004[教会音楽]
004
[教会音楽]
「陛下。音楽の概論は理解して頂けましたかな。
では、ここから実際の音と音の数比について勉強してみましょう。
音と音の関係を『音程』と呼び、音程の違いを数比で計算します。
例えば、弦の振動が早ければ音は高くなる。
同じ音であれば1:1で同度、完全一度。
振動(『周波数』)が二倍(2:1)になれば、“高さは違うが同じ音”と認識されます。
若しくは、弦の長さが半分になれば、音高は二倍になります。
四倍になっても同じ音と認識されます。
三倍の場合でも、心地良い響き『協和音』を聴かせます。
しかし同じ音ではありません。
それでは、数比が2:1では無く、3:2でも違う音であるが『協和音』を生じます。
この音は実は、元の音の三倍の音(3:1)と“高さは違うが同じ音”になります。
4:3の場合も『協和音』が生じます。
3:2の音と4:3の音の音程は 3/2÷4/3 で 9:8 となり、隣り合う音として『全音』としました。
この音程は近似で『不協和音』となります。
ピタゴラス(前572-前497)は、2:1、3:2、4:3の関係を見て、
単純な整数比ほど、『協和音』が得られると説きました。
ピタゴラスは、2と3の数字を使い、音程の体系を作ろうとしました。
しかし“二倍の音”までを均等に分割しようとしても不可能で、
9:8の音程を二分割しても、均等に分割する事が出来ません。
基音に対して、全音を4回繰り返すと数比は 729:512 となり、4:3 (728:546 or 684:513) の音を大きく外れてしまいます。
これを都合の良いように修正していくと、以下のような体系が完成します。
一度= 1 : 1 =1/1×1/1(完全一度)
二度= 9 : 8 =1/1×9/8(全音)
三度= 81 : 64 =9/8×9/8(全音)
四度= 4 : 3 =1/1×4/3(完全四度)
五度= 3 : 2 =1/1×3/2(完全五度)=4/3×9/8=36/24=3/2
六度= 27 : 16 =3/2×9/8(全音)
七度=243 :128 =27/16×9/8(全音)
八度= 2 : 1 =1/1×2/1(完全八度)
以上のように、2:1に到達するまでに七つの音が存在します。
ここで、八度の音程を『オクターヴ』と呼ぶ事にしました。
ご覧の通り、単純な数字だけで構成された音は、四度と五度、そして八度だけですね。
4:3は四番目の音『四度』の音で、『完全四度』と呼びます。
『完全四度』の一つ高い音は、よって『完全五度』と呼びます。
これ以外の音とは協和音にはなら無い為、
よって、完全な音とは、『四度』と『五度』のみとされました。
以上のように、1オクターヴには、
『全音』が5個と、中途半端な『半音』が2個残されてしまい、その音程は256:243になります。
半音の計算式は三度と四度の音程差 81/64÷4/3 で求められます。
特に七度の音は複雑過ぎてどの音とも不協和音を生じ、忌み嫌われるようになりました。
『半音』の計算がどうしても均一に協和音を得られる値にならず、何度も計算され続けています。
さて。
一度、二度、三度、四度のように、段階的に音程が高くなる事を『音階』と呼ぶ事にしました。
音階は、どの音から始めるかによって違う名称が与えられました。
『エオニア』『ロクリア』『イオニア』『ドリア』『フリギア』『リディア』『ミクソリディア』の七つ。
元々ギリシア時代に完成され使われていた旋法ですが、
改めてキリスト教会で使用する際に、全く別の物になり、名称だけがそのまま使われました。
これらは『教会旋法』と言います。
ボエティウスが音楽論を解いた頃(6世紀初期)には、自由7科を学ぶ学生が急増していました。
6世紀後半。
当時の教皇ウィタリアヌスが、これまで低俗的だとして禁止されていた楽器の使用を許可しました。
実は古くから、非公式に学生がリラを弾きながら歌って練習していたのを、目をつぶっていたのですが…。
それが、公式に認められるようになったのです。
もちろん実際の典礼には用いられませんが、聖歌隊の練習用などに、オルガンの使用が認められるようになったのです。
そしてオルガンは、一度に複数の音を発音する事が出来る楽器。
ふとした時に、たまたま2段のオルガンを、離れた全く違う音程で弾いてしまいます。
おや?なんだか響きがとても良い!と教父は思いました。
すぐに聖歌隊を二つに分けて、五度音程を変えて歌わせる事にしました。
すると、なんとも厳格な響きを聴かせるという事を発見しました。
