第5話 最初のレベルアップ
冷たく湿った空気が、カイの頬を撫でた。
『遠隔視界共有』で見つけた下級迷宮は、岩肌にぽっかりと開いた自然の洞窟だった。一歩足を踏み入れると、外界の紫色の森とは全く違う、カビと泥、そして魔物の放つ独特の獣臭が鼻を突いた。
「出ろ、一番から五番。そして、デカブツ」
カイが虚空のウィンドウを操作し、実体化を念じる。
直後、薄暗い洞窟の空間にバグのような赤いノイズが走り、無機質なポリゴンの断片が渦を巻いた。データが物理的な肉体へと瞬時に再構成され、5体の下級ゴブリンと、天井に頭を擦りそうな巨体のホブゴブリンが実体化した。
『ゴルァッ……』
低い咆哮を漏らすホブゴブリン。その巨体が前方に立つだけで、狭い洞窟の通路は鉄壁の盾に守られた安全圏へと変わる。
「ホブゴブリンは先頭で壁になれ。ゴブリン共はその後ろに隠れて、取りこぼした敵を牽制しろ」
細かい陣形指示は通らないが、単純な「前に立て」「後ろに回れ」程度の命令なら、システム的に支配された魔物たちは本能的に従う。
カイはその最後尾、最も安全な位置に陣取った。
『キチチチチッ……!』
洞窟の奥から、不快な摩擦音が響き渡る。
暗闇から姿を現したのは、犬ほどもある巨大な大百足の群れと、天井を這うように飛来する大蝙蝠だった。
「やれ」
カイの短く冷徹な命令。
直後、ホブゴブリンが丸太のような棍棒を力任せに振り回した。
「ゴォァァァッ!!」
凄まじい風切り音と共に、突進してきた大百足たちの硬い甲殻が叩き割られ、緑色の体液を撒き散らして壁に吹き飛ぶ。コスト『5』の暴力は、この浅い階層においては圧倒的だった。
天井から急降下してくる大蝙蝠に対しては、ホブゴブリンの背後から飛び出したゴブリンたちが群がり、サビた鉈で強引に叩き落とす。
「……よし、今だ」
敵の群れが手駒たちの猛攻で瀕死になり、動きが鈍った瞬間。
カイは最後尾から一気に前線へと躍り出た。
『基本スキル【剣術 Lv.1】のアシストが起動しました 』
鈍い肉体にアシストを乗せ、カイは長剣を正確に振り抜く。
ホブゴブリンの棍棒で半死半生になっていた大百足の頭部を叩き割り、地面でのたうち回る大蝙蝠の胴体を両断していく。
「ギチッ……」
「ピギャァァ……」
断末魔と共に魔物たちが光の粒子となって消え去り、後には粘液にまみれた「百足の甲殻」や「蝙蝠の牙」といったドロップアイテムが残された。
『 経験値を獲得しました 』
『 経験値を獲得しました 』
視界の隅にある経験値バーが、目に見えて上昇していく。
隷従すれば得られる経験値は半分になる。だからこそ、カイは手駒に敵のHPをギリギリまで削らせ、最後は『自分自身の手で殺す』ことで、100パーセントの経験値を効率よく吸い上げていた。
いわゆる、「パワーレベリング」である。
「手駒を盾にして安全にトドメだけを刺す……。最高に効率がいいが、一切のプライドを捨てた戦い方だな」
血振るいをして長剣を鞘に収めながら、カイは自嘲気味に笑った。
かつては全サーバーの頂点に立ち、一撃で数万のダメージを叩き出していたトッププレイヤーが、今はレベル1の鈍い体で、百足や蝙蝠のトドメを必死に刺して回っているのだ。
だが、その地道な殺戮は、確実にカイの「数字」を押し上げていた。
洞窟をさらに奥へと進み、三つ目の大部屋で巨大な毒蜘蛛の群れを全滅させた、その時だった。
『条件クリア。経験値が規定値に達しました 』
視界のど真ん中に、黄金色のシステムウィンドウが弾けた。
『【カイ】のレベルが 2 に上昇しました 』
『 基礎ステータスが向上しました 』
『 固有権能【絶対的隷従】の最大統率力が拡張されました 』
『 現在の統率力: 10 / 15 (現在レベル:2)』
「……上がったッ!」
カイは思わず拳を握りしめた。
同時に、全身の細胞が急激に活性化するような熱が身体中を駆け巡る。
鉛のように重かった肉体の枷が、ほんの少しだけ外れた感覚。一度鞘から長剣を抜き放ち、軽く振ってみる。さっきよりも明らかに剣の軌道が鋭く、腕への負担が減っていた。
「これがレベルアップのフィードバックか。悪くない」
カイは虚空を操作し、【隷属檻】のステータス画面を開く。
そこには、待ち望んでいた数字の変動が刻まれていた。
『 現在の統率力: 10 / 15 』
「コストの上限が5増えた。これで編成に余裕ができる」
今の構成は、ホブゴブリン(コスト5)が1体と、下級ゴブリン(コスト1)が5体。これでコストは『10』だ。
上限が『15』になったことで、さらにコスト『5』分の空き枠が生まれたことになる。
(この洞窟に出てくる雑魚をドミネイトしてもコスト『2』か『3』といったところか。数で埋めるか、それとも……)
カイの視線が、洞窟のさらに奥へと向く。
空気の湿度が上がり、微かな風の流れが変わっている。ゲーマーとしての直感が告げていた。
この下級迷宮の最深部、「ボス部屋」が近い。
「レベル1の時なら避けていたが……今なら、やれるな」
空いたコスト『5』の枠。それは、この下級迷宮のボスを、自身の「新たな駒」として迎え入れるために用意されたかのような、完璧な空き容量だった。
「行くぞ。俺の新しい盾を迎えに」
カイはホブゴブリンの巨体を先頭に立たせ、暗闇の奥へと続く下り階段を指差した。




