第15話 【瘴気谷】
空振りに終わった【岩竜の巣窟】から拠点へと帰還した直後、カイの視界の隅で赤いアラートが点滅した。
『 警告:隷従個体【暗殺蜂】が状態異常【猛毒】によりロストしました 』
「っ……!」
手駒の喪失に伴う痛みが、一瞬だけカイの脳髄を刺す。西の未開拓領域へと放っていた偵察用の手駒の一つが消滅したのだ。
痛みの余韻を振り払いながら直前の同期データを確認すると、そこは視界を遮るほどの緑色の霧に包まれた、不気味な谷だった。
生半可なプレイヤーでは数歩で絶命するであろう致死の領域。だが、カイはそのログを閉じ、静かに目を細めた。
環境ダメージが極めて高いエリアなら、あの剣聖のような規格外のランカーたちも、確実な対策なしには容易に踏み込めない。手つかずの資源が眠っている可能性が極めて高い。
「ガジェッド、大至急でこの環境に耐えうる防毒装備を組み上げろ。明日の朝までだ」
『はぁ!? 無茶言うな、素材の選定からだぞ!? 最低でも二日は……』
「他の連中に狩場を食い尽くされる前に動く必要がある。寝る暇があるなら手を動かせ」
有無を言わさぬ指示でガジェッドを徹夜で酷使し、自身はその間にロストした手駒の補充や、数日分の食糧と水の確保、武具のメンテナンスといった遠征準備を徹底して済ませる。
そして、翌日。
統率力を最大まで満たした万全の状態のカイは、西の中級迷宮【瘴気谷】へと到達していた。
ガジェッド特製の「耐毒防護マント」と「フィルターマスク」を身に纏い、緑色の猛毒の霧の中へと足を踏み入れる。
やがて、霧の向こう側に、ゆらゆらと揺らめく「影」のようなものが浮かび上がった。
『 個体認識:【死霊騎士】 』
『 推定統率コスト:30 』
「コスト30……。中級エリアらしくなってきたな」
カイの接近に気づいた三体の死霊騎士が、赤い双眸を光らせて一斉に襲いかかってきた。幽鬼のように音もなく空を滑り、錆びた剣が迫る。
「まずは物理耐性の検証だ。――蜂、やれ」
カイの指示で、上空に待機していた一体の暗殺蜂が急降下し、先頭の死霊騎士の首筋へ毒針を突き立てる。
だが、甲高い音は鳴らなかった。暗殺蜂の凶悪な一撃は、まるで水面に石を投げ込んだかのように、死霊騎士の影の肉体を何の抵抗もなく『透過』したのだ。
「……やはり、純粋な物理攻撃は完全に無効化されるか」
直後、死霊騎士の無造作な反撃の剣閃が蜂を両断し、光の粒子へと変える。
手駒の喪失による痛みを予測通りとばかりに無視し、カイの口角がわずかに吊り上がる。これで、欲しかった『物理無効化盾』としての性能が完璧に証明されたからだ。
「上等だ。なら手加減はしない。紫電狼! 最大出力の雷撃!」
『ウォォォォンッ!!』
カイの指示に呼応し、紫電狼が天に向かって咆哮する。直後、周囲の瘴気を切り裂くように、圧倒的な紫色の雷光が放射状に炸裂した。
物理無効の死霊騎士たちも、魔法属性である雷の前には脆弱だ。高圧電流に焼かれ、三体を構成していた影の鎧が激しく吹き飛び、霧散する。
「……ビンゴだ」
カイの視線の先、影が剥がれ落ちた死霊騎士たちの胸部には、心臓のように脈打つ黒い魔石が剥き出しになっていた。
霊体モンスター特有のギミック。実体のない影の鎧を魔法で吹き飛ばせば、中枢である物理的な核を叩ける。
カイは紫電狼の背から跳躍し、身動きの取れない死霊騎士たちへと肉薄した。そして長剣を鋭く振るい、二体の剥き出しになったコアを正確に叩き割る。
『ギ、ギャァァァッ……!』