主旋律に、高さの違う旋律を重ねる、二声の合唱『ポリフォニー』音楽が誕生したのです。
この完全五度離れた音程を付加された声部は『オルガヌム』といいます。
始めは平行オルガヌムといい、一つの音に対して一つの音節が付加されました。
一音対一シラブル、これを『対位法』と呼びました。
平行の名の通り、主旋律の音程を高くすれば、オルガヌム声部も同度高くします。
しかし徐々にこれは、逆行したり、上下したり、いろいろな表現が生れるようになります。
当然初めの頃は、秩序を乱す神への冒涜だとして批難されました。
ところで、これまでの間は、教会で合唱する聖歌ですら、即興で歌われていました。
しかしこのように声部が増えて複雑化すると、覚えるのも大変になってしまいます。
9世紀頃にやっと、聖歌を正しく、つまり神の言葉を世界に等しく伝える為にと、歌を“書き記す”という試みが生まれました。
言葉(文字)の上(及び下)に、その言葉を“どのような音程に移動させるか”唄い方を表す記号を書き記すようになったのです。
“上から下に下げる”“下から上に”“上から一度下がってから戻る”など、どの様に歌うかを表すミミズのような記号を付けていきました。
『ネウマ記譜法』と呼ばれる“記譜法”が誕生したのです。
ネウマには、点『・』『ヽ』や線『∫』や、『〻』『ゝ』などが生れ、旋律のいろいろな動きを表しました。
これらは抑揚のみを表す『抑揚ネウマ』と言います。
それはもちろん、字の読み書きが出来る高位な身分、紙を持つ教会や、上流階級によってのみ支えられます。
教会音楽は、教会や、高位の貴族、一部の知識人にのみで発達していくのです。
これが、『西洋音楽』の出発地点といえるものです。
ネウマ譜が確立されると、『教会旋法』はより正確に書き表されるようになり『グレゴリオ聖歌』が発達します。
また時代が下るにつれ、ギリシア語の長い音名は実用性が無いとされ、アルファベットが用いられるようになりました。
第一旋法エオニアの最初の音を、『A』、第二旋法ロクリアは『B』、第三旋法イオニアは『C』というように、
順番にABCDEFGと呼ぶようにしました。
ところが、やはり記譜のやり方はまだまだ定まっていません。
そもそも、どの音がAなのか、Cなのかが定まっておらず、口伝えで教えていく聖歌は、時間と共に変化してしまう事が懸念されました。
これをなんとか統一したい。
アレッツォで音楽教師をしていたグイード・ダレッツォ(990頃-1035頃)は、ヨハネ讃歌の一つ『貴方のしもべ達が』に、ある事を発見しました。
Ut queant laxis
resonare fibris,
Mira gestorum
famuli tuorum,
Solve polluti
labii reatum,
Sancte Iohannes.
(訳:貴方のしもべ達が、喉の筋を緩めて、素晴らしい御業を讃える事が出来ますように
穢れた唇の罪を取り除いてください、聖ヨハネよ。)
*Johannesの頭文字Jは存在せず、"I"を用いていた
この6つの行の出だしの“Ut”が『C音』から開始され、以下の行頭の音は音階が一つ一つ上がっていっていたのです。
グイードはこの唄い出しの文字『Ut,Re,Mi.Fa,Sol,La』を音階名(『階名唱法』)として推奨しました。
七行目は、頭文字をとって、音名は『Si』としました。
ただし『Si』の音は階名唱法には加えませんでした。
それは『悪魔の音程』として嫌われたからです。
というのは、C音にとって完全四度音程であるFの音からBまでの距離が、全音三つ分(トリトヌス、増四度)あり、不響音程だったからです。
F音にとっては、完全四度と完全五度の中間に位置し、良く無い響きとされました。
嫌われた音は外され、6つの音程が残ります。
ここに、6つの音程『ヘクサコルド』が誕生しました。
音階は『CDEFGA』となり、ちょうど真ん中に『半音』が存在しました。
この事は学ぶ上でも都合が良く、瞬く間にこのヘクサコルドは浸透していきました。
ただし音名としてB音、Siの音は存在するので、実施的にはこの音は使用されました。」
「しかし、これだけ音の種類があると、
途中から見た場合などは何処の音程を歌えばいいのか分からなくなるな?」
「そうですね。
この為、ネウマ譜には横一直線が引かれ、その、前の音よりどれだけ高いか低いかを表せるようになっていました。
しかしやはり『譜線』一本だけでは不便で、直ぐに譜線はグイードによって二本に増やされます。
