003[典礼]
003
[典礼]
アリエノールは、パリの教会で聖歌を聴いていました。
隣で祈りを捧げている夫、フランス国王ルイ7世。
彼は本来次男。
生まれて来る子供が無事に成長する保証が全く無い時代でしたが、
代々、長男は家督を継ぐ存在として政治と武芸を、
次男は聖職者になるよう育てる事が伝統になっていました。
ルイ7世は産まれた時から、聖職者になるように教育されていたのです。
兄が父王ルイ6世より早く早生してしまった為、王位に就いたのです。
ルイ7世は、父の親友であった聖職者シュジェールの教育を多く受け、神への献身を生甲斐とする、修道士のような性格に育ちました。
―――ミサ。
―――古来より典礼では集祷文と聖書の朗読がされてきました。
―――そもそも、キリスト教が誕生したのは紀元1世紀。
その使徒、教父たちは、ローマ・ギリシアの音楽を否定しました。
というのは、キリスト教にとって大事な『言葉』以上に、音楽によって心を動かされる事があった為でした。
音楽は、心神を乱し、教理の道から外れた邪悪な物と判断されたのです。
言葉を伴わない、つまり器楽が生み出す音楽は異教の物であるとされ、徹底的に排除されました。
こうしてキリスト教会に、器楽の音楽は失われていきます。
さらに、遊牧民フン族の襲来に伴うゲルマン民族の大移動は、西欧世界に大混乱を導きました。
こうして娯楽文化は、散々に壊されていったのでした―――。
―――4世紀初めにローマ帝国はキリスト教を公認、その後、国教に定められました。
キリスト教を広めるとは、つまり神の『言葉』を伝える事。
言葉はやがて節をつけ、『聖歌』となって教会で歌われ始めました。
イエスの登場以前、もっと言えば、旧約聖書以前の時代から聖歌は存在しており、
それは解読出来ない為にその再現は不可能なものの、
最後の晩餐の際にも歌が歌われたという記録が残っています。
キリスト教に於いて、器楽による実践的音楽は排除されたものの、このように実は音楽そのものを否定していた訳ではありません。
それは、ギリシア時代でも、神聖なものであるとされる『数比』による音楽理論が発達していた為でした。
ギリシアの知識人達による神聖な数の学問『音楽理論』は、キリスト教社会にも受け入れられたのです。
481年、旧ローマ帝国領のガリア北東部ガリア・ベルギカに、ゲルマン系フランク族の支族サリ族の生まれのクロヴィスが『フランク王国』を建国。
ライン川北岸のフランク人をまとめ上げました。
クロヴィスはガリア・ルグドゥネンシスに進出し、486年にはロワール川北部をその支配下に収めます。
ここにパリがフランク王国の首都に選定されました。
メロヴィンク朝からカロリング朝を経て、6〜8世紀にはフランク王国はガリア全土に拡大します。
さて。ローマ属州であるガリアには既にキリスト教が浸透していました。
典礼のやり方は各地様々。
この為聖歌も、使われる詩が違ったり、順番が違うなど微妙に異なる特徴を持ちます。
アンプロジオ聖歌、ガリア聖歌、モザラベ聖歌、そして、ローマ聖歌など、既に各地で様々な聖歌が存在していました。
773年にカロリング朝フランク国王カール大帝は、ローマ帝国をゲルマン系ランゴバルト王国の侵略から守りました。
当時の教皇ハドリアヌス1世(772-795)はカロリング朝に聖礼典式書を寄贈。
これにより、ガリア聖歌はローマ聖歌の特徴と統合されていきます。
これが『グレゴリオ聖歌』(諸説あり)。
これは、教皇グレゴリウス1世(在位590-604)を記念して名付けられたとか、
既にガリア聖歌やローマ聖歌の旋律を統合・発展して誕生しており教皇グレゴリウス2世(在位715-731)の時代に纏められたからなどの説があります。
いずれにせよ、この頃からフランク王国には、キリスト教とグレゴリオ式典礼が広がって行く事になります。
そしてこの時代に、首都はアーヘンへと移されました。
