精霊姫の章2
「姫ぇ~大変なのー」
「なぁに?ノームが昼に外に出てるなんて珍しいわね」
ゆっくりと空から降ってくるようにひとりの少女がふわりと着地する。ニアがして見せたように妖精には飛行能力がある。障害物のない空を一直線に飛んでそのまま着地したのだろう。地面に足をついた瞬間にバランスを崩してよろけていた。
強くウェーブのかかったくすんだ金髪をふわふわと風に揺らして寒がりなのかニアやディーネより厚手の生地の緑を基調としたワンピースにマントを羽織っている。外見や身長はニアより少し上くらいだろうか。もこもことした外見に眠そうな腫れぼったい目元と不健康なまでに白い肌のせいで上とも下とも見える。
「寝てたら土が熱くなってきたから寝苦しくってぇ」
「土が熱い?」
ノームは夜行性というわけではないが基本的に昼夜逆転の生活をしている。そもそも妖精には明確に睡眠が必要なわけではないのだがノームは暇さえあれば地中に作った部屋で眠っているのだ。
ニアはノームの言いたいことがわからずに首をかしげる。
「それでねー、麓の人里が燃えてるのー。すっごい勢い。このままじゃ人間が全滅どころかこの森も危ない、かもー?」
「なんですって!?」
ようやく聞けた本題にニアが勢いよく飛び上がると森から少し離れたところ、いつもは人間の集落がある場所が赤々と光を放っていた。
家が燃えている、ではない。人里が燃えている。
先程まで心地よく感じていた乾いた風が裏目に出てしまっている。風に運ばれて火の手が家から家へと移ったのだろう。
のんびりと浮き上がるノームの手首をがしっと掴んで引き寄せるとちらりと地上に残るディーネを見るが慌てた様子のニアとは対照的にぼうっと虚空を眺めている。
「……契約していないディーネはダメね。ノーム、行くわよ」
「あいー」
人里に向けて下降するように滑走するニアに引っ張られてノームも勢いよく飛ぶ。
麓の集落から森まではあまり距離がない。端の木にでも燃え移れば大惨事の山火事になってしまうかもしれない。森には自分の身も守れないほど弱い精霊もいるのだ。
自分達の森を守らなければいけない。
それともうひとつ――
あの集落には、カインが住んでいるはずだ。
彼は無事だろうか。結局どの精霊とも契約を結んでいない彼は、この大火に焼かれてはいないだろうか。
ニアとノームが人間の集落にたどり着くと酷い有様だった。あちらこちらの家が燃え、言葉にならない悲鳴のような声が聞こえる。
親とはぐれたのか子供が泣いている。それを突き飛ばして避難しようと逃げ惑う大人。
家の中に取り残された家族の名前を叫んで座り込んでいる女、家を壊して火の手を止めようと斧を振り回す男。
まさに、地獄絵図だった。
「……カイン……カイン!!」
空中にいては悪目立ちするためにニアが地上に降りて街の中を走り出す。
「姫ぇ、まずこの火をなんとかしないと……」
参事を見た途端、真っ先にカインを探し出したニアにノームがきょとんとして声をかける。カインも心配ではあるがノームは森に被害が及ばないようにニアを連れてきたのだ。
「カイ……」
扉が開け放たれている家があった。
家人はとっくに非難し、閉め忘れただけだろう家を走りながら目を向けて次の家を覗こうとしたニアの動きが止まる。
一瞬見えた不可解な光景が理解できずにもう一度家の中を覗く。
「…………なに、これ……」
そこには血まみれで横たわる赤ん坊とそれを抱きしめる母親がいた。
火事で煙に巻かれて倒れているならわかる。火傷を負って動けなくなっているなら理解できる。だがその親子に傷は明らかに刃物によるものだった。
「ほぇ~?」
後ろから家の中を覗き込んだノームがよくわからないといった様子で首を傾げる。緊迫した表情のサラとぽやっとしたノームの耳に悲鳴ではなく声が聞こえた。
「ニア?」
聞き馴染みのあるその声にニアとノームが振り向くと頬に煤をつけたカインが小さめの気の樽をもって立っていた。
「カイン!!」
「どうしたの?ニアが人里に来るなんて……」
いつものようにへらりと、だが少し疲れたようにカインが笑みを浮かべる。
「どうしたのじゃないわよ!なにこれ、なんで、私を呼びに来なかったのよ!!」
「だって、こんな危ないことに女の子のニアを巻き込むわけにはいかないよ」
女の子、カインは単純に年端のいかない(ように見える)女性というつもりで言ったのだろう。
だがニアは自分よりも弱い存在と言われたようできっと睨むように顔を上げる。
「俺、火を消さないと。危ないからニアは避難して。」
手にした樽に入った水を燃える家に勢いよくかける。だが人間、しかも少年ひとりに一度に運べる水の量などたかが知れている。大して火の手も弱まらずカインは走り出す。井戸へ向かって。
「そんなんじゃ間に合わないわ、カイン。ノーム!」
ニアに呼ばれるとノームがへらっと笑う。気の抜けた笑みはどこかカインに似ていた。
「手分けするわ。貴女の能力を私に貸して」
「言わなくてもできるのにぃ」
ニアが両手でノームの右手を掴むと一瞬僅かにふたりの手が光る。
睨むように集落と森の狭間に視線を向ける。この火事を早く何とかしなければ。
「カインは残ってる人間を川辺の方に避難させて。ノームは私と手分けして炎に土をかけて消すわよ」
「わ、わかった!」
「あーい」
ニアの有無を言わせぬ指示にカインが走り出す。まだ何人かの村人は残っていたはずだ。
走りながらちらりと背後を首だけで振り向くとニアが燃える家に両手をかざしていた。
「大いなる大地よ、我が意に従え。」
ぼんやりと微かな光がニアの手のひらを包むと地面がぐにゃりと歪んだ。そのまままるで生物のように立ち上がると炎に覆い被さるように家を包み込む。メキメキ、と柱が軋む音が聞こえたが確かに炎は沈静化していた。
「……すごいや、ニア」
初めて妖精の能力を目の当たりにしてカインは感動したように呟く。
「俺も頑張らないと」
早く、ニアの邪魔にならないように取り残されている人を助けないと。
ニアとノームの参戦により人間の力ではどうしようもなかった事態はあっという間に沈静化した。
生存者は全員火の届かない川辺に避難し、粗方の家も燃えるか土まみれになってしまってはいたが森に引火して山火事になるという最悪の結末は避けることができた。
カインがふらふらと村に戻るとそこにはニアとノームだけが立っていた。現れた時と寸分違わず綺麗なままで。
振り向いた先に歩いてきたカインは対照的にボロボロだ。服は煤と泥にまみれ、裾が千切れている。むき出しの腕には若干火傷を負い、足も怪我をしたのか足元がふらついて覚束ない。
「カイン、頑張ったわね」
そんなカインを見てニアが優しく微笑みかける。恐らくカインの功績で助かった人間も多数いることだろう。
「ううん、ニア達が来てくれなかったら俺だけじゃどうしようもなかったよ」
「ふたりともがんばったのー」
そんな様子を見てノームがにこにこと笑いながらニアの頭を撫でる。いつものことなのかニアは気恥ずかしそうに目を逸らす。
「カインもなでなでー」
ノームがカインの頭を撫でようとニアから手を離しカインへと手を伸ばした矢先にざりっという砂をける音が聞こえた。
「あっれー?なんで消えてんの?ボクの炎は人間程度に消せるはずないのに」




