人生と私たち
岩下鈴:社会人1年目のOL。面倒見がよく思いやりがあり、真面目な性格。田舎を飛び出して都会に上京してきた。過去の輝かしい栄光に苦しめられている。
月岡昴:中途採用されてきた新入社員。イケメンで高身長だが、不器用で仕事ができない。寡黙でシャイだが、誠実で優しい性格。とある過去の記憶を抱えている。
山田真衣:鈴の勤め先にいるとても美人な先輩。勤務歴は10年目。基本的には優しいが、ライバルには絶対に勝ちたいという競争心を隠している。上司のお気に入りになることが得意。
川口晴美:鈴の親友。子供の頃からの夢だった教師になり、新任として奮闘している。気配りができて人に寄り添う優しい性格。仕事で悩みを抱えている。
岩下登紀子:鈴の母親。真面目で家族想い。保育士として働いている。
岩下茂雄:鈴の父親。お茶目で楽観的な性格。消防士として働いている。
時間は飛ぶように過ぎて、寒さが厳しい季節となった。
私と月岡くん…いや、昴くんは相変わらず仲良くやっている。ただ…変わったこととしては、昴くんがまた仕事でミスすることが多くなってきたことだ。山田先輩がどんなにカウンセリングしても、彼は「僕の不注意です、すみません。」と毎回謝るだけだった。
「鈴ちゃん。最近、月岡くん変じゃない?プライベートで何かあった?」
パソコンと睨めっこしている私に山田先輩が小声で尋ねてきた。私は手を止めて、首を横に振った。
「いえ…いつもと変わらないんです。何かあったのか聞いても、何もないって一点張りなんですよね。」
私の言葉に彼女は俯いた。私は電話対応中の昴くんを盗み見る。彼はメモを取りながら一生懸命業務に当たっている。それでも、彼の何かがいつもと違っているように感じるのは気のせいだろうか。
夜になり、昴くんと私は帰路に就いた。紺色のコートを着た昴くんはいつにも増して大人っぽく見える。
「鈴さん、今日もお疲れ様です。もう冬ですね。次お出かけする時は…ピカピカしたやつを見に行きたいな!」
口を開くと、あどけなさが残った少年である。私は彼の横顔を眺めながら苦笑した。
「ピカピカしたやつ…?もしかして、イルミネーションのこと?」
「そうそう!イルミネーション!僕、今までちゃんと見たことないんですよね。」
昴くんが私の方を向いて笑顔を作った。私は彼の顔を見て、ハッとする。彼は私が何か言おうとすると、突然手を叩いた。
「鈴さん、クリスマスって帰省するんですか?」
「帰省…?いや、ううん。お正月は帰省するけど…クリスマスに帰省する人はなかなか珍しいんじゃ…。」
「そうなんですね!あの…もし良ければ、僕と一緒に過ごしてくれませんか?」
昴くんが子犬のような目で私を見つめてくる。罪深い瞳だ。私はモヤモヤしながらも小さく頷いた。すると彼は拳を突き上げて「やったー!」と叫んだ。いつもよりも昴くんのテンションが高くて戸惑ってしまう。
「本当に嬉しいです!ありがとうございます!何しましょうね~!」
「あ…うん、私も嬉しいよ。何するかは、追々考えよう。」
私が冷静に呟くと、彼は首を縦に振った。それから彼は家に着くまで、ずっと私に話しかけてきた。所謂、マシンガントークである。
「それでは鈴さん、また明日会いましょうね!」
アパートの前に着くと、昴くんは足早に中へ入ろうとした。私は慌てて彼の腕を掴む。彼は目を丸くして、私の方を向いた。
「昴くん…変だよ。」
「僕が?変?」
昴くんは目を泳がせる。私は彼の腕をさらに強く掴んだ。
「何かあったんだよね?私に教えてくれないかな?」
必死に尋ねると、昴くんは私から目を反らして俯いた。
「何も…ないですよ。」
「絶対あるでしょ?」
私は大きい声を出した。彼は俯いたまま何も言わない。
「私がいつも助けてもらってるように、私も月岡くんの力になりたいんだ。」
黙り込んでいる昴くんに私は言葉を続けた。
「私だって、昴くんに自分が悩んでることをなかなか伝えられない性格だって自覚してる。でも、昴くんにも1人で抱え込んでほしくないし、頼ってほしいって思ってる。私も同じ気持ちなんだよ。いいアドバイスとかできないかもしれないけど、話聞くだけでもさせてほしいんだ。」
月岡くんの肩が小刻みに震えているのに気付いた。私はハッとする。
「月岡くん…泣いてるの?」
彼はゆっくりと顔を上げた。ぱっちり二重の瞳から大粒の涙が頬を伝っている。私は反射的に彼のことを抱きしめた。
「すみません…僕、伝えたいと思ってたんですけど…話す勇気が出なくて。」