9世紀になるとフランク王国は、現在のフランス、北イタリア、西ゲルマニアまで拡大しました。
こうしてヨーロッパの殆どの地において、グレゴリオ聖歌が盛んになったのです。
聖歌の成立までには、時間をかけて、様々な形を成してきました。
初めは、教典理解の促進、または退屈させない目的で、聖書の朗読の間に、詩篇が挿入されるようになりました。
詩篇は、先唱者と合唱による交互唱で歌われるようになります。
詩篇を挿入する箇所は、時代が下るに連れて増えて行きました。
司祭の入場や、パンと葡萄酒の奉納、聖体拝領の時など。
歌われる場面が増えるほど、交互唱(昇階唱)ばかりではなく、独唱者による詠唱、やがてアレルヤ唱が生まれるようになります。
そして、10世紀から11世紀にかけて、ついに詩篇だけでは無く、毎日変わらず唱えられる、『キリエ』や『グロリア』などの『通常文』にも旋律が付けられるようになります。
これが今日までの『聖歌』が成立していく過程です。
典礼では、毎日変わらず歌われる『キリエ』や『グロリア』などの『通常文』と呼ばれるものと、
季節や行事によって変わる『固有文』とが歌われます。
典礼の進行は、
『入祭唱』Introitus
司祭達が入場します。
先唱者数名と聖歌隊の交互唱。
その日のミサの方針などを歌います。
『キリエ』Kyrie(通常文)
Kyrie eleison (Κύριε ἐλέησον)
Christe eleison
Kyrie eleison (この三行で全文)
主よ、憐れみ給え。キリストよ、憐れみ給え。主よ、憐れみ給え。
『グロリア』Gloria(通常文)
Gloria in excelsis deo. Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
いと高き処に栄光。それは地に平和を齎し、人に良き行ないを齎す。(冒頭部)
入場が終わり、毎日のキリエとグロリアが歌い終わると、次に言葉の典礼が行われます。
『昇階唱』Graduale(固有文)
奉読台上か階段上で歌われ、最も歴史の古い聖歌。
煌びやかな装飾旋律を持つ詩篇が歌われます。
その後にアレルヤ唱を歌い、司祭は、
「我らは信ず、唯一の神を。」Credo in unum Deumと返答します。
次は、神への感謝の典礼。
『奉納唱Offertorium』(固有文・詩篇)
信者たちが祭壇に捧げるために持ち寄った多くの品物。
これを奉納する時に歌われます。
時代が下るに連れて、多種多様だった捧げ物は『パンと葡萄酒』、
そして献金へと変化していきました。
『サンクトゥス』Sanctus
Sanctus, sanctus, sanctus, dominus deus sabaoth.
pleni sunt caeli et terra gloria tua.
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神としての主よ。
あなたの栄光によって天と地が満たされます。
Hosanna in excelsis.
いと高きところにホザンナ。
『ベネディクトゥス』Benedictus
Benedictus qui venit in nomine domini.
主の御名において来るものを誉め讃えよ。
Hosanna in excelsis.
いと高きところにホザンナ。
グレゴリオ聖歌では、サンクトゥスとベネディクトゥスは続けて歌われます。
感謝を述べ終わると、聖体拝領の聖歌を歌います。
『アニュス・デイ』Agnus dei
Agnus dei, qui tollis peccata mundi:
miserere nobis.
神の仔羊、あなたはこの世の罪を取り除き給いしもの、
我らを憐れみたまえ。
Agnus dei, qui tollis peccata mundi:
dona nobis pacem.
