第16話 レベル20の領域
緑色の猛毒ガスが視界を遮る【瘴気谷】。
本来ならば、環境ダメージを受け続けるこの過酷な谷底は、今のカイにとっては「独占された経験値の山」でしかなかった。
「次が来るぞ。死霊、前へ出ろ」
カイの指示を受け、死霊騎士が音もなく前衛に躍り出た。
緑色の霧を切り裂き、岩陰から飛び出してきたのは、巨大な鎌のような前脚を持つ四匹の『瘴気蟷螂』だった。鋼鉄すら切断するその凶悪な前脚が、一斉に死霊騎士へと振り下ろされる。
シュガァァッ!
だが、その鋭利な物理攻撃は、死霊騎士の影で構成された肉体を完全にすり抜け、空しく地面を叩き割るだけだった。
『ギ、チ……?』
手応えのなさに、蟷螂の魔物たちが混乱の羽音を鳴らす。
どれだけ強力な斬撃を浴びせようと、霊体である死霊騎士には一切の物理ダメージが通らない。それでいて、死霊騎士の放つ「生者への強烈な怨念」というパッシブスキルが、魔物たちの敵視を完全に固定していた。
「集まったな。紫電狼、焼け」
死霊騎士に群がる蟷螂たちに向かって、後方で待機していた紫電狼が容赦のない雷撃を放つ。
高圧電流によって魔物たちのHPが削り取られ、虫の息になった瞬間を狙い、カイが滑り込むように長剣で頭部を次々と正確に貫いていく。
手駒にトドメを刺させず、自身の手で刈り取る。手駒が倒した分の経験値は自身に一切入らないという固有権能の制約を越えるための、徹底して無駄を省いた作業だ。
『 経験値を獲得しました 』
『 経験値を獲得しました 』
『 経験値を獲得しました 』
『 経験値を獲得しました……… 』
顔を覆うガジェッド特製のマスクが、チリチリと危険な音を立てて致死の瘴気を弾いている。
解毒薬すらない状況でこれが破れれば即座に死だが、この現実を生き抜き、世界の鍵たる『レガリア』を掴み取るには、狂った綱渡りすらも受け入れるほかなかった。
……何時間ぶっ通しで続けただろうか。
防護マスクの中で荒い息が反響し、剣を握る右手の感覚が麻痺し始めた頃。
瘴気の谷の中腹に差し掛かり、レベル20台後半と推定される『腐毒の巨魔』の群れを全滅させた、その時だった。
視界を埋め尽くすような、眩い黄金のウィンドウが弾けた。
『 経験値が規定値に達しました 』
『 【カイ】のレベルが 20 に上昇しました 』
『 レベル20到達ボーナス:基礎ステータスが大幅に向上しました 』
『 基本スキル:【剣術】のレベルが 4 に上昇しました 。新規アーツが解放されます』
「……上がったッ!」
カイは血濡れた長剣を振り抜き、短く息を吐いた。肉体に蓄積していた強烈な疲労感が一瞬にして吹き飛び、レベル15の時とは比較にならない爆発的な全能感が身体の奥底から湧き上がる。
さらに、頭の中に直接「高位の剣技」の知識が流れ込み、筋肉の動かし方そのものがシステムによって最適化されていく感覚。
(剣術レベル4……。これなら、純粋な打ち合いでも並の近接職を圧倒できるだろう)
長剣の重さが、まるで自身の腕の延長のように馴染んでいた。
だが、カイが最も待ち望んでいたアナウンスは、スキルレベルの向上だけではない。
『 固有権能【絶対的隷従】の最大統率力が拡張されました 』
『 現在の統率力: 100 / 150 』
「……統率力150。一気に『50』も枠が空いたか」
カイは空中に自身の詳細なステータスウィンドウを展開した。
【ステータス】
名前: カイ
レベル: 20
統率力: 100 / 150
[基礎ステータス]
HP: 1000 / 1000
MP: 250 / 250
STR(筋力): 20 (+35) = 55
VIT(耐久): 15 (+25) = 40
AGI(敏捷): 60 (+40) = 100
INT(知力): 10 (+0) = 10
[ステータス還元詳細]
死霊騎士(コスト30): VIT+20、STR+10
紫電狼×2(コスト25×2): AGI+30、STR+20
岩塊熊(コスト5): VIT+5
ホブゴブリン(コスト5): STR+5
暗殺蜂×10(コスト1×10): AGI+10
極端に敏捷《AGI》へ振った素のステータスに、手駒からの還元が上乗せされる。レベル20の時点でAGIは『100』の大台に乗っており、同レベル帯のプレイヤーではカイの動きを視認することすら難しいだろう。
「ここまで来れば、他の連中相手でも戦力負けはしないはずだ。だが……」
カイはステータス画面を閉じ、瘴気の谷のさらに奥深く、もっとも毒の霧が濃く滞留している「最深部」へと視線を向けた。
この谷の強力な魔物たちを束ねる、真の主。
中級エリアの迷宮のボスとなれば、その推奨レベルは30を超え、統率コストも『40』や『50』といった数字になるはずだ。
今までなら統率力の上限に阻まれて決して隷従できなかった、本当の意味での「理不尽な手札」を、今のカイならば握れる。
「行くぞ。この谷のボスを、俺の軍団の新たな切り札にする」
カイは紫電狼の背へと跳躍した。
この世界を生き抜くための新たな力を求め、猛毒の霧の最奥へと、雷光を引いて突き進んでいった。




