ぐるぐる思考をぶっとばせ!
私は、西江 郁、40代のおにいさんだ。
人は時に、“考えすぎる”という才能を発揮する。
今日はその代表例が目の前にいる。
南さんだ。
――場所はなぜか、会社の給湯室。
私はなぜか皿を洗っている。
理由はよくわからないが、たぶん重要な業務の一環だ。
(泡の流れ……これは宇宙だな)
「西さん……」
南さんの声は重い。
振り向くと、彼はシンクの前で立ち尽くしている。
「どうした」
「ぐるぐるしてるんです……頭が」
「回っているのか」
「はい……仕事の判断も、人間関係も……全部……」
(来たな、ぐるぐる系)
「止めよう」
「え?」
「ぐるぐるを止める」
「どうやってですか」
私はスポンジを持ち上げる。
「これだ」
「ただのスポンジですよね」
「違う。“回転停止装置”だ」
「絶対違います」
私は皿を一枚取り、ゴシゴシと洗う。
「いいか、南くん」
「はい……」
「ぐるぐる思考は、頭の中で“同じ皿を洗い続けている状態”だ」
「……はあ」
「汚れはもうないのに、ずっとゴシゴシしている」
「……確かに」
南さんの表情が少し変わる。
私は続ける。
「ではどうするか」
皿をすすぐ。
水が流れる。
「流す」
「……」
「終わったら、次へ」
「……」
南さんは黙る。
(よし、少し効いている)
そのとき――
私は気づく。
(……あれ?)
「インちゃん」
……返事がない。
「セキセイ」
咳。
……何も起きない。
「……いないのか」
南さんが言う。
「どうしたんですか」
「補助輪がない」
「何のですか」
(これはまずい。いつもならここでインちゃんが“いい感じの一言”を言うのだが)
私は考える。
(代替手段……代替手段……)
そのとき、目に入る。
蛇口。
(これだ)
私は蛇口をひねる。
水が勢いよく流れる。
そして――
蛇口に向かって話しかける。
「ぐるぐるするな」
南さんが固まる。
「……え?」
私は続ける。
「水はどうだ」
「水……?」
「流れている」
「はい……」
「止まらない」
「はい……」
「戻らない」
「はい……」
私は真顔で言う。
「これが答えだ」
「……」
沈黙。
給湯室に水音だけが響く。
南さんがゆっくり言う。
「……西さん」
「なんだ」
「それ、インちゃんより怖いです」
「進化だ」
「退化です」
しかし南さんは、少しだけ笑っている。
私はたたみかける。
「いいか」
「はい」
「ぐるぐるは、“止めるもの”じゃない」
「……」
「“流すもの”だ」
「……」
南さんは深く息を吐く。
「……ちょっと、楽になりました」
「そうか」
「考えすぎてた気がします」
「そうだ」
私はうなずく。
「皿は洗うが、壊すな」
「……いいこと言いますね」
「たまにな」
そのときだった。
給湯室の外から声。
「西さん!!」
小田さんだ。
「何してるんですか!?」
「教育だ」
「それいいから!!」
「どうした」
「さっきから“会議室”、水浸しなんですけど!!」
「……何?」
南さんと顔を見合わせる。
嫌な予感。
急いで給湯室を出る。
――会議室。
ドアを開ける。
そこには――
床一面に広がる水。
そして、
開きっぱなしの蛇口。
「……」
沈黙。
南さんがぽつり。
「……流しすぎましたね」
私は静かにうなずく。
「……ぐるぐるは止まったな」
「代わりに会議が止まりますよ!!」
小田さんが叫ぶ。
私は遠くを見る。
「なるほど」
「何がですか」
「“流す”にも限度がある」
「最初からそうです!!」
そのとき、スマホが鳴る。
部長からだ。
『会議室、どうなってる?』
私は少し考える。
そして返信する。
「流れています」
数秒後。
『今すぐ来い』
私はうなずく。
「呼ばれたな」
南さんが小声で言う。
「西さん……」
「なんだ」
「ぐるぐるしてきました」
「流せ」
「無理です」
――これが本当の意味での、
思考ではなく水をぶっとばした男である。




