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リズベルト・シンソフィーの冒険  作者: 阿江
第三章 花売る館
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吐く中身


 起きると昼だった。厨房に入り、残っていたものを少し食べる。厨房は娼館の中でも窓があり、日差しが入るのですぐに出る。ヨハンの部屋は牢屋みたいに小さな窓しかないので、逃げ帰る。ヨハンの脱ぎ散らかした服を集め掃除をして、洗濯部屋に行く。奥の部屋でごしごし洗って、干しておくように頼む。昨日の服を返してもらい、部屋に戻るとヨハンはベッドで眠っていた。


 目をそらして部屋を見回すと、ヨハンが調合した香が無造作に机に並べてある。香というより調合薬物といったほうがいいのかもしれない。この娼館の売れっ子5人の分であり、少しずつ異なったものらしい。手に取ってひとつひとつ確認する。

 これを届ける場所を思い返し、よしとうなずいた。


 三人目の部屋でレミが出てきた。

「これ」

「ありがと」

 浮かない顔をして、見るからに元気がない。

「どうしたの?」

 そう聞くと、えっ、不思議そうな顔で私を見る。ピンク色の唇がかすかに開いている。


「なんかね、レミーナ様のお客さんがサニー様に盗られたみたいなの。もしかすると部屋から落っこちちゃうかもって」

 素直に答えてくれる。

 レミーナというのはレミが雑用をしている主人で、数で稼ぐタイプではなく質で勝負する人だ。

 レミーナが持つお客はそれほど多くはないが、どれも不思議と経済力や権威が伴っているらしく、あまり客を取っているとは思えないが売り上げは高い。


 派手な外見だが、騒いだりせず滅多に笑わない。独特の気品がある。レミは名前が似ていることもあり、レミーナを姉のように慕っている。それが3週間変わらないということは、本当にいい人なのだろう。話したことは数えるほどだが、そう思っている。


 サニーという人は、この娼館で最年長の35歳で明るく楽しい人だ。悪気はないが、基本が自己中心的なので、人を傷つける。この人とは頻繁に話したことがある。よくヨハンをからかっていて、私のことを男娼と思っているのだろうたまに同情の視線がある。同情する心は彼女の心というよりも、年齢がそうさせるのだ。


 ちゃんと部屋を持っているということは、安定した客がえられるし、料金も多めにもらえる。しかし逆に部屋がないと、短時間で終わらせる必要があったりと結構大変だ。



「心配ないと思う。レミーナさんはまだ人気だし売り上げも高い」

 本当にその通りで、いくらなんでもレミーナが部屋から追い出されることはないはずだ。


 レミは納得していないのかむぅと口を尖らせて、「もういいよ」と少し不機嫌な様子で扉を閉めてしまった。


 いきなり機嫌が悪くなったのを不思議に思ったが、仕事があったので、それをつづけた。


 いつも通り仕事を続けて、宴会が始まった。すると、中間くらいに売れている女の人が「マダムヒュレムが呼んでたわよ」と教えてくれた。


 マダムヒュレムは税金関係の調節や司法の人との打ち合わせなど、正直まったくほかの娼婦とは違う働き方をしている。毎日専属のマッサージ師に体をもみほぐしてもらって寝ているらしい。


 らせん階段よりも奥まったマダムヒュレムの執務室をノックすると、「中に入って」と指示されたので、足を踏み入れた。


 さわやかな匂いが鼻をくすぐる。他よりももっと明るいランプが机の横に置かれている。


「失礼します」

 と頭を下げると、「顔を上げて」と声をかけられた。



「もうここにきてから、一か月たったでしょう。貴方はヨハンが雇っているから何も言っていなかったけれど、ちゃんと働いてくれているから、それなりに対価が必要でしょ」


 意外な言い分に内心で首を傾げた。もしかしてこの人は私に給料を払うといってくれているのかもしれない。


 しかしほかの下働きの子は給料をもらっている様子はない。


「ヨハンは悪気はないの。貴方に満足に食事を与えないのも」

 マダムヒュレムは私が吸血鬼であることを知らないはず、なんの話をしているのだろうと考える。


「今日は何を食べたの?」

 そう聞かれて、ああとゆっくり納得した。私は朝は厨房の残り物のパン粥を器に半分、そしていつもは宴会が終わった後の残りの食べ物をつまむくらいだ。どれくらいの量、といわれてもわからないが多くはない。


