精霊姫の章1
「はー……いい天気だなぁ」
うっそうと茂る森の中。一際高くそびえる針葉樹の上の方にある枝に腰かけた少年が呟く。
枝と言っても樹木自体が樹齢千年を超える大木のため少年一人が乗ってもびくともしない。少年が知る範囲では世界で最も太陽に近い場所である。
まだあどけない顔立ちに短く切り揃えた茶色の髪を風に揺らして幹に背を預ける。
「ねぇ、たまにはのんびりおしゃべりでもしようよ」
どこへともなく呟くと腰にぶら下げた布袋から包みを取り出すと笹の葉に包まれたおにぎりを取り出してかじりつく。
「……ちょっと」
少年の顔に影がかかる。顔を上げると枝の先に少年より年下であろう少女が立っていた。
バランスの取りにくい場所にもかかわらず重力を感じさせない様子で白い一繋ぎの服を着た少女はむすっと腕を組んでいる。
腰より長く伸びた銀髪とスカートの裾が風になびく。
「お、やっと出てきてくれた」
「貴方ねぇ、ここがどこかわかってるの?世界樹の上よ?せ、か、い、じゅ!」
「わかってるよ。結構上るの大変なんだから」
ぐっと腰を折って説教するように人差し指を立てて見せた少女に少年はあっさりと答えておにぎりにかじりつく。
「神聖な世界樹の上で食事をしないでって言ってるの!!」
「だってここに来れば君が見つけてくれるだろ?」
へらっと笑った少年に少女が言葉を詰まらせる。言い負けたのではなく、何を言っても通じないと感じて息を吐き出す。
ふわり、と少女が枝から飛び降りる。地上からはかなりの高さがあるが地面に落ちることなくそのまま空中を滑るように枝から離れる。
「あ、待ってよ!」
「言っとくけど、何度来ても私は貴方と契約なんてしないわよ」
「じゃあせめて名前で呼んでよ。俺はカイン!」
「嫌よ」
人懐っこい笑みを浮かべるカインにも少女は動じることなく切り捨てる。
「次は絶対名前を教えてになるでしょ?私は人間と契約なんてしないの!」
はっきりと、拒絶するように少女が叫ぶ。10歳程度の外見に似合った可愛らしい仕草ではあったが言葉の通り彼女は人間ではない。年齢も100や200では足りないだろう。
この世界樹を中心にした精霊の森に棲む精霊と呼ばれる種族だ。
「だって名前知らないと会話しにくいじゃんかー」
カインは少女の名前を知らない。
精霊にとっては人間に名前を知られることは即ち命を握られることだ。そんなことは精霊遣いの家系であるカインならばわかりきっているはずなのに何度もこうして足を運んでは名前を聞いてくる。
精霊遣い――
人間の中でも廃れたもので数はかなり少なくなっているが精霊の名を知り契約することで使役する一種の才能だ。血筋の色が濃く先天的にできる人間とできない人間がいる。
「貴方、もうじき15歳でしょ?いい加減大人になるんだから精霊遣いなら精霊のひとりでも契約してないとまずいんじゃないの?」
「俺のこと心配してくれるの?」
「勘違いしないで。私を諦めて他の精霊に行きなさいって言ってるの」
「俺は君がいいんだよ!」
取りつくしまもない少女の態度にも諦めずに強く言い返す。
「君じゃないなら精霊遣いになる意味なんて、うわっ!?」
言いかけて、カインの言葉が途切れた。
「カイン!!」
身を乗り出したカインが枝から落ちたのだ。世界で1番高い樹木である世界樹のほぼ頂点。
落ちたら人間では即死の高さだ。
反射的に少女がカインの手を掴んで宙に浮いていた。
「……へへっ、やっと名前呼んでくれたね」
少女の手を握るようにぶら下がったまま嬉しそうに笑う。懲りる様子もないその表情に少女はあからさまに深いため息をついて見せる。
「手離すわよ」
「わわ、待って待って!俺死んじゃうよ!」
本当に離してやろうかとも思った少女だが再度息をつくと近場の枝にカインを下ろしてやる。
「うへぇ……ずいぶん下がっちゃったなぁ」
「文句言わないの。本当なら今頃地面の上よ」
そして地面にたたきつけられたら無事に立っているとは思えない。
「うん、ありがとう。その……」
「あぁもう!わかったわよ!ニアって呼びなさい。言っとくけど真名じゃないから契約はできないからね」
