A.D.2040.妖精の決断
沙耶は嫌な予感がしていた。
研究所の一番セキュリティが高い部屋。
不正に沙耶の部屋に入った者がいた、
彼女にはその者が誰であるか分かっていた。
「七海、そこで何をしている?」
沙耶の強い制止の声、しかし振り返らずに端末に向かって作業を続ける七海。
「七海! 聞えないの!? やめなさい今すぐ、その端末から離れなさい!」
研究所の所長、七海の上司である沙耶が強く静止するが、七海は首を振りながら、何かを呟きながら作業を止めない。
「エラーが出る……オブジェクトの生成がうまくいってない……実行モジュールを動かしても何の反応もない」
「七海……あなた……コドクプログラムを動かそうとしているの? ここのサーバー……スサノオで」
振り返った七海が叫ぶ。
「あの人を……哲士を助ける……神が必要なの……でも、でも、プログラムが動かない……沙耶どうしたらいい?」
沙耶が今まで見た事も無い、焦燥した七海を見つめた。
「七海……ガス田に残された哲士の救助に、半年かかると聞いた。そして避難所のバッテリーは一ヶ月しか持たない。そして事故の状況からもう生きてはいまい」
沙耶の話す現実に七海は深い絶望を浮かべてなお呟く。
「だからもう、これしかない……コドクプログラムにより私の神を造り、哲士を救ってもらうの」
悲しそうな瞳を七海に向けた沙耶。
「たとえ、二千年後に神を造ったとしても、神があなたの望みを聞くとは思えない」
大きく首を振り身体全体で否定するやつれた七海。
「いいえ、聞く、私の神は聞いてくれる。私の遺伝子で造る、私の子供だから」
続かない言葉を無理やり繋げて、七海は自分の理論を呟くが首をふる沙耶。
「そんな確証はない。たとえ七海の遺伝子を持っていても、子供は親の言うことなんか聞かない」
沙耶の言葉に突然、自分の左目に手をかける七海。
「大丈夫、この左目を授けるから……私は子供と一緒に世界を見るから……」
「七海!? 何やっているの! 止めなさい!」
七海に急いで近寄る沙耶。指に力を込め、自分の左目に右手の指を差し込む七海、血が右手を伝わって、床にポツポツ、と滴る、赤い血溜まりが大きくなる。
七海の常軌を逸した行動を止めようと、沙耶は、小さな細い腕で七海の血が滴る腕を掴んだが、スッと、身体を入れ替え、沙耶の腕を簡単に引き離し、後ろに下がる七海。
(七海は古武道の達人、とても押えられない)
瀕した沙耶は近くの棚にある、クスリが詰まった注射器に目をやる。
思い詰めた表情の七海は窓際まで下がり、力を加えて、ズブリと自分の左目深くへと指を差し込む。
血溜まりの光景に動けない沙耶。
その前で笑いながら、七海は左目の眼球を引き抜いた。
「ふふ、ほら、これよ沙耶。見て私の左目をあげるの」
「狂っている……七海」
首を振り、沙耶は自分を鼓舞し前に進む。
七海は手のひらを広げて、切り取った自分の瞳を沙耶に向かって嬉しそうに見せた。
「見て沙耶、この私の左目。二千年後の私の神に託す……お願い……協力して……沙耶!」
残った右目で沙耶を見つめて懇願する七海に、静かに近づく沙耶。
「分かった七海。まずは消毒するから。早く左目の治療をしないと」
「よかった。沙耶、解ってくれたのね」
頷きながら沙耶は、後ろ手で棚の小さな引き出しを開けて注射器を手にした。
数日の不眠と、膨大な作業による心身の疲れ、そしてなにより沙耶に解ってもらえた安心感に、疲れ切った七海は身体をふらつかせている、沙耶は近寄りそっと、七海を支えた。
「大丈夫? 七海」
「うん……一週間ほとんど寝ない……作業していた……でも沙耶が分かってくれた」
ニコリと笑った沙耶は、いきなり右手の鎮静剤が入った注射器を、七海の首に突き刺した。
「な、何をするの沙耶!… 分かってくれた……違うの!?」
「七海、もう常軌を完全に逸している……眠りなさい、後始末は私がやっておく」
沙耶に掴みかかった七海が必死に懇願する。
「違うの沙耶! 今しかないの、聞いてもう時間が無いの! これしか方法がない……お願い私を哲士を助けて」
最後の沙耶への哀願の言葉。
意識を無くした七海は、沙耶に寄りかかるように倒れた。
窓から柔らかな午後の日差しが入ってくる……懐かしい海風の臭いがする。
「あ……ここは?」
七海は、白いカーテンが揺れる、哲士と七海の家のベッドで気がついた。
激しい頭痛と左目の痛みで、すぐに意識がハッキリしてくる。
「七海。気がついた?」
部屋に入ってきたのは沙耶だった。少し青白い疲れた顔をしている。
「うん……沙耶。迷惑かけちゃったね」
沙耶は七海の寝ているベッドに近づき、横の椅子に座った。海を見つめながら七海がつぶやく。
「全部失ったみたいね。左目もコドクプログラムも。哲士も……ついでに仕事と、沙耶、あなたも」
七海が視線を沙耶に向けると、疲れた様子の妖精は視線を海へ外した。
「そうだ、おまえの行動は常軌を逸していた。上司として認められない」
沙耶は向きを変え、右手を伸ばし七海のガーゼに覆われた顔にそっと触れた。
「七海、あなたの妄想の為に、”スサノウ”が停止するところだった。人間にはどうする事も出来ない事は、たくさんある。どんなに科学が発達しても」
「いいえ沙耶。恋したことのないあなたには、そう見えるかも知れない。七海は狂っていると。でも、哲士にもう一度逢いたい。世界が滅びても、親友に迷惑をかけても。哲士と平凡な人生を飽きるまで続けて、一緒に死にたいの」
ふう、大きなため息をついた沙耶、疲労が見えるその姿でも、可憐さに変わりはなかった。
だだっ子にあきらめ顔をして、七海の髪を優しく撫でながら妖精は笑う。
「八十時間も掛かった。七海のプログラムのデバックにな。バグを潰して、ソースを書き直して、再コンパイルと全モジュールの再リンク。二千年の耐久シミュレーションにかけ、研究所のサーバーに組み込んだ」
「えっ!? 沙耶……どうして?」
驚いて沙耶を見る七海。
「ついでに七海の遺伝子と左目を冷凍保存した。二千年後にコドクプログラムが起動したら、あるシグナルをネットで世界中……もしかして銀河中かもしれない、それに送るようにスケジューラーも設定しといた」
「沙耶、あなたさっきは上司として黙認出来ないって……」
「そうだよ。でも“マブダチ”としては、あなたの切望を叶えるしかなかった。私は七海を、あなたの心まで、失いないたくなかったから」
カーテンを揺らして、海辺の風が部屋の中を舞う。
七海は海の香りと哲士の気配を感じて、静かに瞳を閉じた。
「ありがとう……沙耶」