「ヨハンが雇っているという形だから黙っていたけれど、この『家』は本来そんなことはしないの」

 強固なほどプライドを感じる言葉だった。


「ヨハンにも話して、こちらで雇いなおします」

 きっぱりといった口調に、否定する要素もなかったので「お願いします」という。


 マダムヒュレムは満足そうな表情をして、「ヒカル、もうおなかをすかせることはないの」と優しく言い、立ち上がって私をぎゅっと抱きしめた。


 戸惑っていると、そのガラスのように透き通った瞳が向いて「かわいそうにね。でももう大丈夫だから」と言われた。


 訳が分からないなりに、何か間違った方向に言っているようで話をそらすことを考えた。

 わずかな動揺を押し殺して、「それで……」と話の続きを促すと、マダムは抱擁に満足したのか離れて、


「給料は出せないけど、毎食食事は出すから。お昼と、宴会が始まる前に厨房によって。朝は起きるのがしんどいでしょう?」


 うなずくと、「あと、ヒカルはこれからどうしようと思っているの?」との質問があった。



 私はここに来る前から考えていたことを言った。


「市民権が欲しいんです」


 くすりと、マダムが笑った。


「じゃあ選択ミスね。この家で市民権を持っているのは私とヨハンだけよ」


 うすうすそんな予感がしていた。


 私は市民権を持っていないわけではない。リズベルト・シンソフィーとしては市民権を持っている。


 別の市民権を欲する理由は王都に入りたいからだ。市民権はこういう街ではなく、王国の主要な街に入るときに必要な権利で、リズベルトでの市民権は王弟が停止している可能性が高い。


 ヒカルとして市民権を入手して、王都へ入る権利が必要なのだ。


「じゃあ、ここで五年間働いたら、従業員票を作ってあげるわ。お給料も払ってあげるし、そこからお金を貯めて市民権を申請しなさい」


 マダムの提案はあまりにも長すぎる。いつ日本からの召喚者が来るかわからない状態で五年も働いていられない。


 けれどとりあえず今はここに腰を落ち着ける必要があるので、「分かりました」と答えた。


 市民権は3年就業し、両親が明白か保護者が明白で、いくばくかの金銭を払うともらえる。このほかにも就業せずとも大量の金銭を払うともらえたり、貴族は生まれた時点でもらえたり抜け穴が多い制度だ。ここに来るときにお金の入った袋は取られてしまったが、ほかに宝石やお金は身に着けていたので、市民権を買うお金はある。


 といっても従業員票は必要で、とてもほしい。


 王都ではお金がなかったら市民権が手に入らないので、たまにおいだされることがある。


 とにかく、マダムとの雇用計画の話は終わった。

 

「たまには休みも必要よ。今日はもうお休み」

 マダムの配慮でその日は働かなくていいことになった。


 昨日は大目に飲んでいたので、空腹感はないがすこし物足りない。

 ヨハンの部屋に戻った。


 部屋に戻ると布団の中でヨハンが死んだように眠っていた。布団の隙間から赤毛が見えている。私は物音を立てないように部屋の隅で毛布にくるまった。そして日記帳を書きつける。