断末魔と共に、二体の死霊騎士が光の粒子となって消滅する。
そして、残された最後の一体。影の肉体を失い、完全に戦闘能力を喪失して地に伏すコアを見下ろし、カイは無造作に長剣の切っ先を突きつけた。
わずかに刃先を押し当てられ、もう一ミリでも動かせば核を両断される。その絶対的な『死の脅威』を突きつけられた死霊騎士は、完全に沈黙し、降伏の意思を示した。
『 条件クリア。対象【死霊騎士】の完全な屈服を確認 』
『 固有権能【絶対的隷従】が発動可能です 』
真紅のウィンドウが空中に展開される。
カイは剣を構えたまま、自身の【隷属檻】の管理メニューを開いた。
「……さて、編成の最適化の時間だ」
現在のカイの統率力は、『99/100』。死霊騎士を組み込むには、あと「29」のコストを捻出する必要がある。
手駒のリストをしばらく見つめた後、判断を下した。溶解大蛇と、拠点の労働力としてキープしていた五体のホブゴブリンのうち四体、そして端数調整として暗殺蜂を一体選択し、『破棄』をタップした。
『 隷従個体を破棄します。よろしいですか? 』
YES。
赤いノイズと共に、遠く離れた拠点で待機していたであろう手駒たちがシステム領域へ還元されていく。
『 隷従個体の喪失により、ステータス還元が低下します 』
直後、全身から力が抜け落ちるような特有の虚脱感がカイを襲う。
ピピッ、と、そのタイミングで耳元の通信機がけたたましく鳴った。
『おい! 急に大蛇とゴブリン共が光になって消えちまったぞ!? 資材の運搬ラインの大部分がストップしちまったんだが!』
ガジェッドの焦ったような怒声が響く。拠点で重機代わりに使っていた労働力が、前触れもなく消滅したのだから当然の反応だ。
「騒ぐな。新しい駒を入れるためのコスト調整だ。運搬は残った一体のゴブリンと熊でなんとか回せ」
『無茶言うなよ……! さっき徹夜明けでやっと一息ついたってのに、またラインの設計からやり直しじゃねえか! ブラックすぎるだろ、お前の軍団!』
文句を垂れながらも、ガジェッドが即座に代替案の計算に入った気配を感じ取り、カイは通信を切った。
不快な虚脱感を無視し、カイは空いたコスト枠を確認する。統率力は『70/100』までスリム化された。これで、死霊騎士を迎え入れる準備は整った。
カイは再び、眼前の死霊騎士の隷従ウィンドウへと視線を戻す。
『 対象を隷従させますか? 』
迷うことなくYESをタップ。
死霊騎士の影の肉体がデータ化され、カイのシステム領域へと吸い込まれていく。
『 構成内訳を更新:【紫電狼】×2、【岩塊熊】×1、【ホブゴブリン】×1、【暗殺蜂】×10、【死霊騎士】×1 』
『 現在の統率力: 100 / 100 』
「……ジャストだ」
カイは新たに死霊騎士からのステータス還元が、肉体に馴染むのを感じ取った。破棄した手駒の喪失分を補って余りある、強力な力が身体を満たしていく。
「これで物理特化の連中には、一方的に理不尽を押し付ける『物理無効化盾』が手に入った」
カイは満足げにステータス画面を閉じる。しかし、脳裏に過るのは、あの迷宮を空間ごと両断していた規格外の剣閃。
(……あのレベルのバケモノの斬撃まで無効化できる保証はない。気休め程度に考えるべきだろうな。だが、少なくともここからの狩りの効率は劇的に跳ね上がる)
未知の強者への警戒は決して解かず、カイは次なる獲物を求めて、瘴気の谷のさらに奥深くへと歩みを進めた。




