第4話 肉体の枷
ホブゴブリンを【隷属檻】へと収納した直後、張り詰めていたアドレナリンが切れ、カイは急激な眩暈に襲われた。
「……っ、はぁ、はぁ……」
紫色の巨木に寄りかかり、荒い息を吐く。喉が焼けるように渇き、胃袋が痙攣するような不快な痛みを訴えていた。
『空腹』と『渇き』。
VRMMOの世界にも「満腹度」というパラメータは存在したが、それはあくまでアイテムを使用するための制限のようなものに過ぎなかった。しかし、今のカイを苛んでいるのは、細胞が水分と栄養を強烈に欲する、生々しい生命の叫びだった。
「HPの自動回復もない……。ただ休めば治るゲームじゃないってことか」
現実の肉体は、物理法則という絶対のルールに支配されている。発汗による水分の喪失、筋肉の疲労。これらを論理的に管理しなければ、敵と戦う前に自滅する。
カイは虚空を操作し、【隷属檻】のメニュー画面を開いた。手駒を食料に変換できないか確認するため、コマンドの一つである『破棄』の詳細項目に目を細める。
『 破棄:対象のデータを消去し、該当個体のドロップアイテムへと物理的に還元します 』
「なるほど。アイテムや食料を得るには、獲物を『普通に倒す』か、ケージの駒を『削除して還元する』しかないってわけか」
だが、貴重な戦力であるゴブリンを、食えるかどうかも分からない肉のために消費するのは愚策だ。
カイはすぐさま、残存している5体のゴブリンに指示を出した。
「3体は周辺の警戒。残り2体は、飲める水と、肉を落としそうな獣を狩ってこい」
『ギ、ギャッ!』
忠実な手駒たちが散開していく。カイは巨木の根本に座り込み、体力の温存に努めた。
数十分後。
斥候に出していたゴブリンが、巨大な葉に包んだ湧き水と、兎のような角の生えた小動物の死骸を引きずって運んできた。
水で喉を潤し、最悪の渇きを脱したカイは、次に小動物の解体に取り掛かった。初期装備の長剣でドロップ品になりそうな毛皮や牙を剥ぎ取り、インベントリへと収納する。
残った肉を切り分け、焚き火を起こし、木の枝に刺して炙る。
ゲームなら『料理』スキル一発で回復アイテムに変換されるが、ここでは全て手作業だ。焦がさないように炎との距離を測りながら、ただじっくりと火を通していく。
焼き上がった肉に齧り付く。味付けなど何もない、血生臭い獣の肉。だが、その熱と脂が胃の腑に落ちた瞬間、身体の奥底から確かな「活力」が湧き上がってくるのを感じた。
「……よし。これで動ける」
肉体の枷を乗り越え、思考が再びクリアになったカイは、食事をしながら『遠隔視界共有』を起動した。
警戒に回していたゴブリンの1体、第6番の視界が、森の岩肌にぽっかりと開いた自然の洞窟を捉えていたのだ。
「中には……小型の蝙蝠や、スライムの類か」
おそらく、低レベル帯の魔物が棲み着いているだけの浅い『下級迷宮』だ。だが、いまのカイにとっては絶好の狩り場だった。
その時だった。
ズズズズズ……ッ!
突如、大地が微かに震え、周囲の気温が急激に数度下がった。
「なんだ!?」
カイが立ち上がり、森の南東の方角を見上げる。
そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
紫色の森の遥か彼方、天に向かって、巨大な『氷の柱』が立ち上っていたのだ。それは自然現象などでは断じてない。広大な空間を一瞬にして凍てつかせた、規格外の魔法の痕跡。
「あれは……マキナの魔法か?だが、レベル1であんな規模の魔法が撃てるはずがない。あの『コキュートス』じゃないはずだ」
カイは目を細めた。
どんな固有権能を与えられたのかは分からないが、おそらく初歩的な氷魔法を、何らかの手段で強制的に底上げしているのだろう。具体的なカラクリは不明だが、あの魔女ならそれくらいはやりかねない。
「……のんびりしている暇はない、か」
他の14人のトッププレイヤーたちは、それぞれの理不尽な力を振るい、猛烈なスピードでこの世界の覇権を握ろうと動き出している。彼らがレベルを上げ、レガリアの眠る本命の神造迷宮に到達する前に、自分も盤面をひっくり返すだけの「手札」を揃えなければならない。
カイは長剣を鞘に収め、焚き火を土で完全に消した。
「まずはあの下級迷宮で、ホブゴブリンを壁役にして魔物を狩り尽くす。レベルを上げてコスト上限を解放し、軍団をより強固なものに塗り替えるとしよう」
カイの冷徹な命令に応えるように、影に潜むゴブリンたちが微かに蠢いた。
見据える先は、森の奥に口を開ける暗い洞窟。
理不尽な世界に抗うための、レベリングが始まろうとしていた。