 ここで働くようになってから、趣味という趣味がなくなったので日記ばかり書いている。ふとレミの不機嫌の顔がよみがえった。


 レミは今、部屋に侍ってレミーナ様の手伝いをしているだろう。

 そんなことを考えていると、ヨハンが起き上がってきた。


「今、外で物売りがいるよ」

 と寝ぼけた顔のまま声をかけてくる。


「何を売っているんですか?」


「髪飾りとか、そんなものだね」

 と本人も興味なさそうだ。しかし私はヨハンとは逆に好奇心が沸いてきた。昔からお祭りの屋台とかは好きなのだった。


 ヨハンはどこからか銀貨を1枚取り出し、私の掌に載せた。


「行っておいで」


 うれしかった。妙にうれしく思い、ここにきてからはじめてくらい外出に向かった。



 娼館を出ると、騒がしくあまり治安のいい場所ではないことが分かる。


 すぐに出店は見つかった。周りに私よりも年上の少女たちが群がって、アクセサリーを見ている。

 近づいて、見ていると女店主が愛想よく「見てってー」という。

 近づいてみる。値段は一律銀貨一枚で、木の簪に花や蝶など女の子が好きなものが一つか二つ付いている。彩色も施されていて、面白いいい品だった。



 私が一つ一つ手に取り、小さな花がいくつもついているものを選んだ。花はピンク色で、簪は薄い青色に彩色されている。花びらの形は違うけれど、桜に少し似ていた。


 それを買い、持って娼館に戻ると、宴会は盛り上がっており玄関広間にも声が響いていた。

 そっと確認すると、下働きの子がちょうど下げる器から食べ物を食べているところだった。見た限り、円滑に進んでいるようだったので、上のヨハンの部屋に戻った。


 ヨハンはいず、適当な服をひっかけていったのだろう。いつもの寝間着を地面に放り投げている。


 髪飾りは買ったものの、私自身使う予定はないので、レミに上げようと思い立った。


 レミは今はレミーナの手伝いをしているし、明日に渡そうと、もう一度髪飾りをじっと見た。

 そうだ、と思って急ぎ足で階下に降り、外に出た。



 この娼館に来て、取られなかった装身具や宝石、金銭は娼館の裏手に、隠してある。袋だけ返してもらったのでそれに詰めて、地面に埋めておいたのだ。掘り返して、それを持って上にあがった。


 ここしばらくの生活でヨハンがこの部屋をそれほど注意深く見ていないことが分かったので、もう埋めておかず、身の回りで管理することにした。

 

 袋からコサージュを取り出し、そこについてある宝石の一番小さいのを三つくらい爪で剥がす。


 ヨハンの持っている、粘着性の高い粘液を拝借して、それを髪飾りの花の真ん中に着けた。少し位置を治し、うなずく。

 レミは喜ぶだろう。



 仕事を免除されている暇人なので、久々にゆっくり体を洗おうと考えた。


 ここは娼館なので、入浴できる浴場がある。朝や昼は娼婦たちが入り、そして夜になると男たちが入る。


 客はおおまかに3種類に分かれていて、宴会をして女を買うもの、ただ女を指名し買っていくもの、そして高い「入浴料」を払い浴場に入り、そこで入浴の手伝いをしてくれる娼婦を買っていくもの。例外は高官やくらいの高い人間で、そういう人間は訪れたことが分からないままに女と遊び、帰っていく。


 私の場合もちろん、浴場にはどの時間でも入れないので、洗濯場の横で体を洗う。お湯は浴場からもらってきて、石鹸を小さな布で泡立て、体を隅々まで洗う。しぼんだ泡がついた体はとりあえず放っておいて、髪の毛を樽の中のお湯につける。髪の毛を染めた影響か、最初は耐え難くかゆかった。


 お湯に髪をつけていると、頭皮が柔らかくなっている感じがしたので、ヨハンにもらった香油を手に広げ、頭をマッサージした。

 乾燥しているので、少し油ぽいほうが自然なのだ。顔を上げると水滴がぽつぽつと石の床に落ちて、シミを作った。だれか取り柄忘れているのか、木の衝立ごしにシーツがバタバタと風邪で音を立てているのが聞こえた。


