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045[タリアコッツォの戦い]

045

[タリアコッツォの戦い]


 1268年1月、バイエルンの宮廷。


ここで保護されていたホーエンシュタウフェン家のコッラディーノ(1252-,16歳)も、

シチリア国王カルロことシャルル・ダンジューの受けた使命を耳にしていました。


「兵を集めよ!!俺の元に集まれ!!!」


宮廷内を大声をあげながら早足で歩くコッラディーノ。


   「殿下?!突然いかがされましたか!?」


「ローマ帝国は俺のものとなる筈だった!違うか!?

 マンフレーディを葬る為に教皇庁はアンジューの力を利用した!

 アンジューはそれだけの事だったのでは無いのか?!

 アンジューは十字軍の指揮もするそうではないか!

 教皇は奴を皇帝にするつもりか?

 このホーエンシュタウフェン家を支持するのでは無かったのか?!」


   「落ち着きなさい、殿下。

    今やフランスの軍力無くしては世界は安定しない。

    貴方一人の力で覆せるものでは無い。」


「一人では無い!」


コッラディーノはにやりと笑いました。


「アラゴンが協力してくれる。ふふふ。」


シチリア王国を奪われた妬みを持って、彼はついに挙兵に至りました。


 1268年2月。

当時シチリア国王シャルルは十字軍編成の為にイタリア各地を訪れていました。

シャルルはその途上の遠地にて、コッラディーノの挙兵を耳にしました。


「ルチェーラが包囲されただと???」


   「は!指揮はホーエンシュタウフェン家のコッラディーノ!

    ランチア家の人間の他、ドイツ傭兵、アラゴン傭兵が含まれているとの報告が!」


「くっ……!

 ついに出てきたか……!シュタウフェン家が……!」


南イタリアの街ルチェーラが突然包囲されました。

コッラディーノは、マンフレーディの縁者のランチア家や残党、

アンジュー=カペー家によるシチリア支配を好まないアラゴン諸将、

皇帝派(ギベリン)のみならず反仏派の教皇派(ゲルフ)に対しても呼び掛け、

周到に準備した上で南イタリアへ侵攻したのです。


「まずいな……。今、兵を動かす事は出来ないぞ?」


シャルルが身動きの取れないうちに、ルチェーラは直ぐにコッラディーノに降伏してしまいました。

しかし、これはシャルルにとっても都合がいい事でした。

ルチェーラが粘ってシャルルに援軍を願い出ても、動かせる兵がいなかったからです。

何より好都合だったのは―――


「シチリア国王カルロに忠実であったルチェーラを攻めた!

 これはカルロを支持する教皇に逆らう事である!」


と、教皇庁が判断。

このようにして、教皇派(ゲルフ)皇帝派(ギベリン)(ホーエンシュタウフェン家)の対立はさらに継続される事になります。

そして、“ギベリンがフランスと対立する”、という構図に移り替わって行く事にもなるのです。


 こうした情勢変化の最中、

さらにキリスト教世界における新たな大事件が起こりました。

1268年5月、アンティオキア公国が遂にバブリー・マムルーク朝のバイバルスによって攻め滅ぼされてしまったのです。


  ―――アンティオキア公国滅亡の経緯は、

         時を3年巻き戻して、1265年―――……


バイバルスが対立するフレグ・ウルス(1218-1265)の汗フレグが、1265年2月8日に没しました。

フレグを継いだのは長子のアバカ(1234-)。

アバカは、敵対するジョチ・ウルスとの争いに注力せねばならず、

シリア攻略に手が回せないでいました。


「イルハン朝はフレグの死で動く事が出来ない!

 この混乱に乗じて、今のうちに邪魔な十字軍国家の征服に取り掛かる!」


バイバルスは既にジョチ・ウルス、ギリシア帝国、

そしてマンフレーディの頃のシチリア王国との関係を結んでおり、同盟を強化させました。

バイバルスは直ぐに北に進撃、エルサレムよりさらに北上し、

1266年春にサファドを征服しました。

サファドはガリラヤ地方のガリラヤ湖の直ぐ北の街で、ユダヤ人の四つの聖地のうちの一つ。

この地は聖ヨハネ騎士団が支配していたところを、陥落させたのです。


   「マムルーク軍が攻めてくる!!