声を絞りだす彼に私ももらい泣きしてしまう。
「2週間前、母から電話が来たんです。北斗がいなくなったから、探してほしいって。」
「北斗…?」
私が首を傾げると、彼は私の顔を覗き込んだ。
「僕の…兄です。」
彼の言葉に衝撃が走る。彼の家族は昴くんを見捨て、縁を切ったと前に聞いたのを思い出したのだ。
「そうなんだ…。でも、どうして急に?」
私の問いに彼は何度も首を振った。
「何にも分からないんです。母には何も言わずに電話を切ってしまったし…。」
「お母さんは…どういう声色だったの?」
昴くんはしばらく考え込み、それから肩を落とした。
「あまりにも久しぶりに母の声を聞いたので…よく分からないです。」
「そっか…そうだよね、8年ぶりだもんね。」
私も肩を落としてしまった。昴くんは眉を八の字にして話を続ける。
「母の声を聞いた瞬間、すごく怖かったんです。母はいつも僕に怒鳴りつけてたので、昔の記憶がフラッシュバックしたんです。その電話以来、母からは一度も掛かって来てないんですけど…いつ掛かってくるのかなって毎日ソワソワするんですよね…。」
「昴くん…。」
私は彼の頭に手を乗せて優しく撫でた。
「ずっと1人で闘ってたんだ。大変だったね。よく頑張ったよ、昴くん。」
彼は目に涙を浮かべて私を見つめた。彼の瞳から1つ、また1つと涙の粒が落ちていく。
するとその時、スマホの振動音が聞こえてきた。私は慌てて自分のスマホを見たが、何も変わりはない。昴くんが恐る恐るスマホを取ると、電話が来ているではないか…!私と彼は怯えた表情で顔を見合わせた。
「どうしよう…母からです。」
「噂をしていたら電話来ちゃったね…。」
私はしばらく悩んだ末に、彼に言った。
「昴くん。電話に出た方が良いと思う。」
「え…なんでですか?」
電話はまだ鳴っている。私は彼の手を取り、力強く握った。
「今更昴くんを頼ってくるのには、きっと何か理由があると思うんだ。だから、ちゃんと聞いてみた方が良いかもしれない。不安だと思うけど、今は私が傍にいるから。」
昴くんは私の手を握り返し、深呼吸をして応答ボタンを押した。
「もし…もし?」
彼が小声で呟くと、「もしもし?」と高い女性の声が聞こえてきた。私もできるだけ彼のスマホに近づいて彼女の声に耳を傾ける。
「北斗、実は見つかったんだよね。」
嬉しそうな女性の声が聞こえてくる。昴くんは「そう…。」と小さく頷いた。
「海底にいたって。」
いきなり女性の声が低い声に変わった。昴くんは唖然として口を閉じてしまう。私は彼の顔が青く冷めていくのを見た。
「葬式、もうやっちゃったから。でも、一応伝えておこうかなって思ってさ。」
女性はまた高い声に戻って、淡々と話を続ける。
「ねえ昴さ、私のお店来て手伝ってくんない?北斗がいなくなって大変なの。馬車馬のように働いてるのよ。」
「嫌だ。」
昴くんははっきりした声で即答し、それから電話をすぐに切ってしまった。会話を聞いていただけなのに、私はいつの間にか涙をこぼしてしまう。昴くんも頭の整理が全くついていないようだ。
「昴くん…。」
私が名前を呼ぶと、彼は切ない笑顔を作った。
「鈴さん。傍にいてくれてありがとうございます。もうこれで終わったんです。だから、安心しました。これでもう何もかも終わったんですから…。」
「でも…でも、お兄さんのことは…?」
私の問いかけに彼は何も答えなかった。少し時間が空いて、昴くんは口を開いた。
「鈴さん、あの…今日一緒に寝ていいですか?」
「…え?」
意外な発言だった。私がキョトンとしていると、昴くんの目がいつもと違っているように見えた。
「僕の家に来てほしいんです。お願いします。」
それから私たちは2人で夜を明かした。彼は家族のことを全く話すことなく、私のことだけを求め続けた。彼がいつか泣き出すだろうと思っていたが、そんなのは杞憂だった。私に話す隙も与えず、彼はただただ必死だった。私はそんな彼に応えながら、密かに胸を痛め、涙を堪えることしかできなかった。
翌日、昴くんは何もなかったかのようにケロッとしていた。
「今日の月岡くん、何だか以前の彼に戻ったみたいね。」
山田先輩が不思議そうに呟いたので、私は黙り込んだ。
「まあね、生きてれば良いことも悪いこともあるもんね。月岡くんもきっと乗り越えたんじゃないかしら。」
私が思わず彼女の方を向くと、彼女は私に優しく微笑んだ。
