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005[エルサレムへ!]

005

[エルサレムへ!]


「半世紀前の事!

 1099年、十字軍はエルサレムの奪還に成功した!

 しかし今再びイスラム勢力が侵略を始めている!

 十字軍国家のエデッサ伯国が、セルジュークの連中に侵略されたのだ!!

 勇敢なる友よ!!今再び立ち上がれ!

 神の名の元に再び集い、兄弟の国を異教徒どもから守ろう!!」


 1145年、イラク北部でセルジューク傘下のモースル太守ザンギーが反乱を起こし、十字軍国家エデッサ伯国を奪うという事件が起きました。

この事件の報せを受け取ったローマ教皇エウゲニウス3世は、再び聖地の奪還をすべく十字軍参集を呼び掛けました。

高名なフランス人の説教師ベルナルドゥスが欧州各地を廻り、勧誘説教を行いました―――……‥‥・・


 ―――――1147年、フランス、パリ王宮。


「アンティオキアへも行くのね?!じゃあ、久しぶりに叔父様に会えるんだわ♪」


宮廷内の女性達は、嬉々として衣装の整理を進めていました。


  「アリエノール様、とても嬉しそうですわね?」


「そりゃあもう!あの人と会えなくなってから、もう何年経つかしら……。

 久しぶりに叔父様に逢いに行くんだもの!豪華なドレスを用意しなくちゃ!」


  「もぉ、アリエノール様ったら~、

   東国に向かうのは遊びでは無いのですよ?

   私たちは聖地エルサレムへ巡礼に参るのです。」


「ふふふ、分かっているわよ。だから貴女もちゃんと飾り物の事を考えなさい?」


  「そうね!何を着て行こうかしら!」……‥‥・・


 フランス王国は、当然ローマ教会に従い、十字軍への参加を決めます。

アリエノールも、国王ルイ7世と共に十字軍に同行する事になりました。


しかし女性達は、この遠征を単なる巡礼にしか思っていませんでした…。


  ・・‥‥……―――……‥‥・・


 エデッサ伯国は、十字軍国家唯一の内陸部。

そこから南西に海岸に向かう場所、アナトリア半島の付け根の南部に、アンティオキア公国がありました。

このアンティオキアを治めていたのが、アリエノールの父ギョーム10世の弟レイモン・ド・ポワティエだったのです。


 2年前の1145年、エデッサ伯国はザンギーによって陥落。

ローマ教皇エウゲニウス3世は、欧州中に十字軍参加をを呼び掛けました。

修道士ベルナルドゥスの説教により、半世紀前の第一回十字軍には及ばないものの、多くの騎士達が集まりました。


 第二回十字軍の筆頭となったのは、フランス国王ルイ7世、ドイツ王コンラート3世とその甥シュヴァーベン公フリードリヒなどのメンバーでした。


 行軍中は、ナッカラのリズムとカラムスという笛の音で兵士達の士気を盛り上げました。

古いエスタンピと呼ばれる舞曲は人気で、第一回十字軍の際にも愛奏されました。


〽︎騎士達よ!

 神が貴方達の味方となってトルコの民と戦うよう呼び掛けてから、

 あなたの魂の救いは保証されたのだ。(中略)