    我らキリスト教徒の地を守れ!!!」


同年秋、キプロス王国軍が発進するも、バイバルスはこれを撃退しました。

続いてバイバルスは、海を越えて、

アンティオキア公国の西にあるキリキア・アルメニア王国を標的としました。

アルメニアはこれまでフレグと連携してシリアに度々攻め込んで来ていた国です。

バイバルスは1266年8月24日、マリでの戦いでアルメニアを圧倒した後にアルメニア各地を蹂躙しました。

為す術の無くなったアルメニア側は和平を提案して、

1267年6月に領土割譲などを受け入れてバイバルスと和平しました。

キリキア・アルメニアがマムルーク朝に支配された事によって、

アッコンを中心としたエルサレム王国、

そしてトリポリ伯国とアンティオキア公国は、完全にマムルーク朝の支配域中に孤立した形となってしまいました。


  ―――アンティオキア公国。


アンティオキア公国は、

レーモン・ド・ポワティエ(1099-1149)の子ボエモン3世から、

ボエモン4世、ボエモン5世、ボエモン6世(1237-)と直系の者が公爵位を継承していました。

ボエモン3世の時代にはトリポリ伯国を併合していましたが、

キリキア・アルメニア王国との戦いの末に和平しており、

ボエモン4世の時、アンティオキア公とキリキア王の地を引くレーモン・ルーペンとの争いを挟むものの、

以後アンティオキア・トリポリは同君国として存続出来ていました。

アルメニアとの戦いは続きましたが、1254年にはボエモン6世がキリキア王女と結婚し、

アンティオキア公国は、ほぼアルメニアの属国状態にありました。

そしてフレグ軍西征に接し、アルメニアと共にマムルーク軍に敵対します。

しかし、1260年、アルメニアがアイン・ジャールートの戦いで大敗。

そして1267年、アルメニアはついにバイバルスによって支配される事になります。

よってアンティオキア公国は、宙吊り状態となってしまったのです。


「マムルーク軍がトリポリに進撃を開始するとの事!

 もうトリポリを救う手立ては無い……!

 このアンティオキアの都市だけでも死守せよ!!」


ボエモン6世らは、バイバルスが海岸沿いにトリポリ攻撃に向かうと信じ、

アンティオキアに籠城の構えを始めます。


ところが、バイバルスは、


   「トリポリなどは無視せよ!

    狙うは最大の都市アンティオキアのみ!

    一挙に攻め込む!

    侵略国家など灰となるがいい!!」


1268年5月15日、籠城準備中のアンティオキアへの攻撃を開始しました。

予想に反して、バイバルス率いるマムルーク軍は内陸部より攻め込んできました。


「マムルークが………??