「お互い様なのよ。人はそれぞれ乗り越えないといけない困難が来る時期があるんだから。そういう時は支えられて、そういう時期の人がいたら支えるのよ。鈴ちゃんにとっては…支える時期なのね。」
先輩の言葉が胸に沁みる。私がお礼を言うと、奥の方から「山田先輩!」と呼ぶ声が聞こえた。昴くんが手を振っているので、山田先輩は慌ててそちらに向かった。
ー鈴ちゃんにとっては…支える時期なのね。
山田先輩の言葉が脳裏に焼き付いて離れない。私の心の中に納得したような、していないような複雑な感情が残っている気がした。
今日はいつもよりも早く仕事が終わった。私と昴くんはいつもと変わらずに肩を並べて家に向かう。
「鈴さん、今日もお疲れ様です。昨日は…その…ありがとうございました。」
昴くんが昨夜のことを思い出したように顔を赤くする。私が「思い出さなくていいから。」と苦笑すると、彼はいたずらっぽく呟いた。
「昨日の鈴さん…何かいつもより大人っぽかったです。」
「もう!そんなに掘り下げなくていいってば。それにしても…本当に大丈夫なの?」
眉を八の字にすると、昴くんは私から目を反らした。
「はい。大丈夫なので、気にしないでください。スッキリしましたから。」
昴くんは嘘が下手過ぎる。強がっていることが彼の美しい横顔から伝わってきた。私が声を掛けようとすると、彼はハッとしたような顔で私を見つめた。
「そういえば!鈴さん、クリスマスにやりたいこととか行きたい場所とかありますか?」
「え…クリスマス?」
「前に話したじゃないですか!僕はキラキラ見たいって言いましたけど、鈴さんからは何も言われてなかったので気になっちゃって。」
私は「イルミネーションね。」と訂正しつつも、昴くんが話を反らしたことを分かっていた。
「クリスマスも大事だけどさ…。」
私の言葉に昴くんはキョトンとする。
「私は昴くんが無理してる方が辛いし、すごく気になるんだよね。」
私たちはもう家の前まで着いていた。それでも私は彼を1人にしたくなかった。俯いている昴くんに私は話を続ける。
「本当は切なくて、しんどくて、悲しい気持ちに蓋をしてるのに…それなのに、笑顔でいる昴くんを見るのはすごく辛いんだよ。大切な人には素直でいてほしいって思うんだよね。」
「鈴さん…。」
ようやく口を開いた昴くんの目には光るものが見えた。
「今日も傍にいてくれませんか?」
彼の声が震えている。私の目頭がだんだん熱くなってきた。
「1人じゃ…耐えられなさそうなんです。壊れそうなんです。」
「昴くん。そういう時は今みたいにちゃんと言ってね。私は絶対に一緒にいるんだから。」
私は彼の腕を引っ張って部屋に連れ込んだ。座布団に座ってしばらくすると、昴くんは嗚咽を漏らした。私は肩を擦りながら、彼の頭の上に頭を乗せた。
「いっぱい泣いていいんだよ。思いっきり泣いていいの。」
そう言っている私も泣いていた。自分のことのように泣いている。昴くんが抱えてきた過去の苦しみ、突然現実に引き戻された感覚、家族という名の喪失感…。今、全てが彼に覆い被さっているんだ。
昴くんはティッシュで鼻をかんで、涙を手の甲で拭った。涙を流した後の彼の瞳がいつもよりも輝いてるように見える。私は思わず彼に抱き付いた。
「鈴さん…珍しいですね。今日は積極的なんだ。」
充血してる目を細めながら彼は笑った。私は拳を作って彼の脇腹に軽くパンチする。
「何だよ、その言い方は。今日は特別だよ。昴くんに力をあげたいだけ。」
私が顔を上げると、昴くんはいきなり口付けしてきた。私が目をぱちくりすると、今度は私のおでこに口付けをした。私は離れようとしたが、彼が私を強く引き寄せた。
「鈴さん…僕、もう大丈夫です。鈴さんのおかげで、心からこう言えます。」
「泣いたら…大丈夫になったの?本当に?」
私が不安がると、昴くんは何度も頷いた。
「本当ですよ!鈴さん。僕の特技、聞いてください。」
「え…なんで急に?」
「聞いてください。お願いします。」
あまりにも懇願されたので、私は仕方なく聞くことにした。
「えーじゃあ…昴くんの特技は何ですか?」
彼は間も空けずに即答した。
「けん玉です。」
昴くんがドヤ顔を決めているので、私は「前と変わってないじゃん。」とすぐに吹き出してしまった。すると、昴くんも私につられて笑い出す。それから私たちは普段のようにたわいのない話で盛り上がった。今までの過去も、苦くて甘い今も、不確かな未来も全て忘れて、ただただ腹を抱えて笑いながら夜を明かしたのだった。
つづく
次回がついに最終話です。ぜひ最後までよろしくお願いします!