 香油で少し照らりとした水を首から流した。

 水は石に音を立てて流れ、木の衝立に飛び散った。


 布を絞り、身体を拭く、また絞るを続けてやっと服を身に着けた。髪がぽたぽたと襟元にシミをつけた。


 桶を井戸水で洗い、とりえのこしのシーツの下に立てかけ、シーツは取り込んでおいた。干場から、洗濯場にもどり鏡を見ながら髪を隅でもう一度染めた。





 外に出ると、いらいらした様子のサニーがいて、「ヨハンを探して」と目を鋭くし、人差し指を私の喉元につきつけて言った。

「なんの用事ですか」

 薬や香りのことなら、私が分かることがあるかもしれない。


 けれどサニーは一瞬でその目じりをつりあげて、「黙って、早く」と金切声をあげた。そこに混乱の色があるので、私は素早くうなずいた。



 こめかみがずきっといたんだ。



 この生活を気に入っているのは、誰も私を知らないからだ。そして人間性を注意深く見る目に行きあたらない。


 気が楽だった。


 ヨハンの場所は意識すればすぐ見つかる。血の匂いだ。ヨハンの血は草の変わった匂いがする。たぶん、葉巻の吸いすぎか、変な薬の飲みすぎだろう。


 娼館の端にある部屋で、今まで一度も入ったことのないところから匂ってきていた。

 扉の前に立って、もし仕事中だったら悪いな、とおもった。


 だけど迷ってもしょうがないので、扉をノックし、「ヒカルです。サニーさんがヨハンさんに用事があるそうです」といった。

 向こうからしばしの沈黙があり「どうぞ」とヨハンの掠れた声が聞こえた。


 部屋の中に足を踏み入れると、中はうす暗くこもった熱気に包まれていた。目にすぐにうつったのは部屋中央のベッドで、そこから「ぃや」とか細い泣きそうな声が聞こえた。


 レミがそこで裸で、泣きそうな顔でこちらをみていた。

 心臓が変に脈打ちだし、あっと動転した。

 それを出さないために、顔の表情がきえたのを実感する。


「みない……で」

 レミは涙声で言い、手の甲で目を覆うように隠してしまった。


 泣いているレミの頬をヨハンが撫で、なにか耳元でささやいている。それにレミは明らかに羞恥以外の色をのせて、頬を染めた。

「ヨハン」

 甘えるみたいな声でレミは言う。


 息が荒くならないように気を付け、ことさら息を静かに吐き、吸う。


「レミ、今日はここまででいい、可愛かったよ」

 優しくいうとヨハンはレミの額にキスすると、ベッドからさっと離れた。無造作にかけてあった服を身に着けると、私のほうまで歩いてきた。


 私は無表情のままヨハンを見たが、頭が真っ白でヨハンの顔は見ているのにどんな表情なのかわからない。平静を保つのに意識を集中し、「サニーさんが、随分急いでよんでいました」といった。


 彼はうなずいて、私の目の前に立った。

「わざわざありがとう」

 返事を冷静に返せる自信がなく、手を伸ばし彼の服のボタンをつけた。

 彼は黙って立っていて、ボタンをつけおえたあとは何も言うことなく部屋を出ていった。


 レミはシーツを体にくるんでじっとこちらを見ている。その瞳が映しているものはよくわからなかった。

 相対するのが苦痛で、顔をそらしてベッドまで近づいて、うつむいてしまったレミのつむじを見た。



「レミ」

 と声をかけて、ポケットから髪飾りをそっとだした。彼女は手を出す様子もなく、黙っていたので、目の前の髪を梳いてから、髪飾りをつけた。


「なに」

 とレミが言ったのに返事をせず、部屋から出た。


 急ぎ足で、トイレまでいき、そこでおもいっきり吐こうとした。けれど何も出ず、ただえずくだけで。


 何も吐けなかった。




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最終更新から随分経ってるので、突っ込んだ事書いてもいいかな、と思いまして。 めっちゃ斜めの方な気もしますが。 仮説その1: なんだろう、この掛け違い感。 前世も今世も、口下手、勘違い、その程度では済…
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