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006[十字軍国家]

006

[十字軍国家]


 ―――エルサレム。

カナンの地に人が住み始めたのは、古くはシュメール人達の時代からと記録されています。

この地は、神によって、アブラハムの子孫に与えられる『約束の地』と定められました。

紀元前二千年紀には古代エジプトが支配し、やがて、紀元前千年紀、ユダ王国建国。

その後も幾多の国による支配を受けながら、『約束の地』は紀元前1世紀にユダヤ人のハスモン朝の時代に入る。


 これを継いだヘロデ朝の時代、ナザレにイエスという男が誕生する。

1世紀。ユダヤ教徒のイエスは、独自に説教を展開し、イエス派、やがてキリスト教に変貌していく。

その後、ローマ属州期に母体のローマ帝国がキリスト教へ改宗。

4世紀のゲルマン人の到来と、後に訪れるウマイヤ朝の台頭でローマ帝国は東西に分裂し、まもなく西ローマ帝国の滅亡。

 そしてエルサレムは、東ローマ帝国支配の時代へと移っていく。

東ローマ帝国の最大版図は、バルカン半島・アナトリア半島はもちろん、シリア地域から北アフリカまでの広範囲に及んでいました。


 紀元634年、エルサレムは、新たにムハンマドが説いて誕生した聖像を完全否定した思想、イスラーム共同体(ムスリム)によって制圧される。

 その後970年からは、シーア派のファーティマ朝支配の時代に入る―――。


 イスラームの社会では、教皇や聖職者などという階級は皆無で、全て同等の立場とみなされます。

品行を保ち、人間の堕落を導くものは禁止されます。

酒や音楽も、理性を失わせる悪行だとして禁止されました(西洋音楽はキリスト教的として悪とされた)。

(*宗派によっては『スーフィ(スーフィズム)』という思想を持ち、音楽も認めています)


 ムスリムの波はアジアへ拡がり、仏教の広まっていたインドへも押し寄せました。


 インドでは、紀元前5~6世紀頃にはモノフォニー音楽が始まり、紀元5世紀頃には劇音楽が盛んに行われていました。

宗教の世界では、古代(紀元前15世紀頃)よりバラモンたちのヴェーダ詠歌が存在しており、紀元前5世紀頃に誕生した仏教では、梵唄(ボンパイ)と呼ばれる節を付けたお経が歌われていました。

仏教は、紀元前後に大乗仏教が興り、さらにヒンドゥー教と関わりを持つようになる紀元7世紀には、密教が盛んになりました。

密教はチベットから中国、韓国へと東アジアに拡がります(北伝仏教)。

仏教の音楽も、密教と共に東の果ての倭国へ7~8世紀に掛けて伝わり、梵唄は『声明(しょうみょう)』と呼ばれて歌われ続けます。


 ところが10世紀頃、インドの北部から、音楽を禁止するムスリム社会が入り込みます。

インドの音楽は一時破壊されてしまいますが、南インドは古い仏教音楽を持ち続けます。

さらにはアラビアから移住して伝わった楽器で豊かな音色を得、インド人は、アラビアの音楽を習得しました。

そしてインドでは12世紀頃から『ヒンドスタン音楽』が発展してきていました。


 アラビアの音楽は、東だけでなく西欧にも移住します。

イベリア半島に渡った音楽は、やがて北上して南仏の音楽と合流したのは既に述べました。


 さて、こうして周囲に大きな影響を与えながら、東西に勢力を拡大したムスリム国家。

ファーティマ朝の拡大した11世紀。

しかし、拡大し過ぎると、突然衰退してしまうもの。


 逆に、衰退していたアッバース朝下のセルジューク家が台頭し始めました。

セルジューク家は、1071年にはマラズギルドの戦いで東ローマ帝国を圧倒。

セルジューク朝が勢力を拡大すると共に、これに追い出される形でトゥルク系の民がアナトリアに移住するようになります。

アナトリアに住むギリシア人と同化した彼らは、ローマ人を意味するルーム・セルジューク朝を名乗り1077年に独立。


 この間にファーティマ朝は大飢饉の影響で益々衰退していきます。

セルジューク朝はシリアに侵攻し、ついにファーティマ朝からエルサレムを奪いました。

エルサレムを支配したセルジューク軍は、異教徒(キリスト教徒)を含む住民の虐殺を禁じ、治安は維持されました。


 ―――1084年。

セルジューク朝は、東ローマ帝国支配下のアンティオキアを占拠しました―――。


「アンティオキアを奪うとは何事だ!!

 だいたい、エルサレムは我々キリスト教徒の聖地だった!

 エルサレムを我らの手に返せ!

 援軍を呼べ!!」


 この事件をきっかけとして、1095年。

東ローマ皇帝アレクシオス・コムネノスは、もともと自分の領地であったエルサレム奪還を考え、教皇ウルバヌス2世へ、“東ローマ帝国への傭兵の提供”を要請しました。


 すると教皇主催で、パリ北部の都市クレルモンで公会議を行ないます。

この会議の結果、フランス国内各地の騎士たちに向けて、一斉に軍への参加を呼びかけてしまいます。

騎士道精神を持った騎士たちは「神の御心のままに!」と叫んで、各地から軍が集まりました。

 こうして、皇帝が全く意図していなかった『十字軍』なる大軍が組織されてしまったのです。


 1098年、ファーティマ朝がエルサレムを再征服し、これとセルジューク朝とが戦いで入り乱れていた所へ、十字軍も介入。

98年末から99年にかけて、エルサレム攻囲戦を展開しました。


 この戦いの末、十字軍は、1099年に見事エルサレムを奪還します、が、それまでの経緯も無視してはいけません。

非道にも、途上にあった民間のムスリム都市に対しても、略奪や虐殺を繰り返し、これらの土地を奪っていたのです。

こうして、十字軍国家と呼ばれる国がいくつも作られていく事になるのです。


 エデッサ伯国が誕生したのは、1098年。

奪還以前、エルサレムへと向かう途中の事でした。

十字軍の一隊を指揮していたブローニュ生まれのボードゥアンは、規律を重んじる人物でした―――……‥‥


   「何故ボードゥアン殿は道を違えようとなさる!