 もう攻めて来たのか???!!!」


都市は焼き払われアンティオキアの軍は次々と撃破されていきました。

アンティオキアは、抵抗できる勢力を保持していませんでした。

一面が火の海と化し、都市として完全に無力化しました。


 包囲戦は僅か4日間。

5月18日にアンティオキアは陥落。

住民の半数以上が殺害され、他は皆奴隷にされました。

都市は完全に壊滅しました―――……‥‥


     ・・・‥‥……―――


  ・・・‥‥……―――


「兵はどれだけ集まった!?」


コッラディーノが問うと、応えるのはバーデン=バーデン辺境伯ハインリヒ(1249-)。


   「は。我々ドイツと、シチリアの騎兵・歩兵併せておよそ5,000から6,000。

    ほか、ローマやアラゴンなどの傭兵を含めれば、

    ざっと9,000と見て良いでしょう。」


「ふんっ、野戦なら十分の数だ。」


コッラディーノは鼻を鳴らしました。


1268年夏。

コッラディーノの軍には、ホーエンシュタウフェン家所縁のツェーリンゲン家や、

ローマのすぐ西に勢力を誇るアルドブランデスキの諸将が参陣。

さらにアラゴン、カスティリアからの傭兵に加え、

マンフレーディを支持していたランチア家との繋がりから、サラセン人傭兵の姿もありました。

凡そ9,000の軍がシチリア王国を目指し、8月18日に南下を開始しました。


ローマから東へ進んでアペニン山脈を越え切った先にある都市がタリアコッツォ。

しかしコッラディーノの軍は下山ルートを変更、

高地の町カルソーニから北に大きく迂回して相手の裏を突く作戦を考えました。

そしてペエトラゼッカまで進みました。


 「このまま東へ??あの山脈を越えねばならぬのか??」

   「リスクが高過ぎる!」

 「だが、あれを越えねば、さらに北に迂回せねばならない。」

  「これだけの兵でさらに山越えは良くないと申している!」

   「馬が歩けないだろう!!」

   「無駄に時間を費やす事になるぞ?!」

  「一度町へ降りた方が良い!!」


針路について意見の相違がありました。

口論の末、結局、より歩き易いルートである北に進む事になります。

既に切り通された街道を通ってレオフレニの村に到着し、

そこからはまず東に、そしてサルト川沿いに谷を南下して行けば良い。

しかしこのルートは余りに遠回り過ぎていました。

兵士達の不満も相当なものとなっていました。


   「あの時山越えをしていれば良かったのではないか?!」

 「この道から降りて来れたのではないか?!!」

  「道が酷かったらどうするつもりだったんだ!!」


険悪な雰囲気のまま行軍は続きました。

そして8月23日、やっと平野部に到着すると、

そこはタリアコッツォから東へ二本も尾根を離れたマリアーノという都市の東側でした。


そして、彼らは、既に行く手に到着していたアンジュー軍の野営地を目撃したのです。


   「これはどういう事だ!!!」

   「裏を突く作戦が全くの台無しではないか!!!」

   「いや!まだ彼らは布陣出来ていない!」

   「敵の数は我々の半分!」

   「ここから駆け下りて衝突すれば勝機はある!!」


アンジュー軍はアルベの丘の谷間、

南北の丘に挟まれた平野部に陣幕を張っていました。

このまま開戦とすれば、シュタウフェン軍が地理的に有利でした。


「良し!このまま川を渡り、南へ展開しよう!

 さすれば、北の丘と、南の丘から西側まで続く森、

 そしてそれを西から蓋をするように相手を簡単に包囲する事が出来る!!

 早速布陣だ!!!」


シュタウフェン軍は南北に広がる横帯の布陣を取ります。

大きく三隊に分け、

最も敵軍から遠い左翼、北軍にコッラディーノ、

この軍を実際に指揮するのはバーデン=バーデン辺境伯ハインリヒ。

中軍と右翼軍はそれぞれランチア隊とエンリケ・デ・カスティリアが指揮します。

カスティリア国王アルフォンソ10世の実弟であるエンリケは、

その妃がホーエンシュタウフェン家の皇帝フィリップの娘ベアトリスである事からホーエンシュタウフェン家方として参陣していました。

騎士の数は凡そ4,000〜4,500、歩兵併せて総数約9,000。


一方、シュタウフェン軍の到着に際し、フランス軍も急いで陣形を整えます。

こちらは大きく二隊に分かれました。

指揮するのは両名ともイル・ド・フランス近郊出身の騎士で、

エラール・ド・ヴァレリーとアンリ・ド・クセンス。

フランス軍は、騎士は3,000〜3,500、歩兵傭兵併せて5,000弱。

シュタウフェン軍の半分とまでは言わないものの、それ程の総兵数差がありました。


「敵将はいずれか?」


フランスの二隊をよく見ると、

右翼方の騎士は明らかに豪勢な甲冑を身に付けた者が多数いました。


「向こうにアンジューの人間がいるのだな。」


   「作戦は?」


「何処にいようが構うまい!

 先程行ったように、相手を谷奥まで追い詰めるのみ!!

