだ。外に出る為の防護服は準備してあるぞ」
「さすが銀さん。当然、二人分だよね?」
「あん? 俺が行くって言ったら行くのは知ってるだろ。だが結婚間際の男なんぞいらんぞ。家でいい女が待っているんだろう? 結婚するんだろ?」
すべての情報を頭と腕時計型の、ハンドヘルドコンピュータに書き込んだ哲士が振り向く。
「さっきも言ったけど、ここでじっとして、人に未来を託すのは好きじゃないんでね。あと、引退間際の年寄りに助けられて、一生自慢されるのもね」
「クク、ならしょうがないな。小言と自慢話は、老後のささやかな楽しみなんだよ。その辺は取り上げないで欲しいな」
減圧室へ移動し分厚い防護服を着る二人。
哲士と銀次は外に出て、シーリングマシンの先端へと取り付く。
二人は腰からバーナーを取り外し、ドリルの回転部を堅く覆っている氷を溶かし始める。二人の周りにはメタンの結晶が大量にある。引火すれば、大爆発を起こす。
慎重にガスバーナーで、二人は堅く凍りついた氷を徐々に溶かしていく。
「ふう、なんとか、これでいけそうだな」
銀次が防護服のヘルメットの上から汗を拭こうとして、メットのシールドに手が当たり、苦笑いをしている。
二人は極限の中で、多くの危険なミッションを成功させてきた。
今回もこの二人なら乗り越えられる、哲士はそう思っていた。
「よし、シーリングマシンへ戻ろう。いい女がたくさん待っている地上へ帰還するぞ!」
銀次の声に、OKのサインを出す哲士。
慎重に、シーリングマシンのハッチを目指すが、メタンハイドレートの断層に小さな亀裂が入るのを、哲士が気づく。
「銀さん!」
先に、ハッチを開けて中に入ろうとする、銀次にメタンの結晶が降り注ぐ。
銀次に身体をぶつけて、前に押し出した哲士。その身体に結晶が痛撃する。
振り返った銀次の目に、暗い海中に沈んでいく哲士が見えた。
氷の結晶により、防御服の一部が破け、酸素の泡が出ている。
「哲士、待っていろ! 今行く!」
ゼスチャーで、ダメだと応える哲士。防護服のレシーバーをオンにする。
「もう、身体の半分が凍りついた。助かったとしても、寝たきりだろう。アイツにそんな俺を見せたくない。幸せになって欲しいんだ……七海には」
「大馬鹿もの! おまえの惚れた女なら、どんな姿でもおまえを待っているはずだ!」
崩落が始まり結晶が降り注ぐ。
満足に動けない銀次の姿を見た哲士は明るく言った。
「そうかもな。それを思うだけでも、寂しくないよ銀さん。いつか……科学が進んで……凍りついたおれを……元に戻せる時が来たら……助けてくれよ」
凍りついて静かに海の底へ落ちていく哲士を、見ているしかない銀次。
「ああ、必ず助けてやる。電子レンジでうまく解凍してやるよ。おれはチンするのは、得意なんだ」
「……楽し……みにしてい……るよ……銀さん」
言葉と意識が薄くなっていく哲士。
「眠くなってきた……銀さん……うん?…あれはなんだ……十二翼……天使……七海に似てるな……そうか……良かったな……」
「どうした哲士? 何を見ている?」
哲士の返事はもうなかった。哲士の身体は氷の結晶になって沈んでいく。
身体を床につけた銀次が、数分かけて無理矢理に自分の身体と心を立たせる。
ハッチの制御板を触ると、痛みと寒さで意識が薄くなってくる。
「せっかく哲士に助けてもらったのに……絶対生きて、あいつを助けると約束したんだ」
でも身体に力が入らない。再び膝をつきズルズルと制御板から手を離す。
「くっ……おれも、氷づけかよ……うん?……あの光はなんだ?……女神だと……哲士が見たのは、この幻か……」
完全に意識が無くなり甲板に、倒れ込む銀次の身体を光が優しく包む。
ハッチが開いて、船内から人が出てきた。銀次を助け起こす。
「銀次さん大丈夫ですか? 聞こえますか? 銀次さん!」
目を開けた銀次が、哲士の結晶がある方向を見つめる。
「お願いだ……哲士を守っていてくれ……未来の女神よ……」
再び銀次は意識を無くした。