 ルイと共に行く者は決して地獄を恐れないだろう。

 彼の魂は天国へ召されるだろう、我が主の御使い達とともに。


 騎士達は、この哀歌を唄いながら戦地を目指しました。


   「ところで、今回俺たちの目的はなんなんだ?」

   「うんうん、前回の目的だったエルサレムは、まだちゃ~んと、キリスト教国の物だ。」

   「目的は、エデッサを回復することだろ?」

   「…そうした所でどうする?ザンギー軍を滅ぼしてこそじゃないのか?」

   「そんな事を言いだしたら、セルジューク朝の残党を一掃しなくちゃぁ、事は収拾つかなくなるんじゃないの?」

   「う~ん…、結局俺たちはどこまでしなきゃならんのだ?」


 しかし軍は、このように、目的も定まらず、それぞれの思惑もまったくバラバラ。

そんな状況で、各国の軍はまとまらずに、別々にエデッサへ向かっていたのでした。


 ―――同年夏、その時レコンキスタの佳境に入っていたイベリア半島では、リスボンを巡ってムーア人と争っていました。


イベリア半島は、711年にキリスト教国西ゴート王国が滅び、その後にイスラム教国 後ウマイヤ朝が栄えます。

後ウマイヤ朝も11世紀頃に退化すると、タイファと呼ばれるイスラム教の小国が乱立するようになります。

それらのイスラム国は、北のキリスト教国との宗教争いが進み、やがて各タイファも衰えていきます。

こうなってくると今度は、半島北西部のアストゥリアス地方に残されたキリスト教国が巻き返しを始めます。

アストゥリアス王国都市ブルゴスを軍事拠点とし、レコンキスタと呼ばれる一連の宗教戦争が始まったのです。

拡大したアストゥリアス王国は910年に首都をレオンに移してレオン王国と名を変えました。

その後ナバラ王国サンチョ3世の台頭で占領されるも、1037年にナバラ王子でカスティリア伯フェルナンド1世がナバラ王国から独立、

カスティリアを王国とすると共にレオン王国を併合し、カスティリア=レオン連合王国としました。

カスティリア=レオン両王フェルナンド1世はレコンキスタを進めて行きました。

しかしフェルナンド1世死後さらに分割され、レオン王国との連合が解消、国境争いが続きましたが1072年にアルフォンソ6世によって再度統合されました。

アルフォンソ6世の後は娘のウラカが女王(在位1109-1126)となり、1126年にその子アルフォンソ7世が即位していました。


1137年に半島東部のアラゴン王国は、バルセロナ伯領(カタルーニャ君主国)との政略結婚をもって連合国アラゴン=カタルーニャとなります。


1139年、フランス中部の有力貴族ブルゴーニュ公家は、イベリア半島の南西部の土地を掌握しました。

その土地の運営を任されていたポルトゥカーレ伯アフォンソは、ポルトガル公として独立を宣言。

これは内部の反乱や、宗主国であるカスティリア=レオン王国との対立を生みました。

アラゴン王国(半島北東部でフランス南部に接する)と同盟したアフォンソは、カスティリア王国に大勝してこれと和平を結び、1143年正式に独立、ポルトガル王国初代国王となりました。


このように、タイファ同士が争っている最中、同様にキリスト教国同士でも争いが絶えていない状況でさた。


 もちろん、レコンキスタは続けられていました。


第二回十字軍召集が発令された頃も、ポルトガル国王アフォンソは、ポルトガル最大の都市に成りつつあったリスボンを奪取すべく異教徒と争っていたのです。


この時アングルテール王国は、エティエンヌ王とモード派が対立する無政府状態でしたが、騎士達は有志で集まり大陸に渡りました。

アングルテール軍はポルトガル王国の戦いの状況を知ります。


「ポルトガル王の戦いは十字軍の一環でもある!

 我々アングルテール軍は十字軍の一部をポルトガルに派遣する事を決定した。

 ポルトガル国王アフォンソに協力するのだ!