 突撃せよ!!!!」


   「「突撃ぃぃぃ!!!」」


戦端を切ったのはシュタウフェン軍。


「谷に追い込め!!!!」


一気に谷に追い込んで行く作戦の為、全軍が突撃。

負けじとフランス軍も全軍を突入させました。


騎士の数にしては五分五分。

しかし、歩兵が追いついて攻撃を開始すると、フランス軍は厳しくなっていきます。

徐々にフランス軍は、東へ東へと追い込まれて行きました。


この時、シャルル・ダンジューは、全軍の動きが右手方向に流れて行くのを遠くから見届けていました。


   「上手く後退していますね。陛下。」


「うむ。」


シャルルはニヤリと笑いました。

軍は谷の奥の方まで動き、シュタウフェン軍さえも右手方向に動いて行きました。


「よし、そろそろだ!」


この声で、ガシャガシャと甲冑の擦れる音が鳴り響きます。

シャルルの後方には、40騎程の精鋭の騎兵隊。


「進めぇ!!!」


シャルルらの別働騎兵隊が、シュタウフェン軍の後方へと突撃していきました。

突然の後方からの攻撃に気付いたシュタウフェン軍。

この様子を見て、一度偽装退却していたフランス軍も攻勢に転じました。


「お、おい!!動きが変わったぞ!?何が起きた!!」


狼狽するコッラディーノ。

やがて、奇襲の状況と偽装退却という手に騙された事を知ります。

転じてからの戦況は、酷い事になっていました。

結果的には全体で4,000人程も死者の出る戦いとなっていました。

その多くがシュタウフェン軍の兵士。

あらゆる経験と知識の下、シャルル・ダンジューの決定的な勝利でした。


  「コッラディーノは逃げ出したぞ!」

  「追え!恐らくはローマ方面だ!!」


「コッラディーノは必ず捕えよ!!」


逃亡したコッラディーノでしたが、

シャルル軍の追手は、見事コッラディーノを捕える事に成功。

彼を投獄しました。


「我々シチリア軍の完勝だ!!!

