デフレ脳とインフレ脳
私は、西江 郁、40代のおにいさんだ。
最近、本を読んだ。
「運動脳」と「スマホ脳」。
(難しいことはよくわからんが、なんか賢くなった気がする)
そして、ふと思った。
「……私は、デフレ脳なのか?」
――翌日、オフィス。
私はバナナを持っている。
「95円」
(これが正義だ)
そこへ北井くん。
「それ、ペイしてます?」
(来たな)
「95円だぞ」
「安いですね」
「だろう」
「でも今、価値は上がってますよ」
「……?」
「時間も健康も含めて考えると、もっと高くてもいい」
(なんだその理屈)
「コスパだけで判断すると、機会損失が出ます」
(機会損失って言いたいだけだろ)
そのとき――
『インコー』
インちゃん登場。
『ヤスイ=セイギ?』
「ぐっ……」
私は考える。
(確かに……)
「北井くん」
「はい」
「値上げは悪か?」
「場合によります」
「企業が値上げできないとどうなる」
「利益が落ちます」
「……」
(なるほど)
私はつぶやく。
「今はインフレの時代か」
「はい」
「ならば」
「はい」
「私は価値を上げるべきだ」
「そうですね」
インちゃんが即ツッコミ。
『ムリ』
「即否定!!」
(ひどいな)
――そのとき。
南さんがやってくる。
「西さん……」
「どうした」
「転職の面接で……」
「うむ」
「“あなたの市場価値は?”って聞かれました」
(来たな)
「何と答えた」
「“95円くらいです”って」
「安い!!」
北井くんが即反応。
「それ完全にデフレ脳です」
「やっぱり!?」
インちゃんも追い打ち。
『バーゲン』
「やめて!!」
南さん、頭を抱える。
「でも……」
「なんだ」
「盛ってもいいのか悩んで」
私はうなずく。
「それがインフレ脳との戦いだ」
「……」
「価値を上げるとは」
「はい」
「嘘をつくことではない」
「はい」
「見せ方を変えることだ」
「……」
(珍しくいいことを言ったな)
そのとき――
北井くんが冷静に言う。
「西さんの価値はいくらですか?」
「……」
(来たな)
私は考える。
(ここは重要だ)
「私は」
「はい」
「時価だ」
「……」
「市場で決まる」
「……」
インちゃんがつぶやく。
『ウレナイ』
「やめろ」
――昼休み。
私は悩んでいる。
(価値を上げるとは何か)
(バナナ95円は正義か)
(私は安売りしていないか)
そのときだった。
私の手からバナナが――
滑って落ちる。
「……あ」
床に落ちたバナナ。
誰も拾わない。
「……」
私は見つめる。
(95円の価値……)
インちゃんが言う。
『0エン』
「厳しいな!!」
北井くんが言う。
「落ちた瞬間、価値が変わりましたね」
「……」
南さんがつぶやく。
「でも……」
「なんだ」
「皮をむけば食べられますよ」
「……」
私は静かに拾う。
皮をむく。
中身は無事だ。
一口食べる。
「うまい」
沈黙。
そして私は言う。
「なるほど」
「はい?」
「価値とは」
「……」
「外見ではない」
「……」
「中身だ」
インちゃんがすかさず。
『アタリマエ』
「締まらんな!!」
――その瞬間。
後ろから声。
「すみません」
振り返ると清掃員。
「床に落ちたもの、食べないでください」
「……」
「危ないので」
「……」
北井くん、小声で。
「それ、ペイしてません」
南さん、真顔で。
「完全に価値下がりましたね」
インちゃんが一言。
『ジカボウラク』
「やめろ」
私は遠くを見る。
(なるほど)
「価値を上げる前に」
「はい」
「衛生を守るべきだったな」
――南さんはその姿を見て、静かに思った。
(……ちゃんと生きよう)
――これが本当の意味での、
インフレより先に落ちるものもあるという現実である。