 無事にリスボンを獲得でき次第、ポルトガル軍と共にエデッサへ向かう!!」


 ポルトガル国王アフォンソは、こうしてアングルテール軍の協力を得ます。

そのお陰もあって、ついに1147年10月にリスボンを征服しました。

第二回十字軍の初勝利でした。

アングルテールとポルトガルの部隊は、その後にフランス軍とも合流し、東征していきました。


 ―――この時既に、先に聖地へ向かっていたドイツ軍は、ギリシア帝国の都市コンスタンティノポリスからアナトリアへ向けて進軍していました。


 ―――これに遅れてルイ7世らフランス軍もコンスタンティノポリスに到着しました。


 ―――コンスタンティノポリス。

西暦330年、時の皇帝コンスタンティノス1世により拓かれ、4世紀末に帝国が東西に分裂して以来、東ローマ帝国の首都として栄えていました。

コンスタンティノポリス総主教庁が置かれて東方教会の中心都市となり、狭いボスポラス海峡を渡ればすぐ西にはアナトリア、さらに西に行けば西アジア、

貿易拠点としての注目も集め、帝国の版図が縮小した現在でも、ヨーロッパでは最大の都市として腰を据えていました。

東ローマ帝国(ギリシア帝国)の版図は、セルジューク朝の台頭によって激減し、現在はバルカン半島とアナトリアに一部を残すのみ。

この都市が西欧人の街として残されていたのには、もともと遊牧民であるイスラーム人は、海洋技術に乏しかった為でした。

ヴェネツィアやジェノヴァなどの商業術を利用させて貰い、互いに交易拠点としていました。

キリスト教国とムスリム国家の中間に位置する東ローマ帝国は、実は既に旗色を失っており、次第に商業国家のヴェネツィアの権力が強くなってきていました。


そんな貿易都市コンスタンティノポリスに、フランスの軍勢が到着しました―――。


「また十字軍か!」これが東ローマ皇帝の第一声。


  「我々十字軍は大部隊を率いて異教徒軍を討伐する途上である。

   ここより先アナトリアに入ると、異教徒軍は多く潜んでいるはずだ。

   ゆえに、ここコンスタンティノポリスでしばしの休息をとらせて頂き、補給をしてもらえるとありがたい。」


しかしコンスタンティノポリス側の対応は冷たいものでした。


「ふん……!何が十字軍だ!

 諸君、聞きたまえ。

 今、我々東ローマ帝国、このコンスタンティノポリスは、アジアとの貿易路としても重要な町となっている。

 ゆえに、いくら教皇命とはいえ、ムスリム国家を攻撃する以外に明確な目的も無く集まった他国軍を、歓待するわけにはいかぬ!

 第一な、エデッサが占領されてしまったのだって、それは単純にキリスト教国がムスリム国家に冒されたのとは訳が違う。

十字軍国家同士がそれぞれ身勝手な戦争を繰り返していた結果なのだ。

ただ闇雲にムスリムを責めるのはお門違いだ。

ここに十字軍を留めるという事は、ムスリム国家との関係悪化につながる以外何物でもない。

 さっさとここを立ち去って頂きたい!」


………まったく歓迎されていませんでした。


この頃既に、いや、実は数世紀も昔から、西方ローマ教会と東ローマの教会とは意見の対立が目立っていました。


 そもそも、古代ローマ帝国の文化をある程度受け継いでいた西方ローマ帝国と、東西が分割された時には既にキリスト教国であった東ローマ帝国(ギリシア帝国)とでは、全くと言っていい程に考え方に違いがあったのです。


 7世紀、預言者ムハンマドの登場によって誕生したムスリム思想。

急成長するムスリム国家は、イエスを預言者として認めていながらも、彼は人間に過ぎず、ムハンマドを、最後にして最高の預言者と崇めました。

イスラーム共同体では、モーセの教えの一つ「偶像を創ってはならぬ」を守るとして、キリスト教会の聖体拝領を攻撃しました。

東方教会は考えを改め、偶像破壊活動(イコン破壊)を起こしました。

西方教会はこれを大批判。

さらに、単性論や教皇権、叙任権、世俗の教会に対する権限などで対立。


東西教会の溝は深くなり、ローマ教皇とコンスタンティノポリス総主教は教皇の首位権を巡って争いました。

そして1054年、相互破門するという事件が起こったばかり。

西方ローマ教会と東方教会とで教会は大分裂を起こしていたのです。


 西方教会の思惑は東方教会に受け入れられず。

第二回十字軍はコンスタンティノポリスに留まる事が出来ず、すぐにドイツ軍の後を追って、エルサレムへ向かう事になってしまいました。


 そして、フランス・アングルテール・ポルトガルの十字軍は、アナトリアに入っていきました……。

すると―――


「!!!!

 閣下!!これは一体?!?!」

「なんという無残な……!!見ておれんっ。」

「た…、隊長。これは。」

「うむ…。間違いなく、ドイツ兵のものだ…。」


荒廃した町に、数え切れないほどの遺体が転がっていたのです。

先にここを通過していたはずの、ドイツ人の十字軍のものに間違いありません。

彼らは、大敗北を喫していたのでした―――。


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