半ば怒ったように告げた精霊の少女ニアにカインはぱぁっと嬉しそうな笑みを浮かべる。
「うん!ありがとう、ニア!ニア、ニアかぁ……」
嬉しそうに何度も繰り返すカインにニアは安易に教えてしまっただろうかと額を押さえた。
「ねぇニア、今日も平和だね」
「そうね」
今日は世界樹の中枢で日差しを避けるようにカインは幹に寄りかかっていた。
その隣には相変わらず愛想の悪いニアがおとなしく座っていた。素っ気ない答えだが顔を見れば怒っていたころに比べれば随分丸くなったものだ。
「貴方、最近は契約してって言わないのね」
「だってニアは人間と契約したくないんだろ?俺はニアと友達になりたかっただけで嫌なことをさせたいわけじゃないから」
「友達?」
きょとん、としてニアが振り向く。
「うん。この森に来て、初めてニアを見た日に……なんて言ったらいいんだろ、その、すごく……綺麗だと思ったんだ」
「……見た目?」
「いや、その!ただの見た目じゃなくて……そりゃ見た目もすごくかわいいけど……!」
慌てて否定してからもじもじと恥ずかしそうに言いよどむ。照れくさそうにはにかんだカインがニアに向けて口を開く。
「心が綺麗、っていうのかな。ニアの目を見て直感的に思ったんだ。すごく、きれいな子だなって」
感覚的で、要領を得ない言葉。語彙の少ないカインのそれでも賢明な言葉に思わずニアは言葉を失った。
「……雨が降りそうだわ。今日はそろそろ帰った方がいい」
「こんなにいい天気なのに?」
「雨の香りがするの。夕立が来そうね」
「そう……でもニアの言うことはよく当たるからなぁ」
空を見上げてもまだ青い空が広がって夏の終わりの日差しが降り注いでいた。
やり辛そうに視線を落とすニアを見るとカインが立ち上がって世界樹から降りようと枝にぶら下がる。
「じゃあ今日は帰るよ。ありがとう、ニア」
「……どういたしまして」
結局、その日雨は降らなかった。
翌日もカラッと晴れた晴天だった。不快な湿気もなくさんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びながら心地よい乾いた風にニアは空を見上げる。
「……今日は、来ないのね」
「姫様」
ニアの隣に音もなく女性が立った。
20歳を少し過ぎたくらいの外見で青い髪をハーフアップにしている女性はニアの可愛らしさとは対照的に女性らしく美しいといった印象だ。
姫様と呼ばれたニアが声に反応して振り向く。
「なに?ディーネ」
「あの少年を待っているのですか?」
「な…っ!待ってないわよ。なんでそうなるの」
整った顔立ちだが表情に乏しいディーネと呼ばれた女性の真意は読みにくい。だがニアは一瞬はっとしてからむすっと言い返す。あの少年、とは言わずもがなカインのことである。
「あの少年が来るようになってからというもの、姫は毎日顕現しているでしょう?今まではこの森に潜んで人間になんて会おうとしなかったのに」
「それは……あのバカが変なことするからよ。私達の森で好き勝手されたんじゃたまらないわ」
「そうですか」
ディーネは相変わらず表情を変えないままそれ以上追及することなく肯定した。
からかうつもりで言ったのではなく、単純に疑問に思ったのだろう。ニアはカインを気に入っているのか、と。
――私が人間を気に入る?冗談じゃない!
――そりゃあ、ちょっとは他の人間と違って精霊を尊重してくれるし?
――きっと契約しても私に無理強いしたり精霊を利用しようなんて考えないでしょうけど。
――ってゆーか、あの軽い頭じゃ精霊を利用して私腹を肥やそうだなんて考え付かないわよ!うん、きっとそう。
――それに……私が誰かひとりの人間と契約するなんて、ありえない。
――そんなことみんなのためにならない。だって私は……
「姫様。私達のことはどうか気になさらずに。姫様だって、自由に生きてよいのですよ」
「ディーネ……」
ぼうっとしたディーネの言葉。
自分の気持ちを言わない、否言えないディーネが発した控えめな言葉にニアは衝撃を受けるとともに考えさせられてしまった。
自分は、カインなら契約してもいいと思ってしまっているのだろうか。