神の仔羊、あなたはこの世の罪を取り除き給いしもの、
我らに安らぎを与えたまえ。
『聖体拝領唱』Communio
『パンと葡萄酒』が、『イエスの体と血』そのものに『聖体変化』します。
これを信者に分け与える事を『聖体拝領』といいます。
『最後の晩餐』の際のイエスの言葉に起因しており、
これこそがミサの本来の目的です。
そして最後に「行け、ミサは終わった」Ite missa esと歌われ、
最後に「神に感謝」謝Deo gratiasと唱え、典礼が終わります。
これがグレゴリオ聖歌の大まかな流れ。
基本的には、先唱者と合唱の交互唱で歌われます。
左寄りで歌詞(一部)と対訳を載せたものが通常文。
右寄りのものが固有文です。
古くから歌う習慣の有った固有文の旋律には、様々な装飾を施し、神の荘厳さや、神への献身などを表現しました。
その頃の聖歌とは、単旋律(『モノフォニー』)であり、8世紀に日本へ仏教を伝えた時の『声明』のようなものと例えると分かりやすいかもしれません。
一日のミサの中でたくさんの曲が歌われますが、それらの曲を制作するのは聖職者の仕事。
これを専門職とする人はいません。
よって作者が誰かなどは明らかにしません。
神の言葉であるので、その必要は全くなかったのです。
日によって色々な所から聖歌を持ってくるので、作者はバラバラになります。
もちろんそんな事は全く意識しません。
曲は、古来よりの伝統や、時勢にあったように、唄い易いように改作したり、
より神に近づくような秩序の保たれた旋律を作り出したりします。
音楽とは、幾何学的・数字的であり、神の世界、宇宙を表す存在でした。
―――話は変わって。
古来より、学生は『自由7科』を教育の基礎としました。
先ず土台となるのが、『文法Grammatica』『修辞Rheiorica』『弁証Dialectica』の3科。
言語に関するこの3科を先ず学び、この上位として、以下の数に関する4科を学びます。
『算術Arithmetica』『幾何Geometrica』『天文Astronomia』『音楽Musica』
上位の4科は、≪完全な数比関係こそが神の秩序の考えである≫とされていた事から生まれた学問。
数比の学問であるので、音楽では、音と音の比率などを学ぶ。
かつてボエティウス(???-524頃)はこう説明しました。
「我々が耳にする事が出来る音とは、単純な高低差だけでは無い。
喜怒哀楽をも感じる事が出来るのだ。
これはつまり音と音の数比だけに留まらず、
宇宙を形成する数比関係が、人間の中にも存在する事を意味している。
我々の精神も宇宙の数比原理の一部にあり、だからこそ音は情感とも結びつく。
我々が直に耳にする事が出来る音は、器具としての声帯、それに弦や管などの道具による音である。
これを『器楽の音楽Musica instrumentalis』と呼ぼう。
そして我々の精神も同様に数比関係の秩序が保たれ、この比率が音楽を生み出す事が出来る。
魂はこの比率で肉体と一体となる事が出来る。
これが『人間の音楽Musica humana』である。
そして、あらゆる数比関係のうち、最も崇高なもの。
それは天空の動きなど我々を形成する4大元素の関係比である。
これは『宇宙の音楽Musica mundana』である。
この三つの音楽を全て理解する事が、音楽を修得するということだ。」
こうして知識人は、真の音楽家となるべく、宇宙の音楽の理解を目指しました。
理想を追い求めれば追い求める程、器楽の音楽は低俗的とされ、分化されていきました。
―――宇宙の音楽:ムジカ・ムンダーナの時代―――……‥‥・・
ルイ7世も、この理解の為に熱心に勉強しました。
言葉を長く伸ばし、伴奏も無しに歌う聖歌―――――。
いつもの退屈なミサが終わって、アリエノールは「ふ〜」と大きくため息をはきました。
愛を唄うトルバドゥールの音楽で育った南の国のアリエノールにとっては、ミサは退屈そのもの、
祈りを捧げる事に渾身的な夫ルイ7世も、退屈そのものだったのでした。




