2話
空気が一変する。
暖炉で燃える木々の音、食後の皿に残った匂い。
五感で感じ取れていたものが遠ざけられ、無意識の本能によるものなのか意識が一点の存在に引き寄せられる。
「いきなり何を言ってるんだよ」
「いきなりじゃないよ。セフラがずっと死にたいって言うからさ。叶えてあげようかなーって」
可愛らしい口調とは裏腹に、リゼのまとう威圧感が強まっていく。
空気が重く、肌が粟立つ。
こんな彼女は初めて見た。
今までだったら悲しそうにしながら終わる会話のはずだったのに、どうしてしまったのだろうか。
「私けっこう強いからイケると思うんだよね」
笑顔のまま、リゼは小首を傾げた。
「どうする?」
ジッと見つめられ、体がこわばっていく。呼吸が浅くなり、背中には冷たい嫌な汗が流れている。
これは……恐怖だ。
長い人生で感じたことのないほどの圧力に、俺は委縮していた。
ここで頷けば、もしかするかもしれない。
そう思わせるほどのリゼの存在感。
どんどんと胸に宿る欲望が大きくなり、すぐに消えた。
「……やめとく」
「どうして?」
困惑している表情のリゼ。
当然の反応だろう。
何度も死にたいと言っておきながら、殺してあげようとしたら断るなど意味不明である。
それでも、彼女に頼むわけにはいかない。
「無理だから」
「そんなことないって」
「そんなことある」
「私頑張るから」
リゼは頬を膨らませ、グイッと机から身を乗り出した。
体を急に近づけられ、思わず視線をずらし体を後ろに反らす。
「頑張る頑張らないの問題じゃない。俺は絶対リゼに殺されてやらないって言ってるんだ」
彼女は?マークを頭に浮かべている。
「リゼは俺のこと好きなんだろ。好きな人を殺させるとかあり得ないから」
俺の望みは死ぬことで間違いないが、クズに堕ちたつもりはない。
もしリゼが俺を殺そうとしたら、俺は何が何でも生き延びるだろう。
殺されるなら、禍根や遺恨なくだ。
「もしかして私のため?」
「違う。俺のためだ」
「うぅ。セフラは優しいね」
人の話を聞いていない姿を見て、少しだけ安心してしまう。
いつものリゼに戻っていた。
もう威圧感は消えている。
「話聞いてる?」
彼女はまた一人の世界に閉じこもっていた。
◇◆◇◆◇◆
洗面所で顔を洗い、鏡に映る自分を見る。
中肉中背で、耳にかかる程度の黒髪、白い麻の服。そして、疲れ果てて死んだような黒い目。
目の部分以外の見た目は平凡な青年そのもの。
「はぁ。朝から疲れた」
まさかリゼにあんな一面があるとは思ってもいなかった。
正直かなり怖かったが、このことは絶対にバレたくない。
知られれば、絶対に遊び半分でやってくるに違いない。
俺は不安を消し去るため、頭を振り、さらに深呼吸をして、今日はどうするかを考える。
いつもなら己を殺せる存在と巡り合うために、町に出かけている頃だ。
予定は少し狂ったが、まだ日は昇り切っていない。
これから赴いても遅くはないはずだ。
そうと決まれば、さっそく出かける準備をしなければ。
身支度を整えようとしたその時——。
ドンドンと玄関の扉を叩く音が聞こえてきた。
「ん?」
誰かが来た。
珍しいと思いつつ、俺は玄関に向かう。
この館はグアータ森林という森の奥地に建てられている。
強く面倒な魔物が闊歩しており、生半可な実力では森を進むことすら許さない。
さらに自分から人との関わりを薄くしているため、俺の元へ訪れる人物はかなり限られている。
たまに魔物から逃げてきた遭難者が訪れることもある。その場合は町まで送り届けるのだが、友人なら、思い当たる人物が一人いた。
そいつだった場合を考えると、気分が沈む。
何しろそいつは厄介ごとを常に持ってくるからだ。話の内容によっては追い出す必要も出てくるだろう。
来客は急いでいるのか、扉を叩く音はやまない。
「はいはい。今出ますよ。どなたですか?」
両開きの木製扉を開くと、俺より頭一つ高い二十代ぐらいの男性が立っていた。
金色の髪と瞳に整った顔立ち。茶色の模様のあるマントを羽織っており、下から見事な装飾の服装が見え隠れしている。
立派な体つきなのに、ばつの悪そうな表情でこちらを見ていた。
内心、うげぇと嘆いてしまう。
思い浮かんだ面倒な人物が来てしまった。
「アッシュ……」
彼はアッシュノルド・エルドラン。
友人であり、俺が住むグアータ森林を囲う大国——エルドラン帝国の皇帝その人だ。
「セフラ……」
アッシュノルドはなぜか涙を浮かべ始めた。
問題を持ってきたと確信させる。
護衛もつけずに一人で来るほどの面倒ごとを。
俺はゆっくりと扉を閉め始める。
何も見なかったことにしよう。大国の皇帝が、一人で森にある館へ訪れるわけがない。来たとしたら、皇帝暇かよ、ってなる。
そうだ来るわけがないのだ。よし町に出かける準備をしよう。
「なんで閉めようとするんだ!?」
扉に手をかけられ、閉めるのを防がれてしまう。
「チッ!」
思わず舌打ちをしてしまった。
「頼む! 俺を助けてくれ!」
アッシュノルドは俺の腹部に抱きつくように突進して、二人で床に倒れ込んだ。