    目的はアンティオキアとエルサレムの奪取だ!」


「どうしてそのように、力だけでなんとかしようと考えるのだ!

 私とタンクレード殿では丸きり考え方が違うようだ…。

  エデッサに協力して貰える人物が居る。

 中立な周囲の国を味方に付けて、それでもなお敵対する主戦派は倒さなければならない。

 しかし、今のままでは、十字軍はただの盗賊ではないか!」


   「異教徒の民を罰して何が悪い!」


「罰するだと?!おぬしにはその権限があるというのか!」


   「我々は十字軍だ!」


「話にならない!私らはエデッサへ向かう。

 君たちは勝手にしてくれ!」


この口論に口を挟んだのは、ボードゥアンの実兄ゴドフロワ。


 「ボードゥアン…!勝手な真似は…!

  エルサレムへ向かうのは我々の使命なのだ。」


「ゴドフロワ兄さんは兄さんの務めを果たしてください。

 決して下の者達に暴挙をさせないでください。

 私はもう彼らとは一緒に戦えない!」


 「わかった…。私はエルサレムへ向かう。

  ボードゥアンは信じる道を行くがいい。」


ここでボードゥアンは、兄ゴドフロワやノルマン人傭兵オートヴィル家のタンクレードとその叔父ボエモンらが率いる十字軍の本隊とは、別々に行動するようになります。


 ボードゥアンは、内陸部のエデッサに向かいました。

彼は、ここを統治していたアルメニア人のソロスという人物と会見しました。


「ソロス殿。貴方はアルメニア人でありながら、キリスト教に帰依していると聞いた。

 どうか、我々の見方となり、トゥルク人からの守護をお願いしたい。」


 ソロスはこれを了承し、ボードゥアンを後継者に定めました。

ところがアルメニア人の民衆は、キリスト教徒となったソロスの事をやはり嫌悪していたので、暴動が起きます。

そしてソロスはこの暴動で、暗殺されてしまうのです。


 1098年、ボードゥアンはエデッサの統治権を継ぎ、ここに初の十字軍国家、『エデッサ伯国』を誕生させました。

結果的には強引にエデッサを奪った形となってしまったのです。


 一方、彼と仲違いしたタンクレードとその叔父ボエモンらは、南下し、アンティオキアを目指しました。

南イタリアで育ったオートヴィル家のボエモンは、1099年に『アンティオキア公国』を建国。

アンティオキアは彼の下で、そしてタンクレードが摂政に就いて独自に拡大していきます。

またボエモンがアンティオキアに地盤を固める一方で、

オートヴィル家宗家は南イタリアとシチリア島を支配していました。


 ノルマン人傭兵だった父ロベール・ギスカール(1015-1085)は1040年代後半から南イタリア侵略を始めており、

1057年プッリャ伯、カラブリア伯、59年以降はそれぞれ公国に昇格して南イタリアを統一しました。

ギスカールは弟ルッジェーロ1世(1031-1101)にシチリア島の統一を任せており、1071年にこれを達成。

1085年に亡くなったギスカールの後を、

長子であるボエモンでは無く、弟ルッジェーロ1世にオートヴィル家の宗家を継がせたので、

宗家はシチリア島を基盤として南イタリアも継承する形となります。

ルッジェーロ1世の没後は、その長子のシモーネ(1093-1105)、次子ルッジェーロ2世(1095-)がオートヴィル家を継いでいました。


 宗家を叔父ルッジェーロの家系に任せたまま、

ボエモンがアンティオキアに残留し、ブローニュ家のゴドフロワとトゥールーズ伯レーモンがエルサレムへ向かいます。


同1099年、彼らによって、エルサレムの奪還は成功。

ゴドフロワが統治者として任命されました。

ところが彼は、「キリストの没地で王を名乗るなんて恐れ多い……!」として拒否、聖墓守護者を名乗ります。


 その後レーモンは、エルサレムとアンティオキアの間に位置するトリポリを攻略したいと言い出し、ゴドフロワと意見が食い違うようになってしまいます。

そんな最中に、エジプトを支配していたファーティマ朝にエルサレムを攻められます。

アスカロンでの戦いは、彼らの仲違いが原因で、完勝というには遠く及びませんでした。

そしてさらなるエジプト攻略中に、ゴドフロワは戦死してしまいます。

 結局、彼の弟で、すでにエデッサ伯となっていたボードゥアンが、エルサレム国王を兼任するようになりました。

1100年、十字軍国家『エルサレム王国』の誕生です。


 レーモンは、その後7年に渡る攻防の末、1109年にトリポリを陥落させ、『トリポリ伯国』を誕生させました。


 ここに、十字軍国家代表4カ国、

エデッサ伯国(ノルマンディー家傍系ブローニュ家ボードゥアン)、

アンティオキア公国(ノルマン人シチリア=オートヴィル家ボエモン)、

エルサレム王国(同ボードゥアン)、

トリポリ伯国(トゥールーズ伯レーモン)が出揃うのです。


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