 俺に敵などいない!!はははは!!!」


シャルルは高らかに笑いました―――……


   ―――……‥‥・・・


 ―――そして、戦いから2ヶ月が経過しました。


  ―――10月29日、ナポリ。


縛り付けられたコッラディーノは、斬首刑に処されました。

彼にはまだ妻子は無く、ここに、一時代を築いたホーエンシュタウフェン家は断絶しました………。


   ―――……‥‥


 ―――ローマ、教皇庁。


「これで、教皇の力を越えて権力を誇ったホーエンシュタウフェン家も終わったようだな。」


     「ええ。確かに。」


「聖王ルイ9世も、新たな十字軍を組織している。

 やはり大国フランスに任せたのは正解だった……。」


     「……そうでしょうか……、

      シチリアの支配が、ホーエンシュタウフェン家からカペー系アンジュー家に移り変わっただけのような気も……。」


「――――……。」


 コッラディーノ処刑のちょうど1か月後の11月29日。

教皇クレメンス4世は63(〜73)歳で薨去(1190/1200-1268)。

イングランドから大陸に戻ってきて即位してから、僅か3年でした。

 クレメンス4世に擁護されていた学者ロジャー・ベーコンは、

その3年間の間に『大著作』を初めに3冊もの執筆をして教皇庁に贈っていました。

ベーコンは、自然学と数学において古代の高度に発展した技術がアラビアやビザンツ文化に継承されている事を示し、

キリスト教徒が哲学を学習する必要性を説いていました。

しかしクレメンス4世の保護が無くなると、イスラームの思想を広めたという言い掛かりを受けて屈強に立たされていく事になってしまいます。


教皇クレメンス4世の亡き後……。


この頃、枢機卿クラス、大司教クラスの人間に、シャルル・ダンジューの息のかかった者が増えていくようになります。

そして、フランス出身の人物を教皇に選ばせようとする動きも始めていました。

中には、「シャルル・ダンジューこそ教皇に相応しい!」と言うものまで現れていました。

しかしイタリア半島の国民は、複雑な心情でした。

シャルル・ダンジューは、侵略的にシチリア王に即位したと認識されていました。

相変わらず教皇派(ゲルフ)皇帝派(ギベリン)の対立は継続されており、ギベリン(ホーエンシュタウフェン家派)だった人間は、反仏的に転じるようになってきていました。

こうして枢機卿もフランス派とイタリア派とで分かれて対立。

コンクラーヴェは、なかなか新たな教皇を選出できませんでした―――――。


  ―――……‥‥・・・‥‥……―――


 シチリア王国(南イタリアとシチリア島)を治めたシャルル・ダンジュー(伊名:カルロ1世)。

机の上に地図を拡げて考え事をしていました。

シャルルの所領は、本領のアンジュー及びメーヌ、プロヴァンスから、

シチリア島とナポリを中心とした南イタリアの両領であるシチリア王国領、

それにアカイア公国領へと拡大していました。


「ふはは、こんなにも自分の領地が増えるとは、自分でも信じられんよ。」


そう言うシャルルでしたが、内心ではさらに領土を拡げ、

地中海を完全に征する事をも視野に入れ始めていました。


「7年前の1261年に、ラテン帝国はニカイア帝国のミカエル8世により侵略された。

 フランス人による国家が滅ぼされたのだ。

 ここを先ず取り返すべきだ。」


シャルル・ダンジューは復活したギリシア帝国の支配を目論むようになります。

ギリシア帝国に協力していたジェノヴァは、往年のライヴァルであるヴェネツィアとは遂に軍事的対立が始まっていました、

というのも、ヴェネツィアがフランス十字軍側についていた事も影響しています。

またシリア地方では、第一回十字軍の頃から存在しているテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団が対立しており、教会は、問題が山積みの状態でした。

シャルルは教皇庁に接し、その汚い遣り方にうんざりしていました。


「俺は決して教皇庁の道具にはならない。

 兄の片腕になるつもりもない。

 この数年イタリア各地を歩いてみて、他国との貿易がいかに重要かが分かった。

 他国との関係も強化しつつ、

 俺は俺の遣り方で領土を増やしてみせる……!」


   ―――……‥‥・・・‥‥……―――


  ―――ヴェネツィア、とある民家。


旅の男二人が家までやってきました。

ボロボロの服装ながら多くの土産物を持って楽しげに扉を開けました。


「ただいま戻った!」


   「ああ!おかえりなさい!」

   「いや、また随分といろいろな物を?」


同年代の夫婦が出迎えました。


「本当にご迷惑をおかけしました。

 妻が亡くなったというのになかなか帰れずに……。」


   「いいえ、御心配なく。

    姉さんも、ニコーロさんが楽しく旅を続けている事が分かっていて満足そうでしたよ。」


「うん、良かったじゃないか、兄さん。」


弟のマフェオはニコーロの肩を叩きました。

このやり取りを、まだ青年とも言えない若い男が奥から見ていました。


   「ほれ、マルコ。ここ人が、貴方の父親よ。」


  「あなたが、僕の父さん?」


「ニコーロ・ポーロだ。

 初めまして……。

 いつの間にか、こんなに大きくなっていたんだな。」


  「は、はじめまして……。」


15歳になって初めて会う男を実の父親だと言われても、

正直なところ、何も感動を覚えませんでした。

しかし二人の旅人の持つ、異色な品々には興味を持ちました。


  「あ、あの、そこにぶら下がっているものは、何かの道具なのですか?」


「おぉ!さすが、目が違うな!これはだな!」


楽しげに説明するニコーロとマフィオの兄弟に、直ぐにマルコも懐き意気投合しました。

二人の旅人は、イスラームの国々を飛び越えてモンゴル帝国をも旅をし、

クビライというモンゴル帝国の皇帝にも面会したと言います。

マルコ自身も既に商業について高い教養があったので、彼らの話に興味が尽きません。


  「是非!次に旅をする時には僕も連れて行ってください!!!」


この2年後、マルコ・ポーロは父兄弟と共に旅に出る事になるのです―――


   ―――……‥‥・・・


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