低い位置にある線は完全四度『F音=(和名ヘ音)』の位置を、
上の位置にある線は主音の『C音=和名ハ音』を表します。
これで、下の線上に記譜されていればF、その少し上に書かれていればG、上の線であればCと、分かり易くなります。
1025年、さらに譜線を4本に増やします。
線の間隔は三度、4本のうち、どの線がC音なのかが分かるように、
譜面の頭の線上に『c』を図案化した文字を書き込みます。
F音の場合も同様に『f』を図案化しました。
抑揚ネウマのような曖昧な記号はもはや必要無く、
音符を■(ブレヴィス)で表し、音高をより細かく正しく記譜する事が可能になりました。
これは音楽史上とても大きな発明でした。」
ちなみに、音価、つまりリズムを決定付けるものは、『言葉』。
言葉そのもののリズムが、(まだ音楽とは呼べない程の)音楽のリズムを決定していたので、音価を記譜/採譜する必要はありません。
記譜によって、音楽を再現する事が可能になってくると、音楽家は、それでは飽き足らなくなって個性を見出そうとします。
初めはオクターヴ、それから完全五度や完全四度…。
オルガヌム声部には、その個性を出す為の良い材料となりました。
ただ、通常文には畏れ多いのか複雑な処理は施しませんでした。
彼らが多声化して複雑な装飾をするのは、主に固有文です。
毎日毎日歌う詩では無く、数が多くバリエーションが豊富な詩に対して、自分の知識を試していたのでしょう。
オルガヌム声部は、初期には記譜されずに即興的に歌われるだけでしたが、次第に複雑に“作曲”されるようになり、記譜もされるようになっていきました。
聖歌を元にして上声部を作曲する、という事が流行りだすのです。
もちろんオルガヌムは、もともと主旋律に聖歌が用いられる事が前提でした。
これは事実上、編曲の域を超えないものでした。
しかしこの頃は、それが『作曲』だったのです。
こうして書き出された聖歌とは、ようするに神の言葉を書き記したものであり、その譜面のようなものも、それを書く人も、神聖でなければなりませんでした。
そしてこれらは基本的に宗教曲であるので、通常、楽器は用いられません。
あくまで楽器は低俗的なもので、神聖なものは、声だけだったのでした。
アキテーヌ地方リモージュにあるサン=マルシャル修道院に、1121年の年号が書かれたトロープス集の写本がありました。
オルガヌムの曲が多数収録されています。
この時代の多くの作曲家による作品がまとめられ、『サン=マルシャル楽派』と呼ばれる事もありますが、作曲家同士の交流があったかなどは分かりません。
ヴォルムスの協約を結んだ教皇カリクストゥス2世の時代のピコーという学者が書いた『カリクストゥス写本』にも数曲、聖歌が収められています。
作曲者の中に、同じくサン=マルシャル楽派のアルベルトゥスの名前も見えます。
彼の先輩であるアダン師は、既にパリのノートルダム教会に移っていました。
アルベルトゥスはその後任カントル(聖歌隊長)として、近々パリへ移る事になっていました。
これと時を同じく、ドイツの女性の修道者ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、薬学者の第一人者として有名になっていましたが、彼女は聖歌を多く作曲して、音楽家としてもその名を広くしていました。
さて。
もちろん世俗音楽が絶やされた訳ではありません。
南仏のトルバドゥールの事は、北フランスでは『トルヴェール』と呼ばれていました。
しかしこのような世俗音楽は、王宮に入ってしまったアリエノールが耳にする機会は、殆どありませんでした。
教会の音楽は重々しく、あまり好きにはなれませんでした。
トロバイリッツである彼女と、物静かであったルイ7世との仲は、決して良くありませんでした―――。
―――「なんなの、あの子。田舎娘の癖に、ちょっとでしゃばり過ぎじゃあ無い?」
―――「ね!政治の事なんて分からないくせに、ちょいちょい口出しして。」
―――「あ、また出たわ。南部の訛り。やっぱり、田舎者ね!ふふふ。」
幼いながら、アリエノールはしばしば政治にも口を出していました。
その為諸侯たちの評判も悪く、宮廷は、アリエノールにとって窮屈で堪らない場所だったのです。
そんな彼女は、衣裳や貴金属に贅沢するようになっていくのでした――。
王とは仲が悪いままでしたが、結婚して7年後に、ようやくアリエノールは懐妊しました。
しかし1145年に産まれたのは、女の子でした。
彼女への風当たりは、強くなる一方だったのです……―